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発心の阿波 5日目-5(2009.08.01)

2008年8月24日。お遍路5日目。

19番立江寺を出発し、門前の酒井軒本舗でたつえもちを買い近くのスーパーで昼食を買おうと立ち寄ったがそのスーパーは潰れていた。時刻は12時少し前。遍路地図を見てもこれから6.3km先のコンビニまで店らしいものは何も載っていない。

飯が喰えないと思うと余計にお腹が空いてきたが諦めてトボトボ歩き始める。半分妬けになってさっき5個も購入したたつえもちを歩きながらパクパクと口に放り込む。大福餅みたいなヤツは普段余り食べないし好きでもないのだが、この時ばかりは一口食べるごとに涙を流した。

ま、息が詰まって苦しかっただけなんだけど。飲み物も持ってなかったのだ。お茶うけに大福が用意されている理由が良くわかった。粉っぽいのでお茶がすすむという訳なのだ。干からびつつあるおばあちゃんにはもってこいな間食に違いない。(怒られるぞ)

あいにく遍路道は田舎の、県道の旧道を進むため自販機すらない。廃業したガソリンスタンドも既に20年は営業していないと思われる有様であった。もちろん何処にも休憩できるベンチだってない。

毎日午前中は5、6km歩いて休憩というペースでなんとかなるが、昼頃になると2、3km歩けば休みたくなる。3kmほど進んだ所で前方に歩き遍路の姿が見えた。どうやらいい歳のおっちゃんみたいだ。

ヘタに追い抜いたりするとまた暫く休めなくなるぞと考え、その場で歩道の縁石に座り込んで休憩することに。暑い。ともかくコンビニまでは早くたどり着こう、と立ち上がって歩き始める。全然汗が引かない。

少し歩いて突き当たりると右に曲がって緩い坂道を登って行く。ここに来て登りかよぉ、と切なくなった。半ば朦朧としながら登り始めると一台の車が少し前で停車した。すぐに中から遍路のカッコをした優しそうなおっちゃんとおばちゃんが降りて来た。

お接待です。と言って奥さんが渡してくれたのは袋に入った甘夏二個。おっちゃんがくれたのは、12番焼山寺の石灯篭の写真と焼山寺手前の巨大空海像のある一本杉庵の写真、のそれぞれがプリントされた絵葉書が一枚ずつ、そして名刺が一枚挟まっていた。

これ↓
お接待絵葉書.JPG

名刺には「歩き遍路援護会 霊場会公認先達 村上敏樹」とある。高松の人らしい。絵葉書は自作と書いてあった。ニコニコした優しい笑顔にとても癒された。頑張って、と言われ不思議に元気が出てくる。

人と会話するっていうのは本当に不思議で、仲の良い友人の場合だと目を合わせるだけで元気が出てくるものなのだ。ま、逆もまた然りなのだが。

多分絵葉書の意味は、あんなシンドイ焼山寺を登ったんだから誇りを持って結願してくださいね、ということだろうか。

お陰でだらだらした坂をなんとか登り切り、下り始めたところで右手にドライブインみたいな建物が見えた。だがここも営業していなかった。せめて自販機だけでもと思ったが見当たらない。

絶望的に歩いていると緩いカーブを過ぎた所で左手の家から人が出てきて声を掛けられた。

「お四国さん、お接待や、寄ってき」

振り向くと帽子をかぶった品の良さそうなおじいちゃんが手招きしている。神よ!いやお大師様の化身だ。薄暗い建物に入ると中は土間になっており何かの工場みたいだった。そこにかけてと言われイスに座っていると冷蔵庫からスイカを取り出して切ってくれた。

このスイカがまたキンキンに冷えていて美味しかった。

お接待のひと時↓
Image169.jpg


遍路道の近くに住む、よくお接待をするおばあちゃんに聞いたことがある。家で何か雑用をしていると、ふと門前を疲れた顔をして、空腹で歩いてくお遍路の姿が頭に浮かぶそうだ。で、玄関を開けて外を見ると・・・・・

きっとお接待する人はお大師様に選ばれているのだろう、本当にそう思う。


南無大師遍照金剛



つづく 
つづく

発心の阿波 5日目-4

若干横道にそれましたが、お遍路日記の方続けますよ。

19番立江寺で納経を済ませた所から。この日の予定は20番鶴林寺(かくりんじ)への登山道の入り口にある金子屋さんという遍路宿に宿泊する予定だった。金子屋さんまでは立江寺から10km。

因みにこの金子屋さんがあるのは勝浦町。そしてその勝浦町の奥には「そうだ、葉っぱを売ろう」で有名になった上勝町(かみかつちょう)がある。(村おこしで有名)

今日のルートマップはこちら↓
18-金子屋.JPG

立江寺を出発したのはもう昼間近の11半頃。そろそろ食堂かなんか近くにないもんかと探していた。立江寺の門前には「たつえもち」で有名らしい酒井軒本舗がある。

酒井軒本舗↓ぱくり
酒井軒本舗.jpg

たつえもち↓パクリ
たつえもち.jpg

この時点で遍路地図には近くに食堂のマークは見当たらないのでもしかしたら、という悪い予感があり、とりあえずモチなんかそんなに好きじゃあないんだけど保険として1個100円のたつえもちの5個入りを買った。3個入りパックもあるらしいがこの時は5個入りのしかなかったのだ。

好きでもないオモチを5個も買って500円も支払ってしまったので、ものすごく損した気分になった。一個味見できれば良かったんだけど・・・・・地元の有名店みたいだけどここも経営は大変なんだろうか・・・・・

ともかくお店の若めのご主人(だと思う)に近くに食堂ないか聞いてみる。だが、すっかり忘れていたが、この日は日曜日なのだ。街中の飲食店は全て開いてないとのことだった。ならば、と仕方なく遍路地図に載っていた近くのスーパーを目指す。

数百メートル先にあるそのスーパーにたどり着いてみると・・・・・潰れてる。実にこの先の遍路旅で何度もこういうことがあった。私が持っていた遍路地図は2007年2月1日改訂版でその時点では最新のものだ。

たった一年半でお店や飲食店やら銭湯やら遍路宿やらがあんなに消えているとは。地方の過疎化は急速に進んでいる。因みに遍路宿も地図に記載があるけど既に辞めてしまった所が結構たくさんあった。なので宿の予約は少なくとも前日までには入れて確認しておいた方がいい。

近くに代わりの宿があれば良いが、無い場合数十キロ先まで歩かねばならないことだってある。遍路宿の現状を代弁すると、宿泊費がオールシーズン平均6500円(2食付)で、春と秋の歩き遍路のシーズン(多分2ヶ月ずつくらいだと思う)こそ満室状態になることもあるものの、私が行った夏や、もっと少ないであろう冬には1週間に1人とかいうことも当たり前なのだ。

つまり食ってけないない。当然後継ぎもいない、というかできない。兼業できる仕事を持っていれば良いが田舎でそういうことは滅多にないだろう。

現在の遍路宿の経営者がほとんど60−70代くらいだとすると、また年々地域ごとに野宿も禁止されている現状を考えると、歩き遍路ができるのは後10年−20年が限度ではないだろうか、いや、部分的にはその遍路宿がなくなれば最悪一日100kmも歩かねばならないという事実も出てくるのでもしかすると5年後くらいには・・・・・

この日泊まる金子屋さんは20番鶴林寺登山を控える遍路が皆宿泊する、そこに泊まるしかないような立地に恵まれた宿だ。だから色々な遍路や地元の人に言わせると、殿様商売で接客も料理も良くないなんて評判を聞いた。

更に他の遍路宿についても歩き遍路仲間が、「あの宿は料理がまずくてあそこは部屋が汚くて」なんて悪口を言うのも聞いた。確かに昨今の宿泊業界の常識で考えれば質は高くないだろう。

でも、上記の現状を考えると継続してくれているだけで遍路にとっては有り難いと感謝しなくてはならないと思う。続けていたって儲からのに。


愛媛県の内子町から久万高原(くまこうげん)の山を越える手前にさかえや旅館という古い遍路宿がある。この遍路宿はなんと100年以上前から続いており、未だに薪で風呂を沸かしているし、畳もブカブカ、おまけに床だって傾いている。

この遍路宿をいとこのおっちゃんと切り盛りする女将さんは推定60代後半。その女将さんは言う、「うちは改築とかなーんにもできないけど続けていることがお接待だと思ってなんとか頑張ってるんよ」


ただそこにあり続ける・・・・・相手の立場になってみればそれがどれだけ尊い行為なのか痛切にわかる。そこにあるだけで感謝できる。そういう心を全ての遍路には持ってもらいたいものだ。


築130年のさかえや旅館(徳岡旅館)↓ぱくり
さかえや旅館.jpg




つづく 
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発心の阿波 5日目-3(2009.07.29)

お遍路5日目。

徳島市と隣の小松島市の境目を流れる勝浦川の手前の遍路小屋で休憩し、北海道から来た野宿のおっちゃんの無事を祈りつつまた歩き始めた。

川を渡り2km程来たところで遍路道が右の田んぼ道に続いている。ようやく国道55線から逃れられるのだ。それだけでも少し足が軽くなった。そこから18番恩山寺まではおよそ1.5km。寺は小高い丘を登った所にあった。

18番恩山寺↓ぱくり
18番恩山寺.jpg

この寺は実にほとんど印象が無い。山門の写真も無い。しかし丘を登る途中で弘法大師像があり、それだけは何故か2枚も写真を撮っている。

恩山寺弘法大師像↓
Image167.jpg

もう一枚↓
Image168.jpg

ま、逆光で良い写真じゃありませんが。次の19番立江寺までは4kmの道のり。およそ1時間。なんにもない田んぼの中の道路を歩いて行く。これまでずっと国道を歩いて来たので車の少ない道を歩けるだけで気分が良かった・・・・・なんて言ってられたのも少しの間だけだったのだが。

立江寺の近くで立江川という川沿いを歩く。この川あんまり綺麗な色ではないのだが鯉やら鮒やらがバシャバシャ飛跳ねているので魚影はかなり濃そうだった。こんな所で一日ボンヤリ釣りするのもいいなぁ、なんて考えていると後ろからやかましい排気音が聞こえてきた。

・・・・・バイク族だ。それもオヤジ達の。みんな高そうなハーレーに乗っているハーレー愛好家の集団だった。10人ぐらいの集団のほとんどが同行二人の白衣を着ている。どうやらバイク仲間で遍路をしているようだ。

それにしてもうるさい。彼らはそんな自覚は全くないのだろうが、迷惑度は暴走族となんら変わりない。アメリカのバイクは排気音規制というのが無いのか緩いのかは知らないが脇を通り抜けると威圧的な爆音で顔を背けてしまうほどだ。

ともかく彼らも立江寺を目指しているらしく少し進むと集団で停まって地図を確認してとなかなか過ぎ去ってくれない。そうこうしている内に立江寺に着いてしまった。

19番立江寺は古い街並みの中にあった。

19番立江寺↓ぱくり
19番立江寺.JPG

納経の前にベンチで休んでいると先ほどのバイク族がずらずらと入ってきた。見るとみんなエエ歳こいたオッサン達だ。30代後半から50代後半という年齢構成。いい歳こいてもう少し人に迷惑の掛からん遊びを考えられんものかね、なんて少しイラっとする。

どういう訳だかこの手の人達は男でも長髪、髭面、サングラス、集団を好む、という共通点がある。多分40年前のアメリカン・ヒッピーに憧れているんだろうけど、日本のこの手の人達はカッコだけ真似しているに過ぎない。

当時のアメリカ生まれのヒッピー達は曲がりなりにも精神性を追求していた。そのため彼らの中にはインドやチベットに渡り仏教やヴェーダ哲学などを学んだり修行した者もいた。そして物質に囚われない精神的な平和の社会を求めてカウンターカルチャー運動を起こしたのだった。

今日の日本の何やらウサン臭いものが多いスピリチュアルブームのルーツは彼らヒッピー達の残した精神文化に行き着くものが多い。だから原型は留めていないようなこれらのヒーリング方法のほとんどが本来は東洋哲学が元になっているようなのだ。

ま、ともかく暑いし、疲れているし、でおまけにうるさい!が加わると人間って簡単にイラっとするんだな、これが。ハハハ ・ ・ ・ (反省)



つづく 
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発心の阿波 5日目-2(2009.07.28)

2008年8月24日。お遍路5日目。

徳島市内からルート55沿いに南下し18番恩山寺を目指していた。途中のコンビニで命からがら(大袈裟ではない)朝食にありつき、そろそろ徳島市から小松島市に入ろうというところだった。

依然コンビニ前の歩道の縁石に座りぼんやりと意識が晴れていくのを感じていた。「いやぁ、朝はやっぱり朝食摂らんといかんな、あはは」と10分前の状態をすっかり忘れてのんきに考えていた。

すると急に埃っぽい気がして咳き込んだ。交通量の多い国道のすぐ傍に座っていたのだった。車道は大きなトラックがブンブン通り過ぎていく。「くっそ、車なんてなくなっちゃえばいいのに・・・・」と身勝手なことを呟く。自分も普段は散々車の世話になっているのに。

ともかくこれは先を急げと言う啓示に違いないと都合良く思い込んでゴミを捨てに店前に戻り、ついでに予備の飲み物を1L確保して出発。少しは学習したのだ。

この国道沿いは思ったより自販機もないしコンビニも歩く側には2軒しかない。だからヘタな田舎道より飲料には気をつけた方が良いと思う。

暫く歩くと勝浦川橋を渡る↓(ぱくり)
勝浦川橋.jpg

確かこの橋の手前に露ヶ本遍路休憩所という真新しい遍路小屋があった。中を覗くと遍路が一人寝ていた。見るからに野宿遍路っぽい。できるだけ起こさないようにそっと荷物を下ろしたが、やっぱり人の気配で起きてしまった。

露ヶ本遍路休憩所↓ぱくり
露ヶ本遍路休憩所.jpg

野宿遍路との初めてのご対面だ。

おはようございます、と声を掛ける。疲れ切って眠そうな顔をしたおっちゃんが座り直す。暑いですね。野宿ですか?「ええ、あなたは?」私は全部宿に泊まってます。野宿は大変そうですね。「大変ってもんじゃないよ。暑いし蚊に刺されるしで全然眠れないよ」

この季節だから野宿は大変だ。このおっちゃんは北海道から仕事を辞めて遍路に来たらしい。見た目から40歳過ぎくらいと判断した。聞いた所、野宿なんて今まで一度もやったことがないという。それに加えて北海道の湿度の少ない冷涼な夏から急に亜熱帯の夏に自分を投げ込んだのだ。

慣れないことが二つも重なったら体調もおかしくなるに決まっている。この人も遍路を始めて5日目か6日目だという。その間ずっとロクに眠れていないらしい。昨日も眉山の近くの遍路小屋に泊まったのだが蚊に悩まされて眠れず、暗い内からトボトボ歩き始めてココにたどり着きひっくり返っているようだ。

私も野宿やテントを考えなかった訳ではない。どうせ歩きで遍路するなら野宿とかやってみたいとも思った。でも、これまで野宿なんて一回しかしたことないし、歩くのだけでも大変なのに睡眠もロクに取れないんじゃ絶対続かないと判断したのだ。

その判断が正しいことをこのおっちゃんが身をもって教えてくれた。それ以外にも野宿は困難なことが多い。毎日洗濯する場所やコインランドリーを探さねばならない。風呂だってこの季節じゃなくても最低でも3日に一度は入りたいだろう。もちろん探さねばならないし、探しても無い場合もある。

寝る場所だって昨今の四国では犯罪誘発につながるという理由から自治体として野宿を禁止している地域もあるし、更にほとんどの駅の構内は野宿禁止だった。また遍路小屋ですら野宿を禁止している所すらあるのだ。

また、野宿派は、そのコンセプトから節約志向が強いため、食事はコンビニやスーパーなどのパンやおにぎりがメインとなるため栄養が偏る⇒体調不良に陥る。など、これらを総じて考えると、現代人の野宿派は無茶できる若い人か、或いは登山・その他で野宿に慣れている人にしか向かないと、私は思う。

ともかく、通し(88ヶ所を一度に廻ること)の歩き遍路は歩くことがメインだと思うなら、余計な苦労で断念することは避けた方が良いのじゃないでしょうか。それに費用だって完全野宿派はヘタすると結願まで3、4ヶ月とかかかるようだから、滞在期間が平均45-50日で廻れる宿泊遍路と大差ないのでは?

ま、ともかく自分の普段の生活と体力と気力と、に合わせてそれぞれが選択すれば良いことですが。

ただ、先のおっちゃん、その後、この日に一度だけ寺で見かけたものの、それから一切噂すらも聞かなかったので、たぶん・・・・・彼の虚ろで憂鬱そうな顔が印象に残っている。


露ヶ本遍路休憩所の内部↓ぱくり
露ヶ本遍路休憩所中.jpg

あの人は今元気に生きてるのだろうか・・・・・・



つづく 
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発心の阿波 5日目(2009.07.27)

お遍路5日目。2008年8月24日。

昨日の雨が嘘のように朝から蒸し暑い。いや、昨日夕方ヘタに雨なんか降ったから余計に朝からムシムシとしているのだ。

この日歩くのはこちら↓
徳島⇒18⇒19⇒金子や.JPG

18番恩山寺までは11kmとちょっと遠い。朝7時半頃湿気のため少し霞む徳島の街を歩き始める。10日ほど前の阿波踊り期間には観光通りとして賑わっていたであろう国道438号線沿いの立派なホテル街は静まり返っている。

土産物と書いた店舗が並ぶ小さな商店街はチラホラ店前で水打ちする姿が見られる。ほとんどの店はまだシャッターを下ろしたまま。ビルの合間から差し込む新鮮な朝日が気持ちいい。30分ほど街中を歩くと遍路道は左に折れJR牟岐線(むぎせん)の二軒屋駅の向こう側で線路を渡る。

細い道をクネクネと遍路道マークに従って縫うように歩くと片側二車線の大きな道路に出た。国道55号線だ。ゴーゴーだな、なんて余裕をかましていたのはここらまで。この国道沿いは歩道がしっかりついているのだがいかんせん車の量が多く、当然アスファルトなのでか弱い足には硬すぎた。

この55号線沿いを6kmも歩くのだ。景色は都会の郊外らしい大型店舗の多い景色から次第に田んぼ中心に移っていくのだが、ほとんど変化ないし、またあんまり楽しくない。従ってこういう道は自然に自分の心と向き合うことになる。

そうなると、ただ、シンドイ・痛い・疲れた・渇いた・暑いという本能的な心の叫びが自分の意識の中の大部分を占めるようになってくる。30分歩くのが実にしんどい。

出発後1時間ほど歩くとなんだか気分が悪くなってきた。眩暈もしてフラフラする感じだ。やばい、エネルギー切れたか。と、そこから30分ほどもフラフラと歩き続けるとようやく右手にコンビニが見えてきた。そろそろ死ぬぞ、オレ。

朦朧としながら店内に入って行き栄養剤とスポーツドリンクと食べ物を少し買った。ベンチがなかったので歩道の縁石に座ってドリンク剤を一気に開ける。そしてスポーツドリンクをグビグビ飲んでサンドイッチとおにぎりを一緒に流し込んだ。

単純なことにたちまち元気が出てきた。いやぁ、ヘンな汗かいたな、危ない危ない。なんのことはない、エネルギー欠乏状態。考えたらろくに朝食を摂らずに、おまけに飲み物さえほとんど飲まずに出発したのだ。これから気をつけなきゃ。

そう言えばこの国道55号線にはこの後高知市に入るまで度々お世話になる道路だ。つまり徳島から高知へと海沿いにぐるっと廻っている道路なのだ。室戸岬までの長くシンドイ道のりもずっとこの55号線と共にすることになる。この後何度も「ゴーゴーじゃねーぞ、まったく」なんて呟くハメになるのだ・・・・・


徳島市内の55線↓ぱくり
55線徳島市内.jpg

だいぶ郊外まできた55線↓
Image165.jpg

室戸まで・・・・↓
Image166.jpg
「126km」(泣)

国道55号線は室戸岬辺りではこうなる↓パクリ
55線室戸岬へ.jpg


そうそう、万歩計を持ってきていたのだった。

万歩計の記録。

1日目25961歩
2日目35863歩
3日目34222歩
4日目38127歩
5日目37217歩


なかなかスゴイね。


つづく 
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発心の阿波 4日目-4(2009.07.25)

17番井戸寺を15時過ぎに出発。

8月23日午後15時過ぎ。

いよいよ徳島市街地へと向う。上方では依然雷がゴロゴロと鳴っている。暫く田んぼの中の道を歩くと太い車道に出る。その車道に従って歩くと再び川幅を増した鮎喰川を渡る。

この車道は郊外から徳島市街へと入る道のためやたら車が多い。折りしもこの日は土曜日でしかもいい感じの午後の時間帯だ。3日ぶりに徳島に歩いて戻ってきたのだが、今度は遍路のかっこである。そろそろ遍路姿にも慣れたと思っていのだが渋滞で車が止まっている脇を歩いて行くのに視線がまだ気になった。

こういう時は大きな菅笠が役に立つ。目深にかぶり視線を隠して足早に歩く。でも早まったのは気持ちだけだ。すでにこの日25kmほど歩いているので肉体的にも精神的にもかなり限界に近づいていた。

橋を越えて暫くするとようやく大きな道路を外れ右に曲がり、JR徳島線沿いに裏道を行く。蔵本という駅の手前で線路を越え駅前の商店街を駅からまっすぐに進む。ここまで井戸寺からおよそ3.5km、そろそろ足が限界だったのでベンチを探していたら、駅前の通りの店前にベンチを見つけヘタリこんだ。

蔵本駅↓(パクリ)
蔵本駅.jpg

近くに自販機を探したが生憎見える範囲にはなかった。ともかくザックを下ろして靴を脱ぎ足を休める。靴下も脱ぎ、昨日山越えをして今日も無事に25km以上も歩いている自分の足を揉みながら、よく頑張ってるなと感謝する。

空は依然暗く、近くでゴロゴロと鳴っている。もういつ降ってもおかしくない状況だった。宿までは後3kmほどのはずだ。もしかしたら降られずに到着するかも知れない。と思って重い腰を上げた。

駅前を進むとすぐに国道192号線の大きな道路に出た。この国道沿いに暫く進むのだ。通りを渡ると目の前に徳島大学医学部があった。その隣の県立中央病院辺りに来た時だった。突然空から滝が落ちてきた。

まさに滝。ここは南国四国なのだ。とっさにビルの陰に入り難を逃れた。その雨はまるでスコールのように一瞬にして視界を真っ白に変えた。危なかった。だがたった今休憩したばかりだったので雨宿りするつもりはなかった。

手際よくザックの上のポケットにしまっておいたカッパの上下を取り出して着用。菅笠には雨用キャップを被せて再び何事もなかったのように歩き出した。もう一時間も前から心の準備はできていたのだ。

お遍路で初の雨っていうのも気が紛れてこれはこれで良かった。さっきまでの疲れがウソのように菅笠に当る雨音や湿った空気の感覚を楽しんでいた。と、余裕をぶっこいていられたのは例のごとく一瞬だけで、1kmも歩かぬ内に。「アホかほんまに」と呟きながら歩くハメに・・・・・

車道の3kmは山道の3倍くらいに感じる。2km程進むと遍路道が右にそれ、やや細い道に入った。すぐに佐古川という橋まで来た。この橋の欄干には徳島らしいものがあった。

佐古川の欄干↓
Image163.jpg

ズーム↓
Image164.jpg

そこから宿まではすぐだった。ホテルに着く頃にはすでに雨も上がり日が射していた。

近くに眉山ロープウェー阿波踊り会館などがあったのだが、疲れて出歩く気力もなく早めに床に入って泥のように眠った・・・・・


阿波踊り会館↓ぱくり
阿波踊り会館.jpg
↑ここは行きたかったなぁ



つづく 
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発心の阿波 4日目−3 (2009.07.24)

14番常楽寺から15番国分寺へと向う。

今歩いている辺りのルートマップ↓
13番−ニュー東洋.JPG

13番大日寺−17番井戸寺までの寺間距離は短い。14番常楽寺から15番国分寺までの道のりは0.8km。約10分というところ。なんか得した気分。古い民家の裏路地をたどる。15番国分寺は砂漠色の肌色っぽい砂地に覆われた閑散とした感じのお寺。

国分寺の山門↓
Image161.jpg

もう一枚、境内の写真(ぱくり)↓
15番国分寺.jpg

昼前の境内にひと気はない。山門をくぐって左手に鐘楼が目に入った。なんとなく敷居が低い感じがしたのでお遍路に来て初めての鐘を突いてみた。真夏の昼の閑散とした境内に小気味の良い鐘の音が響く。

因みに殆どの寺では鐘突きOKだけど中には注意書きに鐘を突かないでくださいと書いてある。また、早朝や夜間の鐘突きはもちろんマナーとしてNGだ。

納経を終えると塚本くんがだいぶ遅れてやってきた。常楽寺で休んでいたのだろうか、それとも常楽寺におじいちゃんとの特別な思い出でもあったのだろうか・・・・・。

ともかく既に12時をまわっている。空腹と渇きでしんどいのでそろそろお昼にしたいところだ。だが地図を開いても食堂が近くに見当たらない。次の16番観音寺から少し遍路道を外れた所にコンビニがある。でもこの時はたった2、300m余計に歩くことが異常に嫌だった。

観音寺までは今思えばたったの1.8kmしかないのだが田んぼの中を走る広い車道沿いに歩いたその直線は気の遠くなるほど長く感じた。途中田んぼの中に遍路のお接待所、兼うどん屋みたいな所があったので救いを求めて行ってみると営業していなかった。

小奇麗にしてあったので恐らく潰れたのではなく夏のお遍路閑期に営業していないだけだと今思う。この頃は夏に遍路が少ないことを知らなかったのだ。30mばかり横道に入っただけなのにひどく後悔した。だが、自販機があった。助かった・・・・

少しでも腹の足しになるよう喉が渇いているのに果物系のコッテリしたのを購入し一気に飲み干す。あと少しは歩けるか。真夏の昼下がりの日射しとアスファルトの照り返しは残酷に体力を奪っていく。

田んぼを右に外れると小さな商店や民家が立ち並ぶ路地に入った。食堂でもないかと期待したが残念なことに観音寺に着くまで見つからなかった。

ようやく観音寺に到着↓
16番観音寺.jpg
(写真はぱくり)

渇きと空腹に負けて適当に納経を済まし、納経所の上品なおばちゃんに近くの食堂を聞いた。紹介されたうどん屋は100mほど先を右に折れてすぐの所にあった。店前の傘立てに古びた金剛杖が置いてあった。ご主人がかつて遍路したのであろうか・・・・・ともかく私もそこに金剛杖を立てて店内に入る。

既に1時半を過ぎていたが店内に2人ほど常連さんが居た。地元のこじんまりした雰囲気のお店である。うどん屋だがまたしてもうどんなんかじゃもたないので親子丼を頼んだ。冷たい水を一気に飲み干したら少し落ち着いた。

私の疲労した顔を見て急いでくれたのか、異様な速さで親子丼がでてきた。この親子丼は、涙が出るほど美味しかった。だが、ゆっくりしてる場合じゃない。今日の目的地、徳島駅前の宿までは後10kmもあるのだ。

ということで30分も休まずに出発。小さな古い商店街を抜け太い車道と線路を越えると田んぼと新しい民家が点在する道を進む。17番井戸寺までは2.8kmの道のり。40分位で到着。

17番井戸寺山門↓
Image162.jpg

↑井戸寺は民家に囲まれた朱塗りの鮮やかな山門があった。境内に入ると孫とおじいさん、若いお母さんと小さな子供が5人くらいで遊んでいた。やはり遍路の姿は見当たらない。境内はアスファルトで固められ、車が停まっている。寺の建物が改修中で工事用のフェンスに囲われていた。

境内の写真↓パクリ
17番井戸寺.jpg

今日の巡礼は終わったので安堵して境内のベンチに座って休んでいると近くで雷の鳴った。見上げるといつの間にか黒い雲が低く空を覆っている。境内で子供を遊ませていた若いお母さんとおじいさんも帰っていった。

やばいな。ホテルまでおよそ6.5km。天気がもつだろうか・・・・・だが焦りはなかった。もうなるようになれ、という清々しい吹っ切れた気持ちになっていたのだった。




つづく 
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発心の阿波 4日目−2(2009.07.23)

お遍路4日目。8月23日。昼頃。

13番大日寺を後にして、遍路道はすっかり川幅の広くなった鮎喰川を渡る。渡ってすぐに右に曲がるのだが、そこから更に左に曲がる道がわからない。数百メートル歩いてどうやら行き過ぎたことを知り戻ると塚本くんが歩いて来た。

鮎喰川↓(ぱくり)
鮎喰川.jpg

どうやら彼も間違えたらしい。というか、私の後を歩いて来ただけかも知れないが。ともかくこの辺りは遍路マークがわかり辛いので注意が必要だ。私は地図の読み取りに関しては神がかり的な能力を持っている。(自称だが)のでなんとかアバウトな地図から距離や道路のカーブ、そしてエエ加減な第六感から奇跡的に正確な道を探り出した。

大日寺から14番常楽寺までは2.3kmの道。30分ほどで着くはずだったのだが迷ったお陰で45分はかかった。常楽寺の手前に水草の多い割と大きな池があった。灌漑用水のため池かどうかは知らないが酷く緑色で酸欠状態なようだ。

常楽寺は特徴的な寺で、その境内は「流水岩の庭」と呼ばれ独特の景観を見せる。

常楽寺の山門↓
Image157.jpg

↑後ろ姿の遍路が塚本くん。普段はサンダルで歩きトレッキングシューズをぶら下げている。

常楽寺の境内↓
Image158.jpg

もう一枚キレイな写真を↓(ぱくり)
14番常楽寺.jpg

↑なんでも岩盤であった境内を長年の雨だれが侵食しこのような景観を作ったそうだ。

ここのもう一つの特徴はご本尊である、弥勒菩薩。四国八十八の寺にはそれぞれご本尊があり、そのご本尊の種類は全部で13種類。気合で全部載せておくので興味のない方はすっ飛ばしてくだされ。

「大日如来(だいにちにょらい)」「阿弥陀如来(あみだにょらい)」「釈迦如来(しゃかにょらい)」「涅槃釈迦如来(ねはんしゃかにょらい)」「薬師如来(やくしにょらい)」「厄除薬師如来(やくよけやくしにょらい)」「七仏薬師如来(しちぶつやくしにょらい)」「大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)」「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」「千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)」「三面千手観世音菩薩(さんめんせんじゅかんぜおんぼさつ)」「十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)」「十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ)」「馬頭観世音菩薩(ばとうかんぜおんぼさつ)」「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」「延命地蔵菩薩(えんめいじぞうぼさつ)」「勝軍地蔵菩薩(しょうぐんじぞうぼさつ)」「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」「不動明王(ふどうみょうおう)」「波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)」「毘沙聞天(びしゃもんてん)」


で、この常楽寺の何が特徴的かというと、なんと弥勒菩薩をご本尊にしているのはここだけなのだ。由来は・・・・・

「空海が四国を巡錫中、この地に滞在して17日間の修禅をしました。このとき弥勒菩薩が多くの菩薩を従えて現れ、説法したので、大師は霊木にその姿を刻んで堂宇を建てて本尊にしたといいます。」

だそうだ。つまり空海が瞑想中に弥勒菩薩が現れたということみたいだね。弥勒菩薩というのは、私のプロフィールの年表に書いてあるのだけど、「入滅後56億7千万年後の未来に姿をあらわし多くの人々を救済するとされる」のだ。

かなりえー加減な説明をすると、釈迦(仏陀)が亡くなってから56億7千万年後、暗黒の世にに現れ、世界(宇宙全体だろうか)を明るく変える(救済する)、ということらしい。

余談だが、本尊の話で、第37番岩本寺だけご本尊が、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、助贈菩薩の5体もあるのだ。


常楽寺の境内にこんなものを発見↓
Image159.jpg

ズーム↓
Image160.jpg


これはお大師様の石像だそうだ。なぜそんな所に?


広隆寺の弥勒菩薩↓
弥勒5.JPG





つづく 
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発心の阿波 4日目(2009.07.22)

お遍路もようやく4日目に突入しました。

2008年8月23日。

この日は確か薄曇りの中、少し天候を気にしながら神山温泉のつじ荘さんを7時半頃出発。同宿の塚本くんはまだ準備ができていなかった。彼は今日徳島市内で野宿するか、私が教えた安い旅館に泊まるか迷っているみたいだった。

彼に教えた旅館は初日にお接待好きのおっちゃんから教えてもらった所だ。素泊まりで一泊3300円。徳島駅からすぐの所にあり、遍路地図にも記載がある。私は何日か前に既に予約していたニュー東洋というビジネスホテルに宿泊の予定。

本日歩くのはこちら↓
神山温泉⇒徳島市内ルートマップ.JPG

道のりにしておよそ30km。長い。でもこの日徳島入りしたかったので昨日少し無理して神山温泉まで頑張ったのだった。はじめの札所13番大日寺までは約14kmほど。遠い。

この頃には大体自分が一時間当たり平地で4km位のペースだとわかってきた。なのでおよそ3時間半と見ればよいかな。その間ずっと山道を下っていく。とは言え車道だが。

写真が残っていないので書くことはあんまりないのだが、ひたすら黙々と山間部の道路を歩いていた。景色もよく覚えている。1時間半ほど歩き、鬼籠野(おろの)という変わった名前の町を過ぎて真新しい道路で丘を越えると分かれ道に来た。川沿いのバス停に「オーロ喜来」(←読めない。たぶんキライかな?)という変わった地名があった。

私は遍路地図で距離的に短いと思われる山側(右ルート)を選択した。もう一方はそこから川沿いに鮎喰川に合流し、川沿いにずっと下っていくルートになる。私の選択した山側ルートは小さい峠を二個越えるルートだった。

暫くバス停辺りでどちらにしたもんか、と悩んでいると塚本くんが後ろから追いついてきた。そして二人でちょっと考えて山側ルートを選択することにした。ここまで5kmくらい、ほとんど休んでいなかったので私は道路傍の民家の岩壁に座るスペースを見つけヘタリこんだ。

塚本くんは元気に追い越して行った。昨日の疲れが残っているようだ。足よりも重いザックを背負っている肩が痛い。20分ほど休んで立ち上がる。塚本くんはだいぶ先に行っただろうか、と考えながら歩き始める。

暫くは緩い登りが続く。ここらへんは典型的な限界集落で所々にある民家の軒先にはニンジンや大根などが昔ながらの方法で干してある。でも、ひと気がほとんどない。庭先の柿や蜜柑の木も剪定されずに枝が複雑に伸びたままになっている。

二つ目の峠を登り始めると前方にトンネルが見えてきた↓
Image155.jpg

地図を確認すると「大桜トンネル」とある。お遍路初めてのトンネルだ。長さ100mほどしかないし、ここは車通りが殆んどないので全く苦ではなかった。排気ガス対策で紙マスクを用意してきたんだけどね。

トンネルを越えると小さな川沿いにひたすら下り。途中塚本くんと抜きつ抜かれつしながら更に1時間ほど歩いて行くと車通りの多い交差点に出た。正規の遍路道を少し遠回りしてなんとか13番大日寺に11時前くらいに到着。塚本くんもすぐに合流。

大日寺↓
13番大日寺.jpg

この大日寺は鮎喰川沿いに固まっている民家の中にある庶民的で小奇麗な感じのお寺だった。

また、このお寺には「幸せ観音」という可愛らしい観音様がありましたよ↓
Image156.jpg

早速塚本くんと並んで読経を始める・・・・・いいや、彼があんまりスラスラ読み上げるのでこちらは小声で呟いてるだけだ。

彼に、「上手だね」と言うと慣れてますからとのこと。「こっちはヘタだからブツブツ呟くしかできないよ。仏教だけに、ブツブツと、なんて。」(目が点になってしばし沈黙)・・・・・いや、俺が悪かった。スマン。

塚本くんの心の修行は続く・・・・・・


南無大師遍照金剛  チーン



つづく 
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発心の阿波 3日目−9(2009.07.20)

杖杉庵を何も知らずにスルーしてしまった私は、焼山寺山から降りてようやく左内川に出た。

本日歩くのはこちら↓
12-神山温泉.JPG

左内川まで山を下り、その後暫く川沿いに歩き、鮎喰川に合流して今度は鮎喰川沿いを下って神山温泉に至る約10kmのルートだ。従って川まで出ればほとんど平地、のはずだった・・・・

左内川に出るまでの道も半分くらいは車道↓
Image151.jpg

↑こんな感じの道が続き、ようやく川に出た↓

Image152.jpg

綺麗な川。そして↓

Image153.jpg

この辺りにはポツンと古い石灯籠が建っていた。

Image154.jpg

そして左内川に出てすぐのなべいわ荘の辺りで尾道の塚本くんに合流した。ここまで焼山寺からおよそ4km。折角合流したのだからと暫く並んで歩く。私にとっては初めて他の人と歩く経験となる・・・・と、塚本くんが左手の山の方に遍路マークを見つけた。

確かに遍路マークがあり、それは山に登る獣道のような細い道を指しているようだった。二人でその道を暫く進む。が、2、300mほど進むと道が消え藪こぎするハメに。おかしいと思って地図を見直すと、地図は車道に沿った遍路道しか載っていない。間違えたのだ。

原因は不明だが、確かに遍路マークがそちらを示していたように思えたのだが。ともかく、人と一緒に歩くということは、話すことに集中したり、相手への気遣いなどで遍路道をたどるということに集中できないことがわかったのだった。

ともかく焦ったって始まらない。私は元来た道を戻るのは嫌いだから、アバウトな遍路地図を巧み分析しながら、藪こぎしたり民家の庭を横切ったり、それなりに楽しく遍路道へと戻ってきたのだった。

感覚的には30分くらいロスしたように思えたが、もしかすると15分程度のことだったかも知れない。焼山寺からロスも含めておよそ5km休みなしで歩き続けたので私は休憩することにして、塚本くんには先に行ってもらった。

休憩すると言っても適当な場所がなかったのでザックを地面に置き、ガードレールに腰掛けて飲み物を補給。10分ほど休んで汗も引いてきた、というところで向うから女性遍路が歩いて来た。広島美人氏だ。

ニコニコしながら道路を横切ってこちらに向ってきた。私が時間をロスした説明をする。と、広島氏は、「なーんだ待っててくれたのかと思った」・・・・・・あ、いえ、わざと見違えて遠回りまでしてお待ちしてたんですとも・・・・ははは。

彼女は今日からキャンプや野宿の日が続く予定なのだ。今日のキャンプ地であるコットンフィールドは私の泊まる宿、つじ荘の近くだからきっとまた会いますね。なんて世間話を暫くして先に出発する。だがこれを最後にその後広島氏に二度とお会いすることは無かったのだ。無事に結願できたのことを祈るのみ・・・・

それから長い長い道のりで塚本くんを抜き、また、宿近くで彼を待って一緒につじ荘に到着。すぐに塚本くんを誘って二人で近くにある「神山温泉いやしの湯」へ風呂に入りに行く。

いやしの湯↓(ぱくり)
神山温泉いやしの湯.jpg

ここの風呂かなり広く、地元のおっちゃんらと話なんかしてると2時間位あっという間に過ぎてしまった。余りの長風呂に塚本くんは付き合いきれないと思ったかどうか、途中で上がって行った。

本日の宿泊客は我々二人のみで、塚本くんと明日の予定なんかを聞きながら談笑して夕食を済ませるとすぐに眠くなる。歩き遍路の生活は極めて健康だ。


3日目の歩いた距離は約27km(ロス含む)


そうそう、大切なことを書き忘れていた。焼山寺で昼食時に食べたのは、この日の朝出発した「さくら旅館」でお接待に頂いたおにぎり二つと缶のお茶。そのおにぎりの包み紙を広げると、裏にびっしりとお遍路さんに対するご主人の「思い」が筆で書かれていた。

「心身ともに元気に結願することを心からお祈りします」さくら旅館主人


さくら旅館のご主人、お元気ですか?
私のつまらない身の上話を貴方が真剣に、またにこやかな笑顔で聞いてくれていたこと、いつまでも忘れませんよ。この日に初めての遍路ころがしを越えた私は遍路としての自覚と自信を身に付け、その後の行程を怪我せず無事歩き通しおよそ1200km先の目的地に38日後、到着しました。




結願のお礼に代えて 
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発心の阿波 3日目−8(2009.07.18)

12番焼山寺を打ち終えてこの日の宿泊地、神山温泉にある遍路宿、民宿つじ荘に向った。

焼山寺からの道のりはおよそ10km。私の場合、焼山寺まででこの日は既に16km歩いていた。

10分位前に尾道の青年、塚本くん(彼にもらった納め札が出てきたのだ)が先に出発していた。広島美人氏はもう少し焼山寺で休んで行くそうだ。私はお遍路はできるだけ一人で歩きたかったので時間差で出発したのだ。多分彼もそんな雰囲気を察していたのだろう。

だが、問題があった。出発して暫く歩いている内に気付いたのだが、塚本くんは地図を持っていないのだ。民宿が遍路道沿いにないので一人でたどり着くのは困難だ。あ、追いつかなくちゃならんのか、なんてのん気なこと考えてた。

ま、下りはオレ早いからすぐ追いつくって、と思ってたらなかなか追いつかん。ヤロウ、はえーじゃねーか。なんて思ったんだけど、なんつっても彼はピチピチの21歳なのだ。(表現が若干古め)

そんな感じでようやく追いついたのは約3.5km先のなべいわ荘の辺り。

位置関係はこんな感じ↓
12-なべいわ−つじ荘.JPG

その前に焼山寺から降りてくる途中で左手に杖杉庵(じょうさんあん)という番外霊場があった。未だに寄らなかったことが悔やまれるが、ここはお遍路伝説の地である。確か初日に安楽寺の宿坊でその伝説を聞いていたのだが具体的にここだということに気付かなかった。

杖杉庵(じょうさんあん)↓
杖杉庵.jpg

この杖杉庵は一人の伝説の人物を祀ってある。その人物が衛門三郎氏。実にこの人がお遍路を始めた、いわばお遍路第一号だ。私も同じくお遍路第一号を自負するのだが、それは「変態」の二文字が頭に付く、なんちゃって野郎なのでくれぐれも混同してはいけませんよと。

ともかくこの衛門三郎さんの伝説は紹介しないといけないね。


空海の生きていた時代に彼は松山に住んでいた。伊予国を治めていた河野家の一族、サブローさんちは豪農だったが欲深く人情のかけらもなかった。そんな彼だからある日門前に托鉢にやってきたみすぼらしい僧侶を追い払うのだった。

そのお坊さんも、止しときゃいいのに8日も続けてサブローさんちに托鉢にやってきた。そしていよいよ8日目にキレたサブローは坊さんの托鉢用のお鉢を叩き割ってしまった。その鉢は8つに割れ坊さんはその後やって来なくなった。

それからサブローさんの試練が始まる。8人居た子供が毎年一人ずつ命を落として行き、8年後に自分の子供全員を失うことになってしまう。三郎さんは強欲だけど子供に対する愛情は人一倍あったのだろう、毎日悲しみに打ちひしがれて寝込んでしまった。

そんなある日、伏せってしまった三郎の枕元に突如弘法大師が現れる。この事から例の托鉢に来た僧侶が弘法大師であったことに気付く。

そこからの三郎さんの変化はすさまじい。大師への懺悔の気持ちからなんと強欲なサブローが自分の田畑を売り払い家人たちに分け与え、妻とも別れ(そこまでするか)、多分直接詫びたかったのだろう、大師を追い求めて一心に四国巡礼の旅に出る。

しかし二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合いたい気持ちから、今度は逆打ち(さかうち=逆周りに巡礼すること)を始める(早く気付こうよ)、しかし巡礼の途中阿波国の焼山寺の近くで病に倒れてしまう。そこが杖杉庵だった。

死期の迫りつつあった衛門三郎の前にようやく本物の大師が現れたのでかつての非を泣いて詫びた。そして死に行く衛門三郎氏にお大師様は、今世での罪はもう償ったのだから最後に望みを叶えてやろうと言う。

衛門三郎は、伊予国を治めている河野家の領主に来世もう一度生まれ変わり、今度は人の役に立ちたいと願い息を引き取る。大師は傍らの石を取り「衛門三郎再来」と書いて、亡がらの左手に握らせた。

翌年伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧に祈願を依頼したところやっとその手を開き、中から「衛門三郎」と書いた石が出てきたのだった。

その石は安養寺に納められ、後にその由来から「石手寺」と寺号を改めたという。そして衛門三郎の再来である人物は民衆のための政治を行い、皆から喜ばれたそうです。


これがお遍路誕生の伝説です。お遍路は後悔と共に始まった旅なのだ。罪を悔い改めて来世は人のために何かしたいと願う・・・・・

そう言えば私が最も印象に残った寺が、51番札所石手寺だったのだ。上の石手寺の話は今日これを書くに当って知ったことなのだが。もう一度、お礼参りに行くとしたら間違いなく石手寺だ。それはちょっと不思議な感覚を経験したからだと思う。詳細はリンク先を見てくださいね。

これが石手寺に祀られている衛門三郎再来の石↓
石手寺の石.jpg


衛門三郎の伝説を改めて調べてみてなんだか自分の人生に重なって見えた。ともかく人は過去を悔いて生まれ変わることができる、と私は信じている。衛門三郎はひたすら懺悔し21回もの巡礼により罪を償えた。

私も、 少しは、 その罪を、 償えているだろうか・・・・・


衛門三郎と空海の対面の像(杖杉庵)↓
衛門三郎.jpg
(写真はぱくり)




つづく 
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発心の阿波 3日目−7(2009.07.16)

12番焼山寺にようやく到着したところから。

今日の舞台はココに写ってるベンチ↓
焼山寺のベンチ.JPG
(写真はパクリ)


(つづきから)普通6時間かかると言われる藤井寺〜焼山寺間をなんと4時間弱で踏破してしまった私は境内のベンチの上で一人満足感に浸っていた。

標準タイムより早かったということももちろんあるが、それよりも初めての遍路ころがし、来る前から難関と言われていた12番焼山寺を乗り越えたという、遍路の難しい宿題を一つ終えたことによる充足感が大きい。なんとなく自分の中に設定していた遍路基準をクリアしたような、自覚と誇りを感じていたのかもしれない。

ま、難しい話は抜きにして、ともかく10分位ベンチの上から動けなかったのだ。その間さっきの20歳くらいの青年が大きな声で般若心経を唱えている。あれ?随分流暢なお経じゃねーか、とボンヤリ感じていた。

その青年が納経を終え「こんちわ」と言って私の隣のベンチに座った。パッと見、彼の持っている杖が遍路用の一般的な金剛杖ではなく、亀仙人が持っているような、なんかつるっとした貫禄のある杖だということに気付いた。

こんなヤツ↓
亀仙人の杖.JPG

↑よく見ると坊主頭だしなんか雰囲気ソックリだな。なんでもじーちゃんとよく車で遍路に来ていたらしい。それで今回一人で遍路に来るに当って形見の杖を借りてきたという。その杖はじーちゃんとの遍路の途中で石鎚山(剣山だったか?)で買ったのだとか。

どうりで般若心経も大きい声でスラスラと読み上げるはずだ。僕なんかこの時点では漢字だらけの般若心経を目で追うだけで精一杯だったのだ。

この青年妙に人なつっこい感じ。彼は神戸の大学に通う3年生、そして実家は尾道だそうだ。お、広島出身者二人目発見だ。

「納経もしないでとりあえず飯でも喰っちゃおうかな」なんて言いながらベンチで汗でびしょ濡れになった白衣を脱いで乾かし昼食の準備をする。尾道青年に飯はどうすんの?と訊くとおにぎり二個持っているとのこと。それじゃ足りんだろうと思って、予備にコンビニで買ってきた菓子パンをあげた。

そうこうしてると向うから女性遍路が歩いてくる。広島型美人氏の登場。あそこから私の20分遅れで到着できるってことは並みの女性じゃないぞ。

清々しい顔で現れた広島氏は、「疲れちゃった」とか言いながらベンチにザックを下ろした。「早いですね」と声を掛けると、「でも(私に)抜かれちゃった」なんてさらっとしたもんだ。そして座るのかと思いきやそのまま納経所の方へスタスタと上がっていった。うん、ハンパねーな、この人。

尾道くんは善根宿を使うか野宿でお遍路する予定だそうだ。学生だからね。でも今日は確かこの先に善根宿ないような。どうやら彼は遍路地図すら持っていないらしく宿泊場所を見つけることすらできないようだ。つーか、よくここまでたどり着けたな。

ともかくそれはエライことだ、と言って私の今日の宿泊する遍路宿の連絡先を教えてあげた。すぐに電話して予約が取れたそうだ。しかしその計画性のない奔放さ、恐れ入るよ。

こうして予期せず今日の目的地は尾道くんと同じになったのだった。広島氏は今日コットンフィールドという我々が宿泊する神山温泉の一角にあるキャンプ場にテント泊するそうだ。なんでも広島を出る前にそこにテント一式を送っていたらしい。

それを聞いて、この人は登山とか慣れてる人なんだということをようやく理解したのだった・・・・・見かけによらないもんだ。(って失礼か)



つづく 
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発心の阿波 3日目−6 (2009.07.14)

12番焼山寺の焼山寺山の麓にある左右内村から、道のり2.5km、高低差300mの急坂を一気に上がります。

こちら一本杉庵からちょっと下った所から見た焼山寺山方面の様子(ぱくり)↓
焼山寺の山.jpg

左右内村には左右内村谷川というキレイな川が流れている↓
Image145.jpg

↑ものすごく水が綺麗で魚の影がチラホラ。美しい・・・・・と、言ってる場合じゃなくいきなり山道に突入。

よりによって最後にこんな急坂が残されているのだ↓
最後の坂ルート断面図.JPG

そしてこんなんで、(ぱくり)↓
焼山寺への山.gif

こんな感じだ。(ぱくり)↓
焼山寺.jpg

行けども行けども登りおわんねぇ。もうね、冗談は顔だけにしてくれって、あ、いや、自分がよく言われるんだけどね。(うるせ)あんまりにシンドイので呼吸を整えようとしてみる。

「ヒー ヒー フー」 ってなんか違わね?いや、冗談でも考えてないと重力に負けて谷側へと落っこちてしまいたくなるのだ。人には会わなかったと思うが、見られたら間違いなく変態お遍路さん1号の称号を頂いていただろう。

うっそうとした山道で「ひーひーふー」言いながらニタッと笑ったかと思うと、「ほんまアホか!」なんて呟いているのだ。どう考えたって正常とはかけ離れた精神性を有している。僕なら山道でそんな人には、絶対会いたくない!(人ごとみたいに言うな)

ま、ともかく3時間も山道を登ったり下ったりして、半ば精神に異常を来たしていたのだ。(ということにしておこう)多分最後の坂は40分くらいかかったと思うんだが、キツイったらありゃしない。

ま、そうこうしているとようやく道路に出たと思ったら↓
焼山寺手前の坂.JPG

↑大黒様がお出迎え。

暫く舗装された道を歩いて行くと↓
Image146.jpg

↑本堂まで464m。

その途中で弥勒菩薩発見↓
Image147.jpg

そしてようやく山門が↓
Image148.jpg

山門前の空海さん↓
Image149.jpg

山門↓
Image150.jpg

境内(ぱくり)↓
焼山寺境内.jpg

↑写真中央にあるベンチに腰掛けてザックを下ろしてヘタリ込んだ。暫く焦点が合わずぼんやりしていると境内に歩き遍路らしい青年が納経しているのが目に入った。


時間を見ると11時15分だった。11番藤井寺の登山口からの所要時間3時間50分・・・・・って、オレ早くね?



つづく 
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発心の阿波 3日目−5 (2009.07.12)

お遍路3日目。12番焼山寺に向って山の中を歩いてます。つづきから

そう、それは山道が急に階段に変わったと思ったら現れた。

Image140.jpg

ん?あれは・・・・
Image141.jpg

ついに来たか?
Image142.jpg

ついにアチラへ来てしまったのか、おれは。
Image143.jpg

写真じゃ伝わらないがでっかい空海さんだ。しかも虹色がかってる。空海さんの後ろにあるのは空海自らが手植えしたと伝えられている杉、でこれが一本杉庵の名前の由来だそうだ。

ってことは樹齢1200年ですか?樹の胴回りは7.62mにもなるらしい。で、普通の杉の木と違って根元から枝分かれが激しいのは、空海さんが苗の上下を間違えて植えたからと言われているようだ。いくらなんでも、ねぇ。

あ、天然記念物指定の看板(ぱくり)↓
一本杉庵看板.JPG

ここにはベンチとかもあったけど、不思議と空海さんを拝んだら疲れが飛んだので3分くらい立ち止まってまた歩き始めた。ここからは急な下りが待っていた。

そう言えば一本杉庵の手前の急坂の時から先方に人の気配がしているな、と思っていたら次第にその人影が見えてきた。私は下り坂がめっちゃ得意なのだ。ほとんど走るように下るのは週末登山の浄法寺山の急斜面で鍛えたからだ。

前方の人影も追いつきそうでなかなか追いつかない。案外早いぞ、と思っていたら・・・・・女性か?ついに追いついて挨拶をしたら、なんと二日前の安楽寺の宿坊で一緒だった広島美人さんではないか。

思わず、「はやっ」と声を掛けると、「あ、追いつかれちゃった」だと。気付いてたんかい。つーか、女性の足じゃない感じでしたが・・・・・。「もう少しですね。頑張りましょうね」と言って、「お先に・・・・」

なんか二日前と違ってとても元気そうな顔だし若返って見えた。なんか吹っ切れたんだろうか・・・・。

それからほんの10分ほど下ると、突然森が切れたかと思うと目の前には平和な農村風景が現れた↓
左右内村.jpg
(ぱくり)これは冬だね。

左右内村(さうちむら)の風景だ。小さな村内の庭先を縫う様に遍路道が続く。少しわかりづらい所があり、久しぶりに地図を確認すると・・・・・なんともうすぐそこが焼山寺じゃねーか。でも今思いっきり下っちゃったから、その高低差がなんと300mもある・・・・ゲンナリ。

地図はこんな感じ↓
柳水庵−左右内村.JPG

でも、農家の軒先では鶏が餌をつつき、猫が寝転び、犬がアクビする、というなんとものどかな農村風景の中、気分が少しほぐれてくる。こんな所に住みたいなぁ・・・・・


みかんの青い実が輝いていた。




つづく 
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発心の阿波 3日目−4(2009.07.11)

8月22日。お遍路3日目長戸庵から12番焼山寺へ向う登山道。

そうそう、11番藤井寺から12番焼山寺へと向う山道の断面図なるものを発見したので貼っておこう↓
11-12番ルート断面図.jpg

↑長戸庵まではほぼずっと登りが続くのだ。だからあんなシンドかったんだな。しかし、パクっといてなんだが、これだけ凸凹してるのに直線距離と沿面距離の差が殆どない。特に区間2なんてどう見てもおかしい。そして遍路地図では11−12番間は12.9kmあるのに上の沿面距離を合計しても11.2kmほどにしかならない。ってことできっとなんか計算間違ってるみたいよ。

しかしこんなものを自作してしまうとはその対価を求めぬ慈恵の精神は賞賛に値する。ま、ともかく凸凹して登ったり下ったりでキッツイということがわかればそれで良いのだ。


長戸庵で都会青年氏とお別れして先に出発。ここからは↑の図にもあるように登ったり下ったりもするので意外と楽だ。登る筋肉と下る筋肉は使う部分が違うのだ。何よりも1時間登り続けたことでスポーツで言うアップ(ウォーミングアップ)が完了したので登りもさっきより調子がよくペースが早い。

なーんて余裕をブっこいていたのは束の間。そこから30分ほど歩いてほぼ中間地点の柳水庵に着く頃には脱水症状で死ぬんじゃないかと思うほどヘタっていた。持ってきた飲料を全て消費していたのだった。

やっと着きましたよ、柳水庵↓
柳水庵.JPG
(ぱくり)

柳水庵には湧水がある。ガイドブックによると、「この水は顎が外れるほどうまい!」と書かれていたので過大なる期待と妄想を抱いてその水をひとすくい・・・・・うーん、ヌルい!夏場のためなのだろう、歯にしみるほど冷たい水が飲めるという過大な期待は儚くも砕かれた。ま、飲めるだけ幸せってもんだよ。

柳水庵の水場↓
柳水庵の水場.jpg
(ぱくり)

ベンチで休んでいると例の都会青年が追いついた。一口水を飲んだのを見計らって訊いた。「ぬるくね?」彼はゆっくりうなづく。ああ

ともかく脱水症状なんてゴメンなので腹一杯水分を補給し、空になったペットボトル1L分の水を汲んで出発。

暫くは下りだがまた一気に登りだした。因みに鬱になるので地図はあんまり確認していなかった。従って後どれくらいで焼山寺に到着するのかよく分かっていなかった。

更に、行けども登り。
Image137.jpg

行けども登りが続き・・・
Image139.jpg

前方に、いや、上方にと言った方がいいか、とてつもない急な山道迫ってきた。

↓こんな感じ(ぱくり)
一本杉庵までの山道.jpg

見た目はもっと急勾配だ。なんだかわからないが声に出して、「あほかほんまに」と言いながら登り続ける。しんどい時はしんどいって言った方が健全なのだ。(と自分では思っている)

慈悲深い空海さんから「いっぺん死ね」と啓示を受けているように勘違いしそうな急勾配が20分位続いただろうか。

山道が急に階段に変わったかと思うと・・・・・・



つづく 
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発心の阿波 3日目−3 (2009.07.10)

お遍路3日目の続きです。

長戸庵(ちょうどあん)で休憩しながら若い都会青年氏と世間話を少しした。

で、聞いた所によると彼は東京の大学の学生さんで夏休みを利用してお遍路というものに来てみたということらしい。で、今日は4日目辺り(確か)になるらしい。今日はこれから12番焼山寺を打ち終えた後、鮎喰川沿いに別格だか番外だか霊場の鏡大師へ向かうらしい。

私が宿泊の予約を入れてあるのは神山温泉のつじ荘という民宿。

↓これが位置関係。
11−12−つじ荘or鏡大師.JPG

道のりは余り変わらないけどちょっと険しそうだね。

なんでも彼は一週間の予定らしく、なんとか徳島を打ち終えたいとのことだった。っていうことは23番薬王寺までか。この時点ではそんな先の予定までは全く考えられなかったのでなんとも言いようがなかったのだが、普通のペースなら行けたんじゃないだろうか?

ともかく彼はスポーツも何もやっていないとのことで、ヘンなおっさんとのデッドヒートで無駄に疲労していたようだった。ま、自分のペースで歩こうよ。

因みに23番薬王寺はこんな所にある↓
23番薬王寺と12番焼山寺.JPG


ともかくこの都会青年氏は何処となく理系っぽい雰囲気があり、顔は知的な感じでなかなかのイケメン。細くてスラっとしたスタイルがいかにも都会の、育ちの良い青年らしく見えた。「どうしてお遍路に来たの?」という質問も浮かんだけど遍路の間の禁句を思い出して聞かなかった。

ま、マジメそうな都会の青年だし色々悩みでもあんだろうよ。と勝手に決めつけておく。

しかしあれだな、学生でお遍路する人って案外多いのかね。私なんか学生の時にお遍路なんて知りもしなかったし、知っていても学生時代にやろうとは思わなかっただろうね。それなりにやることもあり、また自分の時間を自由に作れたから。ということは私とは違う学生生活を送ってるんだなぁ・・・・


人としてこの忙しい社会に組み込まれていると、ふと、静かなところで一人ぼっちで自分を見つめてみたくなるのかも知れない。周りに人が多いってことはそれだけ人に対して気を使わなくてはならないので自分を見つめる余裕が無くなり、なんだか自失したような淋しい思いに駆られる・・・・・


私は現代社会に生きるということは舞台の役者になり、それぞれの人生の役を演じることだと思う。ユングの言うように、人はペルソナという仮面をかぶり、いい人、成熟した大人、分別のある人、というのを立場によって演じ分ける。それを上手に演じられることがこの社会では成功できる条件なのだ。

逆に言うとペルソナという仮面に自分を当てはめて本当の自分の精神に無理を強いていることになる。その抑圧された自我がシャドーと呼ばれ、いわば煩悩の塊という訳だ。

この煩悩であるシャドーは自分の一部であるから、抑圧したり否定したりすること、つまり社会に合わせて立派な大人や社会人を演じ続けることは、本当の自分を自分で否定しようとする行為だから、「自分が本当は誰であるか?」分からなくなってしまうはずだ。

こうしてお遍路というまっさらなペルソナ(仮面)に着替えることで、本当の自分というものを見つめようとするのではないだろうか・・・・・


だから私はもっと自分を肯定して、ありのまま(それなりに、だが)に生きるようお薦めしたい。社会で成功なんてしなくても良くないか?社会での成功が仮にお金や地位、名誉であるなら、何度も言うようにそんなものでは人は幸福にはなれない、のだから。





これは、ツタンカーメンの仮面↓
ツタンカーメンの仮面.jpg

カーメンの仮面って・・・・・あれっ?もしかしたらいい話が台無しじゃね?




つづく 
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発心の阿波 3日目−2 (2009.07.09)

2008年8月22日。お遍路3日目。

吉野川市の鴨島駅前さくら旅館を早朝出発し、11番藤井寺境内にある12番焼山寺への登山口から遍路ころがしにチャレンジを始めたのが朝の7時前。登り始めてすぐに若いにーちゃんに追いつく。20位だろうか、細身でいかにも都会っ子ぽくひょろっとしていて頼り気ない足取りだ。こんちわ、と挨拶して抜き去った。

次に40代半ばと思われるおっちゃん二人組みがへばっているのを追い越した。しっかし30分ほど登り続けているが一向に登りが終わらない。一旦車道を横切り更に登って行く。さっきのにーちゃんとは抜きつ抜かれつを繰り返している。彼だって若者としてのプライドがあり、こんなおっさんには負けたくないのだ。

多分40分位登ったところで、もう限界と思ってベンチも何もない暗い林の地べたにへたりこんで水分を補給。下から犬を連れた品のいい60過ぎ位の老夫婦が上がってきた。「ご苦労様です、大変ですね」とちょっと立ち止まって話をする。早いですねー、と驚くと、身軽ですから、とのお答え。走るように登って行ってしまった。いやはやお若い。

なんでもこの先に見晴らしの良い休憩所があるのでそこで休んだ方がいいとのこと。こちらとしては、「でもそんなに元気がねー」な感じなのだ。10分位休んで立ち上がって歩き始める。道は長い。

ほんの数百m登るとその休憩所があった。

端山休憩所↓
端山休憩所.JPG
(ぱくり)

端山休憩所からの展望↓
端山休憩所からの展望.JPG
(パクリ)

先の老夫婦が休憩していた。さすがにもう一度休憩するのはみっともないってもんだ。ということでダルイ足をぶら下げるようにして先を急ぐ。

重い荷物が肩に食い込む。10kg近い荷物を背負っての登山がこれほどキツイとは。斜面の勾配としては、週末登山していた、浄法寺山(1053m)の方が遥かに厳しいのだが。(因みにこの福井の山は標準登山時間が5時間に対して、私は5回目くらいには2時間10分で戻ることができるようになっていた)

しかしもう登り始めて1時間くらい経つだろうか。さっきの都会青年氏もさすがにバテバテな様子で前をふらふら歩くのが見えてきた。顔にも元気がないので、「頑張ってるよ!オレ。」と声を掛けて追い抜いていく。ヘンなオヤジと思っただろうね。

1時間ちょっとで長戸庵という11番藤井寺の番外霊場に到着。ベンチがあったので迷わず休憩。あーしんどっ。

長戸庵(ちょうどあん)↓
Image133.jpg

Image134.jpg


うーん。オレの写真はボケてるのでぱくりを貼っておきますね↓
長戸庵.jpg
(ぱくり)

長戸庵2.jpg
(ぱくり)

もう一枚↓
長戸庵3.jpg

長戸庵からの景色↓
Image135.jpg

Image136.jpg

うん、だいぶ登ってきたな。つーか1時間ずっと登りっぱなしってキツ過ぎだろ、まったく。なんて心の中でボヤいていると、都会青年氏が登ってきた。お疲れさん、と声を掛けるとようやく笑顔になった。

もう彼とは1時間デッドヒートを繰り返した仲なのですっかり顔見知りだ。(のつもりだ)彼もベンチに腰掛けて飲み物を飲み始めたのを見て世間話を始めた。




つづく 
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発心の阿波 3日目(2009.07.08)

ようやく3日目です。

8月22日。天気は晴れ。暑い。

本日はいよいよ歩き遍路最初の遍路転がし(山などの難所)がある、12番焼山寺への登山です。本日歩くのはこちら↓

11-12番ルート.JPG

11番藤井寺−12番焼山寺の拡大↓
12番焼山寺へのルート.JPG

この焼山寺への道はお遍路最初で最難関ルートと言われる。登山口から焼山寺までの距離は13km、高低差はなんと600mほどしかない。しかしだ、登りと下りを合計5回も繰り返すことになっているのだ。地図でよーく見るとわかるが大きく3つの山を登ることになっている。

しかも、その間はずっと山道で水飲み場も一ヶ所だけ。健脚5時間、普通で6時間、慣れない人だと8時間コースと言われている。かつてはほぼ中間地点の水飲み場、柳水庵(りゅうすいあん)で宿泊や食事もできたようだが現在は無人で水飲み場が残されているだけだ。

・・・と、まぁガイドブックに脅されていても仕方ない。気合を入れて登るだけだ。そもそも週末登山を8週連続でこなしてきているので山道には自信があったのだ。


この日は起床は6時。6時半過ぎに食事に降りて行くとちゃんと準備して待っていてくれた。朝から豪勢な食事をゆっくりと頂きご主人にお礼を言って出発しようとすると、お接待です、と言って昼食用におにぎり2個を包み紙に丁寧にくるんで渡してくれた。それと缶のお茶も。

なんとも嬉しいお接待を頂き6時50分頃出発。ガイドブックには「必ず11番藤井寺の手前の食品店で3食分の食糧+緊急食と水を確保してから入山すること」と書かれてあったので途中のコンビニで更にサンドイッチと菓子パン、飲み物1.5Lを買い足す。うん、重い!

そうこうしてようやく11番藤井寺に着いた。納経所はどの寺も朝7時から開くので一応前日の内に納経は済ませておいたのだ。藤井寺の境内にある焼山寺登山口に到着したのが7時30分前。

藤井寺には納経している思われる遍路が3人くらい、そして登山口の前でストレッチしている人が3人くらいいた。やはりみんな朝早く出発するのだな、負けないぞ!

焼山寺登山口↓
Image131.jpg

では出発。山の中なので少し薄暗い道をひたすら登って行く↓
Image132.jpg

この焼山寺の道というのは空海さんが実際に歩いた遍路道であろうと言われる数少ない古道なのだそうだ。道中には古い石仏や地蔵様がそこら中に立っていた。これはきっと行き倒れた昔の遍路達の墓なのだろう。

石仏(ぱくり)↓
焼山寺石仏.jpg

また山道には迷わぬようにと木の枝など、そこら中に「同行二人」や「遍路道」と書かれた札がぶら下がっている。中には「頑張れ!」とか「あともう少し!」なんて書いてあるものもあり、苦しい登りでは勇気付けられるのだ。

こんなのもある(ぱくり)↓
遍路道の札.jpg


ま、さわりだけだけど中断ね。



つづく 
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発心の阿波 2日目-7 (2009.07.07)

お遍路二日目。8月21日。

前回と今回歩いたのはこちら↓
11番−さくら旅館.JPG
赤のラインを往復したのだ。

そうその帰り道、11番藤井寺から一旦荷物を置いた民宿への帰りに寄ったスーパーの出口付近で怪しげなおっちゃんに声を掛けられたのだ。怪しいと言ってもちゃんとしたYシャツを着ている。一見普通のサラリーマンに見えて安心した。

「お遍路?真言宗か。」「真言宗なんてどうせ、%&¥*#$だろ?」はぁ。よくわからないけど遍路なんてお寺が考えた金儲けに過ぎないみたいなことを言ってるようだ。ともかく真言宗とお遍路に対して良く思っていないようだ。そして他の宗教についても一通り批判して立ち去った。

なんだったんだ?ともかく四国の人でも全ての人がお遍路や真言宗というものに対して友好的ではないらしいことを知ってちょっとショックだった。ま、他の地域なら当たり前の話なんだが。

ちょこっとだけ休んでもうすぐそばのさくら旅館まで歩き始めた。小さな雑居ビルを通り過ぎた所でまたしても違うおっちゃんから声を掛けられた。「お四国さん!」

こんどのおっちゃんはにこやかだ。「何日目?」二日目です。「何処から来たん?」千葉です。「またようけ遠い所から、ご苦労さんやな。」いやぁ。「おっちゃんもつい一ヶ月前に結願ばっかやで」そうなんですか!「明日は焼山寺やな、頑張りや!」有難うございます。

さっきのことがあったので、とても元気をもらった。

さくら旅館に帰るとまた優しそうなご主人がニコニコしながら迎えてくれた。お遍路は宿に着くとまずお大師さんの化身である金剛杖を洗って清めるのが慣わしだ。なので水場を尋ねるとご主人が洗っておいてくれるという。お言葉に甘えて金剛杖を預け部屋へと向う。

洗濯しようと場所を聞き、裏庭に出ると・・・・・あれ?なんかこの風景見たことあるぞ。後でご主人に確認したところ、このブログで何度も紹介している「ウォーカーズ 迷子の大人たち」のドラマで初日に主人公らが洗濯するシーンに使われていたのが実はこの裏庭だったのだ。ま、ちょっとマニアックだな。

今日の宿泊客は私一人だけだった。ゆっくり風呂に浸かり、夕食時に食堂へ行くと決定的な証拠発見!

Image127.jpg

Image128.jpg

Image129.jpg

撮影風景と出演者のサインが壁に飾ってありました。ご主人に、誰のファンですか?と聞かれ、特に誰のファンでもないのでちょっと困った。が、こう答えた。ドラマ自体のファンです。このドラマを見てお遍路したいと思ったんです。

人の良さそうな優しいご主人はニコニコして聞いていた。

因みにここの食事はこれでもか、というくらい豪勢だ↓
さくら旅館の食事.jpg

↑写真はパクリだが、さくら旅館の夕食だ。まさにこんな感じ。お腹一杯。明日は初めての遍路ころがし、12番焼山寺があるので朝早く出たいと言うと快諾してくれた。6時過ぎには出たいので朝食は5時半に用意してもらうことに。

先のドラマで三浦友和がビールを飲んでいた場所を感慨深く見ながら同じく晩酌をして早めに就寝。

2日目の歩行距離はおよそ26km。



お遍路二日目。8月21日。

前回と今回歩いたのはこちら↓
11番−さくら旅館.JPG
赤のラインを往復したのだ。

そうその帰り道、11番藤井寺から一旦荷物を置いた民宿への帰りに寄ったスーパーの出口付近で怪しげなおっちゃんに声を掛けられたのだ。怪しいと言ってもちゃんとしたYシャツを着ている。一見普通のサラリーマンに見えて安心した。

「お遍路?真言宗か。」「真言宗なんてどうせ、%&¥*#$だろ?」はぁ。よくわからないけど遍路なんてお寺が考えた金儲けに過ぎないみたいなことを言ってるようだ。ともかく真言宗とお遍路に対して良く思っていないようだ。そして他の宗教についても一通り批判して立ち去った。

なんだったんだ?ともかく四国の人でも全ての人がお遍路や真言宗というものに対して友好的ではないらしいことを知ってちょっとショックだった。ま、他の地域なら当たり前の話なんだが。

ちょこっとだけ休んでもうすぐそばのさくら旅館まで歩き始めた。小さな雑居ビルを通り過ぎた所でまたしても違うおっちゃんから声を掛けられた。「お四国さん!」

こんどのおっちゃんはにこやかだ。「何日目?」二日目です。「何処から来たん?」千葉です。「またようけ遠い所から、ご苦労さんやな。」いやぁ。「おっちゃんもつい一ヶ月前に結願ばっかやで」そうなんですか!「明日は焼山寺やな、頑張りや!」有難うございます。

さっきのことがあったので、とても元気をもらった。

さくら旅館に帰るとまた優しそうなご主人がニコニコしながら迎えてくれた。お遍路は宿に着くとまずお大師さんの化身である金剛杖を洗って清めるのが慣わしだ。なので水場を尋ねるとご主人が洗っておいてくれるという。お言葉に甘えて金剛杖を預け部屋へと向う。

洗濯しようと場所を聞き、裏庭に出ると・・・・・あれ?なんかこの風景見たことあるぞ。後でご主人に確認したところ、このブログで何度も紹介している「ウォーカーズ 迷子の大人たち」のドラマで初日に主人公らが洗濯するシーンに使われていたのが実はこの裏庭だったのだ。ま、ちょっとマニアックだな。

今日の宿泊客は私一人だけだった。ゆっくり風呂に浸かり、夕食時に食堂へ行くと決定的な証拠発見!

Image127.jpg

Image128.jpg

Image129.jpg

撮影風景と出演者のサインが壁に飾ってありました。ご主人に、誰のファンですか?と聞かれ、特に誰のファンでもないのでちょっと困った。が、こう答えた。ドラマ自体のファンです。このドラマを見てお遍路したいと思ったんです。

人の良さそうな優しいご主人はニコニコして聞いていた。

因みにここの食事はこれでもか、というくらい豪勢だ↓
さくら旅館の食事.jpg

↑写真はパクリだが、さくら旅館の夕食だ。まさにこんな感じ。お腹一杯。明日は初めての遍路ころがし、12番焼山寺があるので朝早く出たいと言うと快諾してくれた。6時過ぎには出たいので朝食は5時半に用意してもらうことに。

先のドラマで三浦友和がビールを飲んでいた場所を感慨深く見ながら同じく晩酌をして早めに就寝。

2日目の歩行距離はおよそ26km。



お遍路二日目。8月21日。

前回と今回歩いたのはこちら↓
11番−さくら旅館.JPG
赤のラインを往復したのだ。

そうその帰り道、11番藤井寺から一旦荷物を置いた民宿への帰りに寄ったスーパーの出口付近で怪しげなおっちゃんに声を掛けられたのだ。怪しいと言ってもちゃんとしたYシャツを着ている。一見普通のサラリーマンに見えて安心した。

「お遍路?真言宗か。」「真言宗なんてどうせ、%&¥*#$だろ?」はぁ。よくわからないけど遍路なんてお寺が考えた金儲けに過ぎないみたいなことを言ってるようだ。ともかく真言宗とお遍路に対して良く思っていないようだ。そして他の宗教についても一通り批判して立ち去った。

なんだったんだ?ともかく四国の人でも全ての人がお遍路や真言宗というものに対して友好的ではないらしいことを知ってちょっとショックだった。ま、他の地域なら当たり前の話なんだが。

ちょこっとだけ休んでもうすぐそばのさくら旅館まで歩き始めた。小さな雑居ビルを通り過ぎた所でまたしても違うおっちゃんから声を掛けられた。「お四国さん!」

こんどのおっちゃんはにこやかだ。「何日目?」二日目です。「何処から来たん?」千葉です。「またようけ遠い所から、ご苦労さんやな。」いやぁ。「おっちゃんもつい一ヶ月前に結願ばっかやで」そうなんですか!「明日は焼山寺やな、頑張りや!」有難うございます。

さっきのことがあったので、とても元気をもらった。

さくら旅館に帰るとまた優しそうなご主人がニコニコしながら迎えてくれた。お遍路は宿に着くとまずお大師さんの化身である金剛杖を洗って清めるのが慣わしだ。なので水場を尋ねるとご主人が洗っておいてくれるという。お言葉に甘えて金剛杖を預け部屋へと向う。

洗濯しようと場所を聞き、裏庭に出ると・・・・・あれ?なんかこの風景見たことあるぞ。後でご主人に確認したところ、このブログで何度も紹介している「ウォーカーズ 迷子の大人たち」のドラマで初日に主人公らが洗濯するシーンに使われていたのが実はこの裏庭だったのだ。ま、ちょっとマニアックだな。

今日の宿泊客は私一人だけだった。ゆっくり風呂に浸かり、夕食時に食堂へ行くと決定的な証拠発見!

Image127.jpg

Image128.jpg

Image129.jpg

撮影風景と出演者のサインが壁に飾ってありました。ご主人に、誰のファンですか?と聞かれ、特に誰のファンでもないのでちょっと困った。が、こう答えた。ドラマ自体のファンです。このドラマを見てお遍路したいと思ったんです。

人の良さそうな優しいご主人はニコニコして聞いていた。

因みにここの食事はこれでもか、というくらい豪勢だ↓
さくら旅館の食事.jpg

↑写真はパクリだが、さくら旅館の夕食だ。まさにこんな感じ。お腹一杯。明日は初めての遍路ころがし、12番焼山寺があるので朝早く出たいと言うと快諾してくれた。6時過ぎには出たいので朝食は5時半に用意してもらうことに。

先のドラマで三浦友和がビールを飲んでいた場所を感慨深く見ながら同じく晩酌をして早めに就寝。

2日目の歩行距離はおよそ26km。



お遍路二日目。8月21日。

前回と今回歩いたのはこちら↓
11番−さくら旅館.JPG
赤のラインを往復したのだ。

そうその帰り道、11番藤井寺から一旦荷物を置いた民宿への帰りに寄ったスーパーの出口付近で怪しげなおっちゃんに声を掛けられたのだ。怪しいと言ってもちゃんとしたYシャツを着ている。一見普通のサラリーマンに見えて安心した。

「お遍路?真言宗か。」「真言宗なんてどうせ、%&¥*#$だろ?」はぁ。よくわからないけど遍路なんてお寺が考えた金儲けに過ぎないみたいなことを言ってるようだ。ともかく真言宗とお遍路に対して良く思っていないようだ。そして他の宗教についても一通り批判して立ち去った。

なんだったんだ?ともかく四国の人でも全ての人がお遍路や真言宗というものに対して友好的ではないらしいことを知ってちょっとショックだった。ま、他の地域なら当たり前の話なんだが。

ちょこっとだけ休んでもうすぐそばのさくら旅館まで歩き始めた。小さな雑居ビルを通り過ぎた所でまたしても違うおっちゃんから声を掛けられた。「お四国さん!」

こんどのおっちゃんはにこやかだ。「何日目?」二日目です。「何処から来たん?」千葉です。「またようけ遠い所から、ご苦労さんやな。」いやぁ。「おっちゃんもつい一ヶ月前に結願ばっかやで」そうなんですか!「明日は焼山寺やな、頑張りや!」有難うございます。

さっきのことがあったので、とても元気をもらった。

さくら旅館に帰るとまた優しそうなご主人がニコニコしながら迎えてくれた。お遍路は宿に着くとまずお大師さんの化身である金剛杖を洗って清めるのが慣わしだ。なので水場を尋ねるとご主人が洗っておいてくれるという。お言葉に甘えて金剛杖を預け部屋へと向う。

洗濯しようと場所を聞き、裏庭に出ると・・・・・あれ?なんかこの風景見たことあるぞ。後でご主人に確認したところ、このブログで何度も紹介している「ウォーカーズ 迷子の大人たち」のドラマで初日に主人公らが洗濯するシーンに使われていたのが実はこの裏庭だったのだ。ま、ちょっとマニアックだな。

今日の宿泊客は私一人だけだった。ゆっくり風呂に浸かり、夕食時に食堂へ行くと決定的な証拠発見!

Image127.jpg

Image128.jpg

Image129.jpg

撮影風景と出演者のサインが壁に飾ってありました。ご主人に、誰のファンですか?と聞かれ、特に誰のファンでもないのでちょっと困った。が、こう答えた。ドラマ自体のファンです。このドラマを見てお遍路したいと思ったんです。

人の良さそうな優しいご主人はニコニコして聞いていた。

因みにここの食事はこれでもか、というくらい豪勢だ↓
さくら旅館の食事.jpg

↑写真はパクリだが、さくら旅館の夕食だ。まさにこんな感じ。お腹一杯。明日は初めての遍路ころがし、12番焼山寺があるので朝早く出たいと言うと快諾してくれた。6時過ぎには出たいので朝食は5時半に用意してもらうことに。

先のドラマで三浦友和がビールを飲んでいた場所を感慨深く見ながら同じく晩酌をして早めに就寝。

2日目の歩行距離はおよそ26km。



つづく 
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発心の阿波 2日目-6 (2009.07.05)

さて、6km以上も殆ど休みなく歩きようやく今晩の宿「さくら旅館」に到着した。

この宿は鴨島駅前のこじんまりした商店街のアーケードの一角にあり、見た目はほぼ民家のように見える。ちょっと早く着いてしまったので恐縮しながら玄関で声を掛けるといかにも人の良さそうなご主人がどうぞどうぞと迎えてくれた。

荷物だけ置いて11番藤井寺に行ってくる旨を伝えると荷物を部屋に持って行ってくれるという。そこで納経の道具をウェストバッグに入れ、菅笠と金剛杖だけを身に着けて出発。

藤井寺までは3kmほどの道のり。小さな鴨島町の市街地をすぐに抜け田んぼの中の道に入った。さくら旅館を出た辺りから空には暗い雲が多い始めていたが、田んぼ道に入るとゴロゴロと雷鳴が轟き出した。

まずいな、と思う間もなく大粒の雨が降り出した。夕立だな、すぐに止むだろうと思いながら雨の中田んぼの真ん中の道路を急いで進む。ザックを背負っていないのでさっきまでの足の痛みは何だったんだろうか、と言うくらい軽やかだ。

寺まで後ホンの1.5kmくらいの田んぼの中に民家がチラホラ建っている所でいよいよ本格的に降りだした。いくら菅笠を被っているとはいえ、びしょ濡れになってしまうので急遽民家の塀の外に大きく張り出している木の下で雨宿り。

田んぼの中で雨宿り後の写真↓
Image126.jpg
↑なんでもない写真だけど、多分あの山の向うに12番焼山寺があるんだろうな、と思って撮ったんだと思う。

10分ほども待っただろうか。雨が小降りになった所で歩き出す。その後雨は徐々に上がって行き、すぐにまた太陽が顔を覗かせた。藤井寺に着く頃にはすっかり日が照っていた。

11番藤井寺の山門手前の写真↓
11番藤井寺手前.jpg

↑写真はパクリ。だがまさにこんな光景。この川を挟んで左側に駐車場がありそこのトイレに寄った。駐車場にはバイク遍路が一人到着したばかりだった。

山門↓
11番藤井寺.JPG

↑山門には巨大な草履が奉納されている。藤井寺は思ったより標高は低く、階段も殆どない。ただ、納経所に居た若いお坊さんらしい人は物凄く愛想が悪かったのだった。

雨が降ったばかりというのに先ほどのバイク遍路を含めて遍路が5人くらい参拝していた。一応明日のために12番焼山寺への登山口を確認して(藤井寺の境内に登山口があるのだ)足早に民宿に帰る。

帰る途中に明日の山対策として虫除けスプレーを鴨島町のスーパーで購入し、ついでに飲み物を買って出口のベンチで休んでいた。するとちょっと目つきの怪しげなおっちゃんが声を掛けてきた。


つづく 
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発心の阿波 2日目-5 (2009.07.03)

昨日は例のスポーツジムに泳ぎに行ってました。

これから週一回くらいは泳ぎに行くことにしようと。ジムの方には少しは若い人もいるようだけどプールはじーさんとばーさんばっか。ま、平日だからだろうけど。でも平均年齢にしたらきっと70歳越えてると思う。みんな定年組という感じ。元気なことで。


お遍路2日目の続き。

今回歩くのは↓の赤いライン。青いのは通常ルート。
10-11ルートマップ.JPG

10番切幡寺の境内では何人か年配の歩き遍路に会った。私は歩き遍路の方とは今後何度か会うかもしれないので挨拶をするようにしていた。

切幡寺からはもちろん下りが続く。登ってきた坂道を戻るのだ。そしてこれからいよいよ吉野川を渡る。11番藤井寺までは普通のルートで9.3km。私はこの日の宿を藤井寺手前の旧鴨島町の鴨島駅前の民宿に予約してあったので一旦民宿に寄り、荷物を置いて身軽になってから11番まで往復しようと考えていた。

遍路地図を見ると吉野川の手前の土手で遍路道は二手に別れている。一方は直進し、そのまま吉野川を渡る道。もう一方は左に曲がり土手沿いに2.5kmほど下って行き阿波中央橋を渡り旧鴨島町を通って行く道。

私は後者のルート。その前に10番切幡寺から分岐まで3.2kmを下る。坂を下りてくると物凄く疲れてくる。更に猛烈にお腹が空いた。急な下り坂というのは楽な道ではないのだ。地図を見ると少し行ったところに「うどん亭」という食堂がある。迷わずココに行くことに決めた。

だらだらと田んぼの中の民家の中を下っていく。前方に小柄な歩き遍路の姿が見えてきて、食堂に着く手前で追いついた。切幡寺で挨拶をした遍路だった。軽く挨拶をして出身などの話をした。なんとこの人は千葉県佐倉市から来ているそうだ。見た目は50歳位だが後で聞いたところ還暦を過ぎたばかりとのこと。

思わぬ所で同県出身者にあったものだ。でも空腹と疲労で長々と話していると死んでしまいそうだ。ということでおっちゃんと別れて「うどん亭」にそそくさと入って行く。

うどん亭八幡↓
うどん亭八幡.JPG

時刻は11時半頃。倒れこむように入った広い店内には私だけ。うどんだけじゃもたないと思い、トンカツ定食(うどん付き)を頼んだ。これがとてもボリュームがあって元気が出てきた。冷たいお水もたくさん飲み少し長めに休んで出発。

生き返った・・・・と思って順調に歩けたのは2kmほど。分岐点を右に曲がり日射しの強い土手の上を歩いているとすぐにゲンナリしてきた。この日は殺人的に暑かった。土手の道は2.5kmも続くのでちょっと気分を変えてみようと河原に下りてみたりした。

でもこれがハマリ。水際を歩いて気持ちいいと気分転換になったのはいいが、道が続いていなくて途中で引き返したり無駄に体力を使ったのだ。因みに直進してすぐに川を渡る遍路道の方が近道で、沈下橋も見られるのでお薦め。私は後で悔やんだのだ。

こちらが私の渡らなかった大野島橋↓
大野島橋.jpg

そして川島橋↓
川島橋.JPG
↑二つとも写真はパクリ。

私が撮った写真は、

吉野川の河原↓
Image124.jpg

そして阿波中央橋からの吉野川↓
Image125.jpg

阿波中央橋を渡る頃から若干雲行きが怪しくなってきた。が、時々雲が太陽を隠すものの日射しは強い。昼食を食べてから鴨島の宿に着くまで結局休む場所を見つけられずノンストップで6km以上歩いた。


宿に着いたのは2時半頃だったか。この民宿、さくら旅館は0日目の徳島に到着した日に何気なく予約したのだが、実に、この宿にはちょっとした偶然が待っていたのだった。

さくら旅館↓
さくら旅館.jpg
↑写真はパクリ。



つづく 
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発心の阿波 2日目-4 (2009.07.02)

さて歩き遍路2日目。

今回歩くのは赤いルート↓
9-10番ロードマップ.JPG

2008年8月21日。天気は晴れ。この日も四国は暑い。

9番法輪寺から10番切幡寺までは3.8kmの道のり。切幡寺は山寺という印象が強い。標高は150mほど。8番熊谷寺でも一応標高120mだったのだが。暫くは吉野川沿いに歩いて最後の700mを一気に上る道となる。

切幡寺への最後の登りは細い上り坂で始まる。その両側には土産物屋や遍路用品店などが立ち並ぶ。古い温泉街と言った風情。暫く休んでいなかったので喉が渇いていた。丁度ある店の軒先に自販機とベンチがあったのでお茶を買って荷物を降ろした。暑い。日射しをよけられないので菅笠は被ったまま。

細い急な上り坂を車が登って行く。車も結構シンドそうだな、と思って見ていたら、その車が停車し、若いにーちゃんが窓を開けて地元の人に切幡寺までの道を尋ねている。どうやら学生らしい様子。車の中には他に3人全員白衣を着ている。ナンバーは徳島とある。徳島大の学生かなんかだろうか。お寺から最も近い駐車場を確認して走り去った。

学生さんが夏休み最後の1週間に思い立って車で遍路だろうか、などと想像してみる。徳島にいるのだったら少しでもいいから歩いて遍路すればいいのに・・・・そう、私だってまだ二日目だが、この二日間、正確には一日半だが、歩いて遍路をすることで独特の遍路文化に触れているのだ。

お接待にしてもそうだし、何より少しは足に自信があった私でも現代人の足腰の弱さを痛烈に味わっている。歩き遍路をしなければきっと考えることはなかったはずだ。ただひたすら次の寺に向って歩く。このことに現代的な意味はない。お遍路をしても何か物質的なものや名誉の勲章が得られる訳ではないのだ。

それでも歩く。暑いけどまた一歩。重いけどまた一歩。たまに過去の辛かったことを思い出して一歩。楽しいこと嬉しいことを思い出してまた一歩。ただ歩く。何のために歩いているかなんてわからない。登山家が語るように、ただ次の寺があるから歩くのだ。

真夏に重い荷物を背負って歩くと30分で理論的思考は完全に停止する。普通の悩みなんて吹っ飛んでしまう。ただ肉体的にシンドい。暑い。痛い。思い。喉が渇く。腹が減る。そういう原始的な生命としての感覚しか残らない。そこに過去に経験した映像の断面が浮かんでは消えて行く・・・・・

そろそろ昼近い。覚悟を決めて登り始める。山門への階段付近でさっきの学生さんらしい4人組が白衣に金剛杖という軽装で登って行くのが見えた。やたら元気だ。後にどこかの納経所の人に聞いたのだが、歩きかそうでないかはザックの大きさでなくても、その疲労具合で一目でわかるとのことだった。そりゃそうだよ。あんな話しながら最後の階段登れる訳ないもの。

10番切幡寺の山門↓
Image122.jpg

切幡寺は山寺らしく階段が続く↓
Image123.jpg
↑「是より333段」


10番切幡寺の伝説を紹介しましょう。

御本尊は千手観音↓
10番切幡寺御本尊.JPG


「弘仁年間(810〜824年)巡錫中の弘法大師がこの地で機を織る貧しい娘に出会いました。大師はその娘に破れを繕う布を乞うと、娘は織ったばかりの白布を惜しげもなく断ち切って差し出しました。そして身の上を語ったのち、亡き父母の菩提を弔うため観音菩薩がほしいと大師にお願いしました。大師は娘の願いを聞き入れ、千手観世音菩薩を刻み本尊とし、一寺を建立しました。そして娘に得度(出家の儀式)させると娘はたちまち光り輝いて即身成仏(現世にある身のままで仏になること)して、千手観音に変身したといいます。


こちらは千手観音ではないが娘が弘法大師に布を差し出す像のようだ↓
千手観音.JPG

こうした由来から、切幡寺のご本尊、千手観音像は二体ある。一つは空海の彫ったもの、もう一つは清らかな心を持つ娘が即身仏となったもの。


なんとも美しい話ですね。


因みに即身仏となった千手観音は秘仏とされ見ることはできない。


つづく 
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発心の阿波 2日目-3(2009.07.01)

さて、前回全く進歩がなかったので進めますよ。

8月21日。お遍路2日目。

8番熊谷寺から9番法輪寺までは2.4kmの緩やかな下り坂。熊谷寺の山門を出てすぐの所で自転車に白衣姿という、自転車遍路の若いカップルがヒィヒィ言いながら自転車を押して登ってきた。こんにちわ、と軽く挨拶をして彼らは黙々と登って行き、私は軽やかに下っていく。何故か微妙な優越感。(ちっさいゾ、おれ)

見渡しの良い田んぼ道の辻々に新旧の道標が目立つ。

道標とはこんなの↓
道標.jpg

古くは例の280回も遍路を回ったという大先達、中務(なかつかさ)茂兵衛氏の立てた道標も全部で240基も残っているらしい。もっとも古いのは300年くらい前のものもあるとのこと。

で、田んぼの中の遍路道を20分程歩いていると後ろから「こんにちわ〜」とさっきのカップルが自転車で爽やかに走り抜けて行った。くっそぅ、下りはさすがにちゃり、ハエーな。でもすぐに9番法輪寺に到着。

カップルが参拝を終えて山門を出てくる所だった。門前の風情ある飲食店の軒先で何やらベテランぽい遍路姿の馴染んでいるおっちゃんが二人くらいで飲み物を飲んで休んでいる。そしてカップルがその先達らしい人に声を掛けられたように見えた。

山門前のお店↓
9番法輪寺.JPG
写真はまたしてもパクリ。

私は遠くから見ていたが、徐々に山門に近づいて行くと何を話しているのか聞こえた。そのカップル達はベテランさんに身なりを注意されていたのだ。「自転車の遍路でも金剛杖くらい持たないとアカン!」本気で注意しているのだ。カップルはひたすら恐縮している・・・・・

可哀想に。形なんてどうだっていいじゃねーか、ムニュムニュ・・・・・と思ったけど、ま、これも彼らにとっては何かの試練なんだろうと思い直して私はさっさと納経を済ませる。

山門を出てくると、ベテランさんは居なくなっていたがカップルはまだ駐車場で地図を見ながら何か相談している。「てきとーに、自分なりにやればいいんだよー」と心の中で呟いて先に発つ。


お寺の、アブラゼミの、やかましいほどの声を背後に、汗を拭ってゆっくりと歩を早めた・・・・・



つづく 
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発心の阿波 2日目-2 (2009.06.30)

なんと!もう7月だ。

ま、いいや。お遍路日記2日目の続きです。あ、8番熊谷寺の写真があったので載せときます。

8番熊谷寺山門↓
Image121.jpg

↑いい感じでしょ?

熊谷寺から9番法輪寺までは2.4kmの道のり。小高い丘から吉野川へ向ってゆるい下り道を降りて行く感じ。従って眺めは良い。と言っても見えるのは広大な田んぼと吉野川を挟んで彼方にそびえる剣山をはじめとする山々。1番霊山寺から10番切幡寺までは吉野川沿いに上流へと向うのだ。

四国のイメージが余りわかない人のためにロードマップを作ってみましたよ。(オレって気が利くなぁ)

参考地図↓
1-10番地図.JPG

↑右から順に1番霊山寺から10番切幡寺まで。右上に見えるのは鳴門海峡とそれを挟んで淡路島。

地形図に18番恩山寺までのルートマップと88番大窪寺(ゴール)の位置関係を入れてみました↓
1-10番ロードマップ.JPG

↑結願(けちがん)寺の大窪寺と10番切幡寺がすぐそばにあるのがわかる。吉野川を横断し11番藤井寺から山に入る。左下の寺が歩き遍路最初の難関、遍路転がしと言われる12番焼山寺。更に左下の方に西日本第二位の名峰剣山がある。因みに第一位は同じく四国の石鎚山。言うまでもなく寺間を線で結んだだけなので実際の道のりとは異なる。

剣山↓
剣山.jpg
↑もちパクリ。


と、お茶を濁した所で中断。



つづく 
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発心の阿波 2日目 (2009.06.28)

さて、お遍路もようやく二日目に突入です。

初日は何もかもが新鮮に目に映り、まるで小学校6年間のように時間が経つのがゆっくり感じられたのでした。ま、前置きは止めて歩きましょうか。

6番安楽寺の宿坊を出発したのは多分7時半頃。
昨夜早く眠りに就いたお陰で朝6時前には自然に目が覚めた。元々私は目覚めが良い方なのだ。朝食は確か7時からでそれまでに荷物をまとめて洗顔も済ませ準備は万端、と。ご飯食べたらすぐに出発しちゃうもんね、と朝から気力は充実。

少し身体や足が痛いけど、一日目を終えた充実感からか、気にならない。そしてなにより初日の多くの遍路特有の経験が、気持ちの面では既に私を一端のお遍路に変えつつあった。

朝ごはんも団体さんと一緒にいただく。昨夜と席は同じみたいで前に「広島型美人氏」が座った。「今日も日射しが強くなりそうですね、日焼け止めちゃんと塗ってます?」なんて話しかけてみる。昨夜よりは少し明るい顔のように見える。「これからは男も女も美白ですがな」 なんて冗談を言うと少し笑った。

昨日は疲れていただけかね。元気出して行くぜよ。「疲れている人はねらわれますよ!宇宙人に。」なんつって。きっと苦笑いだったな。なんでコイツはこんな元気なんだ?みたいな・・・・・ま、いいのさ。

で、お先に出発。7番十楽寺までは1.2kmの道のり。昨夜雨が降ったのか道が濡れていた。一夜ぶりに握った金剛杖と大きな菅笠が気持ちをお遍路に戻してくれる。暫く田んぼの中の道路を歩いて行くと古い民家の軒並みが続く道に入る。そこでえらく懐かしいものを発見した。

こんなもの↓
Image117.jpg

↑森永コーヒーとネクターの自販機。こんなの覚えてる人は間違いなく俺と同じ位の年齢だろうな。最近見ないけど、ネクターのあのドロっとした桃のジュース懐かしいよなぁ。

と、もちろん機能してないだろうからお金は入れなかったけどね。価格表示は1本100円だった。消費税なんてなかったもんね。お釣りとかめんどくせーもんなくてあの頃は良かったなー、と。

で、十楽寺には15分ほどで着いたはずだ。十楽寺の山門↓
Image118.jpg

↑ここも安楽寺も山門がなんか中国の寺院みたいだ。山門を入って確か右手に喫茶店があり、既に営業しているようだ。でもたった15分で休憩するのもなんだからここはスルーで。中でお遍路さんが休憩しているようだ。もしかすると十楽寺の宿坊に泊まった遍路かも知れない。

この十楽寺について覚えているのは山門近辺のことくらい。後はぜーんぜん覚えちゃいない。ま、印象の薄い寺だったってことだ。(こら)

山門を右に出てひたすら西に向って歩く。8番熊谷寺までは4.2kmの道のり。ほとんどまっすぐ道なりだな、と思っていたら道を間違えた。遍路マークを見落としたらしい、と気付いたのは今度は随分後だった。

それはともかく雨上がりの朝でなんだか空気がしっとりしていて気分がいい。と思っていたら、虹が出てます!

Image119.jpg

もういっちょ
Image120.jpg

あー、なんか祝福されているようだ。と、気分良く歩いていると高速道路をくぐった。あれ?高速くぐるのは随分後の予定じゃなかったっけ?地図で確認するとどうやら遍路道とほぼ平行している県道を歩いて来たようだ。

このまま歩いて行っても熊谷寺には着くしそれほど遠回りではなさそうなので間違えたまま歩くことに。暫く歩くと右手に「天然温泉御所の郷」という広い駐車場があるスーパー銭湯が見えた。

はずかしながらまだヘタレなのだ。十楽寺からまだ2.5kmほどしか歩いていないはずだが足も肩も疲れ始めていた。ので休憩しよっと。広大な駐車場を横切って建物の前に並んだ自販機の隣に並ぶベンチに腰をかけた。

こんないい写真を発見↓
御所の郷.JPG

↑これが「御所の郷」 お、ものすごくハッキリ覚えているぞ。私が休んだのが左のコーラの自販機の隣のベンチ。この時のコーラの最新型自販機が入っていて前を通るとサイバーなカッコイイ音楽が流れたのだ。

音に吸い寄せられてコカコーラを買ってみた。「ゼロカロリー」ってなんで俺はゼロカロリーなんて飲んでんだ?と普段の癖が出た自分がちょっとおかしかった。一日中歩いてるんだからむしろカロリー摂った方がいんじゃね?

このスーパー銭湯は開店が10時からなのでまだ開いてなかった。確か着いたのは9時くらいだったと思う。雨上がりの影響で太陽が昇ってくると蒸し暑くなってきた。さて、まだ先は長いのだから少しでも前に進もう。

もう一枚御所の郷全景。
御所の郷2.JPG
↑写真はもちパクリ。

15分程休んで出発。少し歩くと遍路道を通らなかった事をかなり悔やんだ。地図ではわからなかったのだがこの道は丘を越えるようになっているのだ。なので無駄に登りと下りを堪能して汗だくで8番熊谷寺に着いた。

熊谷寺についてはあんまり記憶がない。丘の上にある山寺っぽかったのと、山門が偉く下にあったのは覚えている。でも道間違ったから往きは山門通らずに来たんだけどね。なので熊谷寺についてはリンク張っときます。このサイト、写真多くてほんとパクリやすいです、じゃなかった、わかりやすいです。


という感じで今日はここまで。



つづく 
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発心の阿波 1日目-8(2009.06.25)

さて、食事も終わり20時からは寺の宿坊に泊まる醍醐味であるお勤めの時間だ。

本堂へと向う。この安楽寺は非常に観光向けに作られていてお遍路に関する資料や石碑、様々な仏像や曼荼羅が本堂へと渡る廊下に飾られていた。因みに「お勤め」というのは住職らが毎日本堂で行う経を唱える習慣だ。仏教のお寺に宿泊するとこの行事に参加するのが慣わしであるらしい。ま、私はこれが目的で宿坊に泊まったんだけどね。

本堂は回廊のように仏壇を囲むようになっていた。100名以上もここに並ぶとかなりの圧巻だ。ここの住職は色々な活動をしているらしく講演なれしているようだ。まずお勤めを一通り済ませる。この一通りは巡礼の納経時にやることと同じなのだが正式なやり方は頭に入っていない。というかお勤め以外に一度も正式な納経はしたことはないのだ。

私は宗教なんかに興味がないので最低限の納経でいいやと思って、般若心経、ご本尊真言(サンスクリット語)、御宝号(南無大師遍照金剛)の3つしかやらなかった。それもちゃんとやり始めたのは7日目くらいからだ。はじめは般若心経だけで精一杯。それも3日目くらいまでは声に出して読むと噛み噛み状態だったので小声でブツブツ囁く程度。

真言とはサンスクリット語でマントラのこと。真実の言葉という意。真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いる」のだそうだ。マントラについてはWikiなどでは「本来的には「文字」「言葉」を意味する。 宗教的には讃歌、祭詞、呪文などを指す。」とあるが、私は宗教的な意味の本質は瞑想に入るための手段や道具みたいな感じだと思う。宗教の目指す悟りの境地へ達する手段が瞑想なのだ。ま、これについてはまた「菩提の伊予」で触れよう。

安楽寺のご本尊は薬師如来。薬師如来のご本尊真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」これを般若心経を100人以上で繰り返し唱えると大迫力。単純な音なので気付くと私も真似して声に出して唱えていた。とても不思議な雰囲気に包まれている。私はこの真言を絶対忘れないとこの時思った。

そして般若心経。上記の団体さんは2度目以上の人が多いらしくスラスラ唱えている。私は声に出せるようなレベルではないのでブツブツ、ボソボソ、と。100人が奏でるお経の神秘的な雰囲気に浸っていた。

一通り住むと話し上手な住職さんが講話を始めた。お遍路の始まりや変遷、空海についてなど非常にためになった。これで誰かに知ったかぶりできるぞ、シメシメ。と思ったのだが今案外覚えていなかったので調べながらこれを書く羽目に。

上の安楽寺のリンク先に書いてあるけど近代遍路の大先達(だいせんだつ)とも言える、中務茂兵衛氏についても話があった。この人は確か失恋かなんかで遍路を始め、なんと生涯で280回も回ったのだそうだ。

これだけなら、あんた何しとんねん?な感じだが、偉いのが88回目遍路から道標を建て始めたことだ。いわば江戸時代のへんろみち保存協会の活動だ。現在のへんろみち保存協会を設立したのは、宮崎建樹さんという方で松山に在住されている。

宮崎さんが協会を設立した経緯は、

「42歳のときに大病で入院したのがきっかけで遍路を始めました。ところが実際に歩いてみると道は荒れ放題で、土地の人に聞いてもよく分からず、何度も国道を大まわしてしまいました。このままでは四国へ来た遍路さんが道に迷うばかりだと思い、せめて私が住む松山周辺だけでも道しるべを立てようと決意しました」(JTBキャンブックス「四国八十八ヵ所めぐり」より)」

とのこと。なんて立派な方だ。この人が居なかったら私なんてプラス5日間くらい費やしたかも知れない。いや、もしかしたらお遍路に出なかったかも知れないな。松山に足向けて眠れないよ、まったく。(済みません、ホントはあんまり意識してないす)

安楽寺の住職の話は最後にこの言葉で締めくくられた。

「皆さん折角お遍路という経験をして般若心経を覚えるのですから、帰ったら家の仏壇で一度唱えてあげてくださいね。先祖にとってこれほどの供養はないですから。」


なるほどね。


この日は夏祭りで太鼓の演奏会が催されるとのことで見てみたかったのだが部屋に帰る途中でビールを買って飲んだら徐々に意識が遠ざかって行き・・・・・・結局遠くの太鼓の音は子守唄になったのだった。就寝時間21時半頃。(早っ)おやすみー


この日の歩行距離は16km。



初日終わり 
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発心の阿波 1日目-7(2009.06.25)

さて、歩き遍路初日が終わりそうで終わらないなと、よし。

2008年8月20日。安楽寺の宿坊にて。

恐らくPM17時頃。この日は境内で夏祭りが催され、また、寺の宿坊では100名位のツアー遍路の団体予約が入っているとのことで、お寺全体がなんだか慌しい空気に包まれていた。

そんな中、私は一日慣れぬ遍路姿で重い荷物を背負って歩いたので体力的にはかなりしんどかった。が、精神的にはなんとか一日歩き遍路というものを終えて目的地に到達できた充実感に満たされており、その充実を物語る汚れた白衣を持って階下の浴室へ向った。

まず洗濯機を使用。洗濯機は確か3台ほど置いてありまだ誰も使っていなかった。浴室へと向う。まだ誰も入っていない。そして風呂場に入って、ハッとした。

以前にも紹介した歩き遍路を題材としたNHKドラマ「ウォーカーズ 迷子の大人たち」で、主人公の江口洋介らが歩き遍路初日に岩でできた風呂に入っているシーンがある。その風呂場がこの風呂だったのだ。私はこのドラマのDVDを購入しており遍路に出るまでに5回位見ていたのでよく覚えていたのだ。

確かドラマの設定では初日は吉野川沿いにある民宿のような遍路宿に宿泊したことになってたな。そしてその民宿の風呂としてここ安楽寺の宿坊の風呂が使われていたのだった。ドラマの撮影ってめんどくせーな、なんて思いながらドラマでは確かここに原田芳雄が居て江口洋介はこの鏡辺りで髭剃ってた、とか思い出しながらゆっくり入浴多分1時間近く入ってた。

こんな感じ↓
安楽寺風呂.jpg
写真はパクリです。

団体さんが到着したような声が聞こえてきたので風呂を出て洗濯機に洗濯物を取りに。全部の洗濯機が稼動していた。部屋でハンガーに洗濯物を掛けて6時過ぎに食堂に向う。

既にお年寄りの団体さんが到着しており広い食堂がギッシリ埋まっている。個人の客席はその団体さんのテーブルに紛れて用意されていた。私の前には年配(?)と思われる女性が座っていた。もしかして俺以外全員団体さんかね、と考えながらなんとなく気負いしながら食事を摂っていると前の女性が一人ですか?と声を掛けてくれた。

食堂こんな感じ↓
安楽寺食堂.JPG
この写真もパクリです。

良く見ると私と同じくらいかちょっと上くらいだろうか、はたまたやっぱり10歳は年上なんだろうか。いつも化粧している女性はスッピンだと年齢がさっぱり分からん。団体さんだと思っていたこの人は実は昨日広島からこちらにきて一人で歩き遍路をしていると言う。顔立ちはそれなりに整っている(って失礼か)ようなので昔は美人だったかも知れませんよ?という事で私の中であだ名は決まった。「広島型○年前美人氏」(あーあ、見つかったら絶対怒られるな)

彼女も初めての歩き遍路だそうだ。これまでに道中で出合った歩き遍路のことやお接待を受けたことについて話してくれた。明日は何処まで行くんですか?と聞いてみたらまだ決めていないと言う。12番焼山寺の手前辺りで宿泊するのがお薦めのペースらしいですよ、なんて知ったかぶりしてみた。

でもこの人なんだか精神的に疲れきってる感じだな、と思った。きっと日常に嫌気がさして飛び出してきたタイプなんじゃなかろうか・・・・・・疲れちゃったのかな、そうかそうか、魂を休める時期も必要だよなぁ。なーんて勝手に妄想していたら、給仕のお坊さんが20時から「お勤め」があるので本堂の方に集まってください、と。冷たい麦茶を何杯も飲んでから先のオネエ様に「お先です」と言って席を立つ。

部屋で納札(おさめふだ)に自分の名前住所などを記入して時間待ち。ガイドブックに宿で前もって翌日分くらいは記入しておいた方がいいと書いてあったのだ。そして20時。


やっぱ長いので中断。



つづく 
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発心の阿波 1日目-6(2009.06.23)

さて、納経所で聞いた安楽寺の宿坊棟へと向う。境内は夏祭りの準備で賑やかだ。

私は、両親を含めて典型的な現代日本人らしくいわば無信教仏教徒。私自身、キリストや釈迦、空海などの人間性への興味はあるけどそこから派生した宗教には興味がない。これらの聖人といわれる人を教祖とした宗教はその教祖本人らが宗教を興したのではなく、弟子や、聖人のファン達が慕ってできた集団であると認識している。

お叱りを覚悟で言えば、そう、ファンクラブみてぇなもんだ。キリストにしても釈迦にしても彼らは個人として人の心を救う活動をしていたのであって、昨今の得体の知れん日本のNPO法人みたいな団体を創ってサークル活動していたんじゃあ、ない。増してや税金なんかあてにして運動を広めて行った訳ではなーい。(完全に嫌味やな)

うん、またくだらんことで脱線しそーだ。いかんいかん。アカン!おかん。みたいな。(なんやそれ)

で、私は無信教仏教徒だから実家の檀家に入っているお寺の宗派も正確には知らないし、また興味もない。仏教である以上にどこのファンクラブか?みたいなこと言うても意味なくね?

だから実家のお寺についても、思春期に学校をサボって本堂で寝たり読書したりなんて経験があるから非常に親近感はあるんだけど、宗教的なことはよくわかんない。つーことでこのお遍路の機会にお寺の宿坊を積極的に利用して知見を深め、いずれ誰かに知ったかぶりでもしたろーか、ククク。なんてー魂胆があったのだ。

安楽寺の宿坊の玄関を覗くと若い坊さん達が黒い作務衣を着てイソイソと動き回っている。なんか「もののけ」チックだ。いやいや黒いのが動き回ってるから、まっくろ黒すけで「トトロ」っぽいか(怒られるぞ)、いずれにしてもジブリやな。(真言宗ですけど)玄関の壁面は下駄箱になっていて大量のスリッパが丁寧に並べられている。さすがに良く整頓されているようだ。(フォローになってないからな)

玄関入って右が受付で手前におばちゃんが座っている。「宿泊の予約してた者です」と声を掛けた。スリッパに履き替えて受付で宿帳への記帳を済ませると、若いお坊さんが出てきて鍵を持って部屋へ案内してくれるという。

「荷物お持ちましょうか?」なんて聞かれたんじゃなかったかな。ともかくここは寺の宿坊というよりは行き届いた旅館なのだ。建物は確か4階か5階建てくらいでエレベーターもあり、一階には休憩所やお土産売り場まである。売り場の店員はおそらくバイトであろう、若い女の子が浴衣を着て立っていた。

私の部屋は3階。6畳和室でテレビ・洗面所・エアコンもある。建物は勿論鉄筋だろう。エレベーターがあるんだから。雑誌とかで評判がいいんだけど、これでいいの?と僅かな疑問が。

受付で聞いたところ、今日は100名だかの団体さんの予約が入っているとのこと。だから風呂に先に入っちゃえってことだ。ならば、と早速来ていた白衣を持って1階へ。浴衣が部屋になかったので聞いてみると250円のレンタルとのこと。でも歩き遍路は部屋着なんて余分なものは持っちゃあいないのだ。あしもとみやがっ・・・・・いやなんでもない。

痛い足を引きずるようにして部屋に戻り浴衣に着替えて着てた物を全部洗濯すべく袋に入れて1階浴室近くのコインランドリーへ。洗濯1回百円。

えーと、飽きたから今日はここまで。



つづく 
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発心の阿波 1日目-5(2009.06.22)

また長くなるけど、気楽にお付き合いくださいね。

お遍路初日に「お接待」という遍路文化に触れることができたのはツイていた。

おばあーちゃんと別れそれから数百メートル歩くと小さな川を渡った右手に「遍路小屋」の看板を掲げた東屋が見えた。やっと座れる・・・・・と後ろからスクーターの音が。とりあえず遍路小屋とやらに入り荷を降ろした。同時にスクーターが停まり60過ぎと見えるおっちゃんがメットを外して入ってきた。

「どっから来たん?」

あ、千葉です。なんてやりとりしながら本音は疲れてるからそっとしといて、という感じ。さっき貰った甘夏を一個皮をむいて食べ始める。うん、美味い!お遍路の半ば頃に聞いたのだが歩き遍路には柑橘類をお接待することが多いらしい。こは柑橘類にはクエン酸が含まれているのでバテ予防に最適なのだ。レモンをかじりながら歩くとどんな峠道でも疲れないと何処かの遍路宿の主人だったかが言っていた。

おっちゃんは歩き遍路への情報のお接待が趣味らしい。遍路地図持ってるか、と聞くと私の遍路地図を広げて鉛筆を取り出し明日はここで泊まりなさい、翌日はここがお薦め、次の日はここまで行けるから・・・・とペース配分とお薦めの宿を丸で囲ったり民宿の名前と値段とかを書き込んでくれた。

そして、「あんた歳は?」 もうすぐ36です。「え?学生さんかと思った」 確かに精神年齢は学生並み以下ですが。「結婚は?」 したことはあります、バツイチです。「そうかそうか、俺もバツイチでよぉ」 と話始める。なんでも歩き遍路を見てると何かしてやりたくなって、自宅に歩き遍路を呼んで泊めてやっていたそうなのだ。それも毎日のように。

そういう訳わからん人間が毎日やってくる生活に嫌気がさして奥さんは出て行ってしまったのだそうだ。確かにやり過ぎかも知れませんが・・・・・。そんなパターンの離婚もあるんだなぁ。この人の場合は別の人が見たら「この人は聖人だ」と信者ができてもおかしくないような話だけどね。

おっちゃんと話してたらあっという間に30分以上も経ち、そろそろ焦りが出てきた。荷物をしまい始めると、「後ろに誰か歩いてるか?」 いや、多分もういないと思いますよ。と言うと、「もういい時間だもんな、さっき10番切幡寺の方まで見に行ってきたけど今日はだーれも歩いとらんかった。やっぱり夏は遍路が少ないなぁ」 そうなんだ。「じゃ安楽寺までは道なりに暫く歩いて・・・・」と丁寧に教えてくれたがよく覚えきれなかった。

私は初めから地図を頼りに歩くより、遍路道保存協会が整備してくれている遍路道の方向マークを見て歩くようにしていた。

遍路マーク4連荘↓
へんろマーク1.JPG

へんろマーク2.JPG

へんろマーク3.JPG

へんろマーク4.JPG
↑まだまだたくさんある。これらは遍路道保存協会が作成したものらしいが、中にはガードレールや壁面に矢印を書いてあるだけのものとかもある。

また、これも良く見かけた↓
へんろマーク5.JPG

↑この「注意」の上のマークは道路標識やガードレールにキチッとプリントされていたのできっと交通安全協会かなんかが整備したものだと思われる。因みにこのシンボルは密教の法具「金剛杵」(こんごうしょ)

実際これらの遍路道マークだけでここまではほぼ迷うことはなかった。というより遍路地図は道がアバウト過ぎて肝心な所では役に立たないのだ。それに細かい歩き遍路道は書かれていないことが多いしね。

そんなことで安楽寺の手前1kmほどの所で道を初めて間違えた。でも遍路道マークの出現頻度から考えておかしいと100mほど道をそれた時に気付いただった。今思えば大して迂回せずに済んだのだが既に疲れ果てていたので迂闊な自分に腹を立てた。疲れていたのともうすぐ目的地に着くということで集中力を失っていたのだ。

そこから10分程で田んぼの中の6番安楽寺に着いた↓
Image116.jpg
↑山門。(これは翌朝撮ったもの)
Image114.jpg
↑多宝塔。

宿坊↓
Image115.jpg

↑左隅にカラフルな提灯が写っています。そうこの日は夏祭りが境内で催されるとのことで夜店の準備やらで私が到着した4時半頃は関係者らが忙しく働いていた。金魚屋や玩具屋、カキ氷、焼とうもろこしの店、たこ焼き、水玉のヨーヨー売り、射的屋。境内に所狭しと並ぶ夜店をぬって本堂へと向う。ようやく着いた安堵感。

そんな中遍路らしい姿はいない。私以外には帰省したと見られる都会の派手なファッションの若いネーちゃんが両親に連れられヒールで参拝している。田舎で都会のファッションは水商売にしか見えないな、なんて思った。こっちは白装束だ。

疲れていたので簡単に納経を済ませ、納経所で宿坊はどちらですか?と聞いた。今日買ったばかりの白衣(びゃくえ)は汗で既によれよれだった。




ううん、終わらんな。初日は特に強く印象に残っていることが多いみたい。


つづく 
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発心の阿波 1日目-4

随分久しぶりだけどお遍路日記の方も進めないとね。まだ初日じゃん。

じゃ、おっぱじめよう。
4番札所大日寺から5番札所地蔵寺までは2.0kmほど。登ってきた坂道を途中までは引き返す形になる(確かこういうのを打戻りとか言うらしい)で高速道路をくぐるまでが1kmくらい。高速の下でちょっと右に曲がりそこからはずっと民家の裏道みたいな小道を歩いて行く。

のどかな風景の民家の庭に猫やら犬やらが寝そべっていたりするが大抵は無視される。杖を突いて歩くとその度にチャリンと鈴がなるのだけど。人もペットも地元の方々はさすがに遍路を見慣れているようだ。慣れていないのは自分だけ。まだ人が歩いてくると恥ずかしくてうつむいてしまう。

そんなこんなで2kmなので30分くらいで着いたはずだ。歩き遍路は5番札所の番外霊場(?)、五百羅漢に誘導されるようになっている。あ、説明してなかったかも知れないが、88ヶ所の札所には番外とか別格とか言われるような霊場がある。88の全てにある訳ではないようだが。

で、まだ不慣れなため、私は暫くこの別格の五百羅漢を地蔵寺と勘違いしてお参りしていた。ここは名前の通り五百羅漢を配したコの字型の羅漠堂がある。確か有料だったが、折角なので数百円払って入ってみた。あんまり中の記憶はないのだが。で、見回しても納経所らしい所が見当たらないので庭の掃除を一生懸命していたおばあちゃんに納経所を尋ねてみた。そこでようやくここが地蔵寺じゃないことを知ったのだ。

なんか折角お賽銭やら納経やらを30分位かけてやったのに・・・・と不謹慎なことをチラと思った。もう一度納経をやり直して6番安楽寺までの道を地図で調べると結構長い。とは言え地図で5.3kmと書いてある。そんなもん、と今では思うが初日では最長の距離だったのだ。

あんまり長いので腹が減ってきた。いや正確に言うと4番大日寺から坂を下っている途中で既に腹も減っているし喉もまた渇いてしまったのだった。おいなりさん5個だけじゃ足りんのだ。不慣れな歩きのためきっと無駄に体力を消耗していたに違いない。それに8月20日の四国の日差しは残酷なほど遍路に優しくない。

ま、そんな訳で休憩しようぜ、と。地図を見ると近くにコンビニがある。ほんの少し遍路道を外れるだけだった。そのコンビニは中にイートインコーナーがあり、ドトールみたいに買ったものを座って食べることができるのだ。もうこの頃には恥ずかしいより。疲労しているわ、足は痛いわ、で靴を脱いで裸足になって休んだ。そろそろ日が傾きかけていた。多分2時を過ぎた頃だったと思う。

初めの頃は足が痛くて1時間に一度くらいは休まないとシンドかったのだ。増して初日は30分くらいしか離れていない寺ごとに休憩していた。それでも自分の歩くペースが分からないから不安で20分程休んで「あーしんどっ」と思いながら歩き始めた。なんてったって次の6番札所安楽寺が今日の最終目的地なのだ。

5番から6番までの道はほとんど車一台が通れるほどの民家の裏路地を歩いて行く。正直に言ってこの最後の5kmほどはしんどくて仕方なかった。休もうと思ってもベンチとか座る場所がないのだった。そうやって座る場所があったら絶対休もうなんて思いながら歩いていると後ろから呼び止められた。

「お遍路さん」

見ると80歳くらいの品の良いおばあちゃんが自転車で追いかけてくる。「さっき歩いて行くのを見かけて・・・・。ご苦労様です」と息を切らしながら言ったかと思うと100円を握らせ、袋に入った甘夏柑(あまなつ)2個を「重くてごめんなさい。お接待です。」と渡して、手を合わせて拝まれた。

「南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛・・・」

はじめてのお接待にタジタジ。生きている内に人から拝まれるなんて、あり得ないことだ、と一瞬時間が止まったが、急いでザックから納札(おさめふだ)を出して渡す。「有難うございます」と言って歩き出す。後ろを振り向くとまだ手を合わせて拝んでいる。

四国では自分がお大師様の化身なのだという、なんだかとても身に余る役割を授かったようで気が引き締まるようだった。しかし物をあげるのに重くてごめんなさいという思いやりは一体何処から出てくるのだろう・・・・・

暑くて足痛くてバテバテだったので、おばあちゃんからのお接待はなんとも精神的に支えられた。本当にそれで足が軽くなるのだ。今までもう歩けん、と情けないことを思っていたのに、だ。人の優しい心っていうのは相手に適切に伝わると素晴しいエネルギーに変わるのだ。



つづく 
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発心の阿波 1日目-3 (2009.06.14)

4番札所大日寺までは5km。はじめて山にある札所だ。

山と言っても大したことはない。標高75mほどしかない。でもこれまでの3つの札所は平地にあったのでちょっとした丘みたいな所にある寺だ。

3番金泉寺を出て暫くは県道の裏道で車通りは少ない。いかにも民家の生活道路みたいな細い路地を歩いていると反対方向から若い女性のお遍路さんが歩いて来た。こんにちわ、と挨拶をするとニッコリ笑って挨拶を返してくれた。

逆打ちか?と思ったが今考えると恐らく結願後、88番から1番へお礼参りに来たのだろう。女子大生くらいで妙に健康的で晴れがましい顔をしていた。暫く歩いているともう一人今度は40半ばくらいのおじさんがやはり反対方向から歩いて来た。同じように挨拶を交わす。多分彼もお礼参りだったのだろうと思う。

でも後に知ったのだが2008年はうるう年だったので逆打ちが良いとされているとのことだった。従ってはじめての人でなければ逆打ちの人も多いはずで、彼らも逆打ちだったのかも知れない。でも知り合った歩き遍路の中では88番から歩いて1番へお礼参りに行く人が圧倒的に多いみたいだった。

暫くすると遍路道が田んぼのあぜ道みたいな所を通っていく。もう12時を過ぎていて少しお腹が空いていた。途中にあった小さな神社に「お遍路さんご自由にお休みください」のようなことが書いてあったのでそのベンチに腰掛けザックを置いて2番で買ったおいなりさんを食べ始めた。そのベンチには遍路用の雑記帳が置いてあった。開いて見ると実に多くの歩き遍路たちが立ち寄った記録が残っていた。何を書いたのか思い出せないが私も何処から来たのかくらいのことを書いたように思う。

慣れないためか足はそれほどでもないがザックを背負っている上半身、特に肩が痛かった。でもまだ自分がどれ位のペースで歩けるのか正確には把握していなかったのでゆっくりせずに30分ほど休んで歩き始める。ガイドブックに初日は無理せず歩行距離が15kmほどの所、6番安楽寺の宿坊がお薦めと書いてあったので前日に予約を入れてある。のでそこまではなんとか日暮れ前にたどり着かねばならない。高速の下をくぐると山の方に向って舗装されていない道に入った。

こんな感じ↓
Image112.jpg

そしてこんなの水溜りが↓
Image111.jpg

↑僕は生物科出身だから何かの本で見たことがる。これは恐らくイノシシが泥浴びをした跡だ。イノシシは身体に着いたダニとかを落とすために定期的に泥浴びと言って泥を体中に浴びるのだ。ま、イノシシなんて珍しくもないと知識では知っているものの生で野生のイノシシなんかとご対面したことはない。ま、夜行性だから昼間に会うなんてことはまずないだろうな、と冷静に写真を撮って歩き続ける。

また暫く行くと車道に出た。結構登り坂になっている。もう近いのだろうが、なにぶん初日ということもあってものすごく長く歩いているし、なかなかたどり着かないように思えていた。この時点ではまだ10kmも歩いていないのに予想外に疲労している。現代人はホントに歩くことに慣れていないのだな、と思い知らされた。

ようやく大日寺に到着↓
Image113.jpg

地図で見て山寺みたいなのを想像していたのだけど、そうでもない感じで拍子抜け。はじめて誰もお遍路が居ない境内でゆっくり納経を済ませた。山門から出て駐車場の隅で自販機で買った飲み物を座って飲んでいると、車が一台砂利の駐車場に入ってきて地元の人と思われる60過ぎの夫婦がまっすぐに山門を入って行った。


真夏の日照りと坂道で喉がカラカラに乾いていた。



つづく 
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発心の阿波 1日目-2(2009.06.11)

1番霊山寺から2番の極楽寺へは県道12号線を通って1.4kmの道のりだ。

8月20日。

この県道は交通量が意外と多く、初っ端に人の目という試練に合うことになる。今では農家だって菅笠なんて被っちゃいないのだ。それに全身白装束、手には杖、背には大きなザック。日本中、いや世界中探したってこんな異様なカッコしてるのはお遍路しかいないだろう。

私は1番で変身を遂げ、いきなり県道に出て2番の極楽寺に向う中で考えていた。お遍路という役を演じるみたいなもんじゃないだろうか、と。いきなり仰々しい、まるで時代劇の登場人物みたいな姿に変身した自分に多分言い聞かせていたんだと思う。

菅笠で視線を隠すように目深に被り1.4km、時間にして20分程の距離を長く感じながら歩いていた。8月中旬、薄曇りではあったが、真夏の暑い日であった。半分ほども歩いただろうか。喉が渇いて何か飲み物が欲しいと思っていた。そこに丁度右側にサンクスが現れた。

はじめてお遍路のカッコで入るコンビニ。少しだけ店員の目が気になったが、向うはまるで気にしちゃいない。お茶だけ買った。この時はお遍路のカッコそのまんまで入って行った。でも何日目だったか、暫くしてからは杖とザックと菅笠は外に置いて置くようにした。自分にとっても邪魔なのだ。

看板こそ違うが、つい1ヶ月半前までは同じ業界に居て、スーツ姿で、ロゴの入った車に乗ってお店を巡回していたのだ。今はなんかとても自由だ・・・・・でもお店の品揃えとか駐車場の落ちてるゴミが目に付いてしまう。そんなことを考えていたらちょとおかしくなって、忘れよう、と思った。

そこから2番札所、極楽寺まではすぐだった。

ようやく2番目ですか↓
Image109.jpg

極楽寺は1番霊山寺と全く違った印象で、色が鮮やかだった。写真で見ても分かるように1番みたいな木の色そのままじゃない。2番目からは納経全部を自分でやらなくちゃならない。コピーしていった納経の手順をコッソリ見ながら巡拝してみる。1番で先に発ったバイクお遍路がウロウロしている。彼だって戸惑っているのだ。

その他の事はよく覚えていない。確かここの門前のお遍路用品店に入りおばちゃんから、この先お昼を食べる所がないから、と言われて少し割高のおいなりさんを買って店内のベンチで少し休んだことだけ覚えている。ビジュアルな記憶もそこらへんは残っている。

3番札所金泉寺までは2.6km、30分の道のり。県道裏道の田んぼの中を通って行ったようだ。これも残念ながら記憶が断片的にしかない。ただ、金泉寺に着く直前に自転車のお遍路二人組みが止まって地図を見ていた。そこに私が通りかかって「こんにちわ」と声を掛けたらその20歳前後の二人の内一人がにこやかな笑顔で「こんにちわ」と返してくれた。

そこから数百メートル歩き遍路の道は田んぼのあぜ道の中を進んだ。そしてすぐに3番金泉寺に到着し、あたふたと納経の準備をしていると例の二人組みが到着した。にかやかな方の子に「どうしてそんなに早いんですか?」と聞かれた。歩き遍路の道はショートカットしてたみただ、とたわいないやり取りに加え出身などを聞いてみる。

3番札所金泉寺↓
Image110.jpg

彼らは大阪の学生で、夏休みを利用して通しで88ヶ所をまわる予定らしい。そして四国まで自転車で来たのだという。だからクタクタです、と。そうかそうか、ま、ゆっくり行こうよ。なんて言いながら納経を先に済ませてお先に、と出発する。4番札所大日寺までは5km。はじめての山にある札所だ。

残念ながらその後二度とこの二人の大阪の男子学生に会えなかった。無事に結願したんだろうね。


うーん、考えてたより覚えてること多いな。



つづく 
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もう一つのお遍路日記 0日目(2009.06.01)

ではいよいよ出発しましょうか。

2008年8月19日(火)。朝8時36分の電車に乗り、

東金⇒(東金線・外房線直通)⇒蘇我⇒(京葉線)⇒東京⇒(新幹線のぞみ21号博多行き)⇒岡山⇒(マリンライナー37号高松行き)⇒高松⇒(うずしお15号徳島行き)⇒徳島

徳島到着は16時19分。大きなザックを背負っての遠征だったが今後の期待と憧れの地を踏んだことへの満足感のためか不思議と疲れはなかった。そして徳島駅を降りた。

徳島駅。
徳島駅.JPG

↑思った以上に立派な駅だ。さすがに阿波踊りで有名なだけはある。因みにこれは私が撮影した写真ではない。この時点で私はまだブロガーではなく、友人宛に「お遍路通信」というメールで遍路のレポートをするなんて企画をしていたが、そんな試みも初めてのことで写真を撮影することに慣れていなかったのだ。

お遍路で撮影に使ったのは全て携帯の写メ。しかも最小サイズで撮影したのであんまり画質は良くない。今となっては悔やまれるところだが少しでも荷物を軽くしたかったし、まだ写真にそれほど価値を見出していなかったのだ。

この日は徳島駅すぐ近くの、
徳島駅地図.JPG
↑徳島駅前第一ホテルに宿泊。

天気は良かったので阿波踊り会館とかに散歩に行けば良かったのだろうが、チェックインして荷物を置いたらやはり少し疲れていた。それについに来てしまったという変な興奮があった。そして何より明日から本当にお遍路できるのかいな、というわずかな不安があった。ので外出をせず近くのコンビニで弁当と第三のビールを買ってきて夕食とした。ホテルのテレビでは地元徳島のケーブルテレビでつい先日終わったばかりの阿波踊りのビデオがずっと流れていた。


それを見ながらほろ酔い加減で就寝。意外にもぐっすり眠れたのだった。結局撮影した写真は0枚。
阿波踊り.JPG


また行きたいな 
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もう一つのお遍路日記7 準備編(2009.05.30)

もう一回だけ準備編やっときます。ホントこれが最後。

先日私が最も重要と考えている菅笠について詳しく書いて終わりにしようと思ったんですが、他の装備についてもさらっと注意点を触れておこう。

まず、金剛杖↓
金剛杖.jpg

これは二種類、般若心経が書いてるものと書いてないもの。前者の方が高くて後者はネットで買うと大体630円位みたいだ。私は信仰心が薄いので廉価の方を選んだ。それと持ち手部分のカバーが315円か。私は1番の門前の店で購入したらカバーとセットで1000円ポッキリだったと思う。でもそのカバーがちょっとチャチで袋が薄くて中にダンボールが入ってるヤツで、雨降りの時に徐々にボロボロになって外のカバーだけにした。また、結んでいる紐も切れてしまって輪ゴムで補強していた。カバーだけ別のヤツを買った方がいいかも。

この金剛杖、私は結願までに10cm程短くなった。3歩に一回のペースでついてたのですれて短くなったのだ。金剛杖をほとんどつかないで歩く人も割りと多いけど、うまく使うと特に登りなんかは足への負担がかなり軽減される。この杖はうまくつかないと節くれて先が広がってしまうので、私は地面と接触するときにヒネリを加えて綺麗に減るようにした。私が出合った遍路で最も金剛杖が磨り減っていたのは、この前紹介した千葉の大学生野宿遍路で、愛媛辺りで30cm以上磨り減ってチャップリンみたいな妙な姿だった。彼は金剛杖を引きずりながら歩いていたので尋常じゃない減り方をしたのだった。

うん、思ったよりさらっと進まないな。ま、いつも通り気付かなかったことにしよう。

はい次は白衣(びゃくえ)。
白衣.jpg

白装束ではない。あのパナウェーブ研究所とも関係がない。もちろんこれを着てもスカラー波は防げないぞ。スカラー波を防ぐならこれくらいやらないとダメだ。ま、白衣は袖付きとなしがあるのでお好みで。私は真夏だったのでTシャツの上に袖なしの白衣、半衣(はんえ)を着ていた。無地のものと南無大師遍照金剛と書いてあるものがある。私は勿論書いてある方を選んだが、毎日洗濯していたので今ではほとんど文字が見えない。

えーと、お次は輪袈裟ね。
輪袈裟.JPG

これは高いのもあるけど違いがよく分かりません。ま、お好みで。色もたくさんあるのでお好きなので良いでしょう。私は紫色を選んだ。これは巡拝寺に着いたら山門前で身に付ければ良い、というのを随分後の方まで知らずに居たので汗の影響で白衣に紫色が移ってしまった。これは法具なのでトイレに行く時は外すこと。

次は納札。
納札.jpg

ノウサツではない。おさめふだ。知ってる人も多いだろうけど、これは何回廻ったかによって色を変える。但し自己申告制なので購入できないことはない。でも明らかに何にも知らないのに金色とか持ってたらバレバレだ。お遍路に来てまでそんな見栄を張るのはよそーぜ。4回目までは白ね。必要なのは88寺×2枚(本堂と大師堂)が最低枚数。それ以外の用途として、この札はお接待を受けた時にお礼に渡すのと、お遍路同士の名刺交換みたいにしても使われる。私は百枚入りを二回購入した。

次は納経帳。
納経帳1.jpg

これは歩き遍路なら最小サイズを選択すれば良いでしょう。多分↑が最小だと思う。サイズがでかいヤツもあるし、これ以外にバインダーとか掛け軸用とかあるけど歩き遍路でそんなの持ってる人は滅多にいない。私は一人だけ女性で見ただけだ。あ、この納経帳には寺ごとに納経の証として黒書・ご朱印をいただくのだが、300円の納経代がかかる。つまり88寺分で26400円也。結構かかります。中にはこの納経をスタンプラリーだと言ってやらない人も居るらしいけど少なくとも一回目くらいは記念にやっといたらいんじゃないでしょうかね。歩き遍路だけでなく年間30万人の遍路が納経すると・・・・・≒1億円。巡礼寺は立派な訳だ。

因みに地元の人から聞いたんだけど、遍路での四県目、香川に入ったら納経帳に気をつけねばならないとのこと。最近ではネットオークションにこれが出品されているらしく、勿論高価で取り引きされているようだ。実費で考えても納経代2万円以上が無駄になるのだからゴール間近になった納経帳は欲しい人から見たら宝だ、ということを心に刻んで用心しよう。今ちらとヤフー見たら↓が最低価格59000円で出品されてた。
納経帳.JPG
自分で遍路したらこんなのオークションとか出さないと思うけどねぇ。

次、経本。
経本.jpg

ろうそく・線香セット。


これらは安いやつでいいでしょう。ろうそく線香セットは下の写真のヤツいいですね。これ結構入れ物がないと線香もローソクも折れるから無駄になっちゃうんですよ。中身はこれじゃ足りないので買い換えることになります。因みに線香は88寺×2箇所×3本=528本ってそんな大量だったのか。確かに何度も購入したからね。ローソクは×1本なので176本と。

最後にこれらの納経道具を一まとめにしまえる袋や入れ物。
さんや袋.JPG

↑こんなのいらんでしょ。歩き遍路で持ってる人はあんまり居ない。邪魔だからね。逆に歩き以外の遍路はみんな持っていた。でもねぇザックにしまうのが困難なサイズでしょ。私はウェストバッグを使ってたけど寺に着いてから一々出すのが面倒にならないようにザックのポケットに収まるサイズにした。歩き遍路の多くがレジ袋に入れてたようだったけどね。いずれにしても肩から下げて歩くのは邪魔だよこんなの。

参拝の作法についてはこの前も紹介した、お遍路のススメが簡潔なのでご参考に。

そういや、パナウェーブの話に戻るんだけど。私は1年前まで福井県に居たからパナさんの本拠地の日本海そばの山奥を訪れ何度か彼らを目撃した。(それが目的じゃなかったけどね)なんか本当に白装束の完全防備で歩いてたけど山奥の小川が流れるすぐ近くののんびりした環境に住んでてなんだかちょっと羨ましかったな。

でも噂によると彼らが有名になり、福井にも移動してもう何年も経つため、いつしか白装束はアイボリーに変色し、今では栄枯盛衰の哀愁をその背中にたたえているんだとか・・・・・


そうそう、ついでにパナ研と言えば、「UFOと宇宙人は存在している 」と主張していることでも有名だ。でも、UFOと言ったらやはり この方達(←音注意!)でしょ。韮崎さんいい味出してんなぁ。ヒュンヒュンヒュンヒュン・・・・



疲れている人は狙われますよ! 
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発心の阿波 1日目(2009.06.05)

少し間があいてしまいましたが、ようやくお遍路スタートですよ。

2008年8月20日(水)。

朝8時44分の高徳線高松行に乗り、徳島⇒板東へ向う。本当はもっと早い時間に出発しようと思ったのだが慣れぬ準備と多少の気後れのためか、で30分前の電車は見送った。徳島から高松へと向う普通列車はワンマン運転で2両編成(だったかな)。無人駅が多いためか車掌が切符の管理を行っている。

徳島から乗ったのは地元の高校生が20人くらい。みんな大きいザックを背負っている人は見慣れているのか別に注目もされない。つーか、君ら学校ギリギリやろ。彼らはぎゃあぎゃあ言いながら私の降りる手前の駅で降りて行った。

そして9時3分。1番札所霊山寺に最も近い板東駅に到着。降りたのは私とおばあちゃん一人。だが駅構内の待合所に一人大きめの荷物を持ったおじさんが居た。今思えば彼は多分結願した後だったのだろう。そして私はまだお遍路用の地図すら持っていなかったので標識や看板などを見ながらなんとか歩いて行く。

小さいポケットガイドブック「四国お遍路バックパッキング 」という本を持ってきたのだがこれには細かい地図は載っていないのだ。でもこの本小さいし、宿泊所の料金・電話番号と遍路道の近くの名所とかも載っているので薦めです。最後まで手放しませんでしたから。

霊山寺到着間近のストレートウェイ↓
Image106.jpg

↑これがお遍路はじめての写真です。思えばこのブログを含めてここから人に何かを伝えるということの全てが始まったのでした。そう考えると重みのある写真ですね。

取りあえず山門に着いたので右手にある、お遍路用品店「門前一番街」へと歩いて行く。私は何かの本で見てここで買おうと決めていたのだ。でも霊山寺内でも販売していたようだったが・・・・。ここは一番目と言うこともありかなり繁盛している。価格はここが一番高いのだそうだ。因みにお遍路用品はここから10番辺りまでの間にたくさんお店があるので徐々に揃えて行けば良い。始めに必要なのは納経帳や線香など納経するのに最低限必要なものだけだ。少しでも安く済ませたいなら服装などは徐々に買ったほうが良いみたいだ。因みに10番札所前の遍路用品店が最も安いそうだ。

取りあえず必要なものを全部購入すると確か1万7千円位になった。店内のベンチで着替えを済ませていよいよ一番札所の霊山寺内に入って行く。門前街で購入する納経帳には1番霊山寺の納経が済ませてある。つまり納経代はサービスと言う訳だ。お陰で2番目であたふたすることになるんだが。なので線香とローソクと納札だけで納経を済ませる。はじめてのことなので順番とかよくわからずガイドブックを真似て一通りテキトーに済ます。

この日は境内に参拝客は少なく、歩き遍路らしいのは私以外に二人くらいで、一人は門前街でも見た若い女性ともう一人は退職しているようなお歳のおじさん。そしてバイク遍路が一人。自転車の40位のおっちゃんが一人と、そんな感じ。後で聞いたのだが真夏のこの時期は歩き遍路をする人が少なく、遍路の閑期なのだそうだ。

で、山門に出てきてようやく記念に一枚写真を撮る。
Image108.jpg
↑折角なので以前とは違う写真を。

さっきの店でようやく地図を手に入れた。この地図は歩き遍路は絶対に必要な地図で、遍路道保存協会という所が出版している、「四国遍路ひとり歩き同行二人」解説編と地図編があるが、取りあえず地図編は絶対に必要。解説編は私は遍路が終わってから購入した。荷物になるからね。この遍路道保存協会というのは、遍路道の整備や遍路の道しるべ

こんなの↓
遍路の道しるべ.JPG

とか、こんなの↓
Image1112.jpg
(結願後お礼参りで撮った写真)
を歩き遍路が迷わないようにと整備してくださっている方達だ。特に歩き遍路はこの協会には足を向けて寝られない程お世話になる。あのステッカー一枚があることがどれだけ心強いか。やってみた人じゃないとこれは絶対に想像できない。

また、これにもかなりお世話になった↓
Image1115.jpg
(結願後お礼参りで撮った写真)

↑これは国か県か不明だけど交通省が整備してるみたい。



つづく 
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もう一つのお遍路日記6 準備編(2009.05.27)

さ、今日はきっと真面目にお遍路の準備について書きます。

お遍路がお遍路たらしめる装備、当たり前だがそれはお遍路用品だ。しかしこのお遍路独特の非日常的な装備はお遍路であることを外に主張するための装備というだけではない。実は内向きの、つまり自分に対する決意、自分は「お遍路」としてこれからお四国を歩くのだ、という決心を体言するような役割としても重要である。

はっきり言って普段着のままお遍路の装備を一切身に着けないまま四国を歩いても(たまに居る)ただの「おっきい荷物を背負って歩いている変態歩行マニア」である。うん、変態は余計だった。本人の決意がどうあれ外見はホームレスと大差はない。なにより歩き遍路として最も貴重な体験である、「お接待」というお四国特有の文化に触れる機会が減ってしまう。それはもったいないことだ。

「お接待」は言うまでもなく空海さんが残してくれた大切な心の文化だ。歩き遍路として自己研鑽している人は四国の方達にとって、自分の代わりに功徳を積んでくれている、というようにとらえられているのだ。従ってお遍路らしいカッコをしていないと、お接待の心を持ったお四国の方々をも悩ませてしまうことになる。

うん、相変わらず前置きが長いな。
ではお遍路の装備について、これは正直に言うとお遍路に関する全てのサイトで扱っているので一般的なことは余り触れないでおく。私がお薦めするのは「お遍路のススメ」という超有名サイトです。装備の参考価格も記載されています。

ま、私はこれら全てが必要であるとは思いません。私は完璧より最低限必要なものを買うというコンセプトでした。一応私が必要と思うものをリンク先のページに沿って列挙しておきますと、菅笠・金剛杖・白衣・輪袈裟・納札・納経帳・経本・ろうそく線香セット、それにこれらの納経道具を一まとめにしまえる袋や入れ物、となります。数珠とかは信仰の有無によるでしょう。私は宗教的な観念をもって遍路をした訳ではないので買いませんでした。

あ、因みに現代のお遍路は日本独特のいわば無信教と言われる人が殆どです。従って一応仏教徒であるにも関わらずお遍路に来て初めて般若心経を唱えたという人も少なくありませんでした。(私もそうでした)むしろ敬虔な真言宗で、という人の方がずっと珍しいのではないでしょうか。また本職のお坊さんが修行として遍路をされている姿にも滅多にお会いできませんでした。

先にあげた装備の中で私が歩き遍路ならこだわった方が良いと思われる装備は一つだけです。それ以外の装備については私はお好みで良いと言うスタンスだと思ってください。次回以降触れるかも知れませんしスルーかも知れません。

その装備とは、菅笠です。これは多くの歩き遍路が一度は故障などのトラブルに見舞われるのではないかと思います。私が出合った外人遍路も1週間で壊れて捨てたと言ってました。菅笠の役割は日差しと雨対策という二つの機能に加え、遠くから見てもお遍路らしい独特のシルエットを作り出す効果があると思います。因みにお遍路の用品店で売られているものには全て雨用のキャップがついているようですので別で購入する必要はありません。

それと巡拝用帽子というのも販売されていますがこれはあんまり雨対策にはなりませんし、お遍路らしくないという点から、私はお薦めしません。このような帽子姿は女性の歩き遍路と歩き以外の遍路では割と多く見ましたが。

選択のポイントは、1.サイズ(大・小) 2.台座(頭を乗せる部分) 3.顎紐 ぐらいです。材質や柿渋などの塗装を施したものもありますがとんでもなく高価なので自分は絶対3回以上お遍路する、という悲壮な決意がない限り必要ないでしょう。1.サイズについては大が47cm位、小が38cm位のようです。私は「絶対焼かない」を目標にしていたので迷わず「大」を選択しました。ま、強力な日焼け止めを塗っていたので小でも良かったかな、と後で思いましたが。

但し、初めの頃はお遍路姿で歩くことに慣れておらず国道を歩くのが少なからず恥ずかしいので、私の場合は人からの目隠し的な役割を担ってくれました。でも3日も経てば恥ずかしさは無くなります。整理すると、大のメリットは、「日焼け予防と目線隠し」ですかね。逆にデメリットは「風に煽られやすい・脱いでザックに結びつけて歩く時に少し邪魔」ということです。値段も大の方が高いです。私の場合、山道では必ず菅笠を脱いでいました。思わぬ時に枝とかにぶつかってしまうからです。ということは小サイズの方が良いですかね。

2.の台座について。これが最も重要なポイントです。私は最も廉価な菅笠を選択したため台座がチープなものでした。台座がチープというより台座と傘を留めている部分が紐でできているので劣化が早いのです。

↓私のヤツ
台座.JPG

↑黒枠の部分が繋ぎとめている紐。早い人だと1週間ではずれて台座が分離してしまう。ワンランク上のはココが針金でできているので壊れにくいのだ。それと台座そのものがないヤツもある。私の考えではこの台座は不要だと思う。これがあるために風で煽られてグラグラして壊れやすいのだ。

だから↑の写真の赤枠の部分のように私は台座の根元に縛るように改良した。はじめは青い紐が結んである台座の下の部分に結んであったのだ。このように改良してから風で煽られてグラグラすることもなくなった。のでお薦め。

3.の顎紐の良し悪しについて。私のヤツは最廉価版のためか高いものと比べて安っぽい紐だった。この紐は実は元々菅笠についていたものではなく(元からのは上の写真の青い紐)購入した店で付けてくれたものだ。そして紐質ばかりか紐を台座に縛る結び付け方も違っていた。上位機種は顎紐が二本になるようになっていたのだ。だから切れにくいようだった。私のものは一本なので2週間程で切れて短くなってしまった。

私の考えでは顎紐は店でつけてもらうヤツではなく、自分で持っていった方が良いと思う。それも紐ではなく、ジャージのウェストに入れるようなゴム紐が良いと思う。木綿の普通の紐だと風対策で結構きつく縛るので首が痛くなるのだ。そしてできるだけ太いゴム紐の方が首への圧力が軽減されるだろう。

ということで、私が今から歩き遍路に出るとすれば多分このリンク先のようなタイプの菅笠を買うと思う。そして顎紐用に太めのゴム紐を持って行くでしょう。多分こんなの

因みにお遍路用品の全てを私は1番霊山寺の山門右にある店で購入した。お遍路用品店は他にも何箇所かの寺や門前などにあるが、他所で聞いたら1番の門前は高いと言っていた。ほぼ独占状態だからだという。でもネットにある店は物によっては比較的ランクが高い上質なものしか出品されていないので注意が必要です。菅笠も私が購入した廉価版は何処見てもないですね。他の装備についてはそうでもないようですが。ただ、現地で調達すると欲しいようなものが買えないという事もありますので重要アイテム(私は菅笠だけですが)はネットで購入しておくべきでしょうか。

ま、お四国では必ずお接待でお世話になるのでちょっと高い買い物させられたくらいのことで腹を立てず、四国の人にお賽銭を差し上げるような寛容な気持ちで居たいものですね。


菅笠だけでこのボリューム・・・・


ボリューミーってか? 
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もう一つのお遍路日記5 準備編(ネタ) (2009.05.26)

えーと。まだ準備が続くんだわ、これが。

でも多分準備編は今回でおしまい(予定)。そこで今回はお遍路に行こうと思う人なら誰もが最も気になるであろう装備についてです。そう、それは、ズバリ、ジャンピングシューズ、その名は泣く子も黙る、スーパーピョンピョンだ。

「えー、それでは1番霊山寺に着きましたら、まず山門前のベンチに腰をかけます。はじめに白衣をまとい、次に頭に菅笠を被り、手に金剛杖を持ったら、最後に足にはこのスーパーピョンピョンを取り付けてくださいね、と・・・・うん、バッチリ!」 

 って、なにが?


因みにこんなピョンピョンもある↓
ぱわーらいざー.JPG
↑なんと2mも跳べるそうだ。

でもこのリンクの写真、お父さん、めっちゃ必死に跳んでるけど、お母さんは大爆笑、そして子供達は苦笑い・・・・。ちょっと冷めた微妙な家族関係が伝わってきてホロっとするな。(お父さん頑張れっ)


くだらんネタを考えたらタイムリミット。ちゃんとした準備編を急遽変更して「ネタ編」にしちゃいました。真面目な読者の方(居るのか?って失礼か)、申し訳ありません。



ちょっと逝ってキマース 
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もう一つのお遍路日記4 準備編(2009.05.23)

今日もまだお遍路出られませんよ。準備です、準備。

1200km以上も自らの足で歩く遍路として最も重要な装備、そうそれは靴だ。歩き遍路に出ると言って革靴やヒールを選択できる人は間違いなく笑いのセンスがある人だ。そんな自虐的な人にはスーツにアルミ製のアタッシュケースも忘れないで欲しい。でも私なら峠でそんなヤツにはできればお会いしたくないものです。

それはさておきサンダルを履いている歩き遍路は実在した。その男は神戸から来ていた大学生。3日目の12番焼山寺で始めて会い、それから7日目の23番薬王寺辺りまではよく出合った。彼は山道用にトレッキングシューズをぶら下げており、普通の道ではクロックスを履いていた。いつも履いているから履きやすいのだそうだ。もちろん私はお薦めしない。

あの手のゴム靴はとってもマメができやすそうだ。歩き遍路の悩みの種と言えば足にマメができること。私の場合、事前に週末登山(千M級)を8週連続で強行したのでマメなんてできるようなヒヨッコじゃないゼ、と自信を持っていた。実際初めの一週間位はマメができなかった。だから他の人が悩んでいたのを横目に、マメなんかできるのは運動不足の(中川)翔子、じゃなかった証拠、とうぬぼれていたら8日目に神様からしっかり反省せよとの啓示で立派なのを頂いた。

中には全くマメができない人も居るらしい(どこぞの本で見た)けど、私が会った歩き遍路は100%マメで悩まされていた。私がマメで悩まされなくなったのは20日目以降のこと。平均してそんなものみたいだ。従って一週間程度の区切りを繰り返す場合、行く度にマメには悩まされることになるでしょうね。

そこでマメ対策に触れておこう。遍路小屋で地元のおっちゃんたちから聞いたマメの予防は、オリーブオイルをたっぷり塗りたくってから靴下を履くことだそうだ。うん、マメはできないかも知れないけどお友達もできなくなりそうだ。

私のお薦めは、1.マメができたら、又はできそうになったら、可能な限り早めに歩くのを止めて靴下を脱ぐ。2.既にマメができていたらまず絆創膏を貼り、その上からテーピングを巻きつけるか、巻けない箇所であれば剥がれないように大きめに貼る。要はマメができた(できそうな)箇所を絆創膏やテーピングで覆ってしまえば良いのだ。とりあえずその応急措置をした上で、マメができてしまった場合には宿泊場所などに行ってからゆっくり針や爪切りなどでマメの水抜きをしてやれば良い。勿論翌日はテーピングを貼ってからスタートだ。

この対策は貼った直後から痛みが無くなるし、何度も繰り返しやっている内に表皮が厚くなりマメができなくなる。それにマメができそうな所にあらかじめテーピングを貼っておけば予防にもなるのだ。これさえ覚えておけばマメなんてもう怖くないもんね。

だが、更に上を行く究極の足マメ対策がある。そもそも足を使わうから足にマメができるのだ。そう、それは禁断の逆立ち。弱点はもしかしたら友達ができなくなるかも知れないこと。でも足に不快感を感じることなく歩けるのだからそれくらいは我慢しよう。でもそんな歩き遍路が険しい山道に現れたらみんなギョッとするだろう。きっとリングの貞子みたいな姿(←音注意!ある意味本物より怖い・・・・ガクガク)だろうな。また薄暗い峠道なんかだと心臓の弱いお年寄りなんかはその時期が早まってしまうかも知れない。

えーと、靴の話だった。神戸の学生は変人だとして、普通の人が迷うのは登山やトレッキング用の靴にするか、ハイキングウォーキングやジョギング用の靴にするか、という選択だと思う。遍路道は峠や山道が多いと聞かされているとガッチリした登山靴を買ってしまいそうだが私はお薦めしない。確かに遍路道は峠や山道は多い、しかしそれは車などの手段と比べての話だ。今のご時勢、遍路道全体から言えば圧倒的にアスファルトの道の割合が多いのだ。

それに山道でも登山靴を履かなくてはならない程道が整備されていない所はほとんどない。そう考えれば間違いなくウォーキングやジョギングシューズという選択になります。私はアディダスのランニングシューズを選択した。ランニングシューズが最もクッションが効いていて足全体への負担が軽減されると考えたからだ。メーカーは好みで良いでしょう。履きなれた靴を薦める人も多いようですが、上記の通りマメ対策はバッチリなのでお好みで。


因みに逆打ち(さかうち)ってご存知だろうか。そは88番から1番まで逆に廻ること。功徳が3倍になるそうだ。ならば逆立ちで逆打ちしたら功徳は一体何倍に?


そんなフザけたヤツはきっと1/3だな。 
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発心の阿波 5日目-6

お遍路5日目。19番立江寺から本日の宿泊地、勝浦町にある民宿金子やさんを目指していた。

冷静と情熱の間、 じゃなかった。飢えと渇きの限界により、あの世とこの世の臨界点を逝ったり来たりしていた時にちびまる子の友蔵じーさんに似ている神様が現れスイカを接待してくださった。

友蔵じーさん↓
友蔵.JPG

そうして何か世間話みたいなものをしたようだが、さっぱり覚えていない。ただひたすら友蔵似のこのじーちゃんのにこやかな顔を眺めていた。

自分もこんなじーさんになれるだろうか・・・・・

30分程休ませて頂き薄暗い小さい工場から外に出ると太陽が激しく刺さる。ようやく引いた汗が瞬間に出てくる。実に暑い。日射しというのはこんなに暑いものか。ともかく優しい人に逢ってまた元気に歩き始める。

車道沿いの遍路道はすぐに突き当たり左に曲がる。そのT字路にコンビニがあった。たった1kmしか歩いていないがまた喉が渇いていた。そして、昼食にたつえもちしか食べてなかったので猛烈に空腹を感じていた。もう午後の2時を過ぎていた。

迷わずコンビニに吸い込まれた。金子やさんまでは後4km程しかないので、飲み物と遠慮気味に菓子パンを一個購入した。ベンチがないので駐車場の隅の方の車止めの縁石に腰掛ける。

座って休んでいると、地元のヤンキーが改造した50ccのバイクでけたたましい音と共に登場。申し訳なさそうにこちらをチラッと見て店に入って行く。髪型や服装は派手だが高校生くらいの純朴な顔をしている。

多分この地域の子供だから小さい頃からお遍路さんがどういうものか、何故お接待するのかということを周りの大人達から教わっているのだろう。だから大きな音を出している自分が申し訳なく感じた、私はそう解釈してやるせなさを感じた。


子供が何故グレるのか?

子供に劣等感を与えるとその反作用として子供は親や世間に過度に反抗するようになる。家庭では間違いなく親が子供と同レベルで喧嘩をし、親という立場を利用して子供に根拠のない劣等感を与えてねじ伏せている。

その親だってきっと自分の親からそうやって劣等感を植えつけられたから自分の子供を負かしてまで優位に立とうとするのだ。こうしてアダルトチャイルドの連鎖は繰り返されていく。

実に私の家庭も同様だった。だから兄妹は実家にあまり近寄ろうとしない。私自身も本心では近寄りたくない。だが私は二十歳前に進学で実家を出る時に心に誓った。これからは自分自身で自分を育てる。生まれ変わるんだと。それは家庭で受けた悪影響をしっかり認識していたからだ。

思春期に私は親から精神的にも肉体的にも虐待を受けた。特に中学から高校までのおよそ6年間は自宅に軟禁状態にされた。ともかく勉強しろ、というのだ。今思えば親は自分の学問に対する劣等感を子供で晴らそうとしていたに過ぎない。

お陰で高校は地元の有名進学校に入ったが、理論的に物事を考えるようになっていたため、勉強しろと根拠無く言われる度に勉強が嫌いになり1年で落ちこぼれと言われるようになった。

高校の担任もまた教育に劣等感を持った嫌なヤツで、私は何処へも行き場所がなかった。因みにその教師の子供は当時は珍しいヒキコモリだったと聞いた。

はじめは自分の生まれた環境を恨んだりもしたが、そんなことをしても意味はないとその内に悟っていた。愚かな親から受けた悪影響を保持したまま一生を無駄に過ごすなんてゴメンだ。このまま生きていけば自分も親と同様の劣等感人間でまともな人間には育たないはずだと確信したのだ。

そしてなんとかギリギリ進学という形で親から逃れ、そこから自らの歪んだ精神と過去に受けたトラウマやら劣等感やらを浄化する自己教育が始まった。思えばこの頃に熱心に読んだ畑正憲氏の著書のある言葉から自分の生き方の方針が決まったのだった。それは、

「絶対に頑張らない!」

ということだ。頑張るというのは自分の心に無理を強いる行為であり、無理を強いた分だけ自分を追い詰め、精神が歪んでしまう。多分普通の人は意味がわからないでしょうね。

例えばヒキコモリの子供へ「頑張れ」という言葉は禁句なのだ。ヒキコモリの子供は自分で自分を追い詰めてしまうのでそれに拍車をかけてしまう。後に臨床心理士の書いた著書にそう書いてあった。

人間は嫌いなことをやる時には頑張らなくてはならない。だったら全ての事に興味を持ち、嫌いでなくなれば、全てに頑張る必要がないではないか。だから頑張らなくていい。頑張るという言葉は物事を嫌いになるということと同義だ。


ま、そんな訳でこんな肩の力を抜いたユルイ人格が形成されてきた?のだろう。因みに、今二人とも退職し還暦を過ぎた現在も、うちの親は2、3ヶ月に最低でも一度は殴ったり殴られたりの暴力的な喧嘩をしてその度に離婚だのなんだのという騒動を繰り返している。

私がこんなクダラナイゆるいブログを書いているこの環境の傍らで・・・・・




人間の進歩とは 
つづく

もう一つのお遍路日記3 準備編(2009.05.18)

このペースだとなかなかお遍路に出られないな。

ま、でも準備は大切だ。お金も掛かることだし。じゃ次は雨対策行ってみよう。雨と言えばレインコート。和名ではカッパか。私は何でもいいんじゃないか、と思ったんだが遍路に行く前に研修に行った農業法人の社員がゴアテックスじゃないとすぐ破れるというようなことを言ってたのでなんとなくゴアテックスを基準に考えてたが結局よくわからんのでお遍路さんモデルというのをたまたま見つけたので高いけどそれを買ってみた。

今思えばお遍路仕様というのは白っぽい色だからというだけなのだ。なのでゴアテックス素材を使っている最も安い物を買えば良いでしょう。そうは言ってもたかが1ヶ月ちょっとのことなので高いのじゃなくて1万円以内のもので充分だと思います。

あ、書き忘れたけどレインコートのタイプはお遍路向きとしてズボンと上着が分かれているセパレートタイプとポンチョタイプがある。私が使用したのはセパレートタイプだった。ポンチョタイプを薦める人も多し実際ザックの上から羽織ってしまえるのでザックカバーも兼ねているので便利と言えそうだ。でも土砂降り、横殴りの雨では足元が絶対に濡れてしまうと思うので私はお薦めしない。お遍路は峠道や未舗装の道をよく歩くので雨が降っていなくても下草の露でズボンが濡れてしまうことがよくあるのだ。

ポンチョ以外のレインコートを選択する方はザックのレインカバーも必要です。でもたかがカバーのくせしてこれが意外と高い。選ぶポイントは色と容量に合わせたサイズのみ。

雨対策は小雨程度なら頭に被る菅笠で充分です。遍路用に販売されている菅笠にはレインキャップが付いているので雨でも安心です。ただし、私は大雨の時にはレインコートのフードをかぶり菅笠はリュックに縛り付けていました。ザックのカバーは上から被せるだけのものなので、レインコートとザックの間から水漏れする可能性もあります。また、夏場は汗が浸みてザックの中が濡れてしまいます。この対策として私はザックの中に入れる荷物を全て洋服屋で貰えるようなしっかりしたビニール製の袋に入れてました。つまり荷物を一度ビニール袋に入れ、それを丸々ザックに入れていたのです。

雨対策の最後は靴の対策です。靴にも上から被せるスパッツみたいなのがありますが私はこれがどれだけ効果があるのか疑問、というか信じられなかったので購入しませんでした。結構な値段です。多分大雨で水溜りの中を歩くというシーンではこんなもの全く役に立たないでしょう。

少し位の雨なら、お遍路に出る前にレインガードをしっかり靴に染み込ませておけば全く問題ありません。むしろ濡れた後に翌日までにどういう対策をとるかの方が重要です。私は民宿派でしたので宿の人が教えてくれましたが、びしょ濡れの靴に新聞紙を丸めて詰めるだけ詰めて2-3時間で一度新聞紙を交換します。1度だけ新聞紙を交換すれば朝までには乾いた状態の靴に戻っています。

そう言えば結願の日は雨でした・・・・・
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↑結願の2時間前。お遍路交流サロンにて

雨対策はそんなとこですかね。私は雨の中を歩くのは好きでした。カッパを着て雨の中歩くって経験は幼稚園以来だったのでとても貴重な記憶を思い出させてくれた素晴しい経験となりました。ま、台風とかなら思い切ってお遍路も休みにするってのもたまにはいいですよ。歩くのが義務みたいになっちゃったらつまらないですよ、折角のお遍路なんですから。



そういや最近あんまフザけてないんで、折角だから当時の気持ちをラップ調にして歌ってみた。



「雨のアルカイダ
作詞作曲 迷子なこひつじ



♪テケテケ テケテケ♪    ♪上げてけ テンション♪

♪上げてけ 上げてけ♪    ♪ズボン 上げてけ♪

♪雨降れ 気がフレ♪    ♪今日は愉快だ アルカイダ♪

♪イェ〜♪





なんのこっちゃ 
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もう一つのお遍路日記2 準備編 (2009.05.17)

お遍路の装備で重要なものから紹介しましょう。

ではザックです。選ぶポイントはタイプ別の容量と調節箇所があること。まずは調節から。きちんとした登山用のザックなら問題ないと思うが、1.ショルダーベルト 2.ウエストベルト 3.トップストラップ 4.チェストベルト がそれぞれ調節できること。因みに私はちゃんとしたザックなんぞをこの時初めて購入したので調節箇所の多さに驚いた。また後述する私が購入したものは背中に入っている鉄の板が背骨のカーブに調節できるものだった。

これらの調節を自分に合わせないと部分的に疲れやすくなったり体を故障する原因になるので遍路に出かける前に荷物を入れて自分の身体に合わせて必ず調節しておくこと。私はこれを怠ったのでお遍路の半分は肩や足が痛くなった。コチラに調節方法が載ってます。ポイントは思ったよりも上の位置で背負うのだということ。お尻に荷物が当るようだと下過ぎだ。

では、容量について。1.民宿派=20-30Lで充分。2.野宿テント使わない派=25-35L。3.野宿テント派=35-40L以上必要。

私は1.に当てはまり、使用したのは、モンベルのグラナイトパック30Lというヤツ。しかし初めは詰めるのがやっと位だったのが後に軽量化によって5L分位は余裕が出た。食糧や水など日内変動するものを入れても余裕が充分あった。同じく民宿派で最も荷物が少なかったのは、同じ日に結願した神奈川のおっちゃんだった。彼は20Lクラスの小さなザックだったがそれもパンパンに詰まっている訳ではなかった。恐らく15L位しかなかったのじゃないだろうか。このタイプは旅として最も安全なので女性、そしてお金に余裕のある定年退職世代、また区切り打ちの人も一回に掛かる費用が限られているためか、多い。

2.の野宿テント使わない派というのは東屋遍路小屋に寝泊りする人だ。また、駅構内や公園のベンチなどでも寝泊りするのだが、最近は犯罪を誘発するという理由から駅構内だけでなく町全体を遍路の野宿禁止にしている所も多くなっているようだ。私の記憶では太平洋側の町では野宿禁止の所が多かったように思う。そのためこのタイプは必然的に眠る場所が限られているので一日の歩行距離が50kmということも珍しくない。当然ながら遍路日数も短く結願まで35-45日辺りだと思われる。また、このタイプの人も民宿派と同じくらいに荷物が少ない。夏は基本的に寝袋が必要ないためエア枕くらいしか寝る装備を持っていないなんとも自由な人がいる。ただし、冬は寝袋が必要だし、夏でも蚊の対策のために虫除けスプレーをギトギトにかけて寝るらしい。

私がこのタイプで会ったのは、大阪から来ていた25、6歳の脱サラ君だった。彼は荷物も少ないがお金も少なく、なんと10万円だけ持ってお遍路に来たとのことだった。なんでもサラリーマンの時にキャバクラにはまり毎月ほぼ全ての給料を夜の街に献上していたから貯金がないのだとか。だから彼に会う度に昼飯用に買ったパンや携帯食の飴、お接待でもらったお菓子など持っているだけの食糧を「お接待」していた。こういう歩き遍路同士のお接待というのが実は最も頻繁に行われる。

また、このタイプは挫折が多いようだ。私が会った内の一人は北海道から来た40位のおじさんで、彼はリストラかなんかで会社を辞め独りになりたくてお遍路に来たのだそうだ。やったことのがないのにお金が無くて仕方なく野宿する。しかし慣れてないので睡眠不足になってしまい、せっかくお遍路に来たのに夏バテ、ノイローゼ気味や鬱みたいになってしまって挫折してしまう。彼は初めの3日と4日目辺りに何度か会ったが徐々に目つきが怪しくなったな、と思っている内に会わなくなってしまった。

それに比べて3.のテント派の人は重装備だ。多くの場合、彼らは元々アウトドア派らしく、食事を自炊しようとする。だから簡単な調理器具まで装備しているのだ。このタイプはザックだけでは足りず、ザックの横に色々ぶら下げて歩いているのですぐにわかる。彼らのコンセプトは極めてホームレスに近く、あんまり時間というのを気にしない。多くが2-3ヶ月かけてゆっくりとまわっているようだ。

私が会ったこのタイプの一人は千葉の大学生で、序盤から終盤にかけてよく出合った。だが香川に入ってからは私のペースがかなり速くなったためか、香川と愛媛の境目にある(住所は徳島だが)雲辺寺に登る前夜に会ったきり最後まで会えなかった。結願まで一緒だと思ったんだけどね。彼の場合このタイプとしては例外的に早いと言えるだろう。後半は夏休みが終わっちゃうとかなり焦っていたけど。

元気かな・・・・
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もう一人は見た目もホームレスにそっくりの50前後のおじさん。彼はなんとスーツケースを引いて歩いていたのだが、そのペースは異様なまでに早く、初めに会ったのが室戸の手前辺りだったが、その後愛媛まで同じペースだった。歩くペースも大阪のサラリーマン並みに速い。見た目から想像できないが話していることを聞くと「学生時代」があったらしく、愛媛の友人と会うとのことで私のペースより遅くなったようだ。前述の千葉の大学生とよく一緒に歩いていたのを目撃した。



後はリヤカーを小屋みたいに改造して自転車で引いてる人なんかにも会った。「目指せ、沖縄!」と手書きのノボリがさしてあったな。ま、歩き遍路をするとそういう、普通の生活をしていたのでは全く接点がないような得体の知れない人に会う確率が非常に高まる。そういう人達はモノの考え方がアブノーマルなので視野が広がったりして面白い。とりあえず積極的に声を掛けて話してみることだ。



かく言う私も得体の知れない人だったのかもしれない。とっつきにくそうな顔して妙に親しげに声を掛けてツマらねー冗談言ったかと思うといつも食べ物くれる若そうに見えるけどオッサンじゃね?みたいな



そ、そんな風に思われてたのか、くそぅ 
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もう一つのお遍路日記1 予備知識編(2009.05.16)

このブログも公開してからようやく半年を迎えます。

その区切りの意味と、お遍路に出たくても出られないというジレンマを少しでも解消したいという意味においてもお遍路を振り返ってみたいと思います。正直に言うと結構大変な作業に手をつけてしまうな、と思いつつも楽しんで、また後に続くお遍路さんの少しでも役に立てるようにできるだけ丁寧に書いて行きたいと思います。

ここでまず注意してもらいたいのは私が紹介するのは歩き遍路の場合は、という前提があることです。特に道具に関しては、年間30万人も居ると言われるバスや車など自分の足以外を使ったいわゆる観光遍路と、自らの足で1300km以上を歩き通す歩き遍路ではずっと自力で持ち運ぶという前提に置いて全く神経の使い方が違うからです。因みに歩き遍路はおよそ年に1500人程度と推測されていてお遍路の中では少数派に当ります。

お遍路においてまず知らねばならないのは装備する道具についてでしょう。歩き遍路をする場合でも民宿に宿泊する人とほぼ野宿やテントで済ませる人とでは装備は異なります。私は民宿派だったので歩き遍路の中でも最軽量グループの一人だったと思います。それでも荷物を詰めたリュックの重さは大体8kg程でした。おそらく最終的には6kg位までは減らしたとは思います。つまり他の歩き遍路経験者も言われているように私も初めの10日間ほどの間で余分な荷物を2回も宅急便で送り返しているのです。

歩きの場合、自分の生活道具を全て背負って峠や国道の迂回路など、細かいアップダウンの多い遍路道を歩くのでグラム単位で必要の無いものを考えるようになると思います。そういう意味では何処かで聞いた言葉、歩き遍路をしていると

「自分にとって本当に必要な物が見えてくる」

という言葉の真意が分かってきます。私も歩き遍路をしている内に「現代人はなんと無駄な物ばかりに囲まれて生きているのだろう」と思うようになりました。先日紹介したミュータント・メッセージのアボリジニの価値観とも重なりますが、きっと私が生きて行くのに必要な物なんて20Lのザックに詰められる位のモノじゃないのだろうか・・・・・・と。

現代人はマスコミに煽られて本当は必要のないモノを欲しいと思い込み、その無駄なモノを買うために必要のない労働を自らに強いている。

「現代人はモノの奴隷だ」 

そんな言葉を中学生の頃に読んだ「天声人語」で見たように思う。あれから20年も経つのだけれど。




ひとまずここまで 
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発心の阿波 5日目-7

お遍路5日目。

20番鶴林寺への登山を翌日に控え山道入り口にある金子やさんへ宿泊すべく後残り4kmの道を歩いていた。コンビニを出た後、金子やさんまでは勝浦川沿いの県道を上流に向う。

途中、生比奈(いくひな)という小さいが趣のある古い町を過ぎる。みかんが有名らしく、JAのみかん選果場やのぼりや看板がチラホラ見られた。そして何気なく通り過ぎようとした生比奈小学校の校庭の門に・・・・・


生比奈小学校の校庭の門↓
生比奈小学校.JPG

↑ドキンちゃんがお迎え。はい、ばいばいきん、と。この辺はなんとなく街並みがしっとりとしていて暑さを忘れる。

前日金子やさんに電話した時に、改装中のため朝ごはんはなんとか用意するけど、夕飯は用意できないから自分で用意するように言われた。ので近くにあるコンビニに寄ろうと遍路道を外れて歩いて行くとお遍路小屋があった。

遍路小屋勝浦↓ぱくり
遍路小屋勝浦0.jpg

中はこんな変わった形をしている↓ぱくり
遍路小屋勝浦2.jpg

これは多分完成したての写真で、私が見た時は毛布やら灰皿やら漫画本やらがビニールシートに覆われていた。残念ながらこの後何度も見た遍路小屋ではタバコの灰や飲みかけのペットボトルなどが置かれたままになっていることも多かった。もちろんお遍路だけが利用する訳ではないのだろうが・・・・・

ともかく宿まで後200m位なので休むことにした。現在15時半過ぎ。宿には16時以降に来るように言われていたので15分くらい休んでコンビニへ行き夕食と翌日の昼食分、飲み物を多めに購入して金子やさんに向った。

金子やさん↓ぱくり
金子やさん.jpg

到着すると少し前に私の前を歩いていたおっちゃん遍路が玄関先に立っていた。話を聞くとどうやらまだ入れてくれないらしい。もう16時を10分ほど過ぎている。仕方なく宿の前の消防署と大きな木の間にあるベンチに座っておっちゃんと世間話を始める。

宿前の大木↓ぱくり
金子や前の大木.jpg

このおっちゃんは見た目は50代後半、東京の大田区で自営業をしているのだとか。そして区切りで回っているという。前回が3年前だかで、焼山寺を越えて徳島市内までだったこと、今回はその続きで徳島最後の23番薬王寺まで行きたいそうだ。

区切り打ちなので折角足が慣れたと思うとまた振り出しからやり直し、という感じらしい。そうして話をして休んでいるともう一人遍路が現れた。以前、10番切幡寺から吉野川に歩いてくる時に一瞬追いついて挨拶をした千葉の佐倉から来たというおっちゃんだった。

久しぶりです、と挨拶して中に入れない事情を説明すると、「なんだよそれ、16時以降に来てくれと言われたよ。」と、ムッとして中に入って行く。そして中で暫く女将さんと話す声が聞こえ荷物を置いて出てきた。

勢いで押してチェックインだけしてきたようだ。僕と東京のおっちゃんは素直に従って世間話をして楽しく時間を過ごしてたんだけどね。どうせ同じ時間を過ごすならなるべく楽しく時間を使った方がいいのに。生きてる時間もね。


ともかくシーズンオフのお客さんってのは宿の側から見れば手間がかかるだけなのでしょう。静かに部屋でコンビニ弁当を食べて早めに就寝。


翌日は2番目の遍路ころがしと言われる20番鶴林寺と21番太龍寺の登山が待っていた。



つづく

つづく

もう一つのお遍路日記(2009.05.15)

さて、最近またムラムラと放浪志向が高まってきました。

実は今年の1月頃からもう一度お遍路に行きたいな、なんて思い始めていたのです。こういうのをいわゆる「お四国病」というのだそうで、遍路を経験した人は何度も戻ってきたくなるというのを遍路中に誰かからよく聞いていたものでした。でもそんな話を他人事のように聞いて、俺は一回でいいや、なんて思っていたのですけどね。

そういう訳で、なかなかもう一度歩き遍路に行くとなると私の場合お金の問題と時間はなんとかなるとしても、両親の私の将来への不安というなんともし難い難題があります。従って少なくとも先の見通しが経つまでは実際に再度遍路に旅立つのは難しいのです。

そこである程度記憶の鮮明な内に前回の記憶を辿り、今度は記録的な要素をある程度重視した日記として書き留めて置こうと思います。これから時間があれば毎日、一日に一日分位のペースで書いて行ければと思います。

昨年アップした「お遍路日記」は携帯から友人に毎日送っていたメールにちょこっと内容を加えたものでした。だから容量等に制限があり、また寝る前に携帯から送っていたので疲れていると内容が薄くなっていたりします。ですので未発表の写真や人との出会いなど今でも思い出せる限りの記憶について書いていきたいと思います。あ、内容の重複についてはどうか大目に見てやってください。今日か明日かあさってくらいからスタート!の予定。


「同行二人」.JPG




南無大師遍照金剛 
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幸福論(2009.03.12)

最近私は恐ろしく暇なもので一回分のブログが非常に長くて迷惑を掛けているかも知れない。なあんていって今日も非常に長い。しかも写真一枚すらない。なおかつわかり難い内容だ。その手のクレームは掲示板で発散してくれても一向に構わない。が、あんまり傷つく内容の場合は勝手に自動的に指が動いて削除する、ということになる、だろう。


そんなクドイ前置きはさておき。最近、昨年夏に行ったお遍路について思うことがある。

一体あの経験はなんだったのだろうか、一体何を得たのか、と。

お遍路と一般的に言うと車・バイク・自転車・タクシーやバスなどのツアーが人数の上では圧倒的に多数派ということになる。これらの遍路が年間30万人と言われる中、私のような歩き遍路というのは年間たったの1500人位じゃね?と言われている。

そんな希少な歩き遍路だから同じようなペースで歩いている遍路達は道中・お寺などで度々顔を合わせ、同じ苦労を味わっている同志として自然に仲間意識がわき、一種の連帯感みたいなものが生まれます。

しかし仲の良い歩き遍路でも興味はあるけど聞きにくいのが、「なんでお遍路に?」という質問だ。一応、昔からお遍路に上記の質問をするのはタブーとされているらしい。タブーは気にしないとしても、やはりこの質問をすることはできなかった。何故なら私自身この質問に対する答えが明確ではなかったからだ。

この質問は二つに分けられると思う。「なんでお遍路に来たのか?(動機)」と「なんでお遍路をしているのか?(目的)」の二つだ。これを曖昧にしてズケズケと質問してくるのは地元の観光課とかお遍路を観光として考えている人達だった。そういう人達への対策として、次の仕事をする決意を固めに来ました、或いは自分を見つめるために、と動機を答えるのだが、目的は?という質問に答えるのは難しいのだ。

振り返って考えると、私はただ遍路を経験するためにお遍路をしていた、ように思う。つまり歩き遍路とはなんぞや?という疑問に対する答えを経験するためだ。他の歩き遍路達もそんな感じではなかったろうか。

「自分を見つめるために」と答える人も多いと思う。しかしこれは歩き遍路を一日でも経験すれば難しいと分かるはずだ。歩き遍路に自分を理性的に見つめる余裕などない。悩み事をしながらサウナに入ると5分も経たない内に悩みなんて吹っ飛び、ただひたすら暑いという感覚しか残らなくなる。それと同じだと思う。

歩くことに慣れていない現代人は1時間も歩けば疲れ、身体のどこかが痛くなり、同時に夏ならば暑いという感覚が脳を支配してそれ以外の「深い悩み」なんてものは消えてしまう。つまり現代人の悩みってのは生体を維持するということに比べたら薄っぺらなものだと言えよう。現代人は原始的な欲求が常にほぼ完全に足りているからイラナイ事を悩んだりするのだ。ということは人間なんて原始的な欲求、即ち、暑くない、痛くない、お腹が空いてない、というレベルの欲求が少し満たされていないくらいの方が幸せなのかも知れない。

私はこうした遍路の経験から、幸せというのは外側に求めるものではなく、内側に見つけるものだと理解するようになった。外側というのは、モノやカネ、そして地位(出世)や名誉(他人の評価)を求めることで、これは自分の外側に求めるものだから他人との比較が生じる。人より持っている、持っていないという比較ができるのだ。当然1対1の比較では終わらず延々と比較対象を求めていくし、カネやモノや名誉はなくなることもあるので一生涯満たされない。私は現代人の悩みのほぼ全ての原因は突き詰めれば財産と名誉を維持・獲得・向上させるという2点に集約されると思う。

そして、この2点の根底にあるのが自我の肥大化という煩悩だ。財産・名誉を欲するのは自分を大きく立派に見せるため。自分の大きさを実際よりも大きいと誤認しているか大きくありたいと思うことに由来する。実際の自分の大きさと、自分に対する認識がピッタリと重なった時に煩悩は消える。煩悩が消えれば悩みもなくなる。

幸せを内側に見つけるという行為は、この一瞬、自分は乾きも空腹を感じていないから幸せだ、と気付くことだ。これは自分の感覚が絶対であり他との比較ができない。評価基準が自分にあり、自己の満足度がそのまま幸せの尺度となる。自分で足りていることを知ればその瞬間から幸せになれるのだ、と私はお遍路を通して学んだのだと思う。

(つーか、胡散臭い坊さんみたいな文章だな)


文章が下手だから難しくなったかも。ゴメソ 
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発心の阿波 6日目

2008年8月25日。お遍路6日目。

この日のルートマップはこちら↓
金子や−22番平等寺.JPG

の予定だった。だが実際に歩くいたルートはこうなった↓
金子や−20−21−22−由岐漁港.JPG

今地図見てびっくりしたのだが、倍くらい予定距離を延長している。(実際には1.5倍位のようだが)ともかく大きな山を二つも越えるため、念のため総距離は22kmに抑えておいた。

なんて言っても今回の遍路ころがしは20番鶴林寺が標高差500mを3kmで登り、これをまた駆け下る。21番鶴林寺も標高差およそ500mを3.5kmで一気に駆け上がり、下るような登山なのだ。人によっては12番焼山寺を抑えて阿波最難関遍路道と言うくらいだ。

さて、はじめの20番鶴林寺への3kmはどんなもんかね。前回の焼山寺経験上、山道の方が足への負担が少なく楽であると思われたが、油断してはなるまい。

朝7時に同宿のおっちゃんら2人と一緒にご飯を食べ、皆ほぼ同時の7時半過ぎに出発することとなった。宿のすぐ先が登山口になっており、左に折れるとすぐ登りになった。先に佐倉のおっちゃんが歩き始める。次いで東京のおっちゃんと私が並んで話しながら歩く。

時々佐倉のおっちゃんに話しかけながら3人で暫く歩くものの、割とすぐにしんどくなってくる。結構勾配がキツイのだ。

道はコンクリートの細い歩道が蜜柑畑の中を続いていく↓(写真パクリ)
鶴林寺登山道2.jpg

佐倉のおっちゃんは普段から登山が趣味らしい。小幅で早くないが休みなく黙々と歩く。コンクリートが切れて土の道になる頃には、話ができるような状態じゃなくった。さすがに私のペースとしては遅いので、二人を置いて先に登って行く。

途中水呑大師という湧水地があったけど、あんまり衛生的な感じがせず、まだ喉も渇いていなかったのでそのまま通り過ぎた。

水呑大師↓ぱくり
水呑大師.jpg

4日前に焼山寺で鍛えた足がレベルアップしているようで、40分ほどで難なく20番鶴林寺に着いた。

鶴林寺の山門↓
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さすがに山寺だけあって山門からも登りが続く↓ぱくり
鶴林寺境内階段.jpg

鶴林寺の鶴の像↓
20番鶴林寺.jpg

ちゃっちゃと納経を済ませ、ベンチでぐだぁ〜と休んでいると佐倉のおっちゃんが登ってきた。少し遅れて東京のおっちゃんも来た。そう言えば私を含めこの二人も今日の宿泊予定地は22番平等寺の隣にある、民宿山茶花(さざんか)という話だった。

なので二人に先に宿で待ってます、と言い残して出発。だが、この後私が予定を変更したため、区切り打ちの東京のおっちゃんとはこれ以降お会いすることはなかった。


あれから一年経った今年も、なんとなく足摺岬の辺りをマイペースでゆっくりと楽しんで歩いてるような気がするなぁ。

南無大師遍照金剛



つづく
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発心の阿波 6日目−2

お遍路6日目。

20番鶴林寺に意外と早く到着し、6.7km離れた21番太龍寺を目指す。距離2kmで500mの高低差を駆け下りる。ま、下りは得意だ。しかも滑らないように木で階段がつけてあるタイプの急降下できる坂道だ。

得意なタイプの下り道↓
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この山は自然が豊か↓
鶴林寺から下り道.jpg

あー久しぶりの山道はやっぱいいなぁ。全身の細胞が生き生きとしてくるのがわかる。思わず足が軽くなり走り出すと止まらない・・・・・・


そう言えば、かつて関西圏に住んでいた時にすごい都市伝説を聞いた。神戸には街に姿を現わすアーバン派のイノシシ以外にもすごいヤツが居る というのだ。

まず神戸の地形について説明しておこう。神戸は平地が少なく、有名な六甲山をはじめとして北側がすぐ山になっていて急勾配である。つまり山が海に迫っていて急に落ち込むような立地のため、そこに流れる川も直線的で一気に流れ下るようなパターンが多いのだ。

そして神戸と言えば有名なことがある。それは知る人ぞ知る、イノシシ条例なるものがあるのだ。神戸は先述の通り背後に山を抱えるため1970年頃から頻繁にイノシシが街中に出没し、住民を困らせてきた。

そんな経緯があり、イノシシに餌をあげてはイカンよという条例があるほどなのだそうだ。そんな お洒落なイノシシの街、神戸(怒られるぞ)にまつわる逸話を紹介しよう。

市街地に下りたシティー派のイノシシばかりマスコミに取り上げられるものの、実に未だその多くの集団はまだ神戸の背後にそびえる六甲などの山々で細々とカントリーライフを楽しんでいる。

そんなカントリー派のイノシシがある時ちょっと喉が渇いたな、と思って沢に水を飲みに下りる。はじめは恐る恐る沢に顔を近づけるが、もっと飲みたいという欲望に負け次第に一歩、また一歩と足を進め、その内己の体にかかる重力に押され細い前足は意思とは関係なく下流へ向ってゆっくりと加速を始めている・・・・・・・・

イノシシ自身が「アレレ、しまったぞ!」と気付いた時には既に手遅れ。小走り状態だ。おまけに沢はツルツルしてるしつかまる物がなーんにもない。ただ自分の体重と細い前足を呪うだけである。

間一髪、ギリギリのタイミングで方向転換に成功し神戸市内に難を逃れたのがいわばシティー派イノシシのルーツらしい。だが大抵の場合は加速がつき、まるで「六甲下ろし」と化した特攻イノシシが、その歩みを止めるのは残念ながら神戸港に突き刺さる時だ。従って神戸港にはそんなイノシシがプカプカと浮かんでいる光景が名物なのだとか。(未確認)

ただ、それらは並のイノシシの話で、中には意を決してさらにスピードを増して水上スキーのごとく海上を滑り、見事淡路島上陸を果たすツワモノの漂着派もいるらしい。淡路島側から見るとその様子はまるでモーゼが海を割って渡ってくるがごとくの神秘的な光景であるため、淡路島にある千光寺の境内には狛犬ではなくてコマイノシシがあるのだそうだ。

コマイノシシ↓
狛イノシシ.jpg

自分で作った話にしては千光寺のコマイノシシの伝説と余りにも近似していて、でき過ぎ感が怖いほどなのだが・・・・・


猪突猛進2.jpg


って、エラく脱線したようだ。ま、いいか。




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発心の阿波 6日目−3

2008年8月25日。お遍路6日目。

20番鶴林寺から急な山道をカモシカのように駆け下りていた。最も下った地点である那賀川(なかがわ)まで2.5km程あるのだが、わずか20分程で下りきった。

途中小学校跡地や農家の庭先を縫うように遍路道が続き、さながら子供の頃のちょっとした冒険気分が味わえる。とてもいい道だった。

そう言えば鶴林寺で神戸の大学生、塚本くんに二日ぶりに遭遇した。彼は写真を撮るのが好きらしくて納経ついでにゆっくり写真を撮っていたので先に出発してきたのだ。彼は今日も宿泊場所を確保していないとのことだった。君はいいかも知れないけど、宿の人が困るんじゃない?

ま、人のことはさておいて、この那賀川を渡る水井橋から見た川の景色が素晴しかった。

那賀川↓
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折角なのでパクッた綺麗な写真もどうぞ↓
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那賀川2.jpg

那賀川3.jpg

ただこの那賀川、四国の傾向としてよく渇水するらしい。私が見た時は水流が大変多くて気持ち良さそうだった。

その那賀川を渡ると遍路道は右手に折れ若杉谷川という小さな沢沿いに登って行く。

若杉谷川↓
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若杉谷川沿いの遍路道↓パクリ
太龍寺へ沢沿い.jpg

この若杉谷川沿いに道を右に曲がった時、右手の苔むしたコンクリートの壁に「We are all one!」という苔を削って描いた文字と絵が現れた。

遍路に来る前に読んでいた須藤元気の遍路経験を記した本「幸福論」を思い出した。まさにこれは須藤元気のスローガンだ。でも確か彼は歩き遍路をしたのだが、高知の部分を全て自転車で廻ったのでなんとなく私は軽んじていた。

この時も壁にこんなイタズラ書きしてたのか、なんて思っただけで写真すら撮っていない。彼が遍路をしたのが2005年の春−夏だから約3年前か・・・・・

別に自転車で遍路をする人を軽んじる必要はないと思う。確かに歩くより自転車の方が楽だし早いということはある。でも時間が限られている人もいるし、その限られた時間内で有意義な時間は過ごせると思う。

でも、私はやはり折角遍路という独特の文化を体験するのであれば歩きをお薦めする。何故なら自転車の速度では出会えない人や風景との出会いがあるからだ。自転車で通り過ぎる遍路を呼び止めてお接待するなんて難しいに違いない。

それに遍路道は元々歩き用なので、舗装もされていない山道をできるだけ通るようになっている。1200年前空海が修行のために歩いたあの険しい峠道を歩けないなんて勿体ないではないか?

そして何より肉体をまとった自分を見つめ続けた結果、肉体を超越した本当の自分を発見する、というチャンスを逃しているかも知れないのだ。



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発心の阿波 6日目−4

お遍路6日目。

20番鶴林寺を一旦下り那賀川の支流である若杉谷川沿いの緩く登る遍路道を進む。
30分ほど進むとアスファルトはいつの間にか切れ山道へと変わりそれと共に勾配がきつくなる。

山道へと変わった↓
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そしてひたすら登る。やはり森に囲まれて気分が開放されているため足取りは軽い。というか、2日間、車道・アスファルトという悪環境の中を歩いたので山道の良さをしみじみと感じていたのだ。

さすがに後半の急斜面はきつかったものの、余りシンドかった印象が残ってない。やはりお遍路6日目、体力がついているのだ。太龍寺が近づくと巨木の林が現れた。

巨木群↓
21番太龍寺杉.jpg

ようやく山門に↓
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この太龍寺は19歳の空海が修行した、西の高野山と言われる地だけあって威風堂々とした風格がある山寺だ。この寺はもう一つ廊下の天井に龍の画が描かれていることで有名だ。

龍の画↓
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暫くすると塚本くんが登ってきた。早いね。案外疲れていなかったので30分程納経。休憩して出発。この時点でまだ10時位だった。ペース早いな。楽勝、楽勝、と思っていられたのは太龍寺を下って車道に出るまでの話だった。

太龍寺からおよそ4kmは山道を下ると龍山荘という立派な遍路宿に着いた。

↓快適な山道
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龍山荘↓パクリ
龍山荘.jpg

丁度この宿の前に広い駐車場と自販機が並んでいたので飲み物を買って少し休憩。いいペースで歩いて来たので若干疲れが・・・・・10分休んでまた歩き出す。余り休むと歩きたくなくなりそうだ。

そこからはずっと暑くて硬い車道を歩いていく。車道に出た途端にダラダラになっておまけに腹が減ってきた。まだ11時頃とは言え、この日は既に15kmくらい山道を歩き続けて来たのだ。

地図を見ると暫く行った所に道の駅がある。昨日コンビニで昼用に菓子パンを買って持っているけど、ここはちゃんとしたご飯を食べたいところ。迷わず寄ることにした。




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発心の阿波 6日目−5

お遍路6日目。21番太龍寺から22番平等寺へと歩いていた。

お昼近くに道の駅わじきが前方にあったので食事をすることに。

ルートマップはこんな感じ↓
21−民宿ゆき荘.JPG

遍路道が広い国道に当り、ここを右に曲がるとすぐに道の駅の標示が出ていた。

道の駅わじき↓ぱくり
道の駅わじき.jpg

もう一枚↓ぱくり
道の駅わじき2.jpg

100m程下って到着。駐車場内にあんまり車が止まってない。店内に入ると冷房の効いた涼しい空気に包まれた。店内にも3人くらいしか客がいない。お店のおばちゃん二人が暇そうに世間話をしている。

テーブルが4つくらいしかない軽食用のセルフサービスタイプの食堂が店内の一角にあった。荷物を下ろし菅笠を取りメニューを見る。本当に軽食しかない。ソバ・うどんのメニューが数種類とご飯ものは確かカレーと牛丼みたいなヤツしかなかった。ので多分牛丼と蕎麦のセットを注文した。

待っている間冷たい水をガブガブ飲んでいた。そこへドライブの老夫婦が入ってきて夫婦で山菜蕎麦と柚子アイスを食べている。そう言えば徳島は柚子が有名なんだよなぁ。私もその柚子アイスを食べたいと思ったがなんとなく節約しようと思って我慢した。

涼しいのであっという間に汗も引き気力も回復したところで出発。時計は12時を過ぎたばかり。遍路道はすぐにまた車道から山道へと入る。大根峠という標高200mのちょっとした峠を越えるのだ。

この峠道は涼しげな竹薮なんかがあってなかなか快適だった。この峠を下った所に牛舎があったように記憶している。細い小川沿いに田んぼが広がるのどかな里山風景に癒されながら4kmの道を1時間足らずで歩き22番平等寺に着いた。

平等寺山門↓ぱくり
22番平等寺.jpg

この山門前の駐車場に果物の屋台みたいな土産物屋さんが2軒ほど出ていた。自販機もそこにあったのでそこらへんに座って一休みすることに。

果物屋はおばあちゃんがやっていて夏みかんや桃が並んでいる。買おうにも1個で売ってる訳じゃないので荷物になるので買う気にならない。そしてこの時の私はあることで悩んでいた。

それは、今日の宿がこの22番平等寺の隣の山茶花という民宿だということだ。まだ1時にもなっていない。これでいいのだろうか?いや、まだ元気だからもう少し先まで行きたいな、なんて考えていた。

果物屋のおばちゃんにもう少し海に行った所にいい宿ありませんかね、と聞いてみた。すると海に出たすぐの所にある由岐漁港という所に民宿ゆき荘という知人の経営する宿があるからそこへ行ったらいいと教えてくれた。

遍路地図を見ると電話番号が載っていた。しかしまず今日の宿、山茶花を断るのが先だろうと思い携帯を取り出すとなんと圏外。ああソフトバンクよ。ま、とり合えず納経を済ませてから考えよう。山門前でおっちゃんと見られる僧侶の遍路が托鉢を掲げて経を読んでいた。多分修行で托鉢しながら巡礼しているのだろう。

納経を済ませて境内の階段を下りてくると下から神戸の大学生塚本くんが上がって来た。そこで彼の携帯のキャリアーを聞くとドコモだそうだ。電波もバリ3(古いか)だそうだ。さすがドコモ。無駄に受信地域広いぞ。

塚本くんに電話を借りて早速、目の前にある山茶花さんに断りの電話をかけ、ついで民宿ゆき荘に予約の電話を入れた。山茶花さんの前まで行ったのだがどうにも人の気配が感じられなかったのだ。ゆき荘は若い声の女将さんが快く予約を受け入れてくれた。

塚本くんに電話代と言って百円を渡したら素直に受け取ってくれた。こういう素直さはオジサンに気に入られるコツだろうね。ここで遠慮されると少々面倒臭いと感じてしまうだろう。

塚本くんも今日泊まる所をまだ決めていないというので一応ゆき荘の電話番号を教えておいた。彼は遍路地図を持っていないのだ。彼にお先と言って出発。門前の僧侶の托鉢に500円玉を入れて手を合わせた。

だが、この時僧侶はあぐらをかいてタバコを吸っており、申し訳無さそうに会釈だけを返した。托鉢は形だけなんだろうか?


托鉢が僧侶の修行手段の一つである、と何処かで聞いたことを歩きながら思い出していた。





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発心の阿波 6日目−6

2008年8月25日。お遍路6日目。

22番平等寺から由岐まで延長を決めて歩き始めたものの、その延長距離はなんとプラス11.5kmだ。午前中結構なペースで山道を既に21kmも歩いている。また急遽延長を決めたことにより精神的にもしんどいものがあった。

おまけに民宿ゆき荘を教えてくれたおばあちゃんの道案内が間違っており更にプラス1kmほど余計に迂回することになった。順当に進んでいれば10分で来れた地点に、地図を確認したり迂回したので30分もかかってたどり着いた。

そういう訳でようやく遍路道に戻れたのだが気分は半分腐っていたのだった。そうして少しでも取り戻そうとして歩を早めていると前方を僧侶が歩くのが見えた。徐々に近づいていくと小さいがはっきりした声で般若心経を唱えながらゆっくりしたペースで歩いている。

先ほど門前にいたおっちゃんの遍路よりずっと若く恐らく20代半ばくらいに見えた。追い抜き際にこんにちわと挨拶をするとにっこりと笑顔を返してくれた。今日だけで修行僧に二人も逢うとは。

この若い僧侶の袈裟は真っ黒で真新しくピンとしていた。多分遍路をしていると思われたが荷物をほとんど持っていない。なんだかこの人の周りの空気だけ異次元にあるような感じがした。

・・・・・と、気付くと先ほどまでの腐った気分は嘘のように消え失せており、錫杖(しゃくじょう)の鈴に似た音に合わせるように唱えるお経の声が後ろで暫く聞こえていた。まるで歌を歌っているようだ。彼はきっと歩くことを楽しんでいるのだろうと、ふと気付いた。


因みに我々が持っているのは金剛杖は鈴が付いているのだが、修行僧や先達と言われる人が持っている杖は錫杖というもので、上の部分が違ったやつ。


錫杖の上の部分↓
錫杖.jpg

これが鈴と違っていい音がするんだ。


3kmほど田んぼの中の車道沿いを歩いて行くと別格霊場の月夜御水庵(つきよおみずあん)に通りかかった。

月夜御水庵↓ぱくり
月夜御水庵2.jpg

ここはよくある弘法大師伝説のように、水が欲しいと思って杖を突いたら水が出てきた式の伝説がある。更に大師が野宿をする時、三日月が暫くすると地平線に沈んでしまった。明かりが欲しいため、一心にお経を唱えたら三日月が戻ってきたという伝説からこの名がついたそうだ。


目的地にたどり着くことばかり焦って何の意味がある?私は少し休憩しようと思いここでザックをおろした。


空海が21番太龍寺で行った修行が「虚空蔵求聞持法」というものだ。これは、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者はあらゆる経典を記憶し理解して忘れる事がなくなるという、修行だ。

その真言がサンスクリット語で

「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」

というもので、私もこれを歩いている間、さっきのお坊さんのように口ずさんでみようかと思ったのだが、サンスクリット語なんぞ馴染みが薄いので短いフレーズでも覚えるだけで面倒なので、日本語で意味のわかるものにしようと考えた。

因みに須藤元気さんは「ありがとう」という言葉を遍路中唱えていたようだ。私もそれで行こうかな、と思って立ち上がる時に思いついた。

「全ての人の心に安らぎを」



こうしてこの後、前半は歩きながら人の心に平和の訪れることを祈ることにしたのだった。




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発心の阿波 6日目−7

お遍路6日目。

月夜御水庵を出発しておよそ2kmも歩くと2日ぶり?に国道55号線に合流した。さすが国道だけあって山中で交通量も少ないが立派に整備された道路である。

すぐに福井ダムに出た。釘打(かねうち)トンネルを抜けると左手に遍路小屋が見えた。まだ月夜御水庵から3kmほどしか歩いていないのだが、既にヘロヘロ遍路状態なので迷わず休憩。

遍路小屋釘打↓ぱくり
遍路小屋釘打.jpg

この遍路小屋には立ち寄った遍路が記帳する記録帳が置いてあった。覗いてみるとここ一週間で10人ぐらいの書き込みがあった。ペラペラめくると40-50代のおっさんがほとんどだが、中には16歳の女の子で野宿遍路をしているというのもあった。

無事に結願できたんだろうか・・・・・。私も名前と出身地と一言を書き込む。何を書いたのか明確に覚えていないが、今日が誕生日であることを書いたのは覚えている。そう、この日私はレベル36になったのだった。(しょこたん風)

因みに福井ダムはこんな感じらしい↓ぱくり
福井ダム.jpg

あんまり休んでいると眠くなってくるので気力を振り絞ってザックを背負う。宿まで後5.5kmだ。この辺りはずっと微妙に登りになっていたのだが福井ダムを過ぎた辺りからようやく下り始めた。

時刻は既に3時半過ぎ。ここでまた国道55号線と分かれ、海へと向う県道(?)25号線を下っていく。後4.5km。

坂道だけにやたらクネクネと曲がっている道路も恨めしい。せめて土を踏みしめたいところだがキレイに整備された山道が続くばかり。暫く下っていくと彼方に海が見えてきた。太平洋だ!

お遍路に来て初めて見る海は西日が斜めに照り返していて眩しく見えた。ああ、ようやく海に出た。誕生日を海を見て迎えたいと思っていたのだ。ちょっと頑張った甲斐があったというものだ。

でも相変わらず足どりは重い。遠くに海が見えるがなかなか近づいて行かない。遍路ころがしの山道を20kmも歩いて更に10km以上追加したのだから無理もない。まだ遍路も6日目、足が完全に出来上がってはいなかったのだ。

重い足を引きずりながら何か面白いことでも考えて気分転換を図ろうと思うのだがなかなか思い浮かぶものではない。肉体と精神は連動しているのだ。

足がダルい。「ダルダルのダルビッシュ」・・・・・・余計疲れた。

ようやくはるか遠く下方に見えていた海面が目線の高さより少し下に見えた頃線路を越えた。JR牟岐線(むぎ)だ。この鉄道線は海陽町の海部駅まで続いておりそこから徳島と高知の境目、高知側の甲浦駅までは阿佐海岸鉄道阿佐東線に変わる。

だがこの線はたったの10kmほど。高知県側も室戸市の手前の奈半利町までしか鉄道は通っていない。つまり室戸岬へは鉄道では行けないのだ。


古い由岐の街並みを歩いていると左手に漁港が見えてきた。

由岐漁港↓パクリ
由岐漁港.jpg

アバウトな遍路地図で少々迷いながらもなんとか17時前にゆき荘に到着。

ゆき荘はこんな所にある↓
ゆき荘.JPG

私の通された部屋は最もロケーションの良い、二階の海が真下に見えるような部屋。早速お風呂どうぞ、ということで小奇麗なお風呂へザブンと。

ゆき荘の風呂からの眺め↓パクリ
ゆき荘からの眺め.JPG

いやあ、一日の疲れがとれますな。しかし今日はよく歩いたな。

風呂から出て海を眺めていると新しい客が来た様子。隣から聞こえるのは知っている声、神戸の塚本くんだな。結局ここまで来れたのか、と思って隣室に顔を見せる。だいぶ疲れた顔しとるな。

どうやら彼は素泊まりらしい。それならと今日の昼用に買っておいた菓子パンやら軽食やらを良かったら食べてと全部あげた。彼には気の毒だが、私にとってこの日の夕食はお遍路で最も豪勢な食事となった。多分もとも取れないんだろうな、というくらいの。

お接待の気持ちで利益とか考えずに美味しい食事を出してくれたに違いない。で、一応誕生日なので、ちょっと奮発して生ビールを一杯頼み愛しみながらできるだけゆっくりと飲んだ。

20時過ぎ。部屋を暗くして遠くの漁り火を見ながら感慨にふけっていた。36年間か・・・・・まだ俺は生きているな・・・・・でもまさかこうして一人でお遍路に来て36回目の誕生日を迎えるとはね・・・・・と思っている傍から猛烈な睡魔に襲われ波の音を聞きながら夢も見ずに眠りについた。

私にとってこれで充分幸せだと思った。




歩いた距離約34km。


民宿ゆき荘、お薦めですよ。


翌日からは胸躍る美しい海沿いの遍路道が待っていた。


由岐漁港上空から↓ぱくり
由岐漁港上空.jpg

由岐の地図↓
由岐漁港.JPG




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発心の阿波 7日目-1

2008年8月26日。お遍路7日目。天気は薄曇り。昼頃から雨が降るとの天気予報であった。

朝7時前に民宿ゆき荘を出発。この日は23番薬王寺を過ぎて別格霊場の鯖大師の先の海山荘という民宿まで30km以上歩く予定だったので早めに出発したのだ。

ルートマップ↓
由岐-23番薬王寺.JPG

塚本くんはまだ準備中。遍路地図も、お金も余り持ってない彼がちょっと心配だったので、何かあったら気軽に連絡してと言って携帯の番号を教えておいた。

23番薬王寺までは約11kmほどの道のり。少し山側にまっすぐだけどトンネルだらけの日和佐道路というものがある。

女将さんの話では海沿いの遍路道は歩きやすくて、試しに日和佐道路と遍路道に分かれて競争してみたら、遍路道は2時間ほどで薬王寺に到着。日和佐道路組は30分くらい遅れたそうだ。

確かに遍路道はクネクネと海沿いに続いているので距離的には長そうだ。私はもちろん遍路道を歩くつもりだった。

まだ薄暗い趣の深い由岐の港町を歩き始める。少し歩くと由岐漁港の隣の浜、アカテガニで有名な田井ノ浜(たいのはま)があった。

こんな標識が↓
Image189.jpg

Image190.jpg

アカテガニは普段陸で暮らしているが、産卵シーズンの7-9月頃の大潮にあわせて海へと下りてきて産卵するのだ。そのため、道路を横断する際に車に踏まれるので注意!と書いてある。

私が通った早朝にも夜に車の犠牲にあったカニさんの亡骸が点在しており、カラスがくわえて運び去って行った。

はじめて海を見ながら歩く遍路道に心が躍った。それも格別に美しい田井ノ浜。雲間から強過ぎない光が波の穏やかな海と砂浜に差し込み、ため息がもれるほど美しい。

美しい田井ノ浜↓
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Image192.jpg

浜のすぐそばをJR牟岐線が走っており、歩いていると丁度向うから電車が走ってきた。2両編成の可愛らしい電車でやたらゆったり走っているように見えた。なんとものどかな風景だ。車内には高校生だか中学生だかの女の子が数人乗っていた。部活かね。

JR牟岐線↓パクリ
JR牟岐線田井ノ浜.jpg

田井ノ浜を過ぎた木岐(きき)という町をゆっくり歩いていると後ろから呼び止められた。

「お四国さん」

振り向くと70過ぎと思われるおばあちゃんが早足で近づいてくる。お接待です、と袋に入ったたくさんの5円玉を渡してくれた。久しぶりのお接待にポカンとしてると、お遍路さんにあげようと思って普段から貯めてるものです、とのこと。

おばあちゃんのお接待↓
お接待.jpg

「南無大師遍照金剛」合掌

お腹の具合が良くなくてトイレを探しながら町を過ぎようとしていると、妙に高い休憩所の傍にあった。

展望台兼休憩所↓
木岐の休憩所.jpg

展望台に登るのは面倒くさかったので下の所にザックを置いて5分休んだ。まだ歩き始めて4km歩いてないのに既に足がダルかった。疲れが残っているのだ。

木岐を過ぎると遍路道は林の中の山道へと入った。途端に身軽になった感じがして登ったり下ったりの道を楽しむ。

林の中の道↓
Image194.jpg

時折海が見える↓
Image193.jpg

松林の風情ある海岸↓
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1時間半ほど無心に遍路道をたどっているとホテル白い燈台という立派なホテルを過ぎた直後に休憩所があった。

白い燈台↓パクリ
ホテル白い燈台.jpg

恋人岬の休憩所↓ぱくり
恋人岬休憩所.jpg

恋人岬.jpg

ここは浪切不動明王が祀ってあった↓
浪切不動明王.jpg


なんとなく居心地の良くない名前の休憩所ではあったが由岐を出てから既に10km近く歩いていたのでザックを下ろして倒れこんだ。


お願いだから30分、いや15分だけでいいからカップルとか来ないでくれよ、と祈りながら・・・・・・



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発心の阿波 7日目-2

お遍路7日目。やや薄曇り。

お遍路初めて海岸沿いの遍路道を、朝から10kmほども黙々と歩き充分に堪能してお腹一杯になった私はどういう因縁か、立ち寄りたいとチラっとも思わず、ただ単に疲れて休みたかっただけの恋人岬なる休憩所で海を見ながらぼんやり休んでいた。

恋人岬か・・・・・5分ほど休んでその居心地の悪い名前の由来を書いた看板を見に行った。この下方にはえびす洞なるものがあり、そこに神社がある。この神社は祈願すると恋が成就すると伝えられているとのこと。

ああ、そうですか。

恋なんて言葉は数年来忘れて、ただ目の前の美しい海や山が惹かれる対象となってしまった哀れな(本人はそう思ってないが)三十路半のおっさんの心には少しの間、

「だから何が楽しいんだ?」

と、意味すら理解できていなかった。そもそも恋が成就するってどういうこと?結婚するってことか?いや、恋なんて片思いでもできる訳だから、好きな相手ができるってことか。なら俺だって自然が恋人で立派に恋が成就してるって訳だ。ハハハ

・・・・・なーんて、ちょっと負け惜しみに屁理屈を考えていると、近くに車の停まる音がした。やっぱ来ちゃったかよ。できるだけ見ないでおこっと。私は疲れたお遍路さんですからそっとしておいてくださいよと。

ドアを閉めて歩いてくる・・・・・やっぱりこっちに来るよな。有無を言わさず視界に入ってきたのは老夫婦だった。ならば居心地悪いってこともないか、と一安心。

やわらかい関西弁のおばちゃんはおとなしそうな顔だった。いや、初めはそう見えた。恋人岬の看板を見て、「ここが恋人岬よ」とか言ってる。そこまでは良かったのだ。だが立て続けに発せられた言葉に唖然とした。

「もうちょっと若かったら良かったわねぇ」「ここは若い人がカップルで来たらええけど、おばちゃんや一人で来るような場所じゃないわねぇ

(・・・・・・うるせえ)この人悪気があるのか?それともボクが石や岩と同化して見えないのか?

(遍路は路傍の石じゃねーぞ)

いや、石でもええか。ついに霞みたいな透明な存在になれたのか、俺は?


因みに、えびす洞の写真↓ぱくり
えびす洞.jpg

↑人はどうやら先が良く見えない穴やゲートみたいなモノを見ると、ついうっかりと手を入れたりくぐってみたくなるらしい。
あの「真実の口」のように、手首を切り落とされてしまうとも知らずに・・・・・

真実の口↓ぱくり
真実の口.jpg


おねーさん。それ、元々マンホールの蓋らしーぞ。




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発心の阿波 7日目-3

2008年8月26日。お遍路7日目。

美波町(旧日和佐町(ひわさ))の市街地に入る手前、えびす洞の上、恋人岬の休憩所を後に歩き始めていた。

日和佐と言えば海亀の産卵で有名な大浜海岸(通称日和佐海岸らしい)がある。

大浜海岸↓
日和佐海岸.jpg

日和佐海岸海亀.jpg

↑美しいの一言。四国の太平洋側の砂浜はここだけじゃなくほとんど海亀の産卵地となっているようだ。

そんな日和佐海岸を左手に見ながら、ちょっとイタイ思いをした恋人岬の休憩所から歩くとすぐに下り始め、砂浜と同じ目線まで下りきった所に国民宿舎うみがめ荘が見えた。絶好のロケーションの宿泊地だな。目の前に大浜海岸が広がっている。

夏休みだけあって少々天気が悪いのだが子連れの家族が水着で道路を歩いている。時刻はまだ9時丁度くらい。

日和佐の町↓
日和佐の町.JPG

道が突き当たり右に曲がり美波町の役場の大きい通りを歩いて行く。更に突き当たりを左に曲がる角に徳島銀行日和佐支店があった。

歩き遍路は防犯のため多くの現金を持ち歩かない人が多いようだ。そのため、色々な遍路日記を見ても、どんな田舎にも存在する郵便局の口座を作っておくよう薦めている。

私も普段は全く使うことのない郵便局の口座を新設した。10年くらい使っていない口座はカードの暗証番号がわからなくなっていたのだ。

でも、結論から言えば私の場合一度も郵便口座を使うことはなかった。何故なら日和佐もそうだが、どんな地方の町でも一つくらいは地銀があったので。また、昨今ではコンビニも比較的多くあってATMには余り困ることは無かった。

因みに私の場合は5万円くらい持ち歩くようにしていたので、最低でも5日に一度位現金を引き出せば良かった。ま、3日に一度くらいは地方の少し大きい町を通るのでその時におろせば問題ない。

ということで、この日お遍路で初めて銀行に立ち寄ることにした。運良く丁度9時を過ぎたばかり。ATMには誰も居なかった。ここでもお遍路を見慣れているのか菅笠と金剛杖と白衣という姿でも全くヘンな目で見られることはなかった。東京なら間違いなく警備員が飛んでくるだろう。


日和佐(美波町)と言えばこの秋から始まるNHKの朝の連ドラ「ウェルかめ」の舞台とういことで賑わっているようですね。このドラマの主人公の家は遍路宿という設定らしいです。ちょっと楽しみですね。詳細はNHKサイトで。

日和佐の町は城下町と漁師の町を合わせたような街並みだ。町の中心を日和佐川が貫いており城・川・海という3拍子揃った絶好のロケーションと言える。

ん?確か他にもそんな街を聞いたことがあるぞ。ああ、尾道だ。遍路で出合った神戸の大学に通う塚本くんの実家は尾道にあると言っていたな。尾道は川の代わりに坂があるな。

徳島銀行を出て少し進むと日和佐川の上に架かる厄除け橋を渡る。

厄除け橋に亀さん発見↓ぱくり
日和佐厄除け橋.jpg

橋を渡りすぐに右に曲がると後は薬王寺まで一直線。味のある店が並ぶ商店街を抜けて行きます。

商店街の通り↓ぱくり
薬王寺前商店街.jpg

この通りだけ見れば城下町というよりお寺の街という感じです

小高い丘にある薬王寺↓ぱくり
薬王寺.jpg

薬王寺から眺める日和佐の町↓ぱくり
日和佐川.jpg


23番薬王寺を7日目で打ち終えた。これで発心の道場、阿波を卒業だ。


次の24番最御崎寺(ほつみさきじ)は室戸岬の先端部分。札所間距離が75kmという試練がいきなり待ち構えている。

次のステージ「修行の道場」土佐がここから始まる・・・・・・


23-24ナゲー.JPG





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修行の土佐 7日目-4

2008年8月26日。お遍路7日目。いよいよ修行の土佐の始まりだ。

この日天気は薄曇り。昼頃から雨という予報が出ていた。23番薬王寺の納経を済ませた私は山門を出て左のトイレ前のベンチで飲み物を購入して少し休んだ。

これで徳島のお寺は廻り終えたという満足感があった。徳島県の県域を抜けるのはまだまだ先なのだが、これは後の人が勝手に決めた県境だろうから無視することにしよう。遍路にとっては23番で徳島は終わりなのだ。

遍路地図で改めて24番最御崎寺を確認すると3ページも先に載っている。そこまでは延々と海沿いの遍路道が赤く示されていた。

本日のルート↓
23-海山荘.JPG

本日宿泊の予約を入れてあるのは別格霊場の鯖大師の少し先にある海山荘という民宿である。薬王寺から20kmの道のり。そしてここからなんとはるか高知市の手前(正確には南国市の手前)辺りまで再び国道55号線沿いに歩くことになるのだ。何度この55の数字が恨めしく思えたことか・・・・

ともかく、薬王寺から牟岐町(むぎちょう)までおよそ15kmくらいは海から少し離れた山間の道を歩く。それも国道とJR牟岐線沿いに進むので景色はあんまり期待できない。

この時点で疲労のためか、少し左足の付け根が痛くなっていた。ともかく歩き始めないと何も始まらない、という事で身体の違和感を抑えて出発。

すぐの所にコンビニがあったので昼食と飲み物を購入。この日は昼食が摂れそうな所が見当らなかった。

国道はすぐに山の方へと登って行く。空がどす黒くなってきた。そろそろヤバイな、と思っていたら何にもない坂道で降り始めた。暫く菅笠の雨キャップで耐えたが15分ほどでいよいよ本格的に降ってきた。

前方に民家の立派なガレージが見えたので急遽非難させてもらいすぐにカッパを着て再出発。お遍路では徳島市内以来二度目の雨だ。

暫く蒸れるカッパを着て歩くと長い日和佐トンネルに入る。690mだ。紙のマスクを装着し難を逃れる。とは言えトンネル内は車の排気音が反響して凄まじく不快だ。おまけにカッパを着ているので蒸れて暑い。

日和佐トンネル↓
Image198.jpg

痛む足を堪えてなんとか早く通過しようとする。トンネルを抜け山河内という駅を過ぎるとほとんど景色の変わらない、民家も少ない山間の道を進む。

実にこの日は雨が降ったり止んだりで、牟岐町に抜けるまでに2度もカッパの脱着を繰り返した。降ったと思うと止み、暫く様子を見て暑いのでカッパを脱ぐとまた降られるという始末で、汗と雨とでもうドロドロだった。おまけに足も痛い。

昼飯も適当な休憩場所がないな・・・・と思っていたら確か別格霊場の小松大師の手前辺りに小さな東屋があった。近くの建設会社が立てたものらしい。おまけに地下水も出ている。カッパを着たまま小さなベンチに座り手早くコンビニの弁当を食べた。

雨はまだ降り続いている。この辺りは地図を見ても目印らしいものが何もないので自分が何処にいるのかよくわからない。ので15分ほど休憩して出発。

その後暫く橘川沿いに歩き、やっとの思いで牟岐川を渡る牟岐橋までたどり着いた。暫く前に雨が止んでいたのでカッパを脱ぐ。薬王寺を出て13.5km。長かった。時刻は既に2時過ぎ。

牟岐駅の手前で再びの雨。人気のない民家のガレージで雨宿り。正直もう歩きたくない。埃まみれのガレージに座り込み足をマッサージする。

でも今日の宿泊地までは多分後7kmくらい。なんとかそこまで早く着こうと決めてカッパを再び着て歩き出す。


心も身体もドロドロのグチャグチャ。間違いなくこれまでで一番しんどい行程だった。




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修行の土佐 7日目-5

2008年8月26日。お遍路7日目。

本日のルートマップ↓
23-24.JPG

この日は昼前から雨が降ったり止んだりする天気で雨が止めば日が射したりするのでカッパを脱がないと蒸れて暑くなり、ということを繰り返していた。

更に少し前から左足の付け根の辺りが痛んでおり、痛みを堪えながら歩いているのでこの日既に25kmほど歩いた牟岐町の駅前辺りを通過する頃には精神的にも限界に来ていた。

牟岐駅↓ぱくり
牟岐駅.jpg

ようやく牟岐駅を通過。この時は大雨ではないがコンスタントに中玉サイズの雨が降っていた。牟岐駅を過ぎた所で、遍路道が海岸沿いの少し遠回りする遍路道と国道55号をそのまま進む道へと分かれる。どちらも遍路道だ。

海岸沿いの道の方が景色は良さそうだが遍路地図に0.7km長いと書いてある。普段ならどうかわからないが、この時は迷わず短い55号線を歩く道を選択。

右へと国道が折れると牟岐の警察署があった。通り過ぎようとすると、「おへんろさん接待所」の文字が。持ってきたガイドブックに出ていたボランティアが運営するお接待所ということを思い出した。ともかく休んでみようと思って立ち寄る。

牟岐署のお接待所↓ぱくり
牟岐署のお接待所.jpg

だが、近づいてみるとテーブルの上に今はお接待を休止しているという貼紙が。確か9月からまた開始しますと書いてあったと思う。ここで気付く。最も暑いこの時期はお遍路が少ないのだと。

冷たいお茶の給水機が虚しく置かれている。うーん、目に毒だから撤去して欲しいものだ。なんてわがままを言ってる場合じゃない。ともかくイスが置いてあり座れただけで助かるというもの。感謝せねば・・・・・

と言っても街中で旧道っぽく道が細くなっているものの、前は国道55号線なので交通量は多い。居心地が良くないのとあと少しで宿泊地に着くとの思いとで10分だけ休んで出発。

すぐに小さなトンネルを抜けると右手に、見慣れた色の見慣れぬ看板のコンビニが↓
Image200.jpg

店内で讃岐うどんが食べられる徳島県にあるコンビニ。讃岐じゃねーし。元社員としてひとこと言わせてもらう、 「ヒネリが足りん!」どうせなら「ローウドン」とかに看板も変えるべきだ。ま、余計なお世話か。

ともかく店内でどれだけの人がこの時間帯(15時過ぎ)に讃岐うどんをすすっているのかは不明だが比較的広い駐車場にはいたずらに多くの車が停まっていた。ま、頑張れよと。(お前がな)

そこから少し歩くとまた短いトンネルを抜けた。もう紙のマスクは汗なんだか雨なんか涙なんだかで分からないくらいにグチャグチャに濡れていたのでトンネルもそのまま通り抜けた。

このトンネルを抜けた辺りで道は幾分下り坂に。それと共に雨が四国らしいバケツを引っくり返したような土砂降りに。海山荘まで後2kmもないはずの手前で一気に靴の中まで浸水。カッパを着ていてもどうせ汗で中から濡れてしまうので上着の前は開けたまま。

もうなるようになれと半泣き状態で、やけになって川のように流れる道路の水溜りを蹴り上げるとなんとなくスッキリした気分。楽しめばいいんだよ、こんなもの。

濡れまいと頑張るから苦しいのであって上からバケツで水をかけられてるんだから濡れたらいいんじゃね?天が濡れろ、と言ってるんだよ、アハハハ。

半ば精神崩壊しかけたところで鯖大師の看板が見えた。

鯖大師の看板↓ぱくり
鯖大師看板.jpg

この鯖大師では名前の通り、鯖を三年食べないことにより子宝成就、病気平癒はじめ、あなたのお願いごとがかなえられます、とのこと。なんだかね。

鯖大師の鯖↓ぱくり
鯖大師.jpg


もちろん私は鯖大師には寄っていない。この鯖大師を過ぎて少し登りになったところに立派な看板の海山荘がようやく見えた。滝のように雨水流れ落ちてくる店へと登る急な坂をやっとの思いで登りきった。

海山荘↓
海山荘.jpg


ここは旅館や民宿というよりメインは料理屋で、海賊料理という看板が出ていた。

因みにこんなスゴイようだ↓ぱくり
海山荘の料理.jpg


この日の宿泊は私一人らしい。宿帳に記帳する時に前回宿泊者があったのは3日前だった。そして7月8月はほとんどそんな感じ。ここもお接待で遍路宿を続けてくれているようだ。

ずぶ濡れでヘラヘラしている(精神崩壊寸前)私を見て女将さんがすぐに風呂へと案内してくれた。土砂降りの雨が続く外の景色を見ると今日も真下は海だ。しかも荒れている。ゆっくりと風呂に浸かっていると幸せな気分がこみ上げてきた・・・・・・

風呂から上がって洗濯を済ませると女将さんがずぶ濡れの靴に乾いた新聞紙をギュウギュウに詰めておいてくれた。後2回くらい交換すれば乾くでしょうとのこと。ふーん。なるほどそうやって乾かすのか。

この日は土砂降りのためか料理屋の方にもお客はなく、広い食堂にぽつんと座って上の写真ほどではないが、海の幸が豊富な贅沢な料理を今日も頂いた。料理もきっとお接待なんだろうな。

食事を終えると、携帯が圏外のためすぐに宿の公衆電話をお借りして明日の宿泊の予約を入れた。そろそろ疲労も蓄積しているし足も痛いので歩く距離を抑えて休もうか、と悩んでいたので明日の予約をしていなかったのだ。

ということで明日はここからおよそ14km先の海陽町(旧宍喰町)の道の駅付属の温泉宿に決定。温泉だ、わーい。ゆっくりするぞ。

そう言えば塚本くんから着信履歴が2件ほどあった。着信時間があの土砂降りの雨の真っ最中だったので気付くわけがない。明日電話してあげよう。


本日の歩いた距離約30km。あーしんど。




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修行の土佐 8日目-1

2008年8月27日。お遍路8日目。

この日の目的地は海陽町(旧宍喰町:ししくいちょう)の道の駅併設宿、道の駅宍喰温泉という所。海山荘からたった14kmの道のり。

左足の付け根が痛いのと、1週間、なかなかのハイペースで歩いて来たのでちょっとペースダウンしてたまには温泉でも楽しもうという魂胆があった。ま、私らしい無理はしないという考え方に沿った行動と言える。

だから朝からだら〜っとしていた。出発したのは8時過ぎ。いきなり腑抜け遍路へと成り下がった。天気は昨日の雨は嘘のように、とまではいかないが、曇りながらも徐々に陽が強く射すようになっていった。雨の心配は無さそうだなと。

靴は新聞紙を3回詰め直したのでほぼ完全に乾いており快適だ。朝の内は曇っていて日射しが弱かったのでそこそこ快適に歩き始めたのだった。40分ほど昨日の続きのような海沿いの道を進むと遍路道が二つに分かれる地点へ来た。

一方は海方面への道、もう一方はJR牟岐線沿いに旧海南町の街を抜けていく道だ。海方面と言っても海から少し距離があるので景色が余り期待できないのと、若干遠回りになりそうだったので、JR牟岐線沿いの道を選択した。

歩き始めて1時間ほどで浅川と言う駅を過ぎ線路を越えた。足は既にダルい。今日は休むのだと思うと余計にダルい。その内あろうことか左足の親指の付け根辺りが痛くなってきた。

なんとお遍路8日目にしてマメができてしまったのだ。痛いと思うと気になって余計に痛む。それでできるだけ気にしないように歩いていたらマメが潰れたようだ。

マメは早い人は歩き始めて2、3日でできるようだ。そして全くできない人というのもお遍路の本を読むと居るらしいとのことだった。私が会った歩き遍路は全員マメには困っているようだった。

ともかく私の場合は8日目にしてマメができるハメになってしまった。マメの原因は足が蒸れることにあるとも言われているので、昨日の雨が原因だった可能性が高いかな。この後遍路の折り返し、20日目くらいまでマメに悩まされることになったのだった。

実は遍路に来る前に毎週1回は登山していたこともあって、自分はマメなんぞできないと過信していた。だからマメ対策については特に考えていなかったのだ。

どうしたものかと歩きながら考えていたら、そうだ、テーピング巻いちゃえば痛くないんじゃね?と閃いた。そこで地図を調べると暫く先の旧海南町の入り口にホームセンタービルドというのを見つけた。

で、よくやくたどり着いたのはいいが、時刻はまだ9時半頃。開店は当然10時から。普通に考えればわかったはずだが普通じゃなかったのでとっても落胆した。ま、でも落胆したって仕方ないよ、閉まってるんだもの。

30分待つのもダルいので先を目指すことに。とり合えず阿波海南駅の前に遍路小屋があったのでそこで休憩することに。

遍路小屋香峰(かほうかな?)↓ぱくり
遍路小屋香峰1.jpg

遍路小屋香峰の中↓ぱくり
遍路小屋香峰.jpg

↑かなり広い遍路小屋。奥は宿泊できるようになっているのだが、私が通った時は野宿禁止ということで奥は閉鎖されていた。入り口付近に水場もあり。

この遍路小屋がなんと遍路小屋1号だそうで、現在四国中に遍路小屋は30号まであるようだ。触れていなかったのだがこの遍路小屋は歌一洋さんという建築士の方がボランティアで設計している。

敷地に関しては良くは分からないが提供者が別に居るようだ。詳細はヘンロ小屋プロジェクトでどうぞ。写真が載っているのでお遍路された方は懐かしい思い出が甦るでしょう。

この遍路小屋で暫く休み、そろそろ出ようかなと思った時、前を一人の遍路が通り過ぎた。チラッとこちらを見て会釈をした。歳は私と同じくらいか?一目でテント派の遍路と分かる重装備。背負っているのは普通のザックではなく、登山家が背負うような背負子(しょいこ)と呼ばれるやつ。

背負子↓パクリ
背負子.jpg

ん?休憩しないのかな・・・・と見ていると、どうやらトイレを探していたらしく、斜め向かいの阿波海南駅のトイレに入っていったようだった。

ヘンロ小屋の隣にはコンビニがあったのだが、遍路地図を改めて調べるとこの先の海部駅の近くにピア海部というスーパーがあるようだ。そこにはきっと薬局もあるだろうからちゃんとしたテーピングも売っているだろうと思った。

ほんの1kmほど先にそのスーパーはあった。

ピア海部↓ぱくり
ピア海部.JPG

目的のテーピングと昼食を購入し、駐車場の隅っこに座って靴下を脱ぎ足の裏を見た。小指大のマメが一個潰れていた。購入した広めのテーピングをベタベタと貼り付けて行く。

3枚くらい重ねて貼ったら上から触っても感覚がないので大丈夫だろう。ついでにスレてマメができそうな箇所にも予防のため貼り付けておいた。うん、バッチリ。何だか無敵になった気がした。


今日も楽しくなってきたぞ、と心の中で思うと元気が出て来た。スーパーで購入した炭酸飲料をその場でガブガブと飲み乾す。そういや昔「ガブガブ行っちゃうよ!」とか言うホストが居たな、と思い出してニヤニヤしながら歩き始めた。(変態だ)


だがまだ足の付け根が痛かったのだった・・・・・





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修行の土佐 8日目-2

2008年8月27日。お遍路8日目。

あ、前回のルートマップはこんな感じでした↓
海山荘-海部.JPG

ともかくピア海部というスーパーで昼食とテーピングを買い足のマメにテーピングを巻きつけて歩き出した。相変わらず足の付け根は痛む。その痛みに集中しないようにできるだけ景色を楽しもうと思って顔を上げて歩いた。

運良く少し歩くと海が見えてきた。やたら穏やかな海だな、と思ったら湾になっていたのだ。その名も那佐湾(なさわん)。

はじめは川かと思ったくらい奥深く続いている。

今日のルートマップ↓
ピア海部-道の駅宍喰温泉.JPG

そして海の色もとてもキレイだった。

那佐湾↓
Image203.jpg

Image204.jpg

Image205.jpg

↑こんな景色が3km近く続く。

薄日の射す雨上がりの湿った朝の空気の中、左手に那佐湾の綺麗な海を見ながら足の痛みも半分くらい忘れてマッタリと歩いていると突然前の建物から人が出てきた。

「お遍路さん、お接待です。寄って行って!」

私が笑顔で有難うございますと言うと、くるっと向きを変えまた建物の中へと入っていった。上品な感じの奥様で、建物は喫茶店で看板には「喫茶ふくおか」と書いてある。

喫茶ふくおか↓
Image202.jpg

その喫茶店の駐車場の一角に東屋付きの休憩所が作ってあった。多分自費を投じて作ったものだろう。雨上がりで所々濡れている所を避けてベンチに座りザックをおろした。

すぐにさっきの奥さんがお盆に何か載せて歩いて来た。見るとそれは・・・・・

「喫茶ふくおか」さんのお接待↓
Image201.jpg

↑焼きたてのトーストに冷たい緑茶。にわかにお接待とは信じられないようなセットだ。有り難く頂き冷たいお茶を飲み乾した。南無大師遍照金剛。

今日も暑いですね、なんて話をしていると前の国道を遍路が通りがかりこちらに気付いて道を渡ってきた。さっき阿波海南駅前の遍路小屋を通り過ぎた遍路だ。

奥さんはお茶持ってくるわね、と言ってお店に入って行った。我々は再び挨拶をして自己紹介を始める。

歳は40歳で広島から来て通しで歩いているらしい。荷物が巨大なのはやはり野宿をしているからだそうだ。よく眠れてます?と聞くと暑くて全然眠れないという。いやぁ、よく野宿で歩き続けるものだと感心してしまう。

この暑さで食欲が無くなってしまって無理して食べると吐いちゃうしとのこと。お遍路を始めてから5kg近く痩せたと言う。ただひたすら感心するのみだ。

食べ終えた食器と私の納め札を持って喫茶店へと返しに行く。ごちそうさまでした。

あんまり休んでいると歩きたくなくなってしまうし、何より早く宿に着いて温泉を楽しみたかったので一足先に出発。


この広島から来た野宿のお遍路さんとはその後何度も会うことに。




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修行の土佐 8日目-3

お遍路8日目。

旧海南町から旧宍喰町(ししくいちょう)へと向う国道55線沿い、那佐湾に面した所にある「喫茶ふくおか」さんで贅沢なお接待を頂いて休憩させてもらった後に再び痛む足を気にしつつ歩き始めた。

那佐湾を過ぎ足取りもだいぶ重くなっていた頃、右手にコンビニがあった。ユートピア那佐というローカルコンビニだ。隣に中華料理屋(?)があった。

朝寄ったスーパーで携帯食として菓子パンなどを購入してあったが、ご飯ものが食べられるならとコンビニに立ち寄った。中華料理は・・・・・うーん、あんまり気が進まなかったのだ。

ユートピア那佐↓ぱくり
ユートピア那佐.jpg

地元のコンビニらしくでっかり手作りおにぎりセットなんかが置いてあり、迷わずそれを購入。それと飲み物も多目に。この辺はあんまり自販機も無かったように思う。ともかく飲んでも飲んでもまたすぐに喉が渇くのだ。

店前のベンチに腰掛けて今買ったものを食べる。地元のサラリーマン風の男女が車でやってきてこちらをチラとも見ずに隣の中華料理屋に入っていく。遍路なんかに全く感心ない感じだ。近隣に食事できる所が少ないのだろう、結構繁盛していると見た。

目的の道の駅宍喰温泉までは後2kmほどなのでゆっくり休みたかったのだが、日射しを避けられなかったので30分ほど休んでまたトボトボと歩き始めた。

この頃の時速は足が痛かったこともあり、多分3kmぐらいだったと思う。それまでは普通1時間に4-5km位だったのだが。ダラダラと歩いて1時半頃にようやく左手に人がたくさんいる砂浜、右手に立派な建物の道の駅が見えた。

道の駅宍喰温泉↓ぱくり
道の駅宍喰温泉.jpg

道の駅の駐車場には車がたくさん停まっており、サーファーや家族連れの海水浴客が着替えや昼寝をしていた。3時がチェックインなのでちょっと早いけど道の駅の案内所でチェックインできるかどうか聞いてみた。

やはり無理らしい。仕方なく外のトイレ近くの日陰になった所で海を見ながら阿呆のようにボケーと魂を離脱させていると目の前に20位の茶髪の丸坊主にピアスといういかにもなカッコしたニーちゃんが立ち止まった。

頑張って焦点を合わせるとこのニーちゃんは照れくさそうにしながら、「ボクもお遍路に憧れてるんです。頑張ってください」と言われた。一生懸命笑顔を作って「うん、有難う」と返して「サーフィン?」と聞いた。

彼は確か徳島市内から友人と二人でサーフィンに来ていると言っていた。何故遍路に憧れているのかは聞かなかったけど、ま、悩むことも多いのだろうよ、アウトドア志向の人間なら、この物質社会の生き方に。


3時まで待ってようやくチェックインして早速風呂へ。道の駅にもかつては日帰り温泉施設があったのだが、今は閉鎖しているらしい。そこで今は隣の「ホテルリビエラししくい」という超立派なリゾートホテルの温泉とレストランを共有している。宿泊する部屋だけ道の駅側の建物になる。勿論料金はずっと安いのだ。

超立派なホテルリビエラししくい↓ぱくり
ホテルリビエラししくい.jpg

その館内↓パクリ
ホテルリビエラ館内.jpg

このホテルの風呂もやはり立派で広く、目の前の宍喰海岸を一望できるようになっている。体中を自分でマッサージしたりストレッチしたりしながらたっぷり2時間半くらい入ってくつろいだ。

お風呂↓ぱくり
ホテルリビエラの風呂.jpg

宍喰海岸↓ぱくり
宍喰海岸.jpg

夕食は決して安くない道の駅のレストランで簡単に済ませ、近くのコンビニにビールを買いに行った。

宿の部屋には簡単なベランダがついており、夜はベランダに出て漁火を見ながらビールを飲んだ。駐車場には車泊と見られる車が何台も停まっていた。遠くから来ている若いサーファー達のようだ。





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修行の土佐 9日目

2008年8月28日。お遍路9日目。

この日も足が痛かったので昨夜予約を取っておいたのはおよそ6km先にある隣町東洋町にある民宿「南風」さんだったのだが・・・・・・

朝一6時前の道の駅駐車場↓
Image206.jpg

↑車泊組みがたくさんいる。

隣のホテルリビエラししくいへ朝風呂を入りに行く。道路を挟んで向うに見える海を眺める。

朝一から蟻のように見える多数のサーファー達↓
Image207.jpg

今日も休むと決めていたのでノンビリした気分だ。そこへ視界の左からお遍路が歩いて行くのが見えた。あの背格好は間違いなく金子やで同宿した佐倉市から来ているおっちゃんの遍路だな。


昨日チェックインした後、尾道青年の塚本くんに電話をしてみた。話しによると、彼は私が鯖大師の先の海山荘に宿泊した日に大雨の中夜遅くに鯖大師の宿坊に着き泊まったらしい。昨日話した時点では今後の予定は決まっていないとのこと。どうやら休むようだ。

遍路同士が電話で予定を話し合うのもヘンだと私は思うのでこの後彼とは一切連絡を取っていないし、彼もその空気を察したのか二度と電話してくることはなかった。ま、お互いマイペースで行こう、と言って電話を切った。

それ以降彼と逢うことはなかった。次に彼の噂を聞いたのは佐倉のおっちゃん遍路からだった。それもだいぶ後の話で、場所は足摺岬の手前、私が38番金剛福寺に向う途中で、おっちゃんは打ち終えて戻る途中だった。

久しぶりに再開したおっちゃんから尾道の若いのと数日前に会ったという話を聞いた。塚本くんは室戸の手前で、車で来た親と合流し室戸の親戚が経営する遍路宿に何泊かした後、車で親と遍路をしていたらしい。

そしてこの夏は40番観自在寺までで区切ってその後冬か春休みにでも残りを続けるらしいとのことだったが・・・・・・

彼とは他の遍路と違って2度も宿を同じくしたため色々な話をした。その中で遍路に来た動機についても尋ねた。

大学3年になる彼は就職活動に向けて大学時代に何かやったという自信を持ちたいのだと話していた。結局それは自信にはならなかったという訳か。

その動機では1200km以上とも言われる遍路を結願することは難しいだろうね。既にある程度自分に自信がある人じゃないと40日以上も歩き続けることは厳しいと思う。

遍路はいつだって自分の意志で辞められるのだ。一度でも苦しいから辞めたいと思ったらその弱音を吐いた心が次第に自分の中で大きくなってしまうだろう。

もちろんそれは通し(88ヶ所全てを一度に廻る)の場合の話だ。その意味でも私はどうせ廻るなら通しで廻ることをお薦めする。区切りだと何度も弱音を吐いて辞退することを正当化できてしまうのだ。

私は結願できない人が必ずしも結願した人に劣るとは思わない。それは以下の理由からだ。

私が観察した中では結願できるタイプの人にも2種類居る。

ものすごく強いペルソナ(自分はこうあるべきという仮面)を持ち自分の気持ちや感情をほぼ完全に抑圧してしまう人。いわゆるストイックと言われる人たち。

そしてもう一つが、苦しい中にも楽しさを上手に見つけて自分の気持ちや感情を無理に抑圧せずうまくコントロールして行く人。

両者とも結願という結果は同じかも知れないが、前者は自分の心に甘く見える他人を許すことができず喧嘩や戦争を起こす人であり、後者は喧嘩や戦争を起こす人を理解し、許せる人だと思う。

遍路は人生の縮図だと私も思う。我々人間は全て死という目標(エンドポイント)に向って歩いている。これは一人も例外がない。その同じゴールに行き着くのに自分を抑えつけ他人を抑えつけてがんじがらめに縛られて歩くのか、花を見、蝶と戯れスキップしながら歩くのか。



塚本くんは、どうやら私にもう一度会いたいと言ってくれていたらしい。彼は私から何かを聞きたかったのだろうか。





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修行の土佐 9日目-2

お遍路9日目。

前日道の駅宍喰温泉の宿泊施設に泊まり、この日も休みにして6km先の東洋町に宿泊する予定だった。そして朝風呂にゆっくり入り9時頃出発した。

今日の予定↓
宍喰-南風.JPG

朝9時なんていう時間になると既に太陽がかなり上に来ており、道の駅前の宍喰海岸はサーファーだらけだった。

昨日の写真↓
Image207.jpg

歩き始めて数百メートルで左手に遍路小屋宍喰があった。

遍路小屋宍喰↓ぱくり
遍路小屋宍喰.jpg

もちろん歩き始めたばかりなのでスルー。中に誰もいなかった。その先の宍喰川を渡ると海から離れて行く。緩く上り坂になっており、前方にトンネルが現れた。

水床(みとこ)トンネル↓ぱくり
水床トンネル.jpg

683mもある長いトンネルを抜けると、それはついに訪れた。

Image208.jpg

拡大↓
Image209.jpg

高知県キター!23番薬王寺から2日目にしてようやく高知県入りを果たした。

こんな可愛らしい表示を発見↓
Image210.jpg

高知県の玄関である東洋町は、ぽんかんとサーフィンの町だそうです。

そうしてダラ〜っと歩いて東洋町のサーファー向けの民宿が並ぶ一角に民宿南風(みなみかぜ)を見つけた。時間は・・・・・11時過ぎ。いくら何でも早過ぎる。こんな時間にチェックインしようとしたら迷惑はなはだしいというものだ。

そこで近くの自販機で飲み物を買ってバス停の屋根付き待合所で休憩しながら地図を広げて考えた。

行くべきか・・・・・行かぬべきか。行くとしたらこの先の宿は・・・・・ロッジ尾崎さんまでないのか・・・・・・その距離後、20km以上・・・・・・う〜ん。

温泉でストレッチやマッサージをした効果が出ているのか足の調子は案外良い。うん、よし、行こう!目指せロッジ尾崎。室戸に突入だ。

早速民宿南風さんに断りを入れ、ロッジ尾崎さんに今晩宿泊できるか聞いてみた。若い女将さんが電話にでて、

「部屋は空いていますが今どちらですか?」・・・・・えーと、東洋町の役場前辺りです。

「そんなら後20kmくらいですねぇ」・・・・・そうですね。

「何時頃着きますか?」・・・・・多分夕方4時頃には着くんじゃないでしょうか。

「そんならお待ちしてます。お気を付けていらっしゃってください。」・・・・・はーい、と。

ん?え!16時ってもう12時になっちゃうから後4時間ってことになりますが?・・・・・時速5kmで20kmも歩くってか!

うーん。なんで俺はそんなこと言っちゃったんだろう。テキトーに答えてしまった自分が恨めしいが言ってしまった手前、あんまり遅くなると心配されてしまう。これはなんとしてもそれらしい時間に着かねば。


そこからの道がまた修行の土佐という名にふさわしい気の遠くなるような海沿いの試練の道だったのだ・・・・・・


予定は結局こうなった↓
宍喰-ロッジ尾崎.JPG


って言うか女将さんも、それ無理じゃね?とか教えてくれたらいいのに。ん!まさか俺の潜在的な可能性にかけてくれたと言うのか?俺の能力を信じて黙って見守っていてくれたというのか!そういうことなのか!(アホなのか)





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修行の土佐 9日目-3

2008年8月28日。お遍路9日目。

この日休みにする予定で道の駅宍喰温泉を朝遅く出ておよそ6km先の高知県東洋町の民宿南風を目指した。ゆっくり歩いたものの、11時過ぎには着いてしまい、急遽目標を延長してそこから20kmも離れたロッジ尾崎に向けて歩き出した。

それも何も考えずに16時頃に到着すると伝えてしまったため、4時間で20kmもの距離を歩かねばならない羽目になってしまったのだった。時速5kmというと大股で早足で歩く早さになる。

本日のルートマップ↓
宍喰-ロッジ尾崎.JPG

ともかく予約の電話を終えるとさっきまでのダラけたモードが嘘のように猛スピードでシャキシャキと歩き出した。人間心の持ちようでこうも変わるものか。

あっという間に2km先の東洋大師のある小さな漁村の野根という街に入った。お腹が空いてきたので遍路地図にある野根スーパーを探しながら歩いたが結局分からずじまい。

その他食糧が買えそうな店も見つからずに町の端っこまで来てしまった。そして野根川を渡ってしまった。

そこから延々と左に海、右に山、そして国道55号線のアスファルト、という単調な道が続いていた。

こんな感じ↓ぱくり
室戸への道.jpg

↑こんな道が延々と室戸岬まで30km以上も続いているのだ。私が歩いた日は時々曇って雨が降ることもあったが、日射しが強く、眩暈がするほど暑かった。

1時間ほど歩いた所でゴロゴロ休憩所があった。

ゴロゴロ休憩所↓
ゴロゴロ休憩所2.jpg

お腹も空いたので少し休憩することに。昨日予備に買っておいた菓子パンなどの非常食を食べ飲み物を飲んだ。やばい、飲み物が後500cc一本しかない。

休憩所の看板↓
ゴロゴロ休憩所.jpg

↑ゴロゴロの由来が書いてあった。ピンボール大から漬物石くらいの大きさの石がゴロゴロしていることが由来らしい。そして波の荒い日にはその石が動いてゴロゴロと音を立てるらしい。

って言うか、耳を澄ますと聞こえますけど。遠くから近くからゴロゴロと。

ゴロゴロ石の海岸↓ぱくり
ゴロゴロ石.jpg

それにしても暑い。国道55線もここでは全く交通量は少ない。たまーに営業車が走って来て、この休憩所前にも停まって弁当などを食べている。そのためかゴミだらけだった。東屋のイスも汚いのでスーパーの袋を敷いて座った。なんだかねぇ。

そうそう、ゆっくりはしてられない。すぐに出発するのだ。なんていったって私が16時に着くことを信じて待っていてくれる人がいるのだ。走れ!メロス。己の足が千切れようとも歩き続けるのだ!(キテるねぇ)


アスファルトの照り返し。時々曇ったかと思うとにわか雨がポツポツ降りだしたりした。カッパを着たり脱いだり。

厳しい日射し、いつまでも全く変わらぬ景色、足の付け根の痛み・・・・・・・




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修行の土佐 9日目-4

お遍路9日目。

修行の道場にふさわしい、海と山しか見えない国道55号線をひたすら室戸へと向う道を歩いていた。

悪いことに時折曇っては雨が降り出し、雲が切れると猛烈に暑くなった。それでも雨はほとんどポチポチ程度でカッパを着るまでもないので助かっていた。

景色は単調そのもの↓
55線室戸岬へ.jpg

↑こんな風景がいつまでも続く。一時間に5kmというハイスピードを維持しなくてはならないが、目標物がなんにもないのだ。国道では100mごとに起点からの距離を示したポールが立っている。

こんなの↓ぱくり
国道距離ポール.jpg

そこでこのポール間を60秒で歩けば時速6kmということだから、ポールを通過する度に1、2、3、と数えながら歩き始めた。こうでもしないとすぐにダラけてしまって歩く速度が落ちてしまう。

別に1時間位遅れて着くことくらいホントはなんでもないことなのだが、こういう単調な道が延々と長い距離続いている場合、そんなことでも目標にしないと更にシンドい思いをすると思ったのだ。

暫く数えることに集中して歩いていると後ろから若いカップルと思われる自転車遍路に追い越された。こんにちわ〜と挨拶しながら追い抜いて行く。自転車、楽そうだ。

また暫く数字を数えながら瞑想へと入って行く・・・・・すると前方に路肩を削った駐車スペースが見え、そこに妙なモノが停まっているのが見えにわかに現実に引き戻された。

この人ではないと思うが↓
リアカー遍路.jpg

↑私が見たのは自転車で改造リアカーを引くようなタイプになっているもの。リアカーの上で寝れるようになっているらしい。そのリアカー部分にノボリが立ててあり、「日本縦断」とか書かれていた。

周りに人の姿は見えなかったので多分そのリアカー内で休憩中だったと思われた。興味津々ではあったが、万が一中からおっかない人でも出てきたらチビりそうなので横目で見ながら素早く通過した。

ようやく前方に佐喜浜と思われる町が遥か遠くに見えてきた。見えているが中々近づいて来ない。また若い自転車遍路が一台こんちわ〜と言いながら通り過ぎて行く。

見ているとかなり遅い。少し急ぐと追いつきそうな感じだ。暫く前方の自転車を目標にひたすら歩く、歩く、歩く・・・・・

と、そこに先ほどから耐えていた空からはじめはポツリと、暫くして本格的な雨が降り出してきた。急いでカッパを着て再び歩き出す。ムレる。暑い。

前方にさっきの自転車遍路が停まってカッパを着ているのが見えた。見ると既にビショビショ。着替えるタイミング逃したらしい。追いつく直前で着替えを終えて再びゆっくりと走り去って行った。

飲み物はとっくに無くなっていた。無いと思うと余計に喉が渇く。昼食もパンを少し食べただけなのでお腹も空いて眩暈でフラフラする・・・・・・俺は死ぬんじゃなかろうか?

海沿いの道に出てから2時間半、時刻にして15時近くにようやく佐喜浜の港が間近に見えていた。少し手前で国道55線から外れ海沿いの土と砂利が混ざったような道を歩く。アスファルトから逃れたのと町まで来た安堵感とで一気に足が重くなる。

古く細い橋を渡ると佐喜浜の港町に入る。小さい町で個人商店が数軒ある。自販機のある店で立ち止まり飲み物を買って飲みながら歩く。漁港で昔漁師だったと思われるじいさんが口を開けながら遠くの海を眺めていた。

あっという間に町が切れると遍路道は高い堤防の上を続く。確か佐喜浜の町の少し先にロッジおざきがあったはずだ。だが地図はもう見る勇気がなかった。海沿いの道に入ってから道はまっすぐなので地図を見ないことにしていたのだ。

足がダルい。痛い。既に日が傾きオレンジ色の空と海を見ながらダラダラ歩いた。気分的にはもう到着したつもりなので宿の看板ばかりを探している。暫くすると民家が途絶えた。

オカシイな、と思ってようやく地図を見た。なんと佐喜浜の町からロッジおざきまでは3kmほどもあったのだ。500mくらいだと勘違いしていた。

気持ちを切り替えて再び急ぐ。でも一度落ちたペースは簡単に上がらない。堤防の上の道も切れ再び国道を歩いていた。とっくに雨は上がっていたがカッパを脱ぐ気力も無い。

ようやく遠くにそれらしい看板の出ている民家が見えた。気持ちだけは既に100m先くらいを歩いていた。そしてなんとか到着!

ロッジおざき↓ぱくり
ロッジ尾崎.jpg

時刻は16時半少し前。若い女将さんが出迎えてくれた。

「早かったですねぇ」 ・・・・・え?

京都弁のような品のいい関西弁の若女将がサラッと言い流した言葉に唖然としながらも汗で濡れたカッパを脱いだ。

そうか、16時に着くなんてはじめっから思っちゃいなかったという訳か。ははは・・・・・

まず記帳してくださいと渡された宿帳には本日の日付で佐倉のおっちゃんの名前が書いてあった。朝風呂で温泉から歩いて行く遍路の姿を思い出していた。

夕食はその佐倉のおっちゃんとビールを飲みながら明日の室戸入りの話で盛り上がり、9時頃一瞬で眠りに落ちた・・・・・


歩いた距離約27km。




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修行の土佐 10日目

2008年8月29日。お遍路10日目。

前日余りに早く寝たので朝5時前に目覚めてしまった。目を開けると部屋の天井が紅く染まっている。窓から朝日が射しているのだな、と良く寝たスッキリした頭で思った。

慌てて起き上がり窓を開けて外を見た。

ロッジおざきさんからの朝焼け↓
Image213.jpg

もう一枚↓
Image214.jpg

朝焼けに感動できるとは・・・・・・感謝。遍路を始めてから朝の目覚めが極めて良いことに気付いていた。そして寝つきも。

目覚めには一応携帯電話のアラームをセットしておくのだがほぼ毎日アラームの30分前には自然に目覚める。熟睡している証拠だろう。

人の心身の健康には日中ヘトヘトに疲れることが重要だと改めて感じていた。これは農業体験など農作業を経験していても感じることだ。

そして人の幸せは、体を動かす⇒お腹が空く⇒良く眠る、というような単純で健康的な生活からこそ真に感じることができるのではないだろうかと考えていた。お金や地位や名誉なんかは健康に食べぐっすり眠ることとは無関係だ。


朝焼けを静かに見ていたら自然に心の中に般若心経が流れてきた。そうして心を鎮めて海を見ながらボーっとしていると猛烈にお腹が空いてきた。

朝からお腹が空くなんてことはサラリーマンをしているとあんまり経験できないことだと思う。それがお遍路をしていると毎日朝からお腹が空くのだ。しかもお腹が空いて起きることだって珍しくない。

出発の準備をしながら空腹を堪えて待ち、ようやく6時になったので階下に下りて行った。朝から海の幸を並べた贅沢なおかずでご飯をお代わりしていると佐倉のおっちゃんも下りてきた。

おっちゃんは50歳くらいだと思っていたがなんと60歳で、定年退職したばかりだという。登山が趣味で普段から山には登り馴れているそうだ。

仏教や空海にはこれっぽっちも興味が無いらしい。今日通る予定の御厨人窟(みくろど)のこともさっぱり知らなかった。遍路に興味があるのではなく、登山の延長のような興味のようだ。

色々な人が居ていいと思うが、ちょっと勿体ないですよ、折角1200年もの歴史のある道を歩くのだから。

朝食を終え女将さんが干しておいてくれた洗濯物とカッパを受け取る。普通部屋のハンガーなどで乾かすのだがここではちゃんと物干しにかけておいてくれたのだ。感謝。

既に準備は万端で頼んでおいた昼食用のお弁当をザックにしまいこみ7時頃出発。女将さんが見送ってくれた。おっちゃんはまだ準備中らしい。お先に。昨日の疲れが嘘のように消えており体調は万全だった。


24番最御崎寺までは15kmほどの道のり。いよいよ室戸岬に着くのだ。3日ぶりの札所が目の前にあった。





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修行の土佐 10日目-2

お遍路10日目。

室戸岬までのルートマップはこちら↓
ロッジおざき-最御崎寺.JPG

室戸岬まで15km。ロッジおざきを出て2kmほど歩くと夫婦岩休憩所があった。

夫婦岩↓パクリ
夫婦岩.jpg

もちろん休憩はせずに先へ進む。

室戸方面は依然として海と山の原始的な風景が続く↓パクリ
室戸方面.jpg

昨日と同じ単調な景色。足の付け根の痛みを堪えて淡々と休み無く歩き続けた。岬の突端が近づくにつれて丘の上に風力発電の風車が何機か回っているのが見えた。

そして3時間ほど歩くと遠くに巨大な白い像が↓
Image215.jpg

徐々に近づく↓
Image216.jpg

これは青年大師像で空海のファンや信者によって建立されたものらしい。近づいて行ってみると拝観料を取るという。そこまでして近くで見たいと思わなかったのでそそくさと退散。

すぐ近くに御厨人窟(みくろど)があった。

ここ御厨人窟は空海が悟りを開いた地として有名。21番太龍寺と同様に19-20歳の時、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の修行を行ったのだ。

その真言「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」をここで100万回唱えていると、明星が空海の口の中に飛び込んできて悟りを開いたのだ。そしてこの洞窟から見える景色が空と海だけだったことから空海と名を改めたという伝説が残る。

御厨人窟は岩の間にある↓パクリ
御厨人窟2.jpg

入り口↓
Image219.jpg

中は↓
Image222.jpg

↑洞窟の中は普通の寺と同じくロウソクと線香をあげるようになっていた。そして、御厨人窟の中から見た外の景色は・・・・・

洞窟内から見た景色↓
Image220.jpg

↑まさに空と海。人が来なければこの中から空と海を見て一日心を鎮めたいところだ。だが現状は人は少なかったものの、観光客やら遍路やらが絶え間なく訪れる観光名所だ。

私が着いた時にも一人遍路のザックと杖が売店のベンチに置いてあり、駐車場には観光客の車が2台停まっていた。ベンチで休憩していると60くらいの白髪遍路のおっちゃんが洞窟から歩いてきた。

初めて会う人で、神奈川から来たとのこと。遍路を始めたのも私と同じ頃で、やはり同じくらいのペースでここまで来たようだ。

同じくらいに遍路を始めてまだ会ってない人がいるんだ。そして佐倉のおっちゃんとは既に顔見知りだそうだ。御厨人窟を見てしきりに感心していた。面白い人だなぁ。

この人誰かに似ているなと思って考えていたら、ジャッキーチェーンの映画、酔拳に出てくるソカシという達人だと気付いた。

ソカシ↓パクリ
酔拳の達人.jpg



まさかこの人と結願を共にすることになろうとは・・・・・・この時点では予想できるはずもなかった。



この人が本物↓
Image1018.jpg

↑結願の日、オヘンロ交流サロンにて。

このおっちゃん、遍路は一度でたくさんだと言ってたけれど、もしかして今頃こっそりまた室戸辺りを歩いてるんとちゃいまっか?





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修行の土佐 10日目-3

2008年8月29日。お遍路10日目。

御厨人窟(みくろど)でその後何度か遍路道で会い、最後の結願を共にすることになる神奈川のおっちゃんと出会った。私が洞窟を見学している内におっちゃんは先に出発したようだ。

本日のルートマップはこちら↓
御厨人窟-26番金剛頂寺.JPG

御厨人窟の売店で海洋深層水塩飴というのが売っていたので買って食べてみた。

海洋深層水塩飴↓
海洋深層水 塩飴.jpg

↑うーん、微妙に美味しくないような・・・・。でもミネラルも塩分も入っていることだしバテには効果があるらしい。私の味覚には合わず残ってしまったこの飴は後にある若い野宿遍路にあげて喜ばれることになった。

岬は間近。なのですぐに出発。御厨人窟から500m程で右手に遍路道の表示が出ていた。しかし私はこの表示を無視して国道55号線を更に岬の突端へ向った。展望台があると看板が出ていたのだ。

折角室戸岬に来たからには展望台に登ってみたいと思ったのだ。きっと燈台があってその燈台を登れるようになっているものだと思っていた。が、着いてみるとそこにあった展望台は予想していたものと違った。

展望台↓
室戸の展望台.jpg

↑室戸市観光協会の前にある展望台。イメージと違っていたので登る気力もなく、来た道をすぐに戻り国道から山道に入る遍路道を登り始めた。

急な山道が続く。予想より高いところに24番最御崎寺(ほつみさきじ)はあった。標高は165m。一気に登ったので結構しんどかった。

24番最御崎寺山門↓
Image225.jpg

3日ぶりのお寺。土佐に入って初めての寺にようやくたどり着いた。境内にはさっき御厨人窟で会った神奈川のおっちゃんが物珍しそうにキョロキョロしながら歩いていた。挨拶をしてベンチで休憩。

最御崎寺境内↓ぱくり
24番最御崎寺.jpg

納経だけ早く済ませようと荷物を置いて立ち上がる。久しぶりに読む般若心経は意外にもスラスラと自然に口から流れ出す。歩くのが辛い時に頭の中で反復していた成果だろうか。

納経を済ませ暫くベンチで満足感に浸っていた。なんだろうこの満ち足りた気分は。人間はきっと岬などの先っちょに到達すると「極めた」という達成感を得られるものなのだ。

きっとそうに違いない。いや、もしかすると般若心経を上手に読み上げられたという満足感かも。


いいや、私にとって憧れの地、空海が悟りを開いた地、室戸に着いたから。

Image223.jpg


空と海と・・・・・空海の見た悟りの境地





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修行の土佐 10日目-4

2008年8月29日。お遍路10日目。

土佐の国はじめての寺、24番最御崎寺の納経を済ませ25番津照寺(しんしょうじ)へと出発しようとしていた。

津照寺までは6.5kmの道のり。だがそろそろ11時を過ぎる時刻。早くもお腹が空いていた。お寺から室戸スカイラインへと降りて行く途中でパラソルを立ててアイスクリームの露店があった。

アイスの露店↓パクリ
アイスクリンの露店.jpg

その名もアイスクリン↓
アイスクリン.jpg

このアイスクリンは高知の名物だそうで、遍路道にこの後何度も登場した。ともかく喉が渇いているのと空腹だったので、昼用に良く冷えたお茶と、このアイスクリンとやらを買ってその場で食べてみた。

感想は・・・・懐かしい味だと言いたいところだがこんなもの食べたのは生まれて初めてだったので懐かしくない。なんというか、シャーベットとソフトクリームの中間のようなさっぱりした味だった。

10分ほどアイスクリンのおっちゃんと「いやぁ、暑いねぇ」なんて世間話をしながら休憩してすぐ出発。お腹が空いていたのだがなんとしても海までたどり着きたいと思ったのだ。

最御崎寺は高台にあるのでさっきから海と人の居ない砂浜がチラチラ見えていたのだ。だから昼食は絶対に砂浜で、と決めていた。

高台からの土佐湾↓パクリ
土佐湾.jpg

そしてすぐに室戸スカイラインのクネクネした坂道に突入した。このスカイライン、尋常じゃない。何がってぇーと、その景色がだ。

スカイラインからの景色↓
Image226.jpg

もう一枚↓
Image227.jpg

↑若干分かり辛いかも知れないが道路の端っこから下を見ると眩暈がするほどの「崖」なのだ。はっきり言って写真を撮るだけで怖かった。高所恐怖症の人なら足がすくんで歩けなくなると思う。

それもそのはず、下から見るとこんな感じだ↓
室戸スカイライン.jpg

まるでジェットコースターのようだ。

上から観光バスが2台ほどゆっくり下りて来たが、窓から下を覗き込んだお客さんの悲鳴が聞こえてきた。高いバスから見た崖の様子はさぞかしおっかなかったに違いない。想像に余りある。

なんとか下まで下りきると、遍路道は旧道のような県道に曲がるのだが、私はランチの場所を探して海沿いの国道55号線を歩き始めた。

こんな感じの道↓ぱくり
室戸からの道.jpg

暫くこの道を歩いていると所々に階段がついていて海辺に下りられるようになっていた。場所を選んで砂浜に降りて行く。

荒い砂の浜だった。下りたところにある岩にもたれかかりロッジおざきで作ってもらった弁当を広げて昼食にする。それにしても暑い。日陰がないので菅笠は被ったまま。

食べ終わって波の音を聞いていたらなんだか眠くなり、ザックを枕にして菅笠を顔に乗せて仰向けに寝転んだ。裸足のスネに生温い風が当って気持ちいい。波の音、風、太陽・・・・・・

20分位ウトウトしていたら上の方で車が停まる音がして菅笠をズラして見ると釣竿を片手にしたオヤジが海の様子を伺っている。多分自営業者が昼に遊びに来たのだろうと思った。

さて、そろそろ出発するか。横になったお陰で疲れが少し消えている。これまでは徳島から室戸に向う、徐々に人の少ない地へ向っていたが、室戸から先は今度は高知市内へ向う徐々に賑やかな地へと向う道である。

ソテツだか、やしの木だかが街路樹として植えてある陽気な南国ムード漂う道路へと変わった国道55号線を海を見ながら歩き始めた。青い海とアスファルトの照り返し・・・・・暑い。南国だ。




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修行の土佐 10日目-5

お遍路10日目。

土佐に入ってはじめての札所、24番最御崎寺を打ち終えて室戸岬から土佐湾を眺めながら国道55号線を海沿いに歩いていた。

本日のルートマップ↓
24最御崎寺-26金剛頂寺.JPG

国道55号線が室戸岬港を越える所に海の駅とやらがあった。

海の駅↓ぱくり
海の駅とろむ.jpg

↑その名は「とろむ」 ん?とろむ?とろむとろむとろむとろむ・・・・・むろと!ってちょっと強引だなぁ。なんで逆さまにしたのかわかんないけど。

その海の駅とろむを過ぎると国道55号線はようやく遍路道と合流した。暫く海から離れて歩くこと約2km、室津港が見えてきた。昼寝のお陰か、ここまで集中してだれることなく歩いてきた。

国道55号線から室津の町へと入っていく所にコンビニがあり、表にベンチがあったので休憩することにした。ベンチがあるコンビニって有り難い。

室津に入る手前のYショップ↓ぱくり
津照寺手前のコンビニ.jpg

そう言えば今日宿泊する26番金剛頂寺の宿坊は、祭りがあるため夕飯の用意ができないと言ってたな。この先にもスーパーがあるかも知れないけど念のために保存食としてパンを買っておこう。ベンチで休憩させてもらったお礼として保存のきくパンを購入した。

余談だが、四国のコンビニで最も遍路に優しいチェーンはスリーエフだ。このチェーンはほとんどの店にベンチが設置されている。しかも「お遍路さん優先いす」と書かれているため、他の客は遠慮して座らないのだ。

お遍路さん優先いす↓
Image371.jpg

↑このチェーンはお接待の精神を見事に表現している。私はこのチェーンとは何ら関係がないばかりか、むしろ少し前まで競合という立場だったのだが遍路への思いやりに感謝したいと思う。

スリーエフさん、本当に有難う。

それに比べて我らがロー○ンは・・・・・ハァ。

えーと、Yショップさんの話だった。15分ばかりベンチで休憩させてもらい、再び歩き出す。25番津照寺まで600mほど。港の海のそばを歩いて行くと右に小さいスーパーがあり、そこを右折して登って行くと山門があった。

25番津照寺山門↓パクリ
津照寺.jpg

この寺は小さな下町の寺といった感じの庶民的な雰囲気があった。とりあえず納経を済ませ下のスーパーへと夕食を買いに戻った。多分ここを逃すと食糧を買えそうな所はないだろう。

店前のベンチでザックに食糧をしまいこんでいると観光バスが港に入ってきて近くに停まり、遍路姿の団体が下りてきて私の傍らを通り山門へと歩いて登って行った。関西弁でぎゃあぎゃあと大声で喋りながら歩くおばちゃん達に少しイラっとした。

・・・・俺は疲れているな。うん、つまらないことに腹が立つこともあるよな。目を閉じると、さっきのコンビニにベンチが設置してあったことを思い出す。あれを置いてくれた人はどんな優しい気持ちの持ち主だろうか・・・・・・

そんなことを思いながら少しの間上を向いて目を閉じて心を鎮めていると、顔にポツリと雨が落ちてきた。

いかん、ゆっくりもしてられんな。数十秒前までのイライラした気持ちは消えていた。菅笠の顎ひもを結び金剛杖を握り締め、もはや体の一部となった重いザックを背負って立ち上がる。


さてと、まだ金剛頂寺への山道が待っているのだぞ。今日の残りは後3.8km。楽しく歩こうと改めて思った。




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修行の土佐 10日目-6

お遍路10日目。

25番津照寺を出て室戸市内の室津と隣の浮津の小さな古い街並みの細い遍路道を歩く。夕食と飲み物を買い足したのでさっきよりザックが重くなっていた。

趣のある遍路道はあっという間に抜け、再び国道55号線と合流した。途中国道と平行する旧道に入り更に海沿いに歩く。津照寺から40分ほど歩いた所で遍路道は右の山手へと折れると目の前に金剛頂寺の山が見えた。

金剛頂寺の山↓
金剛頂寺の山.jpg

ここから道のり1.2km、標高差150mの登りは疲れ切っている足でもあっという間。無事16時過ぎに26番金剛頂寺に到着。

金剛頂寺最後の階段↓
金剛頂寺階段.jpg

山門には大わらじが祀られている↓
Image228.jpg

境内には願封じの椿とやらがある↓
Image229.jpg

本堂↓
Image230.jpg

↑本堂には真っ白な七夕飾りみたいなものが飾られていた。

本堂を正面に左手に納経所兼土産物屋の建物があり、本堂の前にはお祭りの準備をしている地元の人達と僧侶が働いていた。

納経所に入るとソカシこと神奈川のおっちゃんが納経待ちしていた。他に車遍路と思われる夫婦が二組ほどいる。

すっかり顔馴染みになったおっちゃんに今日は何処に泊まるんですかと尋ねた。はじめは金剛頂寺の宿坊に泊まりたかったのだが夕食が準備できないということでここから5kmくらい先の宿を予約してあるらしい。

そうなんだ。私は夕食抜きでここに泊まりますよ。ここから後5kmも歩くなんて人間技じゃあないですね。(あ、でも酔拳の達人か) いやぁそれは気の毒だ、私みたいに夕食買って来てここに泊まれば良かったのに。

おっちゃんの顔もさすがにこの猛暑の中歩き続けているため疲れ切っている。できればこの人と宿泊先を換えてあげたいと思った。元気がない人を見るとかつての自分を見るようでなんとかしてあげたいという衝動に駆られる。

だが、これはお遍路なのだ。お遍路は肉体を持つ己との対峙の連続・・・・・・・

納経を済ませて出発するおっちゃんに、「またお会いするでしょうね、お元気で」と見送った。ここから5kmなら疲れ切っているので1時間半くらいかかるだろう。

私も納経を済ませ納経所のお坊さんに宿坊の場所を尋ねた。

金剛頂寺の宿坊↓
金剛頂寺宿坊.JPG

50くらいの女将さん(って呼ぶのかどうか分からないが)が慌しくて食事も何も用意してあげられなくてごめんなさい、と申し訳無さそうに出迎えてくれた。そしてちょっと待って、と言って地下へ招かれ下りて行く。

地下にフロント&ロビーがあり、ソファーを勧められた。隣の食堂にはイスが積み上げられて片付けてある。端にあるテーブルには祭りのお客さんか、訪ねてきた親類にでも出すのか、祭り用の料理が重ねてあった。厨房でおばちゃん達が忙しそうに働いている。

女将さんもその中に交ざって何か作っている。暫くフロント前のみやげ物などを眺めて待っていると、女将さんがお膳を持ってでてきた。

私のために冷やしうどんを作ってくれたのだ。そして子供達に配るであろうウサギやパンダの形をした菓子パンをどっさりくれた。

風呂はすぐに入れるからどうぞ、と部屋と風呂の場所を教えてくれた。

部屋からの眺めは最高だった↓
Image232.jpg

↑土佐湾とその先に室戸岬が見えた。冷やしうどんには氷までのせてくれてあったのでこれだけ先に頂く。一日暑い中を歩いて来たので冷たい麺類はとても美味しく感じ、有り難さが心にしみた。

さっそく着ていたものを洗濯機に放り込み風呂場に向った。ゆっくり風呂に入っている間にも続々と来客が寺に来ている気配がしていた。どうやら今日の遍路の宿泊客は私だけらしい。広い風呂なのでなんだかもったいない。

風呂から上がって食堂にビールを買いに行った。食堂の冷蔵庫にはビンビールがたくさん冷やしてあり、お代は明日でいいからここから自由に持っていっていいという。

日も暮れて20時過ぎ、宿坊の玄関前の自販機にお茶を買いに行く。と、華々しい綺麗な浴衣を着た若い女の子達が玄関で出番待ちをしていた。阿波踊りの衣装だろうか?

さっき女将さんから祭りに来るよう誘われていたけど、こんなあでやかな女の子らの居るような所に一人で行ったら居場所が無さそうな気がしたので行けなかった。

お寺の方から踊りの声やら花火の音やら聞こえる。ビールを飲みながらもらった可愛らしい菓子パンを眺めていたら不覚にも少し淋しくなった。お祭りか、いつかこんなお祭りに私も参加するような日が来るんだろうか・・・・・・



歩いた距離、およそ25.3km。足が痛くて立ち止まった回数、30回。生まれ直したいと思った回数、エンドレス・・・・・





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修行の土佐 11日目

2008年8月30日。お遍路11日目。

26番金剛頂寺の宿坊で朝6時に目が覚めた。前日にお祭りがあったので宿坊お決まりの朝のお勤め(お経を唱える)はなかった。朝食は6時半に用意してもらっている。着替えてお化粧をして(いや、日焼け止めを塗るだけだが)階下の食堂へ。

女将さん(住職の奥様だと思う)が一人で食事の用意をしてくれていた。がらんと広い食堂にポツーンと座って有り難く朝食を戴く。

朝から品数も多く豪勢な朝食。お遍路に来てから朝食にご飯をお代わりするようになった。じゃないと昼までとてももたない。なんてったって午前中に平均20kmも歩くのだ。朝食をこんな美味しく食べられるのは幸せだな。

広い食堂で背中を丸めて一人で朝食をかき込む三十路半のおっさんを見て、さすがに寂しそうだと思ったのか女将さんがテーブルにやってきて話し相手になってくれた。(自分では全く寂しいとは思わないが客観的に見たら「この人、人生に疲れてるんだ」と思われても何ら不思議ではない)

この女将さんも最近歩きで遍路を始めたらしい。勿論宿坊の運営があるので区切り打ちで、前回は5月の連休に足摺岬を越え土佐の最後まで歩いたそうだ。次は9月の連休に再開して40番観自在寺から歩くそうだ。

観自在寺と言えば伊予の国はじめのお寺。宇和島の下辺りだ。なんとなくまたお会いできるかも知れませんね、などといい加減なことを言った。どれくらい後に伊予に入るかなんて計算したこともなかった。土佐が始まったばかりなのだ。

7時頃には準備を整えて階下のフロントへ清算しに行く。昨夜調子に乗ってビールを2本も飲んだので割高な宿泊になっちゃったな、と思いつつ。

だが女将さんにビールの自己申告をすると「お接待です」と言われた。え!いいんですか?人の好意は断らずに素直に喜ぶに限る。特にここはお四国、お接待は遍路のみならずお大師様への施しの意味もあるのだ。

それに逆の立場なら私も素直に喜んでもらった方が嬉しい。ということで、あんまり可愛いという表現が当てはまらない代表的な世代の「おっさん」であることは十分に認識していたが、できるだけ嬉しそうに、ぬれた犬のような目で(表現間違えてないか?)、一世一代のラブリーな笑顔で応えた。(つもり)

さて26番金剛頂寺から27番神峯寺(こうのみねじ)までは27.5kmの道のり。この日の宿泊は標高430mの神峯寺の麓にある民宿、浜吉屋さんを予約していた。

今日のルートマップ↓
26-27番.JPG

神峯寺への登山は遍路ころがしとして有名なので、この浜吉屋さんまで約24kmの海沿いの道を歩き、まずチェックインして荷物を置き身軽になって神峯寺への登山をすることにしていた。

まず海抜165mの金剛頂寺から海沿いの国道55号線まで1.6kmほど下る。山道と所々アスファルトの長閑な農道だ。

こんな道↓ぱくり
金剛頂寺下り.jpg

キラメッセ室戸という道の駅を過ぎた辺りで海沿いの遍路道に出た。ここから暫くは海沿いに歩く。1時間ほどで吉良川という古い小さな町に入る。国道55号線と平行している落ち着いた街並みの旧道を進む。

ここ吉良川の町は古い街並みを保存しているとのことでとても趣のあるシックな通りだ。

吉良川の街並み↓
吉良川の街並.jpg

その街もすぐに抜け再び海沿いの国道と合流。実にこの辺りの印象がほとんどない。だが数日前から痛む左足の付け根もこの日は調子が良くて所々休みながら次の羽根という町を抜け標高110mの小さな中山峠の山道を越え、海沿いをダラーっと歩き疲れた頃に奈半利(なはり)の町に入って行った。

時刻は既に昼前頃。奈半利川を渡り隣の田野町に入るとすぐに田野駅と建物を共同(?)している道の駅田野に着いた。既に11時過ぎでお腹が空いていたのでランチ休憩をすることに。

道の駅田野↓ぱくり
道の駅田野.jpg





ここで、私が弟分のように思っていた、ある人物との出会いが待っていた。





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修行の土佐 11日目-2

お遍路11日目。天気は晴れ。

27番神峯寺まで後10kmほどの道の駅田野に昼食を摂るために立ち寄った。折りしもこの日は土曜日。しかも昼前ときた。道の駅は結構な人で賑わっていた。

この道の駅と隣接している田野駅は室戸岬に最も近い奈半利の一個北の駅。この鉄道は土佐黒潮鉄道の、その名も「ごめん・なはり線」 なんともユーモラスな路線名だ。ごめんの方は、南国市の後免駅のことだ。

そしてこの道の駅のシンボルがこれ↓ぱくり
道の駅田野いしんくん.jpg

↑田野いしんくん。ここ田野は二十三士の墓というのがあってこの人達は明治維新に関係していたので田野と明治維新をかけたらしい。(二十三士のことはよく分からんし興味もないので各自でググってください)

ともかくこのシンボルキャラクターはあの、やなせたかし氏がデザインしたもの。やなせ氏の生まれが香美市(南国市の北隣)のためということらしい。アンパンマンミュージアムもそこにあります。

ま、ともかく上の写真で田野いしんくんの後ろに白いイスとテーブルがある。それを見つけて空いている手前のテーブルのイスを一つ確保してザックを下ろした。見ると奥のテーブルにはでかいザックが置いてあり疲れた顔した若い遍路が座って休んでいる。

コイツが香川最初の寺、66番雲辺寺の前日まで度々会うことになる弟分1号だった。愛嬌のある顔をしていたのですぐに近寄って行き声を掛けた。

「こんちわ。野宿?」挨拶の直後に野宿?ってのも妙だが、それだけ大きいザックを持っており、何より疲れ切った顔をしていた。後に歩き遍路仲間で「あの疲れた顔した大学生」と表現されていたくらいだ。

出身は習志野(千葉)で現在東京の大学に通う1年生だそうだ。大学の夏休みに完全野宿で廻っているとのことだった。当然お金はほとんど持ってないらしい。

習志野代表学生野宿遍路↓
Image675.jpg
↑60番横峯寺手前のコンビニで。(会った時点ではもっとぽっちゃりしていた)元気にしてるか?

夏バテを絵に描いたような個性的な顔を見ていると、何か食べさせたくなった。動物園で餌をやりたくなる心境ときっと同じだ。のでちょっと待ってな、と言って道の駅の売店に入って行きこいつを買ってきた。

室戸の水↓ぱくり
室戸の水.jpg

海洋深層水だそうだ。これを二本購入し一本あげた。ついでに昨日御厨人窟で買った、私の口には合わない海洋深層水の塩飴をザックから出して、美味しくないけど良かったら食べてと言って残り全部をあげた。

更に昨日非常食として購入しておいた菓子パン、金剛頂寺の宿坊でもらったウサギのパンなど食べられるもの全部をザックから引っ張り出してヤツにくれてやった。

あ、俺が食うもん無くなった。道の駅の売店にもう一度入って行って適当に惣菜とご飯を買って彼と同じテーブルに座り直して食べた。

話も休憩もそこそこに、元気でな、と言って出発。もう昼になるのにこれから遍路ころがしが残っているのだ。

そこから5kmほど、約1時間半海沿いの道を歩き宿泊地の浜吉屋さんに到着した。

浜吉屋↓ぱくり
浜吉屋.jpg

この日はここまで既に24kmも歩いていた。もちろん疲れている。普通ならほぼ一日の歩きは終わりとなるところだ。だが、時刻はまだ13時半頃。肝心の遍路ころがしが終わっちゃいないのだ。

玄関の良くわからない宿の建物に向ってこんにちわー、と大声を出しているとおばあちゃんが「はいはい」と言いながらゆっくり歩いて出てきた。

浜吉屋の名物女将↓
浜吉屋名物女将.jpg


推定80歳は過ぎているだろうこのおばあちゃんと、この後賭けをすることに・・・・・




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修行の土佐 11日目-3

2008年8月30日。お遍路11日目。

この日は26番金剛頂寺の宿坊から土佐湾を左手に見ながら海沿いの道を延々24kmも歩きようやく本日の宿泊地、浜吉屋さんに到着したのが1時半頃。早過ぎるチェックインだったが声を掛けると80は過ぎているだろうおばあちゃんが出てきた。

本日のルートマップ↓
浜吉屋-27.JPG

「早いんでこれから27番神峯時(こうのみねじ)に登ってきます。荷物置かせてもらっていいですか?」「ここからだとどれくらいかかりますかね?」

既に時間の感覚が薄れていそうなこの名物おばあちゃんは、「神峯時まで3.5km(宿からは4km位あると思う)の登りだから片道で1時間半、往復で3時間が標準タイムだ」という。

「そんなにかかんないでしょ?僕荷物置いてくんですよ?登りと納経を合わせて1時間ちょっと、下りで30分ちょっととして1時間半くらいで行けると思うんですが・・・・」

「ムリムリ。早い人でも2時間半はかかる。遍路ころがしなんだからそんなに早く登れるもんでねぇ」ブリ♪(オナラの音)

ほーう、そうですか。そんなにはっきり無理言われた上に屁までこかれちゃぁ、こっちも元体育会系の意地ってもんがある。「そうですかねぇ。ま、きっと1時間半位で帰って来ますから風呂沸かしといてくださいよ」「じゃ、行ってきまっせ」

部屋に荷物を置いて納経の道具をウエストバッグに詰め、500mlのペットボトルを一本手に持ち菅笠をかぶり金剛杖を持つという軽装で下りてくると、おばあちゃんはニコニコ、ブリブリとオナラと共に見送ってくれた。ばーちゃん、オナラし過ぎや。

出発した時刻は14時ちょっと過ぎていた。15時半頃に戻ればいいんだなと。田んぼの中のアスファルトの道を神峯時のある山へと向って急ぎ足で歩き始める。

すぐに土佐くろしお鉄道の線路を越え、細い川沿いに歩いて行くとほとんど民家は無くなった。所々畑やら果樹園やらが両側にある道を暫く登る。まだアスファルトの道だ。

今日、これまで24kmも歩いて来たのが嘘のように荷物を背負っていない足取りは軽い。金剛杖を突く幅を広めにして物凄いスピードで駆け抜けて行く。結構急な斜面なのだが走って登れそうなほど身軽だ。

8kgくらいのザックを背負っているというのはなんとシンドイことなんだろうと、改めて気付いた。そしてそんな荷物を背負って10日以上歩いてきた自分の身体に、いつの間にかとてつもない体力がついているのに驚いた。

上りが更にきつくなり車道は曲がりくねって行き、遍路道は直線的で車道を縫うように山道と車道とを繰り返す。だが全くシンドくない。常態化している足の付け根の痛みもほとんど感じない。

歩くのがとても楽しい。淡々と登っていると目の前に山門が現れた↓
Image235.jpg

結局一度も休みたいとも思わずに山門に着いてしまった。

山門↓
Image236.jpg

時計を見ると・・・・・なんと、40分しか経ってない。

「オレ、早っ」 自分でもちょっとビックリした。


つづく




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修行の土佐11日目-4

お遍路11日目。

浜吉屋さんに荷物を置いて早足で歩くと27番神峯寺になんと40分で着いてしまった。境内を歩いていると佐倉のおっちゃんがベンチに座っていた。私も隣のベンチにって休憩。

おっちゃんは今日ドライブイン27という浜吉屋の近くにある民宿に泊まるそうだ。荷物を持っていたので民宿に置いてくれば良かったのにと言うと、はじめて気付いたように、ああそうだねとのんきな事を言っている。

暫く休憩しながらそろそろ高知市ですね、なんて話をしていると思い出した。1時間半で帰らなくちゃ。おっちゃんは納経を済ませたらしく坂を降りて行った。

私も納経を済ませて時間を見ると15時をちょっと過ぎている。いかん、走って帰らなきゃ。これじゃまた走れメロス状態だな。山門を出た途端、走り始めた。依然として身体は軽い。

走るというより急な下りの山道なので跳ぶに近い。だが荷物がないので全く膝に負担がかからない。山道を終えてアスファルト道に出る頃に佐倉のおっちゃんに追いついた。

あらためて浜吉屋のおばちゃんと賭けをしていることを告げると少し笑って「頑張って」と言ってくれた。あんまり笑わない人だと思ったのでちょっと嬉しい。

坂道を半分下りてくる頃には完全にマラソンになっていた。我ながらあほうだな。でも身体はすっかりハンドボール部に所属していた大学時代に戻った感じがして楽しい。

遍路前半で歩くのが楽しかったのはココくらいだと思う。逆に言うとそれ以外は常に足の付け根が痛むだのマメができるだの肩や首が痛むだのと何かしらの故障を抱えて痛みを堪えながら歩いていた。

後に足摺岬を越えた辺りで気付くのだが、足の付け根の関節が妙に痛むのはザックを背負うポジションが悪いからだったのだ。本来もっと上の方で背負うべきなのを骨盤に少し当るようにして背負っていたために骨盤の歪みが痛みとなって現れていたのだろう。

他の歩き遍路を見ていてもザックを正しい位置に背負えているのは案外稀だった。私の経験からも、ザックの正しい背負い方は必ず登山用品店や登山に馴れた人に教わり、調節してもらった方が良い。正しい背負い方をすると余り荷物が重く感じないものだ。

あんまり分かりやすいサイトは無かったけど、ここ辺りは最低一読した方が良いですよ。

ともかく最後は完全にダッシュ状態でなんとか浜吉屋に30分ほどで到着。玄関開けておばーちゃん呼んでゆっくりとおばーちゃんが登場するまで5分近く辛抱強く待った。

「本当に1時間半で戻って来ちゃった」おばーちゃんも信じられないというような顔を一瞬みせたがその直後に、ブブブっと1発かまして何事もなかったように「疲れたやろ、もうすぐ風呂沸くよ」と言って台所へ消えていった。

い、今の一発は驚きの表現ですかね?それともそんなの「へ」でもないと言うこと?

ともかく余りに平然とするのでそんなの気にする方がおかしいんじゃないかと思えてくるほどだ。

この日は他に神奈川のおっちゃんと、はじめてお会いする山口から来たと言うおっちゃんと、もう一人はじめて会う物静かなおっちゃんが宿泊していた。お遍路に来てはじめて3人もの同宿者が居たので少し賑やかな感じの夕食となった。

山口氏は年頃の独身娘を神奈川のおっちゃんの息子に紹介したいと鼻息荒く詰め寄っていた。少し迷惑そうな顔をしているの顔馴染みのおっちゃんを私はニヤニヤ眺めながらビールを飲んだ。

多分人生楽しむことを知っているおっちゃんは、そんなの子供自身に任せたらいいじゃないか、と思っていたに違いない。

後にこの山口氏は夏は暑くてシンドイと言って途中で帰郷することになるのだが。ともかく辛いシンドイが口癖で愚痴ばかり言う人だった。

もしかしてお婿さん探しの旅だったのかね?過干渉な山口氏が娘さんから敬遠されている様子が目に浮かぶようだ。子供は親の世間体や見栄を保つ道具じゃあない。

親が子供に与えられる最大の教育というのは、自分らしく人生を楽しむこと(=幸せに生きる術)を教えることではないか?それを勘違いして親が幸せになるための道具として見た時、子供は敏感にそれを察知して親を嫌いになるものだ。

そうでない場合、心の優しい子の場合は親から見た良い子を演じようとして本当の自己とのギャップに苦しみ、鬱になったり引き篭もったり苦しい人生を送ることになる。


こんな親も子も苦しみ、誰も楽しくない、無価値な時代が早く終われば良いのに・・・・・





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修行の土佐12日目

2008年8月30日。

11日目の歩いた距離書き忘れましたが、約33kmです。

では12日目。この日は久しぶりに朝から快晴。27番神峯寺から暫くは海沿いに土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線と平行しながら歩く。

朝6時に朝食を頂く。テレビの天気予報で快晴と言っている。見るからに外が晴れて青空が覗いているのでウキウキしてくる。お馴染みの神奈川のおっちゃんは準備が早くて私より10分くらい早く出発して行く声が聞こえた。

この人は何に対しても感謝を言い、食事の時も必ず少し大袈裟に感じるほど美味しいと声に出しながら食べる。だからおっちゃんと居ると色々サービスのおこぼれに会うのだ。この日も宿を出る時「お陰さまで」という言葉が聞こえていた。

私も次に出発する。神奈川のおっちゃんは、自分は足が遅いので朝は早く出るようにしていると言っていた。この日は少し遅い方だったようだ。

私は午前中にできるだけ距離を稼ぎたいので朝一はかなり早足で歩いていた。ということで3kmくらい歩くと前を歩く神奈川のおっちゃんに追いついてしまった。

よく見るとおっちゃんの杖は先が前後に節くれて矢印(↓)みたいな形になっていた。強く突くからだろうと言ってたけど珍しいパターンだ。私は節くれになるのを予想していたので突く度にヒネリを加えて平に削るようにしていた。

おっちゃんを抜き、少し行った先の道路の脇にこんな店を発見↓
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↑シャッターの上に、ドロボー役人とか役人の悪口が書いてある。想像もできないが、なんだかヒドイ目にでも合わされたのかいな。余りに強烈な怨念を放っていたので思わず撮ってしまった。

延々と続く岩場の綺麗な海岸線を見ながら1時間ほど歩くと道の駅大山に着いた。まだ朝早いので人は2,3人しかいない。売店はやってないのでトイレを借りて自販機でお茶を購入してベンチで少し休憩。

道の駅大山↓ぱくり
道の駅大山.jpg

道の駅大山のすぐ先から防波堤沿いの遍路道に入った↓
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とても天気が良い。

堤防からの眺め↓
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砂浜に下りてみたいという衝動に駆られる↓
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だが遍路道を見失ったり行き止まりで戻ったりするのは面倒なので止めておいた。そんな防波堤の遍路道を3kmほど歩き伊尾木(いおき)駅の近くの高架線をくぐって再び国道55号線に出る。

出てすぐの所にコンビニがあり、見ると佐倉のおっちゃんが駐車場の車止めに座って休んでいた。

「おはようございます」と声を掛けると、「お宅のコンビニはベンチないから休めないねぇ」と冗談交じりに言われた。

うーん、全くね。既に退職しているのだが、こちらも冗談で「済みません。善処致します」と答えておく。確かに歩き遍路にとってコンビニは食糧調達のメインショップであるし、尚且つ飲み物を買って休める貴重な休憩所なのだ。

できればベンチに座って靴も靴下も脱ぎマメのできた足に風を当てたいし、そうすると疲れの癒され方が全然違う。


ということで四国にあるコンビニさん、田舎の店舗だけでいいから店前にベンチ置いてやってくれませんかね?歩き遍路からの切なる願いです。




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修行の土佐 12日目-2

2008年8月31日。お遍路12日目。

この日は快晴。27番神峯寺の麓にある浜吉屋を朝出発して海沿いを歩き道の駅大山から防波堤沿いの遍路道に入り3kmほど歩くと再び国道55線に合流した。出発から3時間、安芸市へと入る。

12日目のルートマップ↓
浜吉屋-海風荘.JPG

安芸市も古い街並みがよく保存されている街で市内には野良時計という有名な建物があるらしいがどこにあるのか知らなかったし、たとえ知っていたとしても遍路道を大きく外れることになるので間違いなく寄らなかったことだろう。

野良時計↓ぱくり
野良時計.jpg

安芸市内で遍路道は国道沿いの道と古い街並みを通る道とに分かれる。私は古い街並みの方を選んだのだが全く写真を撮らなかった。そう、この日の写真は海、海、海・・・・・海沿いを歩いた印象が強烈だったのだ。

安芸市の外れに安芸漁港がある。この漁港は日本一高い防波堤ということらしい。

日本一の防波堤↓
安芸日本一の堤防.jpg

安芸漁港↓
安芸漁港.jpg

↑確かに高い。海面から16mと言ったら相当な高さですよ?

その安芸漁港から再び防波堤沿いの遍路道に入る。この道は延々と15kmも続くサイクリングロードなのだ。ごめん・なはり線の夜須駅の先まで続いている。

ピーカン(死語)の下、堤防とアスファルトからも照り返しが厳しい遍路道をただただ歩く。しかし暑い。飲み物はいくら飲んでも30分でまた喉が渇く。

波際を裸足でちゃぷちゃぷ言わせながら歩いたらさぞ気持ち良かろう。と思って我慢できず前方に再び堤防へ上がる階段があることを確認して砂浜へと下りてみた。

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下りてすぐに裸足になってみたのはいいものの、灼熱の太陽に照らされた砂浜は猛烈に熱い、なんてことはアホウなので想像もしなかった。

たまらず、アツッと声に出してしまったが、なるべく平然と(?)右足が熱いと感じる前に左足と交代し・・・という水面を歩く原理を思い出して早足で暫くは我慢して歩いた。なんでそんな我慢をしたのかというと、近くに人がいてこちらを見ていたのだ。

つまり、お遍路さんが防波堤から下りてきた→暑いのにご苦労さまです→靴を脱いで歩き始めた→歩いたと思ったらすぐにまた靴を履いてしまった→砂が熱いのわからんかったんかい! てな屈辱的な視線には耐えられなかったのだ。(単なる被害妄想だと思うが)

そんな訳で急いで防波堤の上に戻って砂浜を眺めるハメに↓
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「ふるさとは遠きにありて思うもの・・・・・」 ってカッコ良くないか。


そんな炎天下の砂浜で5歳くらいの男の子と若いお父さんが楽しそうに釣りをしているのが見えた↓
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・・・・・今頃あの子も5歳になるのか。


遠く霞んだ記憶と、心の傷が、汗と共にタオルをぬらす・・・・・





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修行の土佐 12日目-3

お遍路12日目。

防波堤の遍路道に入ってから約5km1時間ちょっと。そろそろ赤野の町に入ろうとしていた。

遍路道は相変わらずサイクリングロード沿いに続いている↓
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時刻は11時過ぎ。既にお腹が空いていたので遍路地図に載っているうどん屋を探すため遍路道を外れて国道55線に入った。

ごめん・なはり線の赤野駅手前にあるはずなのだが赤野駅を過ぎてしまっていた。だからといって戻って探すなんてことは全く念頭になくそのまま1kmほど先にあるコンビニを目指した。

暑い。天気が良いので気分的にすっきりしているのだが真っ青に抜けた空から降り注ぐ光は容赦なく全てを焦がす。

ようやくの思いでコンビニに着く。中には2組ほどの海水浴目的と思われる家族が買い物をしていた。ザックと菅笠をはずし杖を置く。ここは遍路用のベンチがあった。昼食用にサンドイッチなどを購入し出発。

砂浜で食べようと決めていた。異常な暑さだが日陰くらいあるだろ。わじきという駅の辺りからサイクリングロードを越え海へ出た。

物凄い日射し。100m先に古い船が砂浜に置かれていた。あそこの下で食べよっと。船の陰に入り裸足になって昼食を摂る。火照った足に日陰の冷えた砂が気持ちいい。

平和な海の眺め↓
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昼食を食べ終えて仰向けに寝て菅笠を顔の上に載せて目を閉じる。ウトウトとしていたら右腕がヒリヒリしてきた。陰が移動したらしい。と、後ろの方で人の声がした。

起き上がって見ると、5、6人の若い男女が砂浜で遊びにやってきていた。居心地良くないので仕方なくザックを背負って出発。暑いのを我慢しながら裸足で波打ち際まで行き足を濡らしながらそのまま砂浜を歩いて行こうと思っていた。

波打ち際↓
Image251.jpg

ずっと先まで続く琴ヶ浜↓
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今日宿泊する国民宿舎海風荘はここから3.5kmしかない。時間はたっぷりある。ゆっくり歩こう。だがこの浜は砂と言うより砂利くらい粒の大きい砂浜で目茶苦茶足が取られる。50mほど歩いてすぐに断念。あんな遠くまで歩いたらバテバテになってしまう。

靴を履いて再びサイクリングロードの遍路道に戻る↓
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↑松林が続く綺麗な道だ。

このサイクリングロードはこの辺では土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の高架の下を通っている。

その高架の下にホームレスが作ったと思われる休憩所があった↓ぱくり
琴ヶ浜サイクリングロード.jpg

↑その休憩所の隣にはビニールシートとダンボールなどで作った居住設備があった。ご自由にどうぞとか書いてあったが余り気が進まず通り過ぎる。

暫く歩いていると前からさっきの休憩所の持ち主と思われる見たまんまホームレスのオヤジが自転車でフラフラと走り去って行った。

何故か猛烈に眠気がして次休めそうな所があったら横になろうと思っていると少し先にこじんまりしたプールが見えた。近づくとプールは暫く使われていないと思われ水が緑色をしていた。

そのプールの端にベンチがあったのでヘタリこみ、ザックを枕に、菅笠で顔を日陰にして目を閉じた。

夢の中で、小さい子供とお母さんが会話をしている・・・・・・いや、この声は夢ではない、と目を開ける。時計を見ると小一時間経っていた。炎天下の中を歩き続けたので余分な体力を消耗して疲れたのだと思う。

サイクリングロードを小さい女の子とお母さんが歩いて通り過ぎて行くのが見えた。

さてと。休んだお陰で体力も気力も回復し再び元気に歩き始める。時刻は13時過ぎ。


午後の日射しは幾分やわらかく感じた。




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修行の土佐 12日目-4

2008年8月31日。お遍路12日目。

琴ヶ浜のサイクリングロードを続く遍路道から再び遍路道は国道55号線に合流するところだった。

国道55線に出ると少し坂道になっており海から切り立った崖の上へ向っている。その坂の途中にスゴイ建物が。

スゴイ建物↓
いちとにぶんのいち.jpg

いちとにぶんのいち ビュー店

南国市に本店を置く喫茶店グループらしい。建物の3分の1(1と2分の1じゃないじゃん)が崖から空中に飛び出しているという。

高所恐怖症の人ならお金をもらっても近づかないだろうが、海から上陸したゴジラなら真っ先にぶっ壊しそうなゴジラ好みの雰囲気は持っている。

この日は日曜日ということもあって店内はカップルだらけだった。確かにロマンチックな愛の言葉でも囁くのに丁度良さそうな絶好のロケーションである。(そんなキザなことをしたことはないが)

暫くなだらかに坂を上って行くと「リゾートホテル海辺の果樹園」というこれまたロマンチックな名前の巨大なホテルが見えた。

海辺の果樹園↓
海辺の果樹園.jpg

そろそろ私の予約している国民宿舎海風荘が見えるはずだ、と眺めていると見えてきた。

海風荘↓
国民宿舎海風荘.jpg

見えるもののなかなか近づかない。と思っていると遍路道に看板があった。左手に目視できているのにその看板の道案内は右に曲がるよう示している。

なんのことか分からんけどその看板に従って国道を横切り右手の坂を更に上っていく。途中に別荘みたいな建物がポツンと建っていた。

もしかして勘違いして道を間違えたんじゃないか、と何度か思いつつも上っていく。と国道の上に架かる陸橋を渡るようになっていた。渡って更に登ると海風荘の建物が見えた。

海から結構な高さがある。きつい日の射す戸外から館内に入るとヒンヤリと涼しく感じた。売店の奥にある客向けのインターネットサービス用パソコンで支配人のバッチをつけた人が遊んでいる。

まだ14時半頃だったので、早いけどチェックインできますか?と尋ねると、快く大丈夫ですと言ってくれた。お客さん用のPCで遊んでいる割にいい人だ。風呂もすぐに入れるという。有り難い。

部屋へ入り、土佐湾を眺める↓
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うん、いい景色だ。すぐに着ていたものを全部脱いで浴衣に着替えて洗濯してから早速風呂場へ向う。広いし土佐湾が一望できる眺望も良く、少し温めの長湯できる風呂だった。

この風呂場で、鏡に映った自分の足を見て驚いた。がっしりとしてたくましいのだ。たった12日間お遍路しただけでこんなに鍛えられるとは。上半身もたくましくなっていた。重いザックを背負っているためだろう。

勿論風呂は貸切状態だったので2時間全身をマッサージしながらゆっくりした。

風呂から上がると既に日が傾き夕日が雲間から見えていた↓
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このホテルは最上階に展望室がある。というのを思い出して、いざ最上階へと向う。

展望室からの眺め↓
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↑手前に見える堤防は手結湾(ていわん)。

あの方角には足摺岬があるんだろうな、と南西の方角に微かに見える陸地をの方を眺める↓
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この日の宿泊客は出張だと思われるサラリーマンのおっちゃんと私の二人だけだった。夕食後久々にネットでメールでもチェックしようと思ったが支配人さんがまだ独占していた。ま、いいや。

あ、忘れていたけど、毎日歩き終えて宿に着くと、足の裏、特にかかとの部分が痛くてビリビリしていた。足を地面に着ける度に痛む。一日30kmくらい歩く足へのダメージは想像以上なのだろう。

正確に言うと歩いている途中も痛いのだが靴のクッションがあるためか歩くことに気が向いているためか半分は忘れている。そして宿に着き靴を脱ぐと思い出したように痛み出すのだ。

このため宿の廊下は手すりや壁に手をつきながら、ゆっくりなるべく衝撃を与えないよう注意して歩いた。他の遍路も宿で足を気にしながら歩いていたのでやはり同じ状態だったのだろう。

この足の裏の痛みは遍路の初日辺りから始まり、なんと遍路から帰ってから2週間後まで続いた。実家に帰ってからもずっと足が痛むので一体いつになったら痛みが消えるのかと不安になったものだった。

この日は夕食を早めに食べて8時過ぎには就寝。寝る前に痛む足を引きずりつつ展望室へ上がり漁火を見ながらビールを飲み、淡い思い出を洗い流した・・・・・


明日はいよいよ高知市に入る。


歩いた距離約25km。




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修行の土佐13日目

2008年8月31日。お遍路13日目。

この日は昨日と変わって薄曇りの空。国民宿舎なのであんまり早い出発はできないということで朝7時に朝食を摂りすぐに出発。

本日のルートマップ↓
海風荘-サンピア高知.JPG

出掛けに支配人さんが遍路道までの隠れた近道を丁寧に教えてくれた。海からそびえ立っているこの国民宿舎から直滑降で真下の手結港(ていこう)まで山道を下りるようだ。

言われた通り駐車場の下にあるガードレールの切れ目みたいな所から獣道のような道があった。だが急な下り坂を進むと古い道祖神が幾つか道端にある。この道はきっと古くから地元の人が使っていた生活道路なのだろう。

教えてもらったようにあっという間に手結港まで下りてしまった。そしてこれが有名な橋という訳だな、とピンと来た。

手結港の橋↓
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Image260.jpg

私は見ることができなかったが、この橋がこうなるのだ↓ぱくり
手結港.jpg

長さ32mもある可動橋という訳だ。因みにこの手結港は350年前の日本最古の手掘り港ということらしい。石垣で作られた港はなんとも風情があり朝霧の漂うなんとも風情のある光景を見せてくれた。

この可動橋を渡って200mほどで夜須駅と一緒になった道の駅夜須がある。

道の駅夜須↓ぱくり
道の駅夜須.jpg

まだ朝7時代なので当然お店はやってない。それにまだ出発したばかりなので休憩したいとも思わないのでスルーした。だが後にこの道の駅夜須において不思議な出会いがあるのだ。

この夜須から2、300mほどで昨日から続いていたサイクリングロード沿いの遍路道がようやく終わる。ごめん・なはり線の高架の下をくぐって再び国道55号線に合流。

ここの55号線は高知への通勤ルートなのか、この朝の時間帯に渋滞していた。排気ガスと車からの視線が嫌だなと思っているとすぐにまた国道を外れ古い旧香我美町の街並みへ入った。

旧道みたいな生活道路に入ってすぐに住宅街にまぎれて遍路小屋がポツンとあった。

遍路小屋香我美↓
遍路小屋香我美.jpg

旧香我美町と旧赤岡町の古い街並みを抜けると再び国道55号線に合流。ここでは国道55号線は2車線になっていた。さかのぼって徳島で初めて海に出た由岐辺りから単調な室戸への道など田舎の国道の印象が強かった55号線が一変していた。

その太い国道のちゃん縁石のある歩道を歩き始めると憂鬱そうな空から大粒の雨がポタリと落ちてきた。天気予報を見てカッパの用意はできていたがまだ濡れても気にならないほどだったので菅笠のカバーだけしてそのまま歩いた。

そうしている内に雨のテンポが速くなりついにはザーと音を立てるまでになった。すぐ先に駄菓子屋みたいな小さなお店があったのでその軒先まで急ぐ。

駄菓子屋みたいなお店↓ぱくり
マルナカ香南.jpg

↑その時はまだ開いてないその軒先に入ろうとすると一人の遍路が空を見ながらたたずんでいた。

4日前に室戸のはるか手前、那佐湾の前の喫茶ふくおかさんで一緒に朝お接待を受けた40歳の広島から来た野宿のお遍路さんだった。遍路に来てから夏バテになって食欲がないと言っていた。そう言えばまた一段と顔が引き締まった感じに見えた。


野宿大変なんだろうな、と思いながら挨拶を交わす。





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修行の土佐 13日目-2

2008年8月31日。お遍路13日目。

夜須にある国民宿舎海風荘を出発し海沿いのサイクリングロードと別れて旧道を進み、更に海から離れて国道55号線と合流して高知市内へと向う。まずは手前の香南市にある28番大日寺からだ。

国道55号線に入ってすぐに大粒の雨が降ってきて駄菓子屋と書いたが、記憶によると小さな酒屋で、その軒先に避難してカッパを着ることにした。そこには先客がいて、それは数日前に出合った広島から来たという完全野宿(テント有)の40歳男性遍路だった。

おはようございますという挨拶もそこそこに、降っちゃいましたねと声をかけ自販機でお茶を買って飲みながらザックからカッパを取り出して着ていく。カッパ着ると蒸れるし暑いし嫌だな、と広島野宿氏はカッパを出そうとしない。

昨夜は夜須の道の駅で野宿したそうだ。依然としてよく眠れてないらしい。初めて会った時にはちょっとポッチャリした感じの顔だったが、段々頬骨が出て締まった顔になってきたように見える。

相変わらず夏バテで食欲がないとの。よくそんなボロボロのコンディションで野宿が続きますね、と少し大袈裟に感心してみる。

なんだか誉めてんだかけなしてんだか微妙な言い方だが、これがツボだったようで、憂鬱そうな顔から笑顔が洩れた。良かった。

前回一度あった時にはなかなか心を開いてくれなかった。特に男同士の場合、歩き遍路という連帯感みたいなものはあってもすぐには心の距離を縮められない場合がある。

そろそろ宿に泊まって休んだらどうですか?と言うと、今日高知駅前辺りのビジネスホテルで休もうと考えていたとのこと。

それはいいですねゆっくり休んでくださいね、と言い残してお先にと出発する。今日は足の調子が良くてまだ休む気がしなかったのだ。

2車線の国道55号線に入り500mほどの所に民宿かとりがあった。確かこの民宿は随分前から遍路道沿いにたくさん看板が出ていたので名前を覚えていたのだ。

そして神奈川のおっちゃんが昨日ここに泊まると言っていた。通りがかると丁度二階で女将さんと思われる人が布団を干していた。おっちゃんはもうとっくに出発しただろうな。

そこから1kmほど歩くと前方に高知黒潮ホテルの立派な建物が見えてきた。実は昨日の宿泊地を国民宿舎と迷った所だ。少し割高だったのだがスーパー銭湯併設なのが魅力だった。

高知黒潮ホテル↓ぱくり
黒潮ホテル.jpg

すぐに烏川と土佐くろしお鉄道に架かる陸橋を渡る。遍路道は黒潮ホテルの手前で右手に進むのだが私はコンビニで買い物をしたかったのでそのまま国道55号線を進んだ。

コンビニに寄ってすぐの交差点を右に曲がり野市(のいち)の駅方面に歩いて行く。線路を越えると遍路道と合流し、200mほど先に香南市役所が左手にあり駐車場に銀行ATMがあったので立ち寄り久しぶりにお金をおろした。

雨は依然として小雨が降ったり止んだりしている。遍路道は小さい烏川沿いの穏やかな道を進む。すぐの左手に龍馬歴史館の建物があった。

龍馬歴史館↓ぱくり
龍馬歴史館.jpg

観光バスが入っていくのが見える。時刻は9時過ぎ。丁度開館した頃だ。今の私なら寄ったかも知れないが、遍路は観光じゃないと思っていたので観光地に立ち寄って時間を潰すのは嫌だった。のでパス。

そこから1km先に28番大日寺がある。寺に上がる手前に確かサンガリアの自販機があり、関東の人間にとってはもの珍しく、通常よりも安いのでなんかサンガリアらしいヘンな飲み物を購入した記憶がある。

ともかく2日ぶりの札所だ。27番神峰寺から37.5km。長く平和な海の道だった。

28番大日寺↓ぱくり
28番大日寺.jpg

とりあえず納経を済ませた。雨は既に止んで空には晴れ間が覗いていた。ベンチに座って休憩しながらカッパを畳む。

今日歩き始めて10kmほど。いつもなら既に足が痛くてダレている頃だが、この日は違った。本当に調子が良いのだ。なので余り休憩もせずに出発。

寺の階段を下りて行く途中で先に会った広島野宿氏が登ってきた。雨上がりましたね、と嬉しそうに言うと笑顔で応えてくれた。彼はカッパでなくポンチョをザックの上から着ていた。

そこから1kmほど若者向けのアパートなんかがあるのを久しぶりに見たような気がしてタイムスリップから戻ったような気分になった。四国の古い街並みは古の情緒が良く保存されているのだ。

その先の光景は物部川(ものべがわ)沿いの田んぼや畑が広がる見渡しの良い農村風景に変化した。




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修行の土佐 13日目-3

2008年8月31日。お遍路13日目。

本日のルートマップ↓
海風荘-サンピア高知.JPG

28番大日寺から1kmほど歩くと物部川沿いの田んぼとミョウガとショウガが入り混じる広々とした畑に出た。

因みに名前の似ているこの二つは同じショウガ科ショウガ属に属する多年草なので見た目ソックリなので、僕みたいに目にウロコだかコンタクトレンズだかがしっかりとハマッている濁った人間には区別なんてできやしない。

ミョウガ?ショウガ?畑↓
Image262.jpg

その田んぼの近くの農業用水路に軽トラからポンプを突っ込んで水を汲んでいる、50前くらいで日に焼けたスマートなおっちゃんがいた。なんとなく親近感を覚えたので挨拶をする。

「こんちわ。アツいですね。」

「お遍路さんか、アツいな。何処から?」

「千葉です。」

「おー遠い所から来たなぁ。」

ええ。っていつもそう言われるけど、こちらは2週間も四国を歩いて来たので千葉から来たって言うより徳島から歩いて来た、という感覚なんだけど。

「いやぁ、これだけ暑いから水不足で大変なんじゃないですか?」

「ああ、早明浦ダムか?あれは一応高知にあるけど水は香川に供給してんだよな」

「え!そうなんですか。貯水率20何パーセントとか言ってますね」

早明浦ダム↓ぱくり
早明浦ダム.jpg

「うん。高知はこの物部川や仁淀川、四万十川とか大きな川がたくさんあるから水に困ったことはないのや」

「あ、そう言えば瀬戸内海側は地中海みたいに乾燥した気候だからオリーブとかレモンとかできると聞いたことありますよ!」

「そういうことだ。早明浦ダムのお陰で高知がなんだか干上がってパサパサの乾燥ババアみたいなイメージになっちゃって困ってるよ〜」(多少脚色アリ)

それはイカンな。つーことで、

「高知?渇いてねーよ。つーか濡れた犬の目だよ。」 (表現間違えている可能性大) 

と、これで渇いた高知のイメージが払拭されたはずだ(?)


うん。ま、いいや。物部川ね↓
Image263.jpg

↑いやぁ、スカイブルーの美しい看板ですね。って看板だけかい!な感じだけど、そう、看板だけなの。悔しかったらお遍路行ってくださいね。ここまで2週間掛かるけど。

ウソですよ。ほれ、物部川↓
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↑水量少ないな。

しかし、高知平野は広々とした畑が多くて平和だなぁ↓
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その田んぼや畑の中を細い遍路道が抜けていく。空はすっかり晴れて暑い日射しが戻っている。大日寺から3kmほど歩いただろうか。田んぼの中の農業用道路の片隅に二人の遍路姿が見える。

何にもないアスファルトにどっかりと腰を下ろしているのは遍路11日目に道の駅田野で会った習志野代表学生野宿遍路じゃねーか。

それと初めて会うホームレス風の50過ぎのおっちゃん遍路。この人は小さいザックと、なんとスーツケースを引いて歩く歩き遍路だった。遍路らしい服装などは身に着けていない。

習志野学生氏に「こんなとこに座っちゃったか。」と声を掛ける。その風貌が余りにもインパクトがあったので、おっちゃんの方をまともに見ることができなかった。

「だって休憩できるところないんですもん」うむ、確かにそろそろ休憩したい所だよな。「俺はもうちょっと先まで言ってみるわ」と言ってすぐに立ち去る。

一応その2km先には遍路小屋のマークが地図に載っていた。が、どうやら遍路地図が間違えているのか、JR土佐線を越える前の大師堂と一体化した遍路小屋だった。

日射しの強い田んぼ道から民家や木が生えている道へと差し掛かり緩く登りになっている所に一見神社に見える小屋があった。

その小屋に地元の70前後のじーさん達がたくさん集まっており、私が「座れないじゃん」と内心がっかりして通り過ぎようとすると呼び止められた。

「休んでき」

ありがたや。じーさん達がゴソゴソとうごめいて私が座れるよう席を空けてくれた。お接待じゃ、と言って夏みかんをくれた。

そうしてじーさん達と適当な会話を楽しんでいるとさっきの地べたの二人が歩いて来て私の顔を見て止まった。すかさずじーさん達が声を掛ける。

「休んでき」

ほんの300mほど頑張ればこんな立派な休憩所があったのにね。2人とも休憩のやり直しをするのだろう、小屋へと入ってきた。その動きに合わせてまたもやじーさん達がゴソゴソとうごめいて席を空けた。

遍路小屋松本↓ぱくり
遍路小屋松本.jpg


なんとなくこの小屋の中が深夜の猫バスの中じゃないかと思えてくるような、奇妙で、かつユーモラスで不思議な空気が流れていた。

猫バス.jpg





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修行の土佐 13日目-4

いよいよ遍路日記再開です。

2008年8月31日。お遍路13日目。まだ高知市内ではなく、まだ南国市でしたね。

この日は香南市夜須の手前にある国民宿舎海風荘から歩き始めていた。香南市でしばし海と別れて歩き遍路では徳島市以来の平野である高知平野奥へと入って行く。

この年も残暑が厳しくこの日は8月最後の日だったけど雨後の晴天で徐々に気温も上がり、大日寺から南国市の田んぼの中の遍路道を歩いていると厳しい暑さが戻り始めていた。


前回の続きからのマップ。
28番大日寺⇒29番国分寺マップ.JPG


第28番札所大日寺を打ち終えのどかな高知平野の中、一路南国市の田んぼの中の曲がりくねった細い遍路道を29番国分寺へと足を棒にして歩いていた。

既に朝から15kmほど歩いている。おまけにここは田んぼと住宅地が混ざった平野。遮るものが何も無い。

そんな中、前回の遍路小屋でおっちゃんらにお接待を受けて救われたと言う訳だ。後から来た千葉の大学生と浮浪者のような得体の知れない年配の遍路を置いて、先に出発。

すぐにJR土讃線の線路を土佐長岡の近くで横切り、暫らくして進路を西から北へと進路を変えた。

暑い。雨後のためか薄曇りでも蒸し暑く、菅笠の下で額からとめどなく汗を流した。

見上げると平野の奥の北側に山々が見える。

Image264.jpg


あの山の更に奥。高知最北の小さな山間の集落、大豊町がある。

1年半後、そこに農業研修を受けに来るなどこの時は全く予想だにしなかったのだ。



ただ、あの山の上は涼しいんだろうか、なんて思いながら頬を伝う汗をぬぐい、またアスファルトと向き合う。






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修行の土佐 13日目−5

お遍路13日目の続きから。

2008年8月31日。私は29番札所国分寺の手前約1.5kmほどの所を北向きに歩いていた。

29番国分寺周辺マップ.JPG

時刻は昼前。土讃線を越えた辺りから急激に腹が減ってきた。遍路地図を見るとすぐそこにへんろ石饅頭の店があるらしい。

あ、因みに遍路地図と呼んでいるのは正式には「四国遍路ひとり歩き同行二人」と言う本で、松山市にある、へんろ道保存協会が発行しているものである。

私の持っているのは当時の最新版、2007年2月1日第8版で現在は2010年3月1日第9版が出ていますね。

四国は過疎化が激しく記載されている店の存否が危ういので歩き遍路の方は必ず最新版を購入して出掛けた方が良い。

更に記載されている遍路宿も私が歩いた2008年時点で高齢・後継者不在のため次々に店じまいしていたようなので、テント・野宿までは・・・・という歩き遍路希望の方は早めに出掛けた方が無難だ。場合によっては一日100km位歩くことになるぞ!


あ、そうそう。へんろ石饅頭の話だった。

古い民家と田んぼが入りまざる細い市街地にはこれと言った飲食店が見当たらない。高知市内に入るということで油断して昼食を用意しておかなかったのだ。

あんまり饅頭なんて好きじゃないんだが、仕方なく看板の見えたその山崎商店とやらに寄ってみた。

へんろ石まんじゅう・山崎商店.jpg

2009年に新築移転し道路沿いから少し奥に移動したようだ。

店頭に立つといかにも古い饅頭屋らしい木枠のショーケースに饅頭が並んでいる。1個か2個で充分だったのだが最低5個入り370円からしかない。鬼っ!

なんて思ったけど私にとってココはアウェイでこの先に飲食店がある保障が何処にも無い。ともかくお腹が空いて喉から大蛇でも出てきそうなほど飢えていたのだ。

へんろ石まんじゅう.jpg

だが、どんなケースでも私はお金を使う時には感謝の気持ちで使うことが商人の心意気と心得ているので飢えと乾きで引きつった顔で無理やり微笑んで、

「ありがとう」と言った。

微笑みは循環するのだ。自分の周りを心温かく優しい人間ばかりにしたいと願うなら、あなたも今この瞬間からどんな人にも笑顔を向けることを心がけるべきである。

逆も、また真であると心得よ。


ま、それはともかく。念願の食糧を手に入れ腹の中でとぐろを巻いているヤマタノオロチを退治しようと歩きながら勢い良く饅頭を放り込んでやった。

すると大蛇がのた打ち回るはずが私がのた打ち回り始めた。空腹に気をとられ過ぎて乾きを忘れていたのだorz

ヤマタノオロチをやっつけるためにスサノオを送り込んだのはいいがスサノオが暴れすぎてアマテラスが天岩戸(あまのいわと)に閉じこもっっちまって呼吸困難。

俺って今一人古事記状態なんじゃね?(どないやねん)とか、ニヤニヤしながら心の中で雨乞いの祈りを囁いていた。

雨 雨 降れ降れ もっと降れ〜♪ とキタもんだ。よーし、楽しくなってきたぞ。


得体の知れないおっさん遍路が一人田舎の住宅街で時々シャックリのリズムを体全体で刻みながらヒョウキンなステップで歩いていく・・・・・・・


ああ。今日もヤッチマッタな、オレ。ってか、全然話が進まねーし。めんご




続くゼヨ。







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修行の土佐 13日目−6

2008年9月1日。お遍路13日目。

ずっと日付け間違えてましたね。この日は8月31日じゃなくて、9月1日でした。

29番国分寺手前のへんろ石饅頭屋で饅頭を購入し飲み物無しでようやく一つを飲み込んだ。空腹なのでなんとも虚しい昼食だ。

と、思いながら数百m歩くと前方に巨峰園と書かれた塔が見えた。

巨峰園.jpg

観光バスが何十台も停められる駐車場はガランと広くてそこにあるはずの観光バスは一台も停まっていないかった。

昨日で夏休みが終わったのだな、と少し淋しさを感じる。その駐車場の隣にレストランのような喫茶店のような店が見えた。

これだ。と思って遍路の格好で店内に入っていく。

いちにぶ.JPG

↑右、というか中央の石の建物がブティックみたいな店になっている。喫茶店は左端の建物。

この当時は気付かなかったのだが昨日12日目に見たスゲー建物の喫茶店、「いちとにぶんのいち」の系列店で、こちらの南国市の方が本店らしい。

昼少し前の店内は満席ではなかったが常連さんらしい小洒落たカッコの婦人や近所のサラリーマンらしい人達で案外賑わっていた。

そこに遍路の格好の私が入って行くと店員さんは何やら親しげな笑みを浮かべるものの、他の客達は見慣れているのかほとんど無視である。

菅笠を取り、杖の鈴を鳴らしながらでっかいザックをドスンと下ろし、壁側のソファにザックと金剛杖を立てかけてから隣に座りメニューを見た。

横文字のイタメシのメニューしかないのでわずかに落胆。面倒くさいのでランチを頼んだ。

お遍路を始めてから二週間経つのだが、昼食に関しては地図に載っている食堂が期待できないことから、これまでほとんどコンビニやスーパーの弁当で済ませていた。

高知市内に入るこの日は久しぶりに温かい昼食が食べられると思って期待が高かったのだ。だが、思い描いていたのは和食のしっかりした定食。

この日のランチメニューは確かメインがアンチョビのパスタかなんかのOLが喜びそうなランチだったと思う。ああ、味噌汁が飲みたい・・・・・・

ま、贅沢は言うまいよ。少なくとも温かかったではないか。氷入りの水を何杯もお代わりして渇きも癒え、汗も引いて寒くなるくらいに長居した。

1時間は居たんじゃないだろうか。外に出ると暑さが暖かさに変わっていた。

歩き始めてすぐに国分川を渡り左折。木に囲まれた国分寺の境内が見えてきた。

29番国分寺山門。

29番国分寺.JPG

さっきの喫茶店の写真から以降は2月に大豊町に来てから休みの日に撮影したもの。特に境内の写真はデジタル一眼レフで撮影したので綺麗に映っているはず。あれっ、そうでもないか。ハハ

撮影した2月9日は冷たい雨の日だったんだよ。んじゃ、境内の写真をテケトーに並べやるから、ホレ、見んかい。

29番国分寺山門から.JPG

水場.JPG

鐘突き堂.JPG

土佐国分寺.JPG

納経所.JPG

金堂.JPG

ロウソク.JPG

大師堂.JPG

落ち着いた境内.JPG

薬師如来像.JPG


山門を入って行くとさっき別れた千葉の大学生がベンチに座って遍路地図を見ていた。

「昼飯喰ったか?」

私は向かいのベンチに座って納経道具を取り出しながら彼に話しかける。彼は持っていた菓子パンを一個食べたらしい。

いつものように何かあげようと思ったがあいにく今日は昼食に温かい物を食べようと思っていたので購入していない。

・・・・・・。あ、いいモンがあったぞ。取り出したのはさっき昼食前に購入したへんろ石饅頭。

5個入りを買って1個しか食べてないので彼にパックごとあげた。彼は有り難うございます、と言って嬉しそうにかぶりついた。

それを見て私は嬉しくなった。あのへんろ石饅頭が5個入りからしか置いてなかったのにもちゃんと理由があったのだ。


私はお金を出したに過ぎない。若い学生が一人、この後も歩き遍路を続けられるように、運命がこの日、ちゃんと彼に饅頭を運んでくれた。





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修行の土佐 13日目−7

2008年9月1日。お遍路13日目。

29番国分寺で大学生を置いて先に出発した。国分川沿いの長閑な田んぼの中の小道を西へと歩いて行く。

本日のマップ。

国分寺⇒善楽寺⇒ウェルサンピア高知.JPG

29番国分寺から30番善楽寺までは6.9kmの道である。この日は厚生年金会館のウェルサンピア高知に予約を入れたので残すところあと約10kmの道のりである。


田んぼの中を走る用水路にヘンなヤツが泳いでいるのを発見した。

Image270.jpg

写真じゃ見えにくいが上の方の茶色のヤツは良く見るとスッポンだった。初めは亀かと思ったが色が変だし、何より口先があなごさんの様に尖っている。

スッポンが田んぼの用水路に居たことが妙に面白く感じたのでしゃがんで覗き込んだ。スッポンてば、池の中で養殖されているイメージしかなかったのだ。

その場にしゃがみ込み涼しげなチョロチョロという水が流れる音を心地よく感じながら、エエ歳ぶっこいたおっさんが落ちてた枝でスッポンをツンツンと突っついて無心に遊んでいる。

何気にニコチャン大王がウンチくんを突いている様が自分と重なり、思わず、「あ、ツンツンと。」口に出して呟いてみた。




ニコチャン大王。

ニコチャン大王.jpg

口のへの字が似ているけど、こちらは可愛らしくないぞ。(またか、という感じだけど)



オザチャン大王。

オザチャン大王.jpg

「米国人はたーん細胞だがや」 って、おいおい。あなたの額に「金」という文字が浮き出てるように見えますぞ。(あ、ホンマや。って書いたんだけど)


うん。ま、いいや。


ともかく田んぼの中の道を西へ暫らく歩くと平野から森に、

Image271.jpg

そして、丘へと差し掛かった。

Image272.jpg

この右側があの長宗我部(ちょうそかべ)氏のおっ建てた岡豊城(おこうじょう)だ。

それを過ぎると国分川沿いに高知大病院の脇を歩いていく。

2年経った今でも当時歩いた景色が目に浮かぶ。ここは高知に来てからもまだ再訪していない。

高知大病院を過ぎると少し山へと登っていく。結構山奥に上って行くように感じたが今地図を確認するとたった500m程だったらしい。

そして広大な四国運輸の敷地を左手に見ながら登って行くと広い道へと出た。当時ここは国道だと思っていたのだが県道らしい。

そして、この坂を登り終えるといよいよ高知市に入った。

Image273.jpg

この坂は逢坂峠(おうさかとうげ)と書かれていた。

その坂を下りはじめてすぐに、遍路道は左に折れ墓地の中の急階段へ降りて行く。その急な下り道の墓地を抜けてまた県道を横切るとすぐに30番札所善楽寺があった。

この寺は高知市の郊外北部の丘にあって広々とした敷地を有していた。

30番善楽寺。

30番善楽寺.JPG

この寺で参拝しようとすると、あの人物がいた。

それは、遍路最終日。同じ日ほぼ同時刻に結願した神奈川から来たおっちゃんだ。この人とは遍路11日目にも会っている。

結願の日、お遍路交流サロンにて。
Image1018.jpg

境内に入ると見慣れたおっちゃんの顔があった。親しみを込めた笑顔を向けて、「今日はどちら?」と尋ねた。

歩き遍路の間では大体今朝は何処から歩き始めたのか、また、今日は何処に泊まるんですか?と尋ねるのが日常の挨拶になっていた。

この日神奈川のおっちゃんは香南市は28番大日寺の5kmほど手前の国道55号線沿いにある民宿かとりさんから歩いたのだそうだ。私はその手前約5kmの国民宿舎海風荘から歩いている。

そして今日は折角の高知市内だから高知駅前に宿を取ったらしい。なんでもこれからはりまや橋とかを見たりして観光するのだそうだ。「元気ですねぇ」と思わず洩らした。

そして、「あなたは?」と。

「僕はこのちょっと先の厚生年金会館のウェルサンピア高知に取ってます。明日は桂浜で龍馬に会ってきますよ」

「私も寄るよ。なんか寄り道ばかりだけどね」

この人は歩き遍路を心から楽しんでいる。僕なんか遠回りまでして寄り道したがらないのに。彼の行動力は素晴しい。

そして「お先に」と言い残して行ってしまった。まさかこの約30日後に我々は一緒に結願の日を迎えるとはこの時予想だにしていなかった。

こうしてそれから彼とは結願直前の香川まで一度も会うことはなかった。次にバッタリあったのは実に結願二日前の39日目、坂出市と高松市の境目の山中にある81番白峯寺(しろみねじ)の境内である。

この白峯寺には崇徳天皇が1156年の保元の乱により失墜し讃岐に流罪となり、その後も度重なる後白河上皇の非礼に怒り狂い舌を噛み切りその血で怨念を写経に書き込み髪や爪を伸ばして夜叉のようになり、生きながらにして魔界に入り天狗になったという怨霊伝説が残る。

・・・・・と、言うのをおっちゃんが熱心に語っていたのを思い出す。崇徳天皇、そんなに悔しかったのか。うんうん、可哀そうに。


あ、30番善楽寺の話だった。歩き遍路ではこの寺の境内へは山門の反対側から入るようになっている。

納経を終えてから分かったのだが、この寺は山門から延びるまっすぐな石畳がとても美しい。

Image275.jpg

Image276.jpg

山門を出て細い路地をまっすぐに歩いて行く。目的地のウェルサンピア高知までは残り3kmほどである。だが、いつもながらこの最後の5km位が一番しんどい。

何度も道にへたり込みそうになりながらごみごみとした古い住宅地を抜け小さな川沿いの道を暫らく歩き、そして片側二車線の大きな道路に出た。

交通量が多く中でもトラックが多い。ただでさえこういう車が多い道路は疲れるのだ。そして川幅の広い国分川を渡るとウェルサンピア高知が目の前にあった。

って、ここも潰れたのかよ。平成22年1月をもって営業取りやめだと。ま、現在は民営化されサンピア・セリーズとして営業しているらしい。

このホテルは様々なスポーツ施設を有しており、学生さんらしいのが大勢でテニスをしていた。

またこのホテルには炭酸カルシウム温泉の大浴場があり、例によって足の裏がビリビリしているのでそぉっと足を運びながらすぐに大浴場へと向かい疲れを癒した。

そう言えばここ1週間ほど髭を剃らずに居た。部屋の鏡を覗き込むとそれでなくとも貧相な面が更に酷い貧乏面になっていた。

ニヤリと笑うと自分でもゾッとする程、胡散臭いペテン師のようなおっさんがそこに居た。

ま、言うても僕は毎日ヒゲ剃る派なので、己のヒゲ面なんて自分でも滅多に見ることがない。ので面白がって携帯でパチリパチリとセルフ写真を撮ってみた。


それじゃ、羞恥を押してこれまで未公開の超レアなヒゲ面写真をドーンと見せちゃうぞ。えっ、嬉しくない? うそぉ。そんな訳ないですよ。



ヒゲづら.JPG


ホントはもっと胡散臭い顔があったんだけど、嫁入り前の身故にどうかご勘弁くだされ(バツ一のおっさんやろが)

何故か裸なのは、風呂に行こうとして着替えてる最中におもむろに撮影したからであって、変態だからじゃないんだよ〜 って、どうでもエエか。

ま、明日は龍馬に会いに行くのだ。ヒゲ面で会いに行く作法もなかろう、ということでこの後すぐに風呂場できれいサッパリしちゃった。

ん?あ、いや、フロントにキレイなおねーさんが居たから、ってな理由じゃ決してないってば。そんな不純じゃないですぞ!ボクは・・・・・・・ 南無大師遍照金剛



歩き遍路13日目。この日歩いた距離、31.2km。








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修行の土佐 14日目−1

2008年9月2日。遍路14日目。

ヒゲを剃ってさっぱりした美青年(ええ、おっさんですとも)が満を持して綺麗なおねーさんがいるフロントへ。(やっぱり不純かよ)

フロントでそのおねーさんがニコやかな笑顔で、「お渡しするものがあります」とか言って裏へと走っていった。

も、もしかして、これヒゲ剃って美青年になった効果なんじゃないかよ・・・・・

なんてほのかな期待でアホウのように、まるでアホウのごとくに鼻の下を伸ばして待っていると、おねーさんがすぐに手に何やら掴んで戻って来て、ポンとそれを置いた。

「歩きお遍路さんにはお水をプレゼントしています」

見ると500mlのカチカチに凍ったペットボトルの水だった。不純な期待は一瞬で消え去り、誰がその企画を考えたのか、と、その思いやりに涙が出そうになった。

パッと驚きに目を見開いて「ありがとうございます」と言って頭を下げた。綺麗なおねーさんが本当の天使に見えた。

立派な玄関前のベンチで折角頂いた凍ったお水を無駄にしないようにとタオルでグルグル巻きにしてレジ袋に突っ込みリュックの奥深くへとしまいこんだ。

そして、靴の紐を結び直して、と。出発。今日は桂浜へ龍馬に会いに行くのだ、と思うと痛む足も少し軽くなった。

本日のルートマップ。
サンピア⇒桂浜.JPG

初めは港へと向かう交通量の多い二車線の県道44号線を南下する。少しだけ歩いた所でへんろ道は左へとそれ、田んぼの中の細い道へと入って行った。

途中土佐電鉄後免線の文殊通(もんじゅどおり)駅という小さな駅を越え、小さな民家が連なる街中を抜けて行く。

出発した時から南の正面に五台山の丘がすぐそこに迫っていた。ようやくその丘へと差し掛かる道の入り口は、静かな民家の横のコンクリートの細い道だった。

Image281.jpg


このなんとも落ち着きのある古い小道は、素敵な花園へと続いている。


そう。続いて・・・・・・いる。 はず・・・・・







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修行の土佐 14日目−2

今日はハイパーウルトラ超絶ラッキーなことがあった。

私の運もまだ捨てたもんじゃない。っていうか、私はこれまでも、ここ数日だって実はとてもツイていたのだ。それは流れというものだろうか。

ま、そこまで言っといて触れないんだけどね。ああ、なんて僕は人が悪いんだろうか。ウソね。時期が来たらちゃんと書きます。

はい。さて、暇だから遍路日記の続きでも書くかよ。

私の生活リズムは仕事してようが遊んでようがあんまり変わりはない。常にほぼ一定のリズムで寝食を繰り返している。

まず、朝は6時頃起きる。そして寝覚めの朦朧とした頭で30分から1時間ほど読書をする。因みに今読んでいるのは遅ればせながら司馬遼太郎の「竜馬がゆく」である。

この本によると坂本龍馬は仏教のお経を、陰気だと言って嫌っていたそうだ。彼も土佐の男ならお遍路さんを度々見かけていたはずである。

ひたすらに般若心経を唱えながら一心に寺を歩き巡る遍路の姿は彼の目にどう映ったのだろうか。

司馬の記述によると龍馬は実に仏陀の教えにある生死一体、無境界の思想を有していたようである。つまり、それは空(くう)のこと。


2008年9月2日。お遍路14日目。

この日初めの札所は31番竹林寺。この寺は五台山という標高105mの丘陵の頂上付近にある。五台山は高知の市街地から見て南東の方向にぽっかりとそびえ立っている。

標高わずか105mとは言え、すそ野は浦戸湾に接しているので0mである。そのためそびえ立っているという表現が適切だと思う。

この朝ウェルサンピア高知を出発し、2kmほど歩いてその105mの五台山の入り口に来ていた。

この日のルートマップ。

サンピア⇒桂浜.JPG

105mもの坂を一気に駆け上がるので思ったよりしんどい。息せき切って上がって行くとやがて奇麗に舗装された歩道に出た。歩道の周りは美しく整備された庭園のようである。

Image282.jpg

そう。この五台山には知る人ぞ知る植物学者の牧野富太郎氏の植物園、高知県立牧野植物園がある。

まだ朝早いせいか園内に人は少ない。

Image283.jpg

つまり遍路道がこの牧野植物園の園内を通っていたのだ。立札にお遍路さんはこちら、という観光客と歩き遍路を分けた表示がある。

この園内は奇妙なことに一般観光客と白装束の歩き遍路の姿が混在している。歩き遍路は無料で園内に入場できるが、観光客は700円の入場料がかかる。

そして遍路道は園内奥の山道から入場し、入り口へと向かって出て行く。

Image284.jpg

色とりどり、大小の花が散りばめられた園内の遍路道をぼんやりと歩いていると夢の中をフワフワと浮かんでいるような、なんとも心が休まり穏やかな気分になってきた。

やがて入り口の門から外へ出た。あっという間だったが名残惜しい。でもとても良い時間が過ごせた。

植物園の門のすぐ前が31番札所竹林寺の山門となっていた。

Image285.jpg

この竹林寺はとても雰囲気の良いお寺で、五重塔もあってなんとなく京都や奈良っぽい雰囲気がある。

Image286.jpg

奇麗な寺であったことは印象に残っているのだが、それ以外記憶に残るようなイベントは起きていない。

足早に五台山の山道を駆け下る。

Image288.jpg


なんて言っても今日は龍馬に会いに行くのだ。できるだけ早く桂浜にたどり着きたかった。そして、龍馬の像を・・・・・







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修行の土佐 14日目−3

2008年9月2日。お遍路14日目。

31番竹林寺を打ち終え五台山の南斜面を駆け下りた。この丘には幕末には料亭があったようで、龍馬も何度も登ったらしい。そのためか古い山道は石畳が敷かれておりきちんと整備されていた。

あっという間に下り終えると下田川というそこそこ大きな川を渡る。

Image289.jpg

この川も高知港、浦戸湾に流れ込む川の一つ。

浦戸湾には大小7つの川が流れ込んでいる。その内もっとも有名なのは鏡川で、幕末の高知城の城下町を東西に流れている。竜馬の生家もこの川から300mほどしか離れていない。

高知平野を東西に流れる下田川を渡り川沿いの防波堤の上を東へ1kmほどのんびりと歩く。川なのに潮のにおいが香っていた。浦戸湾まで500mほどだったのだ。

遍路道はそこから下田川の堤防を外れ田んぼの中に入っていく。歩き遍路用の目印を追いかけていると途中で工事の看板が出ており道を遮っていた。

仕方なく矢印に従って迂回すると遍路道が分からなくなり少し道に迷った。だが元々が単純な道なのですぐに遍路道を見つけた。

そこから南へ1kmほど。武市半平太(たけちはんぺいた)の生家がある。

武市の生家.jpg

武市は幕末土佐の勤王(或いは尊王)主義の第一人者である。そして坂本龍馬とは親友の仲であった。

だが、皮肉なことに後に龍馬によって武市と同じ尊王主義に考えを改めることになる後藤象二郎により拷問され、切腹させられてしまう。

後藤象二郎はその当時まだ尊王主義を弾圧する旧態依然の土佐藩の立場にいたのだ。

武市は土佐勤王党で武力倒幕を強硬な姿勢で推し進めた。龍馬は後藤象二郎の立場を考えながら話し合いにより思想の転換を求めた。


その違いは一つ。龍馬の幼いころに無くしたという母から受け継いだ思想だと私は思う。


憎しみからは、何も生まれない







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修行の土佐 14日目−4

2008年9月2日。お遍路14日目。

マップ。

マップ.JPG

31番竹林寺を打ち終え土佐勤王党の武市半平太生家を左に見ながら土佐湾へ向かって南下。ゆるい丘を越える。

遍路地図を見ると32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)が間近だった。ほんの少しだけ上った坂を再び下ると視界が開けた。

石土池という直径1kmもある調整池に出た。

石土池.jpg

この辺りは閑静な住宅地であり池の周辺は整備された広い遊歩道になっている。遍路道はその遊歩道と合流する。

お腹が空いた。時刻はまだ11時前。池の南端まで来ると遍路道は左に折れそこから1km弱で禅師峰寺に着いてしまう。

その前に早めの昼食でも・・・・と思い遍路地図を見てみると数百mのところに食堂味蔵というのがあった。

期待して歩いて行くとちょっとした和食の店で刺身を出すような店だった。しかし・・・・・営業時間が11時からとなっている。くそっ

営業開始まで10分ほどを待つか待たぬか、を悩まなかった。私にあるのは前進のみ。遍路で昼食の開店待ちなんてことをしたことはついぞ一度もなかった。

タイミング良く食堂に巡り合わなければ食わなくてもいい・・・・・・なんて思っていたけど、やはり腹が空いた。

この日は朝からまだ8kmほどしか歩いてなかったが疲れていた。きっと昨日宿泊したウェルサンピア高知の大浴場に長々と入っていたのが原因だと思う。

残暑も厳しく、消耗しきっていた。おまけにこの日は桂浜で一泊しようと思っていたので16kmしか歩かない予定であった。

目標が短いと逆にダレるのだろう。それに2週間毎日歩き続けた足腰も痛みを抑えがたくなっていた。

その痛む足を引きずりながら開店前の食堂を通り過ぎ、トンネルの手前を右に折れて小高い山を登って行く。

禅師峰寺は土佐湾間近の標高80mほどの丘の上にある。ヘロヘロだったのに山道に入り木陰に入った途端に元気になった。

あっという間に寺の駐車場に出た。その傍らに休憩用の小屋があり、5人ほどが座っている。

その中に知った顔が2人いた。前日の朝一緒に雨宿りした広島から来た40歳のおっちゃんと、同じく前日にも会っていたスーツケースを引きながら歩くホームレス風の遍路だった。

多分ダルそうな顔でこんちわ、とか挨拶したんだと思うが、顔見知りの2人は笑顔で手招きして「休んでけ」と言ってくれた。

フラフラと近づきザックも下ろさずドカリと腰かける。スーツケースのおっちゃんがはっさくを手に取り、「近くでたくさん買ったからみんなで食べよう」

持っていたサバイバルナイフで皮に切れ目を入れて渡してくれた。空腹と乾いた喉に酸っぱいはっさくの果汁がしみ込んでいく。

彼ら以外の3名は地元の人で、こうしてよく遍路と話をするらしい。そこにいる遍路全員これから桂浜に立ち寄るとのことだった。

空腹に耐えかねすぐに腰を上げる。じゃ、行ってきますと言い残して笑顔でお別れ。山門へと続く急な階段を登って行く。

Image290.jpg

この寺は竹林寺とは違って案外地味な感じ。土佐湾がすぐ近くに見える。

Image293.jpg

西の方を見ると桂浜のある下竜頭岬と右手に浦戸湾が見える。

Image292.jpg

15分ほどで納経を終え再び駐車場へ降りて行くと既に彼らは発っており小屋には誰も居ない。


と、気が付けば登ってきた時と比較にならないほど気分がすっきりし、元気になっていた。

柑橘類にはクエン酸が含まれている。クエン酸は体内のエネルギー生成反応を促進するため疲労回復に効果が高いと言われる。


でも。それだけではないだろうと私は思う。歩き遍路はその厳しい試練に挑戦しているという仲間意識が強い。

その、全国から集まった仲間達は社会的立場や年齢は全く異なる。ただ、歩き遍路に挑戦しようという意図だけを共有している。

歩き遍路は一人で行うべきだと私は思う。でも、道々で出会う彼らとは運命共同体に違いない。

そんな彼らと顔を合わせ、お互い頑張っているな、という無言の挨拶を交わすだけで確かな効果があることを私は知ったのだった。


禅師峰寺の境内にポスターを見つけた。

Image291.jpg


NHKの街道てくてく旅という番組で四元奈生美さんが四国八十八ヶ所歩き遍路をしているらしい。とその頃は漠然と思った。

およそ20日後にその取材陣を追い越してしまうとはこの時は全く予想しなかったのだ。


私よりひと月も遅れて結願したのだなぁ。と街道てくてくの公式ブログを見ていた。

さっすがゲーノージン、ちんたら歩いとんなぁ。おいおい、セーター着てるじゃねーかよ。なんつって心中笑ってたらあることに気付いた。


結願.jpg



その結願と書かれたご立派な賞状みたいなのは、なんスかね?


88番大窪寺をwikiで調べてみると・・・・・・

大窪寺(おおくぼじ)は、香川県さぬき市にある寺院。四国八十八箇所霊場の第八十八番札所であり、納経印は「結願所」となっている。医王山(いおうざん)遍照光院(へんしょうこういん)大窪寺と号する。本尊は薬師如来。宗派は真言宗大覚寺派。本寺では結願証明書(賞状)を有料で書いてもらうことができる。




・・・・・・・う、ウソやん(汗)




「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」



チ〜ン。




合掌







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修行の土佐 14日目−5

2008年9月2日。お遍路14日目。

昼過ぎ。32番札所禅師峰寺を打ち終えて82mの丘を一気に駆け下りた。山道のためとさっきもらったはっさくのお陰で元気だった。

マップ。
マップ.JPG

下り終えると古い漁師町の中を抜けていく。この辺りの砂浜は龍馬の時代、1954年の安政南海地震における津波で消滅したらしい。

因みに1946年12月21日の昭和南海地震ではここ四万十市は地震の二次災害である火災によって街の8割が焼失した。

東海・南海地、東南海連動型地震の全てが同時に起こる100年周期を今迎えている。100-150年周期でここ600年は確実に起きているのだ。

さて、次は50年以内に起こるとのことだけど、どうなるでしょうかね。

ある精神的な人達の説によると、地震は人間の怒りなど負の感情が関与しているのではないだろうか。とも言われている。

私はこの説を完全に信じている訳ではない。だが誰かの心の中で起きた怒りは外へと発散し、それを受信した誰かがまた次の誰かへと負のエネルギーを伝えていくのは事実である。

だとすれば、その誰かが地球全体、であるということも、もしかするとあり得るかも知れない。とは思う。

近年起きている世界的な自然災害が文明人一人一人のイライラによる犠牲であるとすれば・・・・・・

しかし、だ。負の感情も連鎖するけれど、また同様に逆のプラスの感情も連鎖するのではないか。これもまた真なりとするなら地球全体へ伝えられる個人によるプラスの影響もあるのかも知れない。

ならばそのプラスの連鎖の発端を自らが起こそうではないか。貧困諸国への募金をする前に。



土佐の小さな漁師町を抜けるビニールハウスが整然と並ぶ高知らしい施設園芸の農業団地へと出た。

もうこの頃にははっさくパワーはとうに消え、疲労と空腹と酷暑によって眩暈がしてきた。お腹も喉もカラカラ・・・・・・

時刻は既に1時過ぎ。農業団地は次第に絶望感をもたらす、港湾らしいひらけた風景に変わってきた。

海沿いの遍路道は高知新港付近へと差し掛かっていた。遍路地図を見てもコンビニがだいぶ先にあった。

と、乾いたアスファルトの眩しい景色の中に、真新しいうどん屋らしい看板が目に入った。

迷わず入る。駐車場には昼過ぎだというのに8割方車が停まっている。繁盛店のようだ。

手動のドアを開けると、「いらっしゃいませ」 の声と同時に冷房のヒンヤリした空気が顔に当たった。

生きていた。そう思った。大袈裟か?たかが数キロの道のりだがここらの地理を知らない歩き遍路にとって精神的にはサハラ砂漠のど真ん中と変わりない。

30席はあるだろうか。結構広い店内に客はギッシリ。営業らしいネクタイ姿のサラリーマンから港湾の仕事関係だろうか、運ちゃんらしい人も多数。

隅のカウンター席に座りメニューを見て即決。 かき揚げぶっかけうどん(冷)

食い物なんてなんだっていい。氷が入った水をガブガブと飲んだ。有難いことに給水ポットを各テーブルに置いてくれていた。

3杯ほど水を飲んでからザックを背中から下ろしていないことに気付いた。自分の椅子の前に置いて額の汗をおしぼりで拭おうとすると頭全体が動いた。

菅笠も外していなかったのだ。

死にそうな顔の遍路が入ってきてもしかして緊急措置をとってくれたのか、うれしいことに冷しぶっかけうどんが数分で出てきた。

既にほとんどなくなってしまった給水ポットをニコニコしながらバイトの女の子が新しいのに代えてくれた。

冷しぶっかけうどん。
かき揚げぶっかけ.JPG


ここのうどん、手打ちしてるだけあってコシがあってとても美味しかった。かき揚げもサクサクでダシも旨い。昼ピーク過ぎても混雑してる訳だ。(こちらが麦庵さんね

ようやく本格的に気力も体力も回復していざ、出発。桂浜までは後、4km弱。普通に歩けば1時間の道のりだけど・・・・・


そういや今思い出したけど、うどんは讃岐に入るまで我慢しようと思ってたのに、この時食うてしもうたんや。

うん。気付かなかったことにしよう。



でも讃岐に入って初のうどんも似たような感じだったような・・・・・ああ、あの日は昼も晩もうどんだったよ。


懐かしいな。






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ニワトリノニワ テキトー日記三年目 30

先日ちょっと悔しいことがあり、海を見に行く。


うみ.jpg


うみ2.jpg


うみ3.jpg


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誰も居ない静かな海。



そうして日が暮れ、夕日に向かって叫ぶ。


夕焼け.jpg


「バカヤロー」




嫌なことがあると僕はすぐ海や川に行く。

常に冷静なように見えているかも知れない。でも僕はなるべく喜怒哀楽を否定しないようにしている。感情の一部を否定すると幸福感が失われていく。

ただ、迷惑を掛けないようその場では余り人には見せないようにしているだけだ。


そして、ここには叫ぶ場所がたくさんある。




誰もない山  誰も居ない川  誰も居ない海  



満月が静かに僕を見ていた。

月.jpg







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