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あるコンビニの一例 (2009.06.26)

昨日は2週間前のリベンジで自宅から車で20分弱の「さんぶの森元気館」という地元のスポーツジムに行ってきました。

ここは一回1000円でジム・プール・温泉が使え、館内にはセルフサービスの低価格な食堂がある。私の目的はプールと温泉だったんだけど、ちょこっとジムにも寄り、その後ゆっくり1時間半かけて1km泳いだらグダグダ。ちゃんと泳いだのは多分8年ぶりくらいかね。しかし久しぶりにすっきりしたな。まだ疲れは取れないんだけどね。

ま、いつもながらそんなツマラン前置きはさておき、最近ニュースで連日話題になっているネタに、「セブンイレブンに排除命令 見切り販売制限を不当と認定」というのがあります。今朝配信された日経ビジネスオンラインのタイトルも「セブンイレブン、「見切り販売制限」の深層」なんてあります。

私の経験からちょっとこの問題の本質を考えてみたいと思います。予め言っておきますが今回の話はただいたずらに長いし、これっぽっちも面白くもないという、存在価値があるのかないのかすら微妙なネタです。覚悟ができた方からどうぞ。(こんな前置きで読む人いるのか?)

事の流れはセブンの店舗を経営するオーナーさんが廃棄が迫った弁当などを値引き販売したことに対し本部のSV(スーパーバイザー:セブンではORFと呼んでいる)が契約解除を盾に値引き販売の禁止を指導したことを訴えられたのだ。

※フランチャイズチェーンの説明:コンビニ本部に対し、オーナーさんと呼ばれるお店の経営者がいる。オーナーさんは本部から看板と商品と販売ノウハウなど経営全ての技術提供を受ける代わりに利益の何パーセントかを本部に支払うシステムだ。ネット通販では楽天やヤフーなどが同様なシステムと言える。

日経さんの記事には、今回訴えを起こした反分子派オーナーに対し、本部のまともな指導を代弁する役として登場する、正当理論を実行する理解派を登場させている。その理解派オーナーさんは、セブンは見切りや値引きに全く反対なのではない。消費期限の短い弁当やパン、惣菜に関しての値引きは必要ないと考えているのだ、と言う。更にオーナー自身が発注精度を上げれば廃棄は減るし、(中にはオーナーの留守中に勝手に発注数を変えるとんでもないSVも居るが)陳列の見直しや声賭け、試食など、オーナーとして売り切る営業努力は幾らでもできるはず。確かにね。

その内反分子オーナーさんの主張で「ロスチャージ」というのものが登場する。これは簡単に言えば店で出る廃棄はオーナーさんが発注しているのだから全額オーナーさんの責任ですよ、ということ。つまり廃棄する金額は全部オーナー側の負担になるのに何故値引きして完売させてはイカンのだ?という理論だ。確かにね。でも今回の妥協案としてセブンはその15%を負担することにしたという。大した財力だな。

最後にこの記事は、反分子オーナーさんの主張で締めくくる。そもそも食べ物を捨てるのは勿体ないじゃないか。うん、全くね。コンビニ業界では弁当などの消費期限の短い食品に対し必要悪という考え方を持っている。たまたま弁当を買うためにあるコンビニを訪れた人にとってそこに弁当がないことが3回続くとそのコンビニを利用しなくなる、というデータがあるのだ。

ま、そんな事を踏まえて私が考えるこの問題のポイントは2つ。
まずはコンビニのデイリー商材(弁当パン惣菜など)の発注は難しい、ということ。次はSV(本部)とオーナーの人間関係だ。

現在多くの流通で発注に使われているのがDOT(ダイナミックオーダーターミナル)という機械。↓

DOT.jpg

皆さんも売り場で画板のように肩から掛けて発注する店員を見たことがあるのじゃないだろうか。これはおおよそ2週間前のデータを参照しながら発注できるようになっている。でもデイリー商材の難しい所は、1.年間を通した季節による大きな変動がある。2.競合や飲食店の進出・撤退・セールなどの影響を受けやすい。3.同じ月でも年によってかなりの変動がある。(当然周りの飲食店など競合と客となる会社などの外部環境が変化するからだ)

このことから店舗事務所のパソコン端末からは過去数年のデータが検索閲覧できるようになっている。でも、これはただのデータであって何年前の何曜日が晴れで何が何個売れた程度しか分からない。つまり生データしか入っていないのだ。

これでは数学的な知識のないオーナーさんにとってはハッキリ言って役に立っていない。だからSVが居るのじゃないか、というのも正論だが、SVで数学に長けた優秀な人材なんてほぼ皆無だと思う。だから発注精度を上げるのは現状難しいのだ。

最近ではコンビニ本部も人材難で新卒でも2年か3年でSVになれてしまう。殆どが文系出身の彼らに数学を勉強する時間なんてあるはずない。それに対人スキルにしても同様。入社後数ヶ月(2−6ヶ月くらいじゃないかな)の本社研修を受けてから直営店に散らばり、1、2年先輩の店長から指導を受ける。1年−2年後には店長となり一店舗の管理者としてバイトや後輩社員を管理する。

つまり新卒の23、4歳の右も左もわからんような子らが実質的に一国一城の主として君臨するのだ。そうそれはまさに君臨すると言っていい。彼らの殆どが北の独裁者よろしく命令と恫喝という武器を持って半分以上は年上のバイトさんに激を飛ばす。仕方ないよ彼らもそういう管理しか見てきてないんだから。

その結果お店はどうなるか・・・・当然バイトは殆ど辞めていなくなる。仕事も実はベテランのバイトの方がスキルがあるから彼らの後を自分でやるとなるとそれはもう、お店はボロボロのメタメタ。壊滅状態に陥る。

その惨状により精神的に疲れ果て上司に辞めたいと陳情する。すると・・・・・この呪文は魔法のごとく効力を発揮し、見事に数ヶ月内にはSVに昇格するのだ。こんなSVが私の前職でも増殖しつつあった。でだ、こんなSVは前述の反分子オーナーさんにどう対応するだろうか?

私の経験によると、上のような廃棄の値下げ販売の問題なんて日常茶飯事オーナーさんと交わされている。そしてオーナーさんは歴代のSVや時にはマネージャーが出向き何度も正論を聞いていて実はそれを頭では理解しているのだ。何故、オーナーさんはそんな毎回SVが交代する度に同じことを言うのだろうか?

事の本質は心の問題である、と私は思う。オーナーさんだって弁当廃棄の必要悪くらい理解しているし、自分の努力次第で廃棄を減らせることくらいちゃあんとわかっているのだ。ただ、分かっていてもオーナーさんには廃棄用にごみ袋に入れられた弁当は現金にしか見えない。そのジレンマを分かって欲しいだけだ、と私は経験から思う。

だからそれを決まりきった正論で毎回突き返すんじゃなくて、「うん、確かに無駄だし、勿体ないし、値引きしたい気持ちもわかります。でもオーナーさんは必要悪をご理解されているんですよね。ならば大して役に立ちませんが、私が近くを通る度にこのお店に寄って夕飯用に弁当を買っていくようにしましょう。これで少しでも廃棄が少なくなれば・・・・・」

なーんてのが私のSV時代の指導スタイル。今回のセブンの件もそうだし、オーナーが本部を訴えるパターンは全てにおいて、間違いなくオーナーとSV(本部)の人間関係が悪いのだ。SVは指導するのが仕事なんて堅くならずに(新店以外は)指導は前のSVまでで既に済んでいるだろうから自分の担当からは本部とオーナーの関係改善に努めよう、と仲良くなる宣言でもしてオーナーさんと笑い話を咲かせるのに真剣になってみたらどうだろうか。


オーナーさんは24時間働いて疲れてるんだ、あんまり苛めないでやっておくれよ。



なーんつって 
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日本人の労働に未来はあるんかい?(2009.06.24)

まずはネットショップの進捗状況を自分のためにまとめておこう。

先週の金曜日19日に簡単な自分向けの要件定義を完成した。自分向けなのでカッコつけてワードなんかで作ったんじゃない。パワポで画面の絵を描いて何処にリンクを張るか描いただけだ。ハッキリ言ってこの方が自分にも人にも伝わると思う。会社で作成される文書も体裁よりも伝わりやすさとか重視したら効率が高まるのにね。ビジュアルってサイコーだ。

で、20日からようやくホームページビルダーを使って自作のネットショップの作成を開始。前回ビルダーを使ったのは試用版の簡単モード。単純に雛形に文字を入れただけなので1、2時間でできてしまった。でもあんなもんでは自分の考える商用レベルからはちょっと遠いので今回は標準モードで作成を開始。で、現在進行中ですよと。まだ10種類くらいしか商品登録できていないのでまだ公開してないんだけどね。

自慢じゃないが私はHTMLの知識なんてほぼ完全に欠落しているけどHTMLがなんだ、くらい分かってれば今はこのビルダーさんが賢いので簡単にできちゃったりする。あ〜ぬるいぬるい。何が賢いかって、ちょこっとHTMLのソースをコピって貼り付けたりすると自動で構文チェックが入り、間違いが自動で修正されるのだ。まったくスゲーな。

そんな感じだ。最近も1日十数時間PCとにらめっこしてるけど、あれだな、なんか自分一人で仕事していると遊んでんだか仕事してんだか分からなくなって休むのも忘れてしまうもんだ。ってことで、ようやく本題だ。

先日の日経ビジネスオンライン記事に「残業代もなければ生産性も低い〜日本人の労働み未来はあるか」というタイトルがあった。日本人は長時間労働しているけど一人当たりの労働生産性は低いというのだ。

どれくらい低いのかというと、「2007年の日本の労働生産性(社員1人当たりの付加価値創出額)は約6万7000ドルで、経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国の中で20番目」なのだそうだ。1ドル95円で計算すると636.5万円だ。この数字詳細が不明なのだがもしここから会社が社員を維持する費用(各種保険や退職金など)を捻出するとすればエライことだ。

しっかし、この記事ではひたすら残業時間を削ることばっかり書いてある。そしてあろうことか社員の無駄な労働時間を削減するには、まず社員全員の仕事内容やスケジュールを「見える化」することだ、なんて書かれてある。なんだそれ、まだ懲りずに社員を監視や管理しろって言うの?もうちょっと根本を考えようよ。

現代人は疲れているということもこの記事には書かれている。

「超過労働時間が月50時間以上の人の中で、「一日の仕事でぐったりと疲れて、退社後は何もやる気になれない」(=疲労感をもつ)ことが「ほとんどない」人は、回答者全体の3%に過ぎない。」

のだそうだ。つまり残業時間が一日平均2時間以上の残業をする人の97%が「疲れている」と感じて生きているのだ。

考えるべきはこの退社後に疲れたと感じる社員達は、仕事中には人間が変わったように「やる気」があるのか?という問題だ。間違いなくそんなことはあり得ないだろう。生き生きとやる気に満ち溢れ自分の能力を出し切っている人がたった二時間の残業で疲れきってしまうだろうか。つまり、「仕事に対してやる気が薄い⇒残業する⇒もっと疲れる⇒生産性が低下する」ってもんだ。

昨今の不況下で日本の経営者達は気付き始めたんじゃないの?会社の労働生産性を低下させているのは自分達が社員にやる気と生き甲斐を与えていないからだって。

あんまり皆を苛めないでくれ。「残業をする=仕事の要領が悪い=社員が悪い」なんて考える人は管理職や経営者に向いていないと気付こーや。こういう愚かな管理職を生み出す社会の構造はアダルトチルドレンを生む家系の構造に似てるんじゃないかと思う。何処かで誰かが気付いて大人の考え方を持たないと。

以前にも紹介したけど、最も生産性の高い会社は性善説の経営だと私は思っている。社員の幸せを真剣に考える管理職の部下はそれに応えるんじゃないの?とってもシンプルだと思うんだけど。

この性善説の経営については同じく日経ビジネスオンラインの記事にあるのでそちらを是非読んでみて欲しい。っていうか今回紹介した記事書いたライターさんはこの記事ちゃんと理解した方が良くね?なーんて言ってみたりして。

で、先に紹介した労働生産性の国際比較の部分にはこうも書かれている。

「日本の1つ上の順位(19位)には、僅差でスペインがいる。スペインと言えば、昼寝の国。昼休みに、昼寝の時間として2時間以上休みを取る習慣がある。「働き蜂の国」日本は、「昼寝の国」スペインに負けているわけだ。」 

・・・・だと。僕がスペイン人ならきっとこういうだろう。

「生きてんだか、死んでんだか、わかんないような日本人が言うか?」




迷える子羊よ、アーメン 
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またまたクローズアップ現代 (2009.05.22)

またしてもクローズアップ現代、やってくれますね。

5月21日(木)放送 節約志向の客をつかめ 〜外食“激安”バトル〜
昨日私がブログにアップした内容と関連している内容です。タイムリーだから取り上げますね。

内容は、2部構成。
第1部が激安ブームの外食企業を捉えたもの。

まずは安さの象徴、牛丼チェーンの低価格維持のための涙ぐましい努力。それ以外に、全品280円均一の居酒屋チェーンの戦略も紹介された。このチェーンは広告費を一切使わないと言う。では宣伝はどうするのか?そのチェーンの社長だか社員だかが示す先には某大手居酒屋企業の赤い看板。

「あの店の前に出店すればお客さんがうちの店舗の前まで来てくれます」そうすれば・・・・・このチェーン店の看板にはデカデカと店内全品280円均一の文字が。お陰さまで出店の場所選びなんかも必要なくて楽させてもらってます、とのこと。たまらんな、ワ○ミさん。

第2部は激安ブームと相反するコンセプトを打ち出し成功した外食企業について。

1つ目はラーメンチェーンの幸楽苑さん。このチェーンは数年前に激安ブームに乗ってラーメン一杯の値段を100円下げる決断をした。そして削った価格の分、店舗で作っていたものを工場で一括生産するようにし、徹底的に手作業を廃止して機械化して行った。その結果どうなったのか?利益が最大8億→3億(だったかな)にまで減ってしまった。流行らなくなったのだ。

その原因を探るべくお客さんのアンケートを見直したところ、味が落ちたという意見が目立っていた。手作業を機械化することにより従業員のモチベーションが下がり均質となるはずのサービス(味など)が劣化したのだ。でもこの会社の社長さんの決断はすごい。時代に逆行して今度は機械化→手作業を増やして人の技術による介入度を高めたのだ。更にモチベーションを上げるために店長の給与を年収で80万も増やしたと言う。

その結果、店長のやる気アップ→店の活気→味の向上→客数アップとなり、人件費も増えたが利益も2億だか回復したそうだ。すごいぞ、この会社。因みに紹介されていた中でこの会社だけ、売上ではなく利益を語っていた。

もう一つはモスバーガー。この企業は低価格化に流されなかった。この企業もまたアンケートをチェックして常々お客さんの声に耳を傾けていた。その中で安心・安全とか国産を求める声が多いことに気が付いた。そして純国産材料にこだわった、決して安くないが安心・美味しいをコンセプトとしたハンバーガーを作り売上を伸ばした。


考えてみると全くコンセプトが反対のマック(関西はマクドですか)とモスが同じ業界に共存できているのは面白いことだ。今の日本は食が二極化していると言われる。激安という安易な戦略を支えるのは高度成長期時代に築いたお得意の技術、オートメーション化だ。人による手作業を徹底的に省き工場で均一なものが作られる。激安外食チェーンの調理は殆ど工場で行われると言っても過言ではないのではないか。

これでは誰が作っても同じ味の製品を作れるのだろうが、逆に言うと何も外で食べる必要もないとも言える。だから今、日本の外食産業は冷え込んでいるが、逆に中食産業(調理食品:弁当・カップ麺・冷凍食品や惣菜など)は伸びているのだろう。つまり外食と中食の間に質の差がなくなってしまったのだ。

コメンテーターは西武文理大学サービス経営学部教授の松坂健氏。彼が最後に、「外食産業は元気産業。お腹を満たすだけでなく心も満たして人を元気にするようなサービスを見直した方がいいですね」というようなコメントをされていた。確かに外食と中食を差別化するのは間違いなく人によるサービス(味やおもてなし)だろう。

例えば極端な話、全く同じ牛丼を売る店でも店長・従業員を含め全員オモロイことを言う楽しい店なら一杯500円(大手チェーンは330円位)でも客は集まると思う。以前も書いたけど、人が美味しいと感じるのは味にも増して雰囲気が大切なのだ。楽しい雰囲気で食事すれば一杯500円の普通の牛丼でも美味しいと感じ、満足できる。たったそれだけで170円も多くお客さんが払ってくれる価値を創造できるということだ。

それにお客さんばかりでなく従業員だって楽しい店には集まってくるし他の用事を削っても時間を割いて来てくれる。従業員が楽しんで働く店は雰囲気が明るいからお客さんも増え・・・・・・と、プラスの連鎖が続いて行く。実際私はそれに近いことをコンビニ店長の時実行していた。(そこでこんなふざけた性格が形成されたのだが)この辺りの話は商売の神様、斉藤一人さんの著書から学んだことです。


みなさんが勤める会社やバイト先の上司・社長・店長は楽しい人ですか?


人も、虫も、明るい所に集まる。


ソンナ 蛍光灯ミタイナヒトニ ワタシモナリタイ
(恐れ多くも宮沢賢治パクったセヨ〜)
 
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性善説の経営とは(2009.04.19)

あ、本日の内容はここ数日温めてきたそれなりに真面目な内容になってます。(それなりて・・・) 経営とか管理とかお堅い内容について語っている上に、メチャメチャ長いです。更に悪文のため読み辛く、わざと誤字脱字を随所に混ぜてあり、挙句の果てには日本語で書かれていません。(どんなブログやねんて) でもどうか私を嫌いにならないでください。(そんなヤツ絶対嫌いになるな) いいえ、私は嫌いになってもこのブログは嫌いにならないでください。(それでいいのか?) ともかく最後までお読みいただき、これからの日本にイノベーションを起こしてください。(うん、大袈裟や)


ま、例によってクダラン前置きはさておき、先日、日経ビジネスオンラインに長野県の伊那食品工業という会社が紹介されていました。この会社はこの間私が「田舎で働き隊!」で訪れた飯島町の近くの伊那市にあります。「かんてんぱぱ」という目玉商品がある寒天メーカーさんです。

で、その記事(←登録しないと全部読めません)によると、この会社はなんと48期連続増収増益という前人未到の記録を打ち立てたという。そして興味深いのは「終身雇用」「年功序列」という高度成長期そのままの化石みたいな人事制度をずっと続けているということだ。

この時代遅れと思われる人事制度を続けている伊那食品工業という会社が今トヨタをもビビらせるような会社として注目を浴びているそうだ。多くの日本企業はバブル崩壊後、「成果主義」「年俸制」などアメリカ流の人事制度を取り入れてきた。その結果、それから20年経つ現在の日本企業の内部は非常に脆弱(ぜいじゃく)になってしまったと言われているのだ。それは何故か?

私の前職の会社などもその成果主義に染まっていた。その経験からもこの「成果主義」という管理システムは21世紀のマネジメントスタイルとは思えない。それこそ人間の本質を勘違いした前時代的で、その目的に反して会社全体の効率を著しく落とす制度であると確信している。

単純に成果主義が悪いと言っては誤解を招くかも知れない。私が言っているのは出世やボーナスを餌にして同僚も先輩・後輩もなく同じ土俵で競争心をあおることを効率化と考えるシステムのことだ。これにより同じ会社の同期の社員達ですら非常に仲が悪いという結果を招いている。出世したいと願う貪欲なヤツは同僚や後輩ですら助けたりかばったりせず平気で蹴落とそうとする。また出世を早々に諦めたヤツは最低限の仕事しかせずスキを見てサボろうとする。

いたずらに競争意識を会社が煽るので真面目な社員はビジネス書なんか読んで勉強するけど肝心の上司は上しか見ていないのだ。こうして自分を認めてくれる会社はないかと転職を繰り返す・・・・。また優秀な社員は自称起業家となり、中小企業の1プロジェクトレベルのビジネスプランしか持たずにベンチャーを乱立してきた。ここ10年くらいベンチャー起業がブームとなっているがこれは大手企業にとってとてつもない経済的損失に違いない。本来であればこれら起業家のアイデアは彼らを育てた企業に還元されて然るべきなのだ。

これが今の日本型成果主義の現状だと思う。こんな馬鹿げた評価システムで会社全体の効率をどれだけ下げていることか。もしこれが社員同士で競わなくても良かったら、そしてお互いを助け合いかばい合うことをきちんと評価するシステムであったなら会社全体としての効率は一体何倍に増えることだろうか。

そろそろ気付くべきだ。社員一人一人が「自分の会社」と思えるような、社員の幸せを考えてあげられる会社を作れば、彼ら一人一人が経営に責任を持ってくれて不況などの被害も最小限に止まるだろう。そして会社で得たアイデアやプランは確実に会社のために役立てようとするに違いないのだ。この先輩のために、またこの会社のために、と人が働いてくれたらその求心力は組織全体として莫大な効率となるのではないだろうか。

ではどうすればそういう会社ができるのか。そこで前述の伊那食品工業の会長、塚越寛さんの話が出てくる。それが性善説による会社経営だ。ご存知の通り「人間の本質は善である」という孟子の思想だ。管理者は社員を疑うのではなく、性善説によって信頼しようとする。この会社は性善説により社員を信じ、社員の幸せを第一に考える経営を志しているのだ。

性悪説による経営とはどんなものか。殆どの企業がこれに当てはまると考えるが、私が以前居た会社も見事に当てはまる。入社して驚いたのが、一人一台割り当てられている営業車の日報を、毎日何処に何時何分に寄り何時に帰宅したか、走行距離とメーターの数字までをきっちり書かせる。こんなものは当然毎日正確に記入しているヤツなんてまずおらず、週に一度の提出前にまとめて適当に記入するのが常であった。

こうした無駄な報告業務のために残業することだって稀ではなかった。もっと驚いたのがこの会社のパソコンからはブログやスレッドなどのサイトが一切閲覧できないようになっているのだ。これを知った時、この会社は社員を一切信用していないのだな、と非常に残念に思った。典型的な性悪説の経営だ。

性悪説で社員を管理しようとすると例えば10人に1人しかいない駄目社員を取り締まるのに残り9人の普通の社員の労働効率を落としている。もとはと言えばその駄目社員を雇ったのは経営者の責任であるのに。こういう会社に対しては愛社精神など絶対に生まれようはずがない。私はこんな会社の経営者はイソップ寓話の「北風と太陽」から教訓を得るべきではないかと思う。

このイソップ寓話はご存知だと思う。その教訓の解釈は幾つかあるようだが、「力ずくで人を動かそうとしても限界がある。温かい言葉や思いやりによって人は自ら動くのだ。」という解釈を私は採用したい。言うまでもなく北風は性悪説、太陽は性善説の経営に当たると考える。

私はこの性善説の考え方というのは経営だけでなく教育や親子関係、更に人間関係全般に応用できると思っている。子供にこうなってもらいたい、と思うならまず子供を信頼し、一人の人間として認めて温かい心で包み込むことから始めてみてはどうか。

また、伊那食品工業の経営理念は「社員の幸せを通して社会に貢献すること」だ。こうして社員と、社員の暮らす街の幸せを本気で経営者が考えているから会社に対する地域全体からの求心力が働き経営が揺るがないのだろう。これは私の前職で学んだ近江商人の理念と同じだ。私もアキンドの端くれとしてこの精神をほんの少し実践した経験を持っている。

で、伊那食品工業の会長さんは言う、「人間すべての営みは人が幸せになるためにある。」と。だから「会社の目的は売上高や利益を伸ばすことではなく、社員を幸せにしたり世の中を良くしたりすること。売上高や利益はそのための手段でしかない。会社はもっと露骨に人の幸せを考えなきゃいけない」 のだ、と。

まったく、素晴しいとしか言いようがない。現代の人間はモノを買うために毎日あくせく働いている。モノを得て幸せになりたいという目的があるからだ。しかしモノを得るまでの労働は我慢と忍耐の連続だったりする・・・・これじゃ本末転倒ではないのか?と。会社と個人の違いはあるが、会長さんが言っているのも同じことだと思う。人間の全ての活動は幸せになるためにあるのだ。だからその幸せになるための過程もまた幸せでなくちゃおかしいのじゃないか。

これってメーテルリンクの「青い鳥」の意味することと多分同じだよね。
ま、たまにはこんな本を読み返して自分を見つめてみるもの良いかと・・・・・


そういや、「青い珊瑚礁」ってのもあったな。(松田聖子か!)

元スピードスケートの選手は ・ ・ ・ (橋本聖子か!)


いとうせいこう.jpg

 ・ ・ ・ 。


いとうせいこう!って、なんで? 
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2兆円バラマキ(2009.02.27)

いや〜久しぶりですね(ってサボり過ぎだろ)

しかし、ついに定額給付金の予算案が通過してしまいますね。この不景気に予算を2兆円も無駄にして大丈夫でしょうか。

2兆円も?

本当に2兆円だけの問題だろうか?
いや、うちの両親も勘違いしていて「くれるなら早くヨコセ」なんて呑気なことをゆーとるがこのバラマキに使われる費用は実際には2兆円だけではないゾ。

税金は集めるのに費用が掛かっているのは認識しているのだろうか。少なくとも税務署というお役所職員などの諸々の事務手数料が使われる。2兆円の税金を集めるのに一体幾らの諸経費が掛かるのだろうか(あそーさん知らんのとちゃうか?)

当然ながら給付するにも同様に経費が掛かる。因みに一例ではあるが、14万円弱の国の補助金が村などの自治体に配布されるまで事務手続きなどの費用に16万円以上も掛かるという事例があるそうだ(ほんまアホちゃうか)

ま、2兆円ともなればスケールメリットにより倍以上の諸経費は掛からないだろうが、間違いなくタダではないはずだゾ。つまり給付するだけでも税金の無駄遣いになるのだ。だとすれば給付金という経済効果もビミョウな施策よりは減税の方が我々にはメリットが大きい。

ま、たかだか3日くらいのローマ出張で6000万円もの出張費用(秘書護衛含め6人分)を使うような内閣では無駄な費用の削減なんて考えは浮かびもしないのかもね(さすが酔拳ナカガワ)サラリーマンと単純に比較できないことは承知だがそれでもサラリーマンの出張費用からすると桁が二つ違うってとこかね(つーか、同行した日銀の11人分の出張経費が1300万円てーのもなかなやなぁ)


11人って・ ・ ・ ・ ま、まさかサッカーやってたんじゃ・ ・ ・ 
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追記:明日から孤島へと向かいますよ〜 その後は北へ・・・・・・・
戻ったら報告しますね(たぶん)

2兆円バラマキ事件(2008.11.18)

昨今政治を賑せている問題に2兆円バラマキ問題がある。

私個人の意見としては、どうにも賛成し兼ねる決定である。
まず、お金というのはある程度まとまらないと人に対する影響(満足度とか)のあるモノは買えない。
逆に言えば影響力のあるであろうモノには高値がつくということでもある。(そらそーだ)
一人1.2万円で我々はどれだけ経済的に潤った気分になり(満足が得られ)、額面以上の経済活動を行うであろうか?

逆に2兆円まとまったら何ができるのか?
もし現在有望なビジネスプランを持っている若者への起業資金として融資したら2兆円で何社が起業でき、数年後に何社が利益を生むようになり、更に何人の雇用が生まれるだろうか?
1.2万ではせいぜい日雇い一日分の雇用しか生まれない。
確か平成18年のトヨタの経常利益が2兆円だったかな・・・

小泉氏が総理大臣の時の発言で、「米百俵の精神」というのが話題になった。
これは旧長岡藩が戊辰戦争で敗れて財政の6割を失って窮乏していた時に支藩の三根山藩から百俵の米が贈与されたのだが、藩の大参事小林虎三郎はこの米を売却し「国漢学校」を設立する。
小林虎三郎の考えは、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」であった。

この話は美談として伝えられ、小泉氏もそのように引用していた。
つまり当座の満足よりも後の繁栄という訳だ。
そういえば似たような童話があったような・・・「アリキリ(アリとキリギリス)」だ!
あの話も毎日を苦労して頑張って貯えを増やしたアリさんが偉いということになっている。(日本人の解釈では)
日本人は苦労好きだ。
でも私はお遍路の経験からも、毎日を楽しく過ごせないヤツはゴールにたどり着く前に挫折する確率が高い、と断言したい。

話がそれてしまった。
確かに虎三郎さんがその日の飢えをしのぐのに目先の米を使ってしまったら始めの話のようにまとまってこそ価値のある使い方というのはできなかっただろう。
しかし、だ。
私は当時の長岡藩の財政やら市民の窮状やら全く知らないので発言は極力控えるが、侍が困窮状態にあったのなら一般市民はもしかしたら更に困窮していたのではなかろうか?と単純に想像する。

一方から光を当てると反対側は必ず影になる。
昔から語られる美談というのは多くの場合一方から当てたスポットライトのもとで記述されている。
見えない所には影ができることを想像できる"指導者"だけが必要なだけでなく、これから先人口100億人時代の我々人間全てに必要なのは他人と自分を置き換える想像力、そして共感だと思われ。

アレ、今日はなんかまともじゃね?


どしたん?自分、という方は⇒ 
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仏像盗難

なんとなくブログ書くモチベーションが低いです、今日は。

ま、そんなことで、ふとさっき思い出した先日のクローズアップ現代で取り上げられていた「仏像盗難」についてエエ加減に触れてみまようかと。

番組での説明では仏像を盗む犯人は二種類いるそうだ。一つ目が仏像を販売してお金にすることが目当てで、組織犯罪の可能性が高いという。外国のオークションで何億という落札額が出ることもあるんだと。

なんと、日本の仏像を海外オークションで販売する仲介会社が番組で紹介されていた。多分見た人は仏像盗んでるのはお前らじゃないのか!と思ったに違いない。私も自然にそう思うような素晴しい編集テクニックだった。(え?)

犯人像のもう一つは仏像の熱狂的なファンだそうだ。なんでも近年は空前の仏像ブームだそうで、それも20-30代の若年層にブームが起きているんだとか。

番組のVTRでインタビューされていた若い女性は仏像を見てセクシーだとか感想を述べていた・・・・・仏像って性別ないんじゃ・・・・・あ、そう見えるんだからしょうがないよね、はいはいと。

挙句の果てには仏像ガールと自称してタレントまがいの活動をしているネーちゃんも居たりするらしい。そのネーちゃんは三度のメシより仏像が好きなんだとか。(イタタ)

チラッとホームページを見たけど、どうやらこの人は三度のメシより仏像が好きっていうより、仏像をネタにして金を稼いで三度のメシを喰うのが好きみたいだな、と斜めから見てしまう私は歪んでいるぞ、イカンイカン。

ともかくね、両者とも根本的には一緒で仏像を物欲の対象として見るということだ。これはいかに現代人が精神的な世界を蔑視しているかという象徴的な現象だろうね。

また仏像の盗難にあっているのは有名なお寺の仏像だけでなくてすっごい過疎地のちっちゃいお寺の、価値なんかあるんだかないんだか不明なような仏像も盗まれているらしい。

そしてその村の老人達がいきり立って返せと訴えていた。盗まれないように博物館などに預けるケースも増えているんだとか・・・・・・

ああ、どちらも仏像を美術品扱いですか。欲しいならどうぞ、差し上げますよ。くらいのこと言えないかなぁ・・・・・いや、言えないよね、うん。


「いんげんだもの」
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じゃなかった。





「入間だもの」 (自作)
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でもなかった。




にんげんだもの。
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ふぅ。




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衆議院選挙に思う

いよいよ総選挙の投票日が明日ですね。

今回の選挙は農業政策が注目されているので少し真面目に考えてみました。

今回政権交代が話題に上がってますが世間一般の人はどういう見方なんでしょうかね。私の親なんかは政治なんか全く無知に等しいのですが、どこの政党でも似たり寄ったりだろうという斜めから見たような意見を持っているようです。

でもそれ本当はどうなのかね?私も普段から政治に詳しくないので素人が各党の違いを分かりやすくまとめてあるサイトなどを少し探してみた。

まず、各党の「マニフェスト早見表」なるものをまとめてあるのがヤフーのサイト。だがこれには全政党の公約が載ってない。

そこであんまり政治に詳しくない人にも自分の考えと政党の方針のマッチ度を自動計算してくれるサイトを見つけた。それが「えらぼーと」というサイト。まるで性格診断のように簡単に政党マッチ度を計算してくれる。質問事項の意味が分からない場合は自分で調べる必要がある。

またヤフーにも「マニフェストマッチ」というサイトがある。こちらはかなり具体的で細かいので時間も掛かるし面倒かも知れない。

私が特に興味のある農業に関する各党のマニフェストを見る限りどの政党も似たり寄ったりで減反廃止とか直接補助の実施とか得票を意識した世論に踊らされていると思われるようなものばかり。


ここからは農業政策に対する私の意見だが、国があーだこーだ仕組みを作れば世の中が良くなるというのは傲慢な考え方だと思う。減反なんて廃止するのが当たり前だろう?IT業界は会社を1000社までしか設立しちゃいかんと言ってるようなもんじゃないか。

そんなもの放って置けば国民の需要に合った田んぼの規模に落ち着くに決まっているだろうに。或いは優れたマーケティング能力を持つ農家が新たな米の需要を開拓して行くだろう。他の産業だってみんなそうやって伸びたり縮んだりしてるじゃないか。

それを農業だけ税金を使ってやる気の無い農家にまで補助金ばら撒くなんてどうかしている。そもそも第二次世界大戦後にGHQの農地改革によって小作へと安値で分配された農地を転売目的、のみならず世代継承できずに有効活用しないで耕作放棄している農家からは強制的に土地を安く買収したらいい。農地は国民の財産のはずでしょう。

FTA(自由貿易協定)の問題にしたって農産物だけ貿易を自由化しないから日本の農業は競争力(売れる農産物を作り最も利益の高い販路へ売る能力=経営力)ある農家が育たないのだ。

このことはつまり農協による農村の支配を助長していると見ることもできる。経営能力に長けた農家は、中間マージンをがっぽり取られ、またマーケティング能力の低い農協を販路として頼らないからだ。

つまり裏側から見ると有能な農家が増えると政治家にとっては農家得票を農協によってまとめられなくなるからという政治がらみ金がらみのいやぁな事実が透けて見える。

ああ。


でも政治家だけが悪いのじゃない。彼らは我々の世論の鏡なのだ。彼らの主張するマニフェストはそのまま我々の民意を反映している。農業に関しても、つまりは我々が農業や食糧の問題に対して明確な価値観やビジョンを持てていないということだ。


考えてみて欲しい。

我々は将来どんなものを食べて生きて行くのか?子供達に何を食べさせたいと思うのか?安心・安全は取り合えず横に置いてとにかく安い食べ物を食べるのか?食べさせたいのか?

それで病気やアレルギーが蔓延しても、健康を犠牲にしても後悔はないのか?

生命の根源に関わる食費を削って貯めたお金で新しい電化製品やブランドのバッグを買いたいというのか?

或いは教育に金をかけるのか?お金を掛けて子供に教育を与えれば将来派遣切りにあわないのか?大学を出れば安定した職業が得られ、生涯お金に困らないのか?経済成長がストップし、逆に後退しても?

そもそも子供は本当に幸せなの?一度でも親子の立場を替えて考えてみたことはあるのか?教育に金をかけるのは実は親の見栄を満たすためではないのか?

子供にとって本当の幸せとは?いや自分にとって本当の幸せは何なの?

まずはそういった価値観を明確にすることだ。そうすれば自ずと日本の農業はどうあるべきなのか、明確なビジョンを民意として政治に反映させることができるのではないか。


現代の日本に住む我々は経済発展は飽和状態なのに価値観は高度成長期のまま何も変わってはいないのだ。物欲、地位・名誉欲を持ったまま。だから次のステージへと世界経済も地球環境も変化しているのにそれに見合った新たなビジョンが描けないのだ。

まずは価値観を変える。永遠に世界の経済が発展することなど物理的に不可能なのだ。そろそろ新しい価値観に着替えて時代に合ったビジョンを明確に持つべき時が来ていると私は思う。


なぁんて堅いことはともかく、マニフェストマッチくらいやってから投票に行こうゼ!参加しない・・・・・なんてカッコ悪いよ。(お前は選挙管理委員会か?)






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弛緩と無常のジムノペディ

もう10月ですか。秋ですね。

最近ギターの練習の方もコード進行を中心とした歌謡曲を弾くのにも飽きてきた。そこで少し方向転換してクラシック音楽のギターアレンジ曲を練習しようと気まぐれに思い立った。エレキだけど。

と言ってもギターなんて上手じゃないから簡単なヤツがいいな、ということで秋のイメージにピッタリ(?)のジムノペディ第一番(エリック・サティ)を練習しはじめている、テケトーだけど。

ジムノペディ(youtube音あり!)


エリック・サティ(1866-1925)という作曲家は「音楽界の異端児」とか「変わり者」と呼ばれていたらしい、というプロフィールもなかなか素敵だ。

実は私も今は常識人としてこじんまりした個性に落ち着いてしまったが(本当か?)、昔から変わり者とか宇宙人とか思考回路が4次元だ、とかたくさんお褒めの言葉を頂いてきたので親近感が湧く。きっとサティもAB型だな。

更に作品に奇妙なタイトルを付けることでも有名で、「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」なんて珍妙なな曲名もある。

そんな中でジムノペディは、「3/4拍子のゆったりとしたテンポ、一切の装飾を排した簡素な曲調、長調とも短調ともつかない独特の愁いを帯びた旋律が特徴として挙げられる。サティの代表的作品である」とのことで、彼が22歳の時に作曲された。

近年、精神安定に有効だとして精神科の心理療法として利用されることが多いのだそうだ。私はあのゆっくりとした単調なメロディーが中学生の頃から好きだった。無常観が現れている気がするのだ。

秋は無常を感じる最も適した季節です。たまには紅葉した木の葉がゆっくりと地面へ落ちて行く様を見ながら、その落ち葉が更にゆっくりとした年月をかけて土に返って行くような、静かなイメージでゆったりとした時間を過ごすなんてのはいかがでしょうか。


ギター.JPG






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自分遍路

最近悩んでいることがある。

それはこのブログを止めてしまおうか、ということ。正直に告白すると現時点で私の生活において、時間的・精神的な負担になりつつある。


このブログを始めたのが昨年の10月7日(公開は11月13日)。明日で丸一年経過することになる。はじめはブログなんて興味もなく、遍路体験記だけをサクッと掲載するだけにしようと思っていたのだ。

お遍路、とりわけ歩き遍路は、その経験者は年間たったの1500人位と言われる。更に88ヶ所を一気に廻る通しの歩き遍路はその内のヘタすると5分の1程度とかいう数字になるのではなかろうか。

しかしながら潜在的にやってみたいけど体が悪くてできない、とか家庭や社会人的な建て前があってすぐにはできないという人が背後に何万と居ることだろう。

特に現代日本人の幸福の定義というのは、家庭を築き、社会では肩書きと高給を得、高学歴の子供を育てる、というカチッとしたものからなかなか外れることができないものだから。

従って結願するのに40-50日もかかり、その間無職無収入のタダの人となってしまう歩き遍路を社会人以降に実行するということは社会からの離脱感が伴うので実行されるのは定年後・・・なんてことになってしまう。

歩き遍路を「通し」でやりたいと願う人の中ですぐに実現できる人はもしかすると10000人に1人くらいの確率ではなかろうかと思うのだ。あるいはゼロが一つか二つ足りないかも知れない。

ということからも、私のような社会人を一度リセットして新たな価値観を自分自身で作り直して再出発する、という貴重な人生ができる人間が経験したこと、考えたこと、を世の中に発信すべきだろうと考えたのだった。


ほんの数年前まで自分のホームページを作ろうなんて考えたこともなかった。ブログがどういうものかということすらごく最近になって知ったのだ。

だが、今後はWeb 2.0の概念にも表れているようにネットの世界も情報の送り手と受け手が固定されず誰もが情報を発信できる、というチャンスを得られた。

こんなことを私が言うと非難を受けるかも知れないがあえて言う。現在のネットには情報のゴミが多過ぎではないか?

検索の障害になるような情報が多過ぎると感じる。これは自己満足で意図不明な個人のブログによる情報発信モラルが低いことに起因すると思う。


・・・・・と、考えてみると。はたして私の発信している情報は何か意味があるだろうか?それとも自己満足の検索障害か?

ブログを開設してから1年間でこの記事を含めて324件目。記事数だけで割算すると記入率は驚きの88.8%。この4ヶ月間は100%。ブログ記入の時間は平均でも3時間は超過していると思う。

なんでそこまで時間を掛けるのか、というと私の仕事の一部だと思い込んでいるから。ライフワークの方ね。

私のブログはくだらない記事が多いけど少なくとも意図は明確なつもりだ、った。それが・・・・最近はブログを書くことが心の中で優先されているように感じることが多い。このままではゴミを増やしてしまう・・・・・


ということで一度ここでリセットします。
再開まで少し時間をください。

自分遍路へ2.JPG



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教育とコンプレックスと介護の問題と

4日の昼に妹が沖縄に帰り我が家にはまた老人2人と私のみが残された。

その私もひと月後には引っ越す。その時残されるのは老人2人のみ。現代日本にありがちな老人のみの世帯に戻る。何故日本はこうなってしまったのか?答えは「ありのままの自分」という記事でも触れたが、簡単なことだ。

日本の高度経済成長期は1955年から1973年までの18年間である。この頃生まれたのは今の年代で55-36歳の人達で、その親の世代はまさに今の65歳以上の高齢者達だ。

この、私の親位までの人達の特徴は毎年給料が増えるのが当たり前だと思い込んでいる。そして経済成長こそが人間の幸福に直結すると信じてきた。

更にその経済成長を支えるのが学歴で、会社に入れば学歴さえ高ければ出世は確約され、経済的にも一生保障されるのだと盲目的な学歴崇拝に陥っていた。

当然ながら彼らの子育ては学力重視、子供時代の幸せなんてクソ食らえで勉強さえさせていれば子供は将来社会の成功者となり、親は感謝されるものだとばかり思っていた。ところが、だ。

人を人とも思わない教育、パソコンに新しいソフトをインストールするような教育では愛は伝わらなかった。そればかりか人間性を無視した教育を強いる親に反抗期になると敵意すら感じたのだ。

親は子供の幸せを願ったのだと言う。だがそれは違う。子供の将来の幸せを願ったのなら、何故学歴だけで一生安泰に暮らせる社会を同時に実現させようと努力しなかったのか?現状は?

自覚のある親はほぼ皆無だと思うけど、彼らは自分のコンプレックスを子供で晴らそうとしたに過ぎない。自分が大卒でないから子供を大学へ、自分が旧帝大卒でないから子供はあわよくば東大へ・・・・・と。

勉強だけではない。文学に憧れ、言い換えると深い意味ではコンプレックスを持つ親は文学を、楽器演奏にコンプレックスを持つ親はピアノを、それぞれ精神的に親に依存していてNOとは言えない幼い子供に強制したのだ。

だから、自我の確立する年齢と共に子供達は親元を離れた。そして人間性を大切にしてくれなかった親と一緒に住もうと思えず、もちろん動けなくなった親を一緒に住んで介護しようとする愛情までは持ち合わせていない。

こうして現代に介護の問題が生まれた。だがこれは子供達が悪いんじゃない、子供を人間として愛さなかった親が悪い。子供は自分の分身でもアバターでもないのだ。自業自得である。


かく言う私の両親が全くこの通り。極度に学問コンプレックスを持っており、私は小学校に上がる前から習字を、上がってからは勉強を、塾で習わされた。友達と遊ぶ時間を減らされてただ憂鬱だったのを覚えている。

小学校1年生の時から成績が下がると通知表を前に深夜まで正座させられ親の気が済むまで怒られ続け、時に感情のままに殴られた。通知表を受け取る日の気分は殺人犯が裁判を受けるようなものだった。

このような親はさすがに極端だと思うが、多かれ少なかれ親は自分のコンプレックスを子供への教育という形で解消しようとする。その子供が親になると、やはり・・・・・気づけよ!第二世代。

今の私なら勉強しろって言うなら親がまず勉強の楽しさを教えてやれよ、と言うだろう。自分でも面白くない勉強を見えない将来のために我慢してやれなんて拷問を受けろというのに等しいだろう。

そんなこと言う親には残念ながら感謝の気持ちなど生まれにくいというのは自然だろう。だから、日本の社会には今介護問題があるのだ。本来は仕事になってしまうのがおかしいのだ。

実の子供がパスしたから他人がお金をもらってやっている。介護の仕事なんてなくなるような社会を目指すのが本来だろう。

ともかく、子供時代に親にいじめ抜かれたので私の実家も老人2人の世帯になってしまう。でも四国遍路から実家に戻ったこの1年数ヶ月の間、私はどうにかして親が過去に自分らにした仕打ちを許そうと努力してきた。

私にとっては綺麗事じゃなく、この親を許せてこそ本来の自分を取り戻せるような気がするのだ。言ってみれば自分のためである。

そして今だに子供を親の従属物として意のままに操ろうとするけれど、少なくとも産んで、食わせてもらった、この二点のみだけでも感謝しようと今は思う。

そして精神的には初期・中期自我(感情をストレートに表現する・精神的に誰か、何かに依存する状態)に居るこの人達を魂の子供達として人間性は尊重し見守って行こう。


ま、そんな訳でちょっと重い話になりましたが、最後の親孝行として8−12日の予定で親を札幌に連れて行きます。目的は親父の姉御のお見舞い。彼らも恐らく今生最後の別れとなるでしょう。




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四万十 じゆうにんの落書き2

ど〜も〜、お役人さんから二重人格と呼ばれてる迷走状態のおっさん、38歳独身でっす!

このブログを見た役人さんらが私は二重人格だと言ってるとか。なーに言ってんだか。社会人として生きてるんだから二重人格で当たり前じゃないスか。

例えば一重人格の人はお腹が空いたら人が食べているものでも盗み取って食べ、奇麗なおねーさんが歩いてたら襲いかかって欲望を満たし、気に食わない奴がいればその場で叩き殺す。

ま、そんな人ですよ。人間は社会的な生活を営むために本能の上に道徳的な仮面である、ペルソナを被せているのです。それがケンウィルバーの言う後期自我の精神発達の状態。

この状態の人が現代人のアベレージだ。その後期自我の中でも何かに依存する傾向のある中期自我の状態を抜けきらない人が現代人のほとんど。

極端な例で言えばマザコン。多いのは恋人や伴侶に依存している人。また組織に依存する人も多い。

転職や定年で会社を辞めた瞬間、自分が何者なのかが分からなくなってしまう、会社依存者。或いは宗教に依存している人もいる。

この人たちの特徴は淋しさを感じるかどうか。依存があるかないか、の判別はそれがないと淋しさを感じるかどうかである。

そして後期自我の現代人の中でも自分の精神が二重でないと思っている人は、実は二重であることを認識している人よりも精神の発育状態が初歩段階にあると言って良い。

人は無意識の中にペルソナ(道徳心と呼んでも良い)を形成するので、その仮面が自分なのか、本能的なモノが本当の自分であるかを中々認識できないものなのだ。

その二重人格の状態をどちらも本当の自分であると認識できて初めて次の精神状態である成熟した自我へと進むことができる。

この成熟した自我の精神レベルは社会的な生活を完璧に演じることもできるし、それでいながら本能を無闇に抑え込んで無駄なペルソナを被らない。

従って、我々が想像するような精神性に優れた聖者のようには見えないそうだ。詳細は天外伺朗氏の著書を参考にしてくだされ。


私がその成熟した自我にあるとは正直言えないが、社会的な道徳から見れば適合しないダメな自分と、社会的に成功者となり得る紳士な自分とが混在していることを、少しは認識し始めている。

ま、どんな形であるにせよ、このブログの読者に最近なってくれたのだから、お役人さん達も歓迎いたしますよ。

ただ、お役所関係者のアクセス履歴は明確な特徴を持っているので毎日何時に見ているのか把握できてしまいます。


うん。もう止そう。こんなつまらないことを書くのはこれきり。このブログの質が落ちますね。

よーし、暇だからこれからブログ更新頻度アップするかも知れないゼヨ。ともかく龍馬伝でも見ようや。







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四万十 じゆうにんの落書き1

晴れて自由の身になりましたよ〜、ヤッター。

10月末日で。と突然だったけどお役人さんらのお怒りが収まらないらしい。先日出した退職願が無事に受理された形となった。

一度は会長に保留されていた辞表だが、再度役人から辞表を受けろとの要求があったのだそうだ。詳しい事情は意味不明でよくわからない。

ま、私としてはちっぽけな食いぶちを確保するか、思想・言論の自由をとるのか、という選択であり人間の権利として当たり前の選択を行っただけである。

と、いうより、とっくにこの組織には愛想を尽かしており、やる気をほぼ無くしていたのである。だから先週二度目の辞表を提出していた。

しかし、改めて何とも愚かな。私を組織から除けば批判が止むとでも思うのだろうか。田舎には先を読む力のある人間が少ない。

当たり前の理であるが、むしろ逆だ。思惑通り組織から離れ自由になったので削除したブログ記事も近い内に復活させる。そして、これまで書けなかったことも今後ためらいなく書いて行く。

彼らとしては首にしようと思う人間が辞表を出したのでしてやったり、な感じだろうが実質的には刺客を野に放したのだと、認識できていないだろう。

私は今のところ四万十市に永住する義理などないのでこれから正しいこと(税金の無駄遣い)を発言して行って疎外されるようなら留まる理由は一つもない。

今の世の中言論の自由は当たり前だと思っていたが田舎は一世紀以上人間の自由や権利というものに関しては遅れているようだ。一般市民を見下したような態度の役人も、結構いる。

私が逆の立場なら大局を見すえ、論客は飼いならしてうまく利用しようとするだろう。世に論を唱えるような人物は敵にすればマイナスになるが、友好的に付き合えば宣伝塔として活躍し得るのだ。

ま、そんな知恵のある懐の深い人物はここには居るまい。しかしそもそも役人の立場と言うのは市民の税により食っている訳だから批判の目に常に曝されているのが当たり前なのだ。

高々匿名で書いてる個人のブログで批判されたくらいで排除しようとするなんて北朝鮮と似たり寄ったりの独裁的思考であり、社会的に危険だ。

私は役人と同類になった覚えはない。身内と思ってないから批判的なことを書いた。というか、厚労省の予算はかつて私が血みどろで働いて納めた税金が含まれている。

だから私には批判する権利があると思っているし、今後この組織の行く末、お役人さんの手腕を見て批判を加えるつもりでいる。


しっかしどうやらこのブログは今、四万十市の農林・商工観光課の注目の的らしくて、毎日朝一から役場からのアクセスが何度も足跡として残されている。

何も知らないと思ったら無知以外の何物でもない。今朝も土曜日だというのに***.kochi.jpからのアクセスがあった。

一般市民の税金使って休日出勤して論客のブログのチェックとは・・・・・・・。遊んでないで市民のために働けよ、「この、税金ドロボー!」


四万十市は今回著しく評判落としたな。







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四万十 じゆうにんの落書き3

馬鹿だなぁ、と思う。それは自分のこと。

反省している。本当は誰も傷つけたくはなかった。役人さんの批判を書いたが、本当に批判したいのは厚労省などお国の役人であって、地方には人材がないのは当たり前だと思っている。

だって、地方の人材をみんな吸い上げて作ったのが国家公務員でしょ。公務員志向があって有能な人材は必然的に給料の高いお国の方に集まるのが自然だろう。

そういう意味でも国家政策は地方の衰退・過疎化に拍車をかけているのだ。もし、地方の衰退を防ごうと思うなら、国家公務員よりの地方公務員の給与とステータスを上げよ!

だが、そうやって国に人材が集まっているにも関わらず、今回の緊急雇用対策をはじめとして国は金と余計な縛り(枠組み)だけを作って地方へと放り投げ、「何か有意義に使えよ」とだけ言う。

これでは、いつぞのコメントの返信にも書いたように、はじめてのおつかいと一緒でしょう。

「千円あげるから、お豆腐と大根とお味噌を買ってきてね」 なんて言ってもレシピを知らない幼児がそれで味噌汁を作れたら、それこそ奇跡だ。


閑話休題。

僕の就農への道は今週始まったばかりというのに、極めて順調である。はじめのおっきな難関があっという間に乗り越えられそうなのだ。

親しい先輩農家からも運が良すぎると今回も言われた。そして善を施さないと、と。

確かに前職の退職日が日曜日で、翌月曜日には次の道の第一関門を越えてしまうなんてのはちょっとでき過ぎている。


この6年ほどの間、私が運命論に目覚め、輪廻転生を信じ始めてからずっと、私は自分が生まれてきた理由について考えていた。

独裁的な態度でしか愛情を示すことができない父が作った家庭。

一方的に献身的な愛を傾けたかと思えば愛息子をもぎ取り嵐のように去って行った妻。

仕事で何度も経験した、裏切り、妬みによる、嫌がらせ、根拠のない被害妄想による、暴力・・・・・・・


これでも私は人間を愛さなければならないのだろうか・・・・・?


そんな時、ふと心の中に言葉が浮かんだ。

 「許す」 

そうか。

僕は許すことをテーマに選んで生まれてきたんだ。だから、どんなに自分を攻撃してくるような人でも許す心を持てるようにならなければならないんだ。そのための試練が幾度も訪れて来るという訳か。

そう思うと少しだけ気が楽になった。そして、すぐにはできなくても結局は許そうと思った。


高校生の頃、深夜のラジオでこんな話を聞いた。(以下うる覚え)

ある落語家(確か)の話。

その夫婦はしょっちゅう喧嘩をするのだそうだ。そしてその日も夫婦喧嘩の最中だったと言う。

不機嫌そうな弟子の様子を見かねた彼のお師匠さんがその原因を問う。そして彼が夫婦喧嘩していたことが分かったのだ。お師匠さんは問う。

「夫婦喧嘩は楽しいかね?」

「いや、楽しいというよりむしろ不快ですね」

「うむ。そうだろう。ならばその不快な気分の時は得していると思うか?」

「いやぁ。どちらかというと得しているというより、損してる気分ですよ。なんで、こんな嫁もらっちまったのか、と」

「そうだろう。不機嫌な時は損しているんだよ。ならばその損してる時間は短い方が良いよな?」

「へぇ、もちろんでございますな」

「ところで君らは通常何日で夫婦喧嘩が終わるんだい?」

「へぇ、大体三日ほどでございます」

「終わりのパターンってものがあるんじゃないのかね?」

「はぁ。そう言われてみますと・・(考え込む)・・大体あっしが買い物にでも行くか、と誘って連れ立って買い物してる間に終わってますね。あ、こりゃ、驚いた」

「そしたら今回からその三日目に買い物に誘うのを一日目にしたどうかね?」

「へぇ、そうしてみます」

お師匠様に言われる通りにしてみたら本当に一日で夫婦喧嘩が収まるようになった。

暫くして。また夫婦喧嘩があったようだ。お師匠さんが説く。

「今度は半日したら買い物に誘ってみたらどうかね?」

こうして夫婦喧嘩が半日で終わるようになり、アドバイスによってそれが30分で済むようになったのだ。

こうしてお師匠さんが切り出す。

「では、何故夫婦喧嘩になるのか考えてみよ」

「・・・・・そう言われてみますとつまぁらないことですわ。サンマの塩焼きにおろしが乗ってない、とか」

「そうであろう。そんなつまらぬことで例え三十分でもお互いが嫌な気分を味わい、お互いが損するというのは無駄なことではないかね?」

「・・・・・そうか、大根おろしくらい自分でおろせば三分でできる。たったそれだけの不満を口に出したために俺は三十分も嫌な気分になり、人生を損していたのか」

彼に足りなかったのは、許す心だったのだ。


人生に後悔はつきもの。失った時間は戻らない。でも、許すことに気付けば、必ずその後の人生を豊かに変えてくれるのかも・・・・・・知れない。






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