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祝!鬼束ちひろ 復活 (2009.07.21)

今日月面着陸40周年記念日だそうですね。

GoogleさんのTopページこんなんでした↓
月面着陸記念グーグル.JPG

最近「かぐや」のお役目終了で月が注目されてましたね。その「かぐや」による月面から見た、月の出ならぬ、地球の出写真↓

地球出.JPG

アメリカによる人類月面着陸の快挙がデッチ上げだ、なんていう噂もありますね。また、数年前に月の裏側は地球から常に見えないことから、宇宙人の基地があって地球を監視しているとか、そんな噂もありました。

そんなある意味では夢のある噂も、「かぐや」が全部一笑に伏してしまった感があります。でも人類の妄想というのはいつだって偉大です。見えないものはどんなに妙ちくりんな妄想を抱いたっていいんです。妄想イズフリーダム!(と、妄想を正当化してみた)

そう言えば私が小さい頃、NHKのドキュメンタリーで「パノラマ太陽系」という番組を見て宇宙に興味を持った記憶があります。ちょっと調べてみたら、放送は1980年8月11日(月)〜8月16日(土) 19:30〜20:00 全6回の番組だそうです。

私の記憶では夕方学校から帰ってから、しかも教育テレビで見たように覚えているので再放送かなんかだったのでしょうね。1980年と言えばまだ8歳ですから。未だに記憶に残るとても良い番組でした。というか小学生が学校から帰って教育番組観ちゃう辺りがかなり問題ですけどね。

で、その番組のエンディングで使われていたのが「Mr.ブルー〜私の地球〜(八神純子)」(←音注意!)で、とても印象に残る良い曲でした。

1980年と言えば、私の好きなアーティストの一人、鬼束ちひろさんがこの年の生まれでした。その鬼束ちひろさんの新曲「帰り路をなくして」(←Youtube音あり)のシングルが明日(7/22)発売です。

鬼束さんと言えば自殺未遂が噂されてから2007年に復活し、「everyhome」(←Youtube、以下同じ)「僕等 バラ色の日々」と激痩せの姿で歌う様子が痛ましく、昨年2008年の「」を発表してから秋のライブツアーを体調不良で休止・・・・・

という経緯があり心配していたのだ。昨年秋のツアーには私も暇だったので人生初めてのライブに行ってみようか(恥ずかしながら私はクラシックを含めてプロのコンサートやツアーには一度も行ったことがないのだ)、なんて思ってただけに残念だった。

でも今年5月に「X」を発表、その後すぐの7月22日、つまり明日に新曲「帰り路をなくして」と続々発表するので一安心でしょうかね。

暫く前からPVがYoutubeで流れていたようなのですが、見ると信じられないくらい健康そうなお顔をしていらっしゃる。曲も力強い感じになってるし・・・・・ってあんま興味なし?そんなこと言わずに暇な時にでもリンク先、聴いてみてよ。いい曲なんだから。


顔変わった?↓
帰る路をなくして.JPG


うむ、

よくぞ戻った!.JPG


伝説の勇者よ。

みたいな感じ? 
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イライラする? (2009.07.17)

昨日は一週間分まとめて泳いできました。

泳ぎ始めて先週から3週目に突入したので距離を1km⇒1.5kmに1.5倍増量してみました。1週目は5日間くらい身体がだるかったんだけど4週目ともなると案外もう平気。人の身体の慣れってすごいもんだ。

さて、今朝の新聞にこんな記事が出てました。

「イライラする」若者60%超える…国民性調査

社会的な閉塞感により20代30代の若者の内、「この1か月間でイライラしたことがある」と回答した人の割合が60%以上にもなるとのこと。因みに20代の割合が前回2003年比6ポイント増量で63%だそうです。

世の中にイライラしている人が多いと交通事故とか色んな事故が起こりやすくて危険だぞ、そうでなくてもそういう人にとばっちりを受けると自分までイライラしてしまうので大変だ、ということで今日はイライラに対する対処法を考えてみたいと思います。

<真面目なイライラ対策>

プレ対策:まずは自分に気付こう。

イライラを収めたいと思う前に自分がイライラしていることに気付いてないと何も始まりません。かと言って人から「イライラしてんじゃねーよ」なんて指摘を受けると更にイライラ感が募ります。なのでイライラ対策のファーストステップは、まず自分がイライラしていることに誰よりも先に気付くことです。

では早速対処方を考えてみよう。


対策1:自分を見つめよう。

自分がイライラしているなと気付いたところで、イライラ感を自ら収められる人はまずほとんど居ないでしょう。それはイライラしている人の特徴として心の余裕を失っているからです。心に余裕を失っている人は自分を客観的に見ることができません。

ということで、まず鏡の前に行ってみましょう。そうすると10回の内きっと8、9回は自分の顔がそこに映っているのを目撃すると思います。そう、自分を客観的に見る最も簡単な方法は本当に鏡で自分を客観的に見ることなのです。

因みに自分以外の顔がそこに映っていたら、当り!です。あなたのイライラなんて直ちにすっ飛んでしまうと共に、別の次元へとシフトできるでしょう。


対策2:イライラを探す。

ただ鏡の中の自分を見るだけではイライラが収まるかどうか不安でしょう。ならば、とっておきの情報をお教えしましょう。昔からイライラする人は「イライラ虫」を飼っているからだ、とエエ加減な親やその他テキトーな大人たちから聞いたことがあると思います。

では、そいつを見つけてやろうじゃないの。てことで鏡中の自分の顔にイライラ虫が一匹這っている様子を妄想してみましょう。イライラの大きさによって虫の大きさや数を変化させるのも良いですが、やり過ぎると大きな芋虫みたいのが顔中を這い回っているという凄惨な妄想により思わず失神しかねないので仕事中は注意が必要です。(トイレで、鏡の前で失神していたりするとハンパない伝説が残り、婚活に深刻な影響を及ぼす可能性があります

対策3:呟(つぶや)いてみる。

自分のイライラに気付いた場所が満員電車の中だった、なんてケースでは鏡がありません。女性なら手鏡(平安時代か!)なんか持っているでしょうけど、男性はあんまりそんなの持ってません。

そういう時にお薦めする方法が呟いてみること。「オレ、イライラしてんなぁ」と思ったら、

いらいら、イライラ、イラン人。(何故かちょっとラップ調)

コイツはヘンなイラン人↓
イラン人.jpg

↑いやいや、こんなのイラン人。(くだらね)俺は馬鹿だなぁと、冷静になれます。

但しこういう遊びは慣れないとちょっと高度かも知れません。そこで、


対策4:周りを見渡そう。

これは簡単。周りに居る、もっとイライラしてるヤツを探してみよう。先のニュースにもあるように現代社会人はイライラしてる人が多いので、満員電車なんか乗ってると絵に描いたような「苦虫を噛み潰した」顔したオジサンを簡単に見つけられます。

そういう人を見つけたら、でっかいイライラ虫がおっちゃんの頭にごろんとのっている様子を妄想しよう。そのおっちゃんがハゲてたりしたらまるでチョンマゲそのもの。イライラ虫くんがこちらに向って「こんにちわ」と手を振っている様子を思い描いてみよう。

イライラ虫2.jpg

絶対、笑えるはず。

但し、ハゲを見て笑っていると思われるとあなたの身が危険に晒されるますので、あくまでもチラッと見て後は妄想の世界で。間違っても笑っているのに気付かれないように。


対策5:前世から友達だったと仮定してみる。

上のように例えばイライラしてる人を見つけた場合、その人の頭にのってるでっかいイライラ虫と、自分の頭にのってるイライラ虫同士が前世から友達だったと仮定してみる。そうすると妙に親近感が出てくるはずだ。

「その節はお世話になりました」「いやいや、こちらこそ」

なんてイライラ虫同士が挨拶してる様子を妄想する。

なんか見知らぬおっかない顔したおっちゃんとも知り合いになった感じでイライラなんて忘れちゃうぞ。


ところで、これ何か役に立ったんかいな?



私の存在にイライラするの?

悔しいです! 
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七夕の夜に(2009.07.07)

今日は七夕でした。

昨日家の近くの八坂神社では夏祭りをやっていました。花火がボンボン鳴っていて、子供の頃には近所の唯一のお祭りだったので心がはやったのですが、案外このオッサンはシャイなところもあるので、近所だけに同級生とかと会ったら・・・・なんて考えて結局行きませんでした。

あーでも夜店の写真撮りたかったなぁ、なんて今更遅いっちゅうねん。で、七夕と言えば、中国から伝わった織女星と牽牛星の伝説が有名ですね。

この織女星(おりひめぼし)は琴座のベガで全天で5番目に明るい星だそうです。そして牽牛星(ひこぼし)は鷲座のアルタイルで全天で12番目に明るいそうです。二つの星はご存知天の川に隔てられ、その距離はなんと15光年だそうです。

ベガ↓
ベガ.JPG

アルタイル↓
アルタイル.JPG

光の速さで15年と言うとちょっと遠い存在のようにも思えます。でももしかしたら意識のレベルでは一瞬のことかも知れませんよ。

デビッド・ボームという物理学者によると、

「宇宙は少なくとも二重構造になっており、我々の存在する物質宇宙の背後に目には見えないもう一つ宇宙が存在します」とのこと。そして目に見えない宇宙には時間も空間も全てがたたみ込まれているそうです。

もしかするとその目には見えないもう一つの宇宙というのはいわば精神的な宇宙なのかもしれません。だとすれば時間も空間もたたみこまれている、その精神宇宙の世界では距離や時間は関係なく、離れているという概念すらないのです。

どうです、この世界で離れている人とも少しは近くに感じられました?


今日のgoogleさんのトップページ綺麗です。
七夕.JPG


いい夢見られるといいですね・・・・・




七夕の日に。 
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太宰治生誕百年(2009.06.22)

ずっと長い間、死にたいと思いながら生きてきた、と言ってももう皆は驚かないよね。

先日6月19日に太宰治生誕百年を迎えたと連日ニュースでやってますね。今日もNHKのクローズアップ現代で「生誕百年 太宰治はなぜうける?」というのをやってました。太宰治は1948年6月13日、当時38歳で玉川上水 で入水自殺をしている。

全国で毎年3万人もの自殺者が出ているそうですね。でも、私は太宰治に出会っていたら彼らは自殺に至らなかったのではないだろうか、と思う。それは自らの経験からも言えるのだ。

太宰の小説を暗いと思っている人はもう少数派になったのかな。先のクローズアップ現代では、今太宰の小説が多くの若い人に読まれており、その若者達は太宰の小説は実は暗い小説ではなく希望を持たせるようだ、という感想を述べていた。

多くの有識者が異口同音に言うようにそれが解釈として正しいのだろう。そしてもの心ついた頃からちょっと前までずっと常に死にたいと思い、憂鬱こそが自分のスタンスと思い続けた私も大いに共感する。太宰自身の性格はともあれ、太宰の小説は明るいのだ。人の弱い心によりそい、私なんかこんなに愚かでも生きているのだからあなたは元気を出しなさい、と励ましてくれる。

多分心がとても沈んでしまった時に太宰を読めばわかるはずだ。太宰の言葉は明るい。そしてあなたをいつでも愛してくれる。


試しに落ち込んでしまった時にこれを見て欲しい。私のお気に入り動画↓


太宰治 - 言の葉綴り」(YouTube音あり)



太宰に捧ぐ 
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スケールの大きい話でもしようか (2009.06.17)

なんかまたかって感じですが・・・・・

しょっぱなはGoogleネタなんですわ。今日のGoogle見ました?一応また画面貼っときます↓

火の鳥.JPG

↑テーマは火の鳥じゃなくて「ストラビンスキー」 6/17生まれだそうです。

クラシック音楽を好きな人じゃなくても有名人なんでしょうか。私は高校3年間クラシックとビートルズを聞きまくっていたので一応有名な「火の鳥」と「春の祭典」なんかは聴いたことがありました。そう、それで火の鳥の画なんですよね。(因みにこの前のはテトリス誕生25周年でした)

私が好きだったのはドボルザークとかチャイコフスキーとかムソルグスキーとかそういう分かりやすい(のか?)クラシック。でも没年が1971年だからクラシックというのかどうかわかんないけど、ま、っぽいヤツってことでいいか。1971年がクラシックだとオレ≒クラシックということになってしまう。(み、認めんぞ、絶対に)

このストラビンスキーさんは、「作風を次々に変え続けたことで知られ、カメレオンというあだ名をつけられるほど創作の分野は多岐にわたった。」のだそうだ。そういや、取りとめのない人のことをよくカメレオンって言ってたなぁ・・・・死語や。

そうそう、火の鳥って言えば手塚治虫の漫画が有名ですね。この漫画、ちゃんと読んだことはないんだけど概要は、古代から超未来まで、地球(主に日本)や宇宙を舞台に、生命の本質・人間の愚行・愛が、手塚治虫自身の思想を根底に壮大なスケールで描かれているもの。NHKのサイトにあらずじがあるので読んでみてね。

で、こういうスケールの大きいものに触れるって大切だと思うわけです。普段の生活に追われていると人はつい目先のちっさい事で悩んだりイライラしたりするもの。たまには地球46億年の歴史に思いを馳せたり、宇宙の始まりを想像してみたりすると悩んでいることがいかに些細なことかって気付いて楽になれると思うのだ。

地球が生まれて46億年、宇宙の誕生から137億年ですよ!それに比べて人間の歴史なんて、西暦が始まってから2000年ちょっと。この間、平均20歳で人間が親になったとすると、ざっくり計算して自分の100代前のじーさんが紀元0年位に生まれたって計算になりますよ?そう考えると2000年なんてあっと言う間でしたね、なんて思いませんか?今悩んでいることなんて、2000年が短いという感覚になれたらきっとすぐに消えてしまいますよ。

私が宇宙に思いを馳せるのにお薦めのサイトは、昔から見ている「宇宙の果て」っていうホームページです。このブログのブックマークにも随分前から登録してあるのでご存知の方もいるでしょうね。宇宙物理学について書かれているのでちょっと難しいけど、それでもかなり平易に書いてくれているので理解できると面白いですよ。

それとこちらは国立天文台のサイトの一角にある、その名も「宇宙図」←このサイトも分かりやすくよくできてますね。

話はずれるけど、マクロとは正反対なのがミクロ。物事をミクロに見ていくのが量子力学の分野だ。その量子力学から最近分かってきたのが物質が消えてしまうということがあるという。我々は質量保存の法則とか学校で習ってきたので物質が消えてしまうことはないということを常識としている。物を燃やすと灰と煙と熱に物質が変化するだけで消える訳ではない、と教わったはずだ。

でも最新の量子力学では中性子レベルでは消えたり(少なくともこの次元からはなくなるということだと思う)、また人間の意識の介入により物理実験の結果が左右されるという、簡単に言えば超能力の存在を示唆するような理論が出てきているのだ。

その量子力学(ミクロ)と宇宙物理学(マクロ)を合わせて考えられている最新の宇宙論がこの宇宙には10個くらいの平行宇宙が存在する、という説。その次元間をどうやら重力だけが往来できるようだ、とのこと。

ま、私はあんまり詳しくないので詳細は天外伺朗氏の本がお薦め。この人は元ソニーの技術者でなんとCDの開発者だ。この名前はペンネームで本名は土井 利忠氏。精神世界を科学的に解説しようというような本を多く出している。お薦めの本は「意識は科学で解き明かせるか」という著書。

この本は、今はアハ体験とかで有名人となった茂木健一郎氏との対談をまとめたものとなっている。もっと文系にも優しい本は、「宇宙の根っこにつながる生き方

まぁ、せっかくだからGoogleさんで遊んでみた↓
ブラックグーグル.JPG

↑名付けて「ブラック・グーグル」。悪っそうやなぁ(ただ色を反転させただけなんだけど)でもちょっとカッコイイ。



今日のはどう見たって間違いないので悪しからず。 
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見失った表情 (2009.06.13)

失っていたのは心かもね。



見失った表情(音あり注意!)



 
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慢性疲労、眠れない・・・・・ (2009.06.11)

さてと。疲れたからなんかくだらないことでも書くとするか。

そうそう、昨日検索連動型広告のキーワードなんかを一生懸命練り直して最適化を試みたらクリック数がこんな感じになった↓

SEO管理画面.JPG
↑Google Adwordsさんの管理画面。

これは父の日特集のショップの広告データ。折れ線グラフがようやく上を向いた。営業マンでなくともグラフの右肩上がりってのは見ていていいもんだ。(ま、元営業マンだが)↑の画面が異様に小さいのはグラフの下に登録したキーワードが並んでいるため。一応企業秘密って訳だ。(企業じゃないけどね)ま、そんな大したもんじゃなくてありきたりなキーワードしか並んでないんだけど。

ま、嘘っぱちなんだけどね。いや、父の日のお店に関してはホントだけど、それ以外の店は一昨日試しに金額設定を上げたら見事にクリック数が増えたんだけど一晩の広告費が5000円位になってしまったのだ。危うく立ち上げたばかりのショップを潰そうかと思ったくらい。で急いで昨朝金額を下げたらクリック数もガクッと減ったのだ。キーワードの選択が良かったって訳じゃないんだよね。

それはともかく、最近嘘っぱちってのもあんま聞かないな。嘘っぱちの「ぱち」ってのは一体何者なんだ?あ、八百屋の八だな、きっと。昔嘘つきの八百屋が居て・・・・・いやいや、全国の八百屋さんにぶっ飛ばされそうだから妄想は止めておこうっと。

それで、だ。話を戻すとちょっと気になったのが「すっぱいもの店」に登録したキーワードで検索された回数(クリックではない)で上位10以内にランクしたのが殆ど疲労に関するワードだったのだ。「疲労」「慢性疲労」「疲労症候群」そしてランク2位が「眠れない」

これを見たらちょっと涙が出てきた。みんな疲れてるんだ、と思ってね。こうして夜、ネットに向って検索エンジンに「疲れた」とか「眠れない」というキーワードを入れて救いを求めてる多くの人の姿が目に浮かんだのだ。

そういう私もおよそ5年ほど前は、毎日が疲れていてだるく、ため息ばかりついて、超満員の地下鉄の中で揺られて毎日楽しくもやりがいもなく、ただ会社に行くことばかりが重い義務となって自分を動かしていた。これは東京の会社に居た時の話だ。

だから彼らの気持ちはよく分かる気がするのだ。疲労回復のお店を出しておいてこんなことを言うのもなんだが、疲労を根本的に解決できるのはただ一つ。生きることに対する価値観を変えることしかない。私の場合は輪廻転生と、人は自分の人生を自分で計画して生まれてきた、という運命論を信じるようになって全てを前向きでありのまま、力を抜いて生きることができるようになった。




彼らにも救いの機会が訪れますように 
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ゆとりろ(2009.05.17)

ユトリロってご存知ですか?

西洋美術に興味のある人なら知ってると思いますが、近代のフランスを代表するパリの画家で、フルネームはモーリス・ユトリロ(1883 - 1955)です。因みに私はこの画家を最近まで知りませんでした。実は起業に関してあることを調べていたら偶然この名前を思いついてネットで調べその画を見たら・・・・・・


コタン小路.jpg





サンヴァンサン通り.jpg





テルトル広場.jpg





パリの郊外.jpg




一目惚れというのでしょうか。憂鬱な空に煤けたパリの建物。寂しげだけどなんだか温かみのある白い壁、そして全体的に閉塞感。美術の知識も興味も少ないのだけど、ネットで調べている内にモーリス・ユトリロ、その生涯について知るにつれ益々好きになった。

彼は私生児として生まれ恋に忙しい美しい母のもとで淋しさを埋めるために十代でアルコール依存症となり、治療のため医師の勧めで絵を描き始めたのだった。その生涯については、コチラをどうぞ。

作品については、「作品のほとんどは風景画、それも、小路、教会、運河などの身近なパリの風景を描いたものである。ありふれた街の風景を描きながら、その画面は不思議な詩情と静謐さに満ちている。特に、壁などの色に用いられた独特の白が印象的である。第二次世界大戦後まで余命を保つが、作品は、後に「白の時代」といわれる、アルコールに溺れていた初期のものの方が一般に評価が高い。」のだそうだ。

また彼はピカソと同じ時代、同じ場所(モンマルトル)で生きた。しかし彼らが芸術論を熱く交わしていたのに対しユトリロは独学で美術を学んだため芸術論に興味がなかったという。そして安いワインを買うだけで満足し金にも関心がなかったようだ。

彼の代表作は「ラパン・アジル」(すばしこい兎)という名前の居酒屋の建物。
ラパン・アジル.jpg



で、晩年は「絵の価値に気がついた母ヴァラドンと義父のユッテルがユトリロの作品の売買を取り仕切り、作品を描かせる為に部屋に閉じ込めました。」 更に50を過ぎてから12歳年上の妻と結婚した。が、「妻は白の時代に描いた絵をユトリロに模写させました。」とのこと。その代表作「ラパン・アジル」についてはコチラをどうぞ。




私生児として生まれ、母親の愛を渇望し、酒に溺れ、身内からの監禁を繰り返し受けていたというユトリロの生涯。閉塞感を感じるのはそのせいだろう。でも不思議と不幸や絶望的なイメージは感じない。

その画からは淋しさと、なんだか穏やかさが伝わってくるのだ。




閑話休題 
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NHKのやつ(2009.05.05)

今日は大したアップじゃないんです。

昨日紹介した、星新一の「ある夜の物語」のNHKで放送したやつをyou tubeで発見したので紹介しときますね。

こちらの3つ目です。

はっきり言って、出来は、「ん?」な感じです。ま、みなさんは昨日私のあらすじ見てるから大丈夫だと思いますが、暇ならとりあえず見たってください。

NHKさん、言ってくれたら僕が作ってあげたのに・・・・・


なんつって。 
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ある夜の物語(2009.05.04)

連休なのでみんなお出掛けでしょうかね。天気はあんまり良くないですが5月の清々しい新緑とか楽しめるといいですね。

ま、そんなゴールデンウィーク中で私のブログへのアクセスは少ないんですが、今日は少しいい話でもしましょうか。

作家の星新一さんはご存知ですよね。私は中学生の頃教科書に載っていたのをきっかけとしてその頃読書嫌いだったけど殆どの作品を図書館で借りて読んだ。という感じに初めてファンになった作家の一人です。多分私の妄想力も彼の作品によって鍛えられたんじゃないかと思う。

で、もう20年くらい忘れていたのだが、最近ふとしたきっかけで何冊かまとめ買いして読み返してみた。その中にかつて読んだ記憶はないのだが、とても心温まるストーリーがあったので紹介しよう。

そのタイトルは、「ある夜の物語」 最近NHKでアニメとドラマで映像化した10分間の短い番組、「星新一のショートショート」で放送されていたらしいのでご存知の方もいるのかな。以下はあらすじ。


クリスマス・イブ。ある所にあまりパッとしない青年が居た。彼は社会的、金銭的に余り恵まれず、社交的な性格ではないために恋人もおらずクリスマスだというのに殺風景な狭い部屋で独りきりの寂しい夜を過ごしていた。

そこにサンタクロースが現れ、世界でただ一人青年に何でも望みを叶えてくれると言う。青年は頭の中で恋人・物・地位・明るい性格など自分の欲しいものを思い浮かべる。だが、ふと青年の意識の中で変化が起こる。「ぼくでいいのか、もっと気の毒な人がいるはずだ」と。そして青年は近くに住む難病で寝たきりの女の子が居たことを思い出し、その子にプレゼントの権利を譲ってしまう。だが青年の心の中には温かい何かが残り、その夜は楽しい気分で眠って、「きれいな夢を見た」のだった。

次の女の子も寝床にサンタクロースが現れて欲しいものを聞かれるが、自分の所に来た経緯を知り温かい気持ちになる。そしてこの女の子も権利を譲ってしまう。「あたしよりもっと気の毒な人がいるはずよ、そう、近所のがめつくて評判の良くない金貸しのおじさん、あの人はきっと友達がいなくて今晩なんか特につまらなそうにしているはず。なぐさめてあげて」と。この女の子は、「自分はひとりぽっちかと思ってたけど、わたしのことを考えてくれてる人がいる」と、生きる勇気が湧いて来る。

金貸しのおじさんも欲しいものを聞かれエゴ丸出しで巨額な現金が欲しいと思う。しかしサンタクロースが来た経緯を聞かされて自分を恥ずかしいと思い、「お金は既に持っているということにはじめて気付く。」そしてこんな自分にも、「サンタクロースをここに回してくれた人が社会のどこかに確実にいるのだ。」ということに気付き「それならもうなにもいらないじゃないか。」と、やはり権利を譲ってしまう。「もっと気の毒な人のところへ行った方がいい。」そしてテロリスト集団の噂を思い出す。「そういうやつの内心は荒涼としたものじゃないかな。そのボスをなぐさめてやったらどうだろう。」このおじさんも温かい気持ちで眠りについた。営業方針を少し変えようかな、と思いながら・・・・・

テロリストのボス。彼の陰謀は戦争を起こすこと。彼の人生はこれまでひとつもいいことはなかった。いやなことの連続。そこにサンタクロースが現れ望みを叶えてくれると言う。「おれの望みは世界の破滅だ。」しかしここに来た経緯を聞くと憎悪の炎が薄らいで行く。「世界の破滅。それを言えば叶えてくれるかも知れない。」だが「破滅させようという世界の中に、サンタクロースをここに回してくれた人が含まれている・・・・・」のだ。そして、「彼の心の中の強固なものが崩れ去っていった。」




あえてネタバレでご紹介しました。それはあらすじを知っていてもこの作品の価値は少しも薄れないと思うからです。私が読んだのは、「おーい でてこーい」という本です。こちらにも上のストーリーが含まれているようなのでお好きな方をどうぞ。因みに私は2回繰り返し読みました。

まあ、簡単にまとめると一人の青年から生まれた温かい心が連鎖して世界が平和になるという解釈になるのでしょうかね。21世紀は心の時代と言われています。それは温かい心がないと「人口問題」や「環境問題」、「食糧問題」など現在世界が抱える深刻な問題を解決して行くことができないからだと思います。何故ならこれらの問題は個人に起因する問題ではなく、集合的、社会的な意識に起因する問題だからです。私は、この「ある夜の物語」にある温かい教訓を、これからみんなで一人一人具体的に行動して行けたら明るい世界が待っていると思っています。


あ、私はこのブログを読んだ誰かが一瞬でも笑顔になってくれたら、温かい気持ちになってくれたらいいな、と思って書いてますよ。



まずは自分から、ですね。うん 
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「ミュータント メッセージ」について (2009.04.20)

函館が「イカール星人」に襲われている!っていう記事見ました?もう一ヶ月も前のニュースになるんですね。

函館の観光PRの動画がYou tubeに流れていて話題を呼んでいるという記事が昨日も出てました。ま、その動画を見た方も多いでしょう。まだの方は一度見てみてください。その中のセリフがとても気に入ってしまった。イカ型宇宙人の「イカール星人」が函館市民に怒っています。

イカばっかり食いやがって〜

い、イカばっかりってなんだよ・・・・腹痛て。つーかマジくだらね。

学生時代の友達でイカが好物のヤツが居て、そいつに「イカっこ」というあだ名をつけたのを思い出したよ。今頃イカール星人にボコボコにされてなきゃいいけど・・・・・

えーと。そんなくだらない話をするハズじゃなかったんだ。先日、2年前からずっと読もうと思っていた本を読んで良かったので紹介します。その本は、「ミュータント メッセージ

内容は、アメリカ人の50歳の女性がひょんなことからオーストラリアの原住民であるアボリジニの一族と4ヶ月に渡りオーストラリア横断の旅に同行することになる。その中で彼らの優れた精神性を学んで行く、というもの。読んでから知ったのだが、この本は一部の人達から非難を浴びているそうだ。ノンフィクションではなくフィクションだろう、と。現行は余りの非難によってフィクションですという注意書きがされているが、当初はノンフィクションとして刊行されたらしい。

いや、非常に残念だ。批判の理由というのが描かれているアボリジニの習慣が実際とは異なるとか、出てくる植物が現実とは違うとかいう、かなり幼稚なものばかり。ネット上で調べてみると日本でもこの本を読まずに大々的に批判しているサイトなんかもある。バカらしい。

この本も、先日紹介した「聖なる予言」も、いわゆるニューエイジという人に支持されてベストセラーになっている。そしてどちらの本も一部の人からはフィクションなのか、ノンフィクションなのか、というつまらん議論により批判を浴びているそうだ。

私が読んだ感想から言えば、この本はフィクションでもノンフィクションでも変わらずに精神的な感銘を受けることができる素晴らしい本だと思う。ニューエイジ系の書物では何故か精神性を問題にした本でカネを儲けるのは悪いことだ、というくだらん批判を受けることが多いらしい。煩悩に従った商品を売るのは良いことで「精神性」を売るのは悪いことだ、というのはおかしくないか?

ま、ネットで検索かけるとその批判サイトがトップに検出されてしまうのが残念なので、ココで声を大にして言いたい。

「ミュータント メッセージ」
(マルロ・モーガン著)

この本は私がここ数年で最も感銘を受けた書物の内の一つです。この本がフィクションであろうとなかろうと、そのサティスファクションがコンサベーションされる(なに韻踏んでんだよ)ことには全く変わりない、と思えるような名著です。(ルー大柴か) 廉価な単行本ですのでどうぞ是非読んでみて、チョンマゲ。


あれっ、もしかして説得力ない感じ? 
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ブログタイトルについて(2009.04.10)

ま、今更なんですが変更したタイトルについて何も触れてませんでしたね。

ということで、お遍路日記を読んでくださった方の中には分かっている人もいらっしゃるとは思いますが、「迷子の大人たち」は2006年11月に放送されたNHKドラマ、「ウォーカーズ」のサブタイトルからとったものです。このドラマが直接のきっかけとなり私は昨年の夏に四国八十八箇所歩き遍路に出たという訳です。

このブログを立ち上げたきっかけもお遍路の記録を公開するのが目的だったのです。従ってまだ過去のブログを見たことがない方は是非一度初期の方のブログを見ていただければ嬉しいです。見方としては、

トップページの写真下アイコンから「日記」→横バーの「一覧」→横バーの「>>もっと読む」→「2008年10月」→一番下の「8/19 0日目」→読んだら一番下の「次へ」をクリックして番外編2(後編)まで順番に読んでみてください。

うーん、非常にめんどくせーな。要するに「8/19 0日目」の日記にたどり着いてもらって、それから次へと送ってもらえればいい訳です。

で、2008年10月7日がブログ記入の最初の日です。実際に公開したのは11月の半ばくらいだったと記憶してますが10/7に登録だけしておいたのでそんなことになってます。あ、ということは立ち上げから丁度半年経つ訳ですね。ま、大してめでたくもないんでスルーしますけど。

そうそう。で、このタイトルの意味は多分ドラマの意味と同じで、人間はみんな大人になっても本当の自分、本当にやりたいこと、ってのを迷いながら探しているのじゃないだろうか、そして人間として生きている限り迷子になっても良いのじゃないだろうか、ということです。迷いもなく突っ走っている人は逆にたまには立ち止まって自分はこれでいいのだろうか、本当の自分はなんだろうか、と迷ったり自分の周りを見回してみることも必要だと思います。

因みにこのドラマはDVD化されて販売されています。私も持っていますが今頃は北海道のオッカナイおねー様の辺りを彷徨っているのではないかと思われ・・・・(ああ、今更ながらなぜ貸すではなくて献上致しますと言わなかったのか、俺のバカ)も、もし興味のある方は現在ではNTT-Xさんが最も安いようです(なんと20%off)

ブログ公開からそれでも5ヶ月くらい経つ訳ですね。その間、リアルで出合った人達はちらほらコメントなんかをくれるのですが、それでもなかなかコメントやメッセージをくれる方は少ないもんですね。書き手としてはフレンドが見てくれてるってのはモチベーション維持の重要なファクターなんですが。(と、いたずらにカタカナを並べてみても説得力ないかっ)私は他人に対して非常に寛容な人間だと思っているのでちょっとくらいの辛口コメントもOKなんですけどね。ま、もっとも自分に対しては更に寛大なのでよくぞ5ヶ月も続けたもんだと、ものすごく自分を褒めてますけど。


えーと、なんかそんな感じでモチベーションも上がらずオチもないという深刻な悪循環というか・・・・


なんというか・・・・・スマソ 
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怒りを手放せない人へ(200812.05)

あの・・・突然ヘンなこと言って恐縮ですが、私は輪廻転生を信じています。
いや、信じているというよりは信じたいと思っているという感じかな?

輪廻転生というのは人は何度も生まれ変わりこの世に精神性を高める修行のために生まれてくるのだというものです。(ものすごく雑な言い方ですが)

ほとんどの宗教の原理的な部分にはこの輪廻転生が含まれています。
キリスト教も発生初期にはやはり輪廻転生が含まれていた。
んで、輪廻転生には運命論的な考え方が含まれる。

例えば私の場合、今回生まれてきたのはある時期ある人に出会い、そして捨てられバツイチになり(そーなの?)お遍路を経験して更に農業をしようともがいているあり様をブログで面白おかしく紹介して人に笑われ(笑われってか)、世の人の心を和らげる手伝いをすることです(絶対そんな大それたもんじゃねーと思うゾ)つまり、誰が何処で誰と出会いどういう経験をする、ということを生まれてから死ぬまでの間の計画を立ててくる、というのが運命論的な考え方です。

この計画を立てる部分に関して、一体誰が立てんねん?という疑問がありますが、それは自分であったり、場合によっては神様と言われるような宇宙の意思的な存在であったり人それぞれで構わないのですが、私がお薦めするのはアチラの世界に居たときの自分の意思で計画を立ててきたという考え方です。

こういう考え方を推奨するメリットがあります。
そのメリットとは、まず人と比べどんな不公平な出来事が起きても、それが自分の意思で計画したことだと思えば余り立腹せずに済むということです。
このメリットは大きいのではないでしょうか。

あいつより自分の方が能力があるのに何故か出世が遅い、上司に見る目がないからだ、あいつはコビを売るのがうまいからだ、なんて妙な逆恨みをすることもなくなります。(本当はコビを売るのも社会でうまくやっていける能力だと思いますが)

人間というの誰かを恨んでいたり、誰かに怒りを覚えている時ほど苦しいことはないのです。
自分ではなかなか気付きにくいのですが、その怒りは相手を傷つける前に自分の内部で自らを傷つけています。
例えると、自分の内部に創り出したナイフを相手に向ける前に自分の肉体を突き破って外に出さなくては相手に刺すことはできない、ということでしょうか。
心と病気の関係は近年学会やニュースなどでも指摘されている通りで、怒りの強い人は胃の病気になりやすいとかそんなんですね。

要するに人に向けているはずの感情というのはまず自分の内部に発生している訳で、その感情は一番先に自分を傷つけるのです。
これは感情の種類と数種の脳内ホルモン分泌の関係を見てもまあ納得できることではないでしょうか。

えーと、言いたいのは、人に怒りを抱くのは自傷行為と同じことだということ。
だから自分の感情をコントロールすることが必要です。
そのためには先ほど輪廻転生から派生して運命論的な考え方をするのがお薦めですよ、という訳です。

私自身はオカルト的なことは大嫌いな理系人間で、幽霊を見たこともなければ幽体離脱などを経験したこともなく(双子もおらず)、ましてや臨死体験で自分を天井から見下ろしてたなんて経験もありません(死にたいほど恥ずかしい経験というのはよくありますが・・・・青)テレビでそんなんをやっていれば胡散臭そうにしながら楽しむ立場の人間です。

ですが、数年前にアメリカの精神医学教授の臨床記録を明かした本を読み輪廻転生というのもあるかも知れないゾと信じ始めたのです。
ま、最近では輪廻転生の真実なんかよりそういう考え方をすることのメリットの方が重要だと思っています。

輪廻転生の宇宙物理学の観点に続く・・・・かも 
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宮沢賢治の誕生日

今日は宮沢賢治の誕生日ですね。

実は今朝、例によってGoogleを見て知りました。誕生日近かったんだ。

改めて宮沢賢治の生涯をwikiで読みましたが、彼も転職を何度も繰り返してたり、東京と実家の花巻を何度も往復してたり、色々忙しい人生だったようですね。と言いつつも花巻の宮沢賢治記念館に10年位前訪れているんだけど・・・・・


彼は体が弱くて急性肺炎で無くなっている。その歳が37。農民芸術を説いたとのことだから、今で言う半農半芸の思想を100年位前に持っていたというからすごい。

彼が生涯独身だった理由として、22歳の時に余命15年くらいだろうと自分で悟っていたからだとも言われているそうだ。詳細はwikiを見てくださいね。


私も高校生の頃から人生40年くらいでいいと決めていた。今では自殺願望はないものの長生きしたいとか、生に対して全くこだわりが無い。そして40年しか生きないのだから35歳以降は余生のつもりで生きている。その余生も残すところ3年となれば、ま、焦らずゆっくり生きようと思っている訳だ。お遍路もしたしね。


万が一私が40歳過ぎても生きていたら、それは私ではなく生きる屍(しかばね)か、或いは魂の状態ですからそっとしておいてくだされ。


なんて言うとちょっとアレか。


銀河鉄道の夜1.jpg




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進化の法則

今日の内容は難しめ。ゆっくり読んでもらえれば理解してもらえるはず・・・・と思って書きますね。


昨夜。眠りに就く前に、私は宇宙の始まりについて考えていた。

宇宙はおよそ137億年前に突如始まった。その始まりは小さな真空、いわば無である。実に真空というのは莫大なエネルギーを持っている。


宇宙の始まり.jpg

その真空のエネルギーが光のエネルギーに満ちた超高温の火の玉になりビッグバンが起きた。膨張する宇宙空間で光のエネルギーは徐々に物質へと変換されて行く。



初めに大量のX粒子と呼ばれる素粒子ができた。やがてそれらは現在の物質で最小の素粒子であるクオークとレプトンへと変換され宇宙空間を満たす。

クオーク
クオーク.JPG

宇宙誕生から0.00001秒後に宇宙の温度は1兆度まで下がり、単独であったクオークが3つ集まって陽子や中性子を作った。

陽子
陽子.JPG

宇宙誕生から3分後には宇宙の温度は10億度まで下がり陽子と中性子が結びつき原子核を形成した。

原子核(白いのが中性子と思ってください)
原子核.JPG

宇宙誕生から30万年後、宇宙の温度は3000度まで下がり、バラバラに飛び回っていた電子が原子核に捕らえられ原子核の周りを廻って物質の基本単位である原子ができた。

原子
原子.JPG

この原子核を構成する陽子と中性子の数によって、水素や炭素、酸素、鉄や金など異なった物質になるのだ。つまり物質というのは基本の構成単位は共通である。

そして、例えば陽子と中性子が1個ずつの水素原子を2個融合させると陽子と中性子を2個ずつ持つヘリウム原子になる。これが核融合反応だ。

この核融合は太陽などの光り輝く恒星の内部で起こっている。つまり星が光るのは内部で小さい原子核から大きな原子核へ、例えば水素から鉄や金へと変換する核融合の際のエネルギーなのだ。

初期の宇宙には水素やヘリウムなど小さい原子しかなかったものが、星が生まれ、そして核融合反応により大きい原子が作られ、星の寿命と共に宇宙空間へとばら撒かれる。

この行程が137億年続いてどんどん大きな原子が宇宙に作られて行った・・・・・

ビッグバン.JPG


・・・・・と考えていると、これは宇宙全体に共通する法則ではないだろうかと気付いた。

即ち、宇宙の誕生は均質なエネルギーから単一の素粒子を生み、その素粒子は異なる数種の素粒子へと変換された。

その素粒子が集まり陽子と中性子を作り、更にそれが集まって原子を作る。原子同士が更に複数結合すると我々の馴染みある様々な物質となる。

つまり宇宙の誕生に秘められた法則というのは均一なものから異なるものへと分化し、その異なるもの同士が集まって一つの物質へと形を変えて行く・・・・・・ということではなかろうか。

考えてみて欲しい。例えば光というのは元々エネルギーであって色はなかった。それが色を生み、光から分かれた色たちは重ね合わせると透明な光に戻る。

これは人種の誕生にも当てはまる。単一の人種が白・黒・黄色へと分化した。そして分かれたそれらの人種が今再び混ざり合って、恐らく後数百年もすればほぼ一つの人種と言えるまで均質化するのではないだろうか。

文化にしても同じ。20世紀頃まで様々な文化に分かれたものが今西洋文化を中心にあらゆる文化が混じり合って一国の文化とは言えない、世界的な文化へと統一しつつある。

きっと宗教だって・・・・・


遥か137億年前から宇宙の意志は変わることなくその全てにおいて共通の方向性を繰り返して来たのではないだろうか。

一つが異なる複数に分かれそれらが再び集まって一つのより大きなものへと再編、進化する。これが宇宙の進化の方向性だろうと思ったのだ。

我々、個というものも今は様々な思考・価値観へと分かれているが、この先どういう形かは分からないけど融合して、一つの大きな存在へと形を変えるのではないだろうか。


と、思いながらとても希望のある夢の中へと落ちていった。


銀河.JPG





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胸騒ぎ

今日の午後遅くからなんだか妙な胸騒ぎがするなと思っていたら夕方運転中に事故に合ってしまいました。

前にもあったんです、こういうこと。そして何か良くないことが起きた。と言ってもそんな大した事じゃなくて、現にこの間あったことは忘れてしまっています。

ここ3、4年くらい前からこんな予兆を感じるようになりました。ま、私はエスパーじゃないから実際には起きてみないと気付かないんですが。

ここ5年位は普段憂鬱になったり気分が乱れることが殆どないので、胸騒ぎがあると特に意識してしまうのです。そしてきっとそれは避けることができない。


車同士の事故は10年ぶり位でしょうか。でもそれ以前は私は横や後ろからぶつかられることが何故か多かったのです。今回は私がバイパスを走っていたら左の細い道から出てきて私の車の真横にゴンです。

私はこういう時現場を客観的に考える癖があるので殆ど平常心のままです。別に死ぬわけじゃないと一旦引いて冷静になるのです。多分死んだとしても、ああ、遂に死んでしまったか、なんて思いそうですが。

でも殆どの人はパニック状態に陥ってしまい、今回の相手もどう考えても自分が悪い状況でも正当化しようと私の非を探して必死に自己主張しようとされていました。

平常心を失った時、人は普段被っている良い社会人のペルソナ(仮面)を被り忘れて本当の自分が出てしまいます。そうなると例外なく人は醜態をさらけ出すのです。

いや、私だって取り乱すことがあればきっと醜態をさらすに決まっています。だって人間なんて例外なく普段見ているように内側は綺麗なもんじゃありませんから。

でも一つだけ多分私が多くの人とは違うと思うことがあるんです。それは自分自身の心の醜い動き、煩悩や欲求の情動を常に見つけようとする癖をつけているんです。妙な正当化をしないように。

何故か?そのことをうまく書かせるために今回の事故は起きたんじゃないか、と思うほど実はここ数日本当の自分、ありのままの自分を見つめることの重要性について考えていて、ここに書こうと思っていた所なのです。

詳細はまた明日にでも改めて書きます。


さっきも、数分前まで冷静なサラリーマンだったろうと思われる人が取り乱しているのを見ていて段々気の毒に感じてしまい、私はこう言った。

「でも(車の事故部位が)横と前の接触事故じゃ保険会社には言い訳できませんよ、きっと」

どうやらそれで冷静になってくれたようだ。


とても冷え込んだ暮れかかる冬の路上。寒さと共に、哀しかった。




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ありのままの自分1

寒いですね。

実は今朝一番に高知県大豊町の役場のミノさんから、渡辺さんの農場で研修を受け入れるという連絡が入っていた。

うーん。どうしようかな。連絡くれると言われた10日から1週間も経っているからなぁ。愛媛の鬼北町のミヤコさんに返事を2週間も待たせている。本当に申し訳ない。

ということでちょっと素直に喜べない心境。それに昨日の事故の件がもつれそうな雰囲気があり、ほんのりと情緒不安定。ま、人間だから仕方ないか、こういう心境も。

にんじんけだもの.JPG(自作)

ちがうか。

さて、ともかく昨日の予告通り続きを書きましょう。何故、自分の本当の姿、ありのままを見つめることが大切なのか?ということについてです。分かると非常に面白い話だと思います。

少し難しい部分もあるかも知れませんが今は気にしないでおきましょう。追々このブログで機会があるごとに触れていきます。というか、私のライフワークです。


この説明をするにはまず、私が近年もっとも賛同している考え方、トランスパーソナル心理学で有名なケン・ウィルバー氏の思想から紹介します。

トランスパーソナル心理学は臨死体験を研究して行く上でアメリカにおいて展開された、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学と言われる新しい心理学です。

特に人間性心理学における自己超越の概念を発展させたものがトランスパーソナル心理学と言われる。

つまり、臨死体験者が語る光のトンネルや神や仏に遭ったという報告に基づき人間とは個を越えたもっと大きな何かであるということを、真面目に考えた心理学ということになる。

だが、根底はフロイトやユングの精神分析があるので、幻想体験だけにズームしたそこらの安っぽいオカルトなスピリチュアルとは訳が違う。そもそもユングは集合無意識共時性(シンクロニシティ)などの概念を提唱していたのだ。

ま、難しい話はいいか。そのトランスパーソナル心理学の第一人者にケン・ウィルバーという人がいる。この人の著書の中に『アートマン・プロジェクト(The Atman Project)』(1980年)がある。

この本の中で精神(意識)の進化サイクルというものが語られている、らしい。彼の本は高価なものが多く、更に絶版になっているものも多いので古本も驚くほど高いのでなかなか購入できないのだよ。ハハハ

そこで彼の著書を噛み砕いて教示してくれる天外伺朗(土井利忠)氏の「五十歳からの成熟した生き方」という本を参考に解説することにしよう。

で、その意識の進化サイクルがどのようになっているのかを必要な部分だけ簡略化して明確に表してみよう。


「意識の進化サイクル」 by けん・うぃるばあ

1 前個  自我が確立する前の段階。つまり乳幼児期。0−3歳くらい。

2 初期自我 個の段階。自我が確立し、自分の本能や感情をストレートに行動に移す。4−7歳くらい。

3 中期自我 親や学校などの教育や社会的規制により倫理観・道徳観を自分の内面に形成し、それにより自己をコントロールするようになる。親の教育に疑いを殆ど持たない。7−12歳くらい。

4 後期自我 反抗期を経て親への依存を断ち切り自分なりの倫理観や生き方のポリシーを持つようになる。精神的な自立を獲得する。12歳〜


これで自我の確立ということになる。これらの分類は階段のようになっているのではなく、実際には初期自我〜後期自我の特徴をぼんやりと持っている人が多いだろう。

そして、これらの参考年齢は最も順調に成長した場合であり、現実には老人になっても自己の欲求を適切にコントロールできず初期自我に留まっている人も居る。

またどんなに立派な肩書きを持っていても配偶者や宗教に精神的に依存している人は中期自我で成長が止まっていると考えて良いだろう。

さて、これからが本題だ。初期自我レベル以降、人間は環境に合わせて様々な自分を作り始める。ユングはそれをペルソナと呼んだ。つまり仮面だ。

仲の良い友達としての自分。親にとって良い子である自分。立派な社会人としての自分。物分りの良い伴侶としての自分・・・・・・・

などなど、健全な社会で生きるために人は多くのペルソナを作り出し演技しているのだ、煩悩と欲求にまみれた本当の自分を。

現代社会において、この後期自我の段階にあり社会が求める型に合ったペルソナを器用に作り分けた人が立派な社会人として尊敬され、出世・友人・金などを得られるシステムになっている。

だが、問題があるのだ。ペルソナを作るということは同時に自分の欲求を抑制することになる。これは自分の無意識下にシミのように影を落とすことになる。まさにジキルとハイドのハイドの部分だ。ユングはこれをシャドーと呼ぶ。

そして今の日本で息苦しく閉塞感が漂っており、特に青年の自殺者が多いのは日本の社会は余りにも多くの、また強固なペルソナ(倫理観と言い換えてもいいか)を個人に要求しているからではないだろうか。

どこか虚しい、漠然とした不安がある、将来に希望が持てない、今の自分は本当の自分じゃない、本当にやりたいことが見つからない、というようなことを思う人は、きっとペルソナ同士の仮面舞踏会をしているような社会に違和感を感じ始めた人だと思う。

当然ながら強烈なペルソナを作った人ほど無意識下では強烈なシャドーが染み付く。そして最強に強烈なペルソナとは・・・・・・そう、聖人のペルソナです。

カルト教団の教祖が煩悩・欲求に任せて犯罪を犯すのは、聖人のペルソナに抑圧されて耐え切れなくなったシャドーが自分を突き動かしてしまうのだ。また多くの犯罪もシャドーが原因であることは明確だ。

これらは特殊だが、でも多かれ少なかれこの後期自我にある人はどこかでシャドーを発散せざるを得ないのだ。あの草なぎ剛くんのように


また、そんなことを言っても社会人として生きるにはペルソナは必須のエチケットであり、結果としてシャドーが悪さをするのであれば対処方法はないのか?ということになる。


それが「意識の進化サイクル」の次のステップということになる。


続く




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ありのままの自分2

では、続きから。意識の進化サイクルの次のレベルを説明しましょうか。

いや、その前に後期自我をもう少し詳細に解明しておこう。というのは、後期自我の段階こそが今の社会の精神性そのものであり、このレベルを深く知ることは現代社会の問題の多くを解明することになるからだ。


現代の多くの社会では前回示した後期自我のレベル、即ち社会に適合するための仮面(ペルソナ)をうまく作るところまでしか求めていない。

実際今のところ多くの人は順調に成長しても後期自我、或いは精神的に誰か(何か)に依存してしまう中期自我のレベルで死を迎える。

私の観察によると、多分現在の日本では後期自我と中期自我の割合は半々程度か、もしくは中期自我の特徴を多く持った後期自我レベルの人がまだ多いようだ。

そして現代社会の多くを占める中期・後期自我の人達の特徴は、自分がペルソナを作って演技していることすら気付いていない人が殆どだという点にある。まずここが大きな問題。(後述)

多くの人は良い人のペルソナを自分自身だと思い込み、人徳者または半ば聖人のように振舞おうとする。だが、この行為は前にも述べたがペルソナに対する潜在意識下の影、シャドーを強くする行為でしかない。

だから聖人という存在を仮定することは危険だと思う。キリスト・モハメッド・仏陀・空海にしても然り。多くの人が彼らに憧れて聖人的な振る舞いをするペルソナを作ろうとするからだ。

考えてみて欲しい。煩悩も欲求も感情の変動もない人間なんて生物ではない。生物であって個体を持っているならこれらの煩悩を持っていて然るべきなのだ。少なくとも我々のレベルでは。

ケン・ウィルバーによれば意識進化の延長上には煩悩が薄れて行くレベルがあるらしい。(後述) だが少なくとも今の我々後期自我にある人間が煩悩を消し去ろうとする行為は誤りである。

いずれにしてもこれら後期自我の人は生きるのに息苦しいし、虚しいし、幸せではないはずだ。何故なら動物由来の本能であり、善悪で区別すべきではない生物としての欲求・感情(情動)を、良くないものとして自分の無意識下に抑圧しているのだから。

更にこれらの本能的な欲求(情動)というのは一つ抑圧することが全ての情動のブレーキとなってしまうという特徴がある。

つまり怒りの情動を抑圧すると喜びや感動まで抑制されてしまうのだ。従って良い子やいい人として生活する人ほど何をしても楽しくないということになる。逆に何をしても楽しめている人ほど心のブレーキが緩いと言える。

そもそも人間は情動を適度に発散するだけで楽しいし喜びを感じられるものなのだ。心のブレーキがなかった幼児期の記憶がある人ならなんとなく分かるのではないだろうか。

情動を抑圧しているから現代人はレジャーや趣味など外側に喜びを求めるようになる。その一方で無意識下では常にブレーキをかけている状態だからそれほど心から楽しいと思えない。だから何度も繰り返して求めようとする。まるで麻薬中毒だ。

人の幸せというのは案外単純で、情動(感情や欲求)が適度に満たされていれば良いのだ。従ってこのペルソナを作ることこそが現代人が総じて幸せでない原因なのだ。つまり、幸せをただ自分で抑制しているに過ぎない。

つまり本当の幸せを知っている人というのは情動をほどほどに抑制しない人である。幸せになるために、何かを買ったり、肩書きを得たり、結婚したり、仕事を変えたり、ということは一切無駄な行為なのだ。

幸せな人は何をしていても、どこに居ても幸せを感じているはずなのだ。

それなら情動を抑圧しないようにコントロールできれば良いということになるのだが、そんなに簡単には行かない。まず本人が情動を抑圧していること(ペルソナ)に気付いていないから。

冒頭で話した通り、現代社会の精神性の象徴である後期自我の人達は自分がペルソナを作っていること、それによりシャドーができていることに気付いていないのだ。

ということは、まずは自分のペルソナとシャドーに気付くことが必要ということになる。つまり、まず自分の感情や欲求を認め、人間は綺麗なものじゃないということに気付き、その自分を許してあげることだ。


ありのままの自分を許してあげよう。


それが全ての人が幸せになる糸口になるはず。


続く。

(次の精神レベルの未来社会へ)




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ありのままの自分3

前回の文章が余りにも分かり辛いと思ったので昨夜推敲しておきました。良く分からなかった方は是非再読を。

これまでの説明でペルソナとシャドーについては理解してもらえただろうか。このことを理解していると世の中で起きていることの真相が明確に分かってくる。

例えば昨日の特報首都圏でやっていた『“ゆとり”と言われる若者たち』なんて問題も原因と対策が明確に見える。

ゆとり教育のせいで今の若者はコミュニケーション能力が欠落していると言う。それは絶対に違う。後期自我の時代の末期状態、高度ペルソナ社会ということが原因だ。

うん、この話はまた別の機会にしよう。教育の問題はきちんと改めて書いておかないとね。ともかく現象面だけ追っていては薄い議論と浅はかな対策しか浮かばず事態を悪化させるだけだ。


では前回の続き、仮面舞踏会をやっている現代人のメインである、後期自我の次のレベルの精神性を紹介しよう。その名も、成熟した自我という。

この成熟した自我を目指す社会こそが現代社会の様々な問題を解決する糸口となってくれるはずだ。

ケン・ウィルバー氏の定義する意識の進化サイクルの続きを簡単に示す。


「意識の成長・進化サイクル」

4 後期自我 の続きから。

5 成熟した自我 ペルソナとシャドーをどちらも本当の自分であると意識下に統合。現代の日本ではほぼ皆無だと思います。片足くらい突っ込んでる人は案外多いかも知れないが。

6 生物社会的帯域 社会や環境による固定観念、つまり思い込みの限界から自分を解放。内側からの喜びに気付く。

7 ケンタウロス 身体の不随意プロセス、多分血液循環、呼吸、消化、発汗・体温調節、内分泌機能、生殖機能、代謝、など自律神経系の働きを思い通りに操れるというレベルだと思う。

更に、

8サトル(subtle)→超能力を発揮するようになる。

9コーザル(causal)→理念・愛の世界であり至高の意識体。

10アートマン(ultimate, nondual)→全てを越えた「絶対」そのものとの一致、究極的な覚醒、宇宙との合一。即ち悟りの境地。

と、続くのだが、ここまで行くと現代の我々とは余りにかけ離れ過ぎているので触れないし、少なくとも今は私の手には負えない。


我々は後期自我の社会では幸せにはなれないことにそろそろ気付き始めている。そして本当の幸せというものを知るようになるのが成熟した自我のレベル。

ペルソナとシャドーをどちらも本当の自分であると意識下に統合するのだが、それにはまずこの二面性が自分の中にあるのだということを認識しなくてはならない。

人の汚い面を見て、私には全く理解できん、ヒドイ奴だ、人間のクズだ、なんて言う人はまだペルソナに隠れている本当の自分を見つけていない。

と、なんだか私は偉そうに上から言ってるように見えるかも知れないが、私もまだまだこのレベルを全く脱してなんかいない。これでも高校生の頃、つまり20年も前から汚い自分に気付くようにはしてきたんだけど。

それだけこのペルソナの影響は強いということだ。現代社会がペルソナを求めているのだから隠遁生活でも決めないことには当然この支配下から逃れるのは至難のわざだろう。

と考えば、過密社会だからこそより強固なペルソナが求められるのだということが分かる。つまり、もし社会が一致団結して次の精神性、成熟した自我を目指そうということになれば解決策の一つに分散社会を作り直すことが考えられる。

話がそれた。ともかくまずは本当の自分の情動(感情・欲求)に気付き、汚い・綺麗・弱い・強い、全部本当の自分としてまずは善悪の判断なく認めて、そして許す。人間だもの、と。

私はなんて汚い駄目な人間だろう、なんて自責しないように。シャドーとして固定してしまう。

また、「頑張る!」というのも良くない。この言葉の使い方は極めて難しいのだが、かる〜く、ちょっとやるか、くらいの勢いならいいんだけど、「死に物狂いで頑張ります!」なんてのはまずい。

自分の心に無理をさせて何かをやろうとする行為は全てシャドーとして心のシミとなってしまう。その結果、自分が無理してやったんだから他人にも同じことをさせよう、ということになり現状のような2次汚染3次汚染でシャドーの輪廻を作ってしまう。

ま、あんま小難しく考えると全く前に進まないからテケトーにやればいいんですよ、僕みたいに、肩の力を抜いて、ゆる〜く。絶対に頑張らないぞー!っと。てなもんだ。はは。

当然、後期自我を抜け切れない人達に非難されるだろうけど、気にしちゃいけない。まずはシミ抜きに専念しよう。

そうする内に何だか分からないけど、心に勝手にエネルギーが湧いてきて、全てのことに興味が出て頑張らずになんでもしたくなる。できるようになる。今の僕がようやくちょっぴりそんな感じになってきたから自信を持って言える。


人間はそもそも初めから素晴しい能力を持っているのだ。シミ抜きをしている内にきっと少しずつ心がそれを思い出して潜在能力を解放くれるんじゃないかな。

この精神性の構造を象徴するような映画を僕は知っている。「マトリックス」だ。10年前にこの映画を観た時に心底驚いた。これは、まさに・・・・・。

このシリーズは3作あるが、第一作目で救世主ネオがこう言う。


「心を解き放て」


成熟した自我の時代を想像してみる。

成熟した自我を獲得すると人は争わなくなる。お互いの醜い部分が自分にもあると知っているからだ。広い意味で皆同じだと連帯感を持つようになるだろう。

社会的に生きるために最小限のペルソナは作るけど、基本的に情動を抑制しないので普通に生活しているだけで皆快活に生きることができる。つまりお金をそれほど欲しがらない。

資本主義的な忙しさがなくなり、ゆったりとしたペースで生きるようになる。経済発展を望まなければ環境をこれ以上壊さなくなる。

経済的な豊かさを望まないので学歴偏重がなくなる。子供を親の人形のように扱わなくなり、個性を大切にする。従って多様な職業と芸術が発展する。きっと半自給的な生活でのんびり特技や精神性を高めるようになるのではないだろうか。

そしてなにより、自分が何者であるかを分かり始める。更に次の精神性のレベルである、生物社会的帯域に向けて人間的な思い込みから放たれ、潜在能力を任意に発揮できる人が多くなる。


私はこれまでの後期自我のある意味暗黒時代と180度転換して明るい時代になると思う。そしてその時はもうすぐそこに来ているような気がする。


続く(統合の時代へ)





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ありのままの自分4

続き。いやぁ、今日も思いっきり長いな。心して読んでくださいね。って誰か面白いのかな、これ。うん、まぁいいや。

現代社会の問題を起こしているのは後期自我のペルソナとシャドーが原因だと言うことについて、そして次のステップである、成熟した自我へと進むには、まず、ありのままの自分に「気付き、認め、許す」ことから始めれば良いということを前回までで書いた。

更に後期自我から成熟した自我へと進むとこれまでと180度方向転換したような明るい社会へと向うはずだというところからだ。これには理由がある。

まず、これまでの総括としてケン・ウィルバーの提唱する意識のスペクトルの全体像を見てみよう。本当は自分で作ろうと思ったのだが、以前も紹介した天下伺朗氏の著書「五十歳からの成熟した生き方」からスキャナーでパクってしまおう。面倒くさいので。

意識のスペクトル図。 天下伺朗著「五十歳からの成熟した生き方」(海竜社)から
意識のスペクトル1.JPG

矢印を追って見てみよう。一番手前側の線を唯一絶対な宇宙として、人がこの世に生み落とされたばかりの状態をプレローマと言う。

そしてウロボロスの段階で母親を認識し始める。その後身体的自我で自分の身体とそうでないもの、外部環境を認識し、メンバーシップ認識で色々な人、社会を認識し始める。

初期自我からは精神的な世界を認識し始め、自分の意識と他の意識を徐々に理解し始める。中期自我で自分の中に社会的な自己、つまりペルソナを作り始める。

後期自我では自分の内面、意識をペルソナとシャドーに分離する。現代人の多くはここまでの意識の成長で死を迎える。点線で描かれているようにポトリと落ちてまた宇宙へと帰っていくのだ。

ここまでのプロセスを振り返ると、細部へ分離のプロセスであったことが分かる。宇宙と分かれ母親と分かれ、自分の身体と外界と分かれ、自分と他人と分かれ、自分の意識と他人の意識と分かれ、更に自分の意識内でペルソナとシャドーに分かれる。

次々に分離するので寂しさを伴うプロセスだ。だがこの後のプロセスからはこれまでと全く逆、180度転換してこれまで分離してきたものを次々に統合するプロセスへと向う。従って融合の幸福感を伴う。

まず成熟した自我では自己内部の意識を統合する。はじめに意識が分離してしまったことを認識し、ペルソナとシャドーを自分のものとして統合する。

次の生物社会的帯域では自己の身体と意識の分離を認識して統合し始める。つまり自分の身体でありながら不随意筋のように操れないものと思い込んでいる意識に気付き、その思い込みを統合、つまり解消する。

それが完結するのが次のケンタウロスのレベル。ここからは未知の領域であり推測と妄想による私なりの理解と認識してください。本当は触れるつもりじゃなかったんだけど、成り行きで。

ケンタウロスはご存知の通り、馬と人間が融合したような身体を持つ。

ケンタくん↓ 
ケンタ.jpg

(ケンタと言えばケンタッキーフライドチキン。だがそれは関東の呼び方で、関西人は激しく抵抗してケンチキと呼ぶ。こういう対立や分離もその内統合される日が来るのだろうか・・・・・あ、かんけーねーか)

ともかくケンタウロスは馬の下半身と人の上半身を持つ。これによって、それまでは馬として例えた自分の身体を、本当の自分の身体として随意に操るようになることを示している。自己内部の統合が完了する。

このレベルになると病気というものは無くなるだろう。きっと癌細胞でさえ自分で認識し、随意に免疫細胞によって消滅させることができるはず。いや、癌細胞そのものの発生すら抑えられるかも知れない。

次のサトル(微細)では、外界と自己の意識を統合し始める。これは意識を物質、この世界のあらゆるものと繋げることであり、あらゆるものを自分の意識下にできる。

つまり超能力を使えるようになるだろう。遠くの物質と意識を繋げれば透視、他人の意識と繋がればテレパシーを、石ころに意識を繋げて動かせばサイコキネシスを、ま、できるようになるんじゃないだろうか、という話だ。

さ、頑張って次を説明しようか。次のコーザル(元因)はこの世ではなく、宇宙の意識を認識し、宇宙そのものと繋がるレベルだ。

このレベルになると臨死体験や瞑想などで現れるような具体的な神様や物質的なビジョンは伴わない聖なる体験をするらしい。

そして最後に意識進化の究極がアートマン。神、或いは宇宙全体との完全な一致。宇宙から産み落とされ分離して進化した我々が生きながらにしてまた宇宙そのものへと統合する。


ここで、私が暫く前に書いた「進化の法則」という記事を思い出さないだろうか。あの時は分かりづらくなるのであえて精神の話には触れなかったのだが、まさに宇宙の物質的な進化と同様に意識の進化も分離と統合を繰り返すのだ。と思う。

話を戻すと、私はこの意識のスペクトルで示した精神性の進化というのは個人だけに留まらず、時代の精神性の進化にも当てはまると思う。

つまり現代が後期自我の時代だとすると少し前の時代は中期自我の時代だったということだ。初期自我の時代は感情をストレートに行動に移すのだから人々は法律など作らずに略奪や殺戮を繰り返していた。これは多分紀元前後の時代ではないだろうか。

中期自我の時代は社会的な規制や道徳観が絶対的な支配になるから、中世の宗教が政治を支配していた時代に相当するかも知れない。日本で言えば戦国時代前後だろうか。

ともかくこうして時代の進行と共にその時代の多くの人の意識も同じレベルまで進化できるようになって行くのだ。

一歩一歩後退することなくこれまで何千年だか何万年だか掛けて後期自我の現代まで進化してきた。そして現在、私は後期自我の末期にあると思う。その理由は・・・・・


教育問題については改めるが、ゆとり世代と言われている今の23歳以下(だっけ?)の若者の特徴、失敗を極端に恐れる、問題を人や社会のせいにする、について少し触れる。

私はペルソナ世代の親が子供に更に強固なペルソナを求めた結果、何世代もかけてでき上がったのがこの特徴だと思う。

私(1972生まれ)くらいの世代までは多分ペルソナに多少ボロがあっても「元気だね」なんて言われて少しは許されたことも、ゆとり世代では許されず、常に良い子で居ることを求められたのじゃないだろうか。

また彼らの幼い時期「酒鬼薔薇聖斗事件」に代表される若者による若年層を狙った凶悪犯罪が多発した。原因は強固なペルソナを社会と親が押し付けた結果、強烈なシャドーが形成され爆発したのだ。自らが蒔いた種が発芽したに過ぎない。

しかしこれらの事件によって子供の自由がさらに奪われる結果となる。親の言う通りに行動しないと死ぬぞ、と脅されたのだ。こうして否応なしに親に従わざるを得ない状況でガッチガチの良い子のペルソナが形成された。

ゆとり世代の特徴→失敗すると死ぬと脅されて来たので失敗を極端に恐れる。自分の行動に問題があればその行動規範を押し付けた親や社会に責任があると考える・・・・・当たり前だ。


どう見てもそろそろ後期自我の末期状態だと思う。だから次は必ず成熟した自我を目指す時代になる。


ギュウギュウに押し詰められれば反動で爆発が起こる。その未来を開く爆発の導火線が静かに引火しているのをみんな感じているだろうか。


続く(総括へ)




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ありのままの自分5

ようやく終わりになります。

見慣れない単語が少し多いものの、内容としてはそれほど難しくないと思うのですが、なにぶん文章が未熟な故に分かりづらく意図が明確に伝わったかどうかは自信がありません。

また扱っている内容が、殆どの人にとってこれまで余り意識して来なかったことであるためなお更だと思います。ですが、理解すると自分が何をすべきかを知ることになるでしょう。


私がここで言いたかったことは単純です。もし幸せや充実感を感じたい、そして明るい未来を夢見るならやるべきことは、

1 自分はそもそも動物であるから動物的本能があるのは当たり前だと気付くこと。

2 社会的に生きるために動物的本能の上にフタをして人間としての仮面をかぶって生活していることを認識すること。

3 動物的な本能は人間としての仮面を通して見ると駄目な部分、良くない自分に見えるけど、そのありのままの自分を否定しないこと。許してあげること。


ただこれだけを続けることにより、いつのまにか心が自由になっている自分を発見することができるはずです。

でも言うのは簡単で、実際には1のステップですら完全には中々できません。社会の倫理観による支配というのはとても強く自分が汚らわしい動物の本能を持っているとは思いたくないのです。

そしてもし本当の自分に気付き始めても、今度は自己評価が働き自分を下等に評価して自責しまうのです。多分この時期にいる人はとても辛いと思います。

でも、ありのままでいいんです。ともかく自分を否定しないこと。


因みに私自身の話なので 「そんなん興味おまへんがな」という人が殆どだとは思いますが(関西人に怒られそうな関西弁)私の精神性がどこら辺にあると思っているのかを一応触れておきましょう。

前にも触れたように私は後期自我の特徴であるペルソナを通して人を見ている段階を抜けきれていません。だからなんでもないようなことにまだイラっとすることも多いです。

ただ、自分のそういう情動が動いた時直後に気付き、そしてすぐに許すという行為に移れるようになりました。

そうする内にここ1年半くらい前から、つまりお遍路に出る少し前辺りから徐々に自然の景色が新鮮に見え始め、物事への感動も増し、そして何故か写真のような映像的な記憶力が著しく向上しました。

更にこれは精神的な意味ではなく、知識・思考レベルで、色々な事象が繋がっていることに気付くと同時に世の中で起きていることの原理が明確に分かってきました。

このように感覚や能力が少し改善されたように思うのも自己否定が弱まったからだと思います。そして精神的には淋しいと思うことがほぼ完全になくなってしまった。死にたいと思っていた5年前なら考えられないことです。

こう考えると多分中期自我との決別はほぼ終わり後期自我からほんの少しだけ成熟した自我が垣根越しに見えたくらいじゃないか、と判断しています。

ま、ようするに偉そうなことを言ってもまだペルソナとシャドーに支配されている可哀想な男の子って感じでしょうか。(おっさんやろ)


もう一点、私はこの前の記事で幸せになるために転職することは意味が無いと書きました。これについてきっと誤解があると思うので補足しておきましょう。

幸せというのは自分の心のブレーキを弱めて行けば次第に強く感じるようになるので、何処に住むとか誰と一緒にいるとかどんな仕事に就くということとは恐らく無関係です。

でも、それとは別に人間には生き甲斐みたいなものがあります。この生き甲斐というのも難しいのですが、人間は自分のために生きるより一見他人の不幸を救ったり、幸せを助けたり、するように見えることによって自分自身の幸福感が増すということがあるようです。

私は人間というのは例外なくエゴで生きていると思うし、それが当たり前だと思います。でもそのエゴを満たすために本当に聖人の振る舞うこともあり得ると思うのです。当然カルト宗教のような自己肥大の煩悩抜きにですが。

話がそれました。従って幸せを目的とするのではなく、生き甲斐を追求するなら転職だろうが海外移住だろうが性転換だろうがなんでもやったらいいんです。

ただ、そのように環境を変えるためには心のエネルギーが必要な場合が多くあります。私のようにサラリーマンから農業への転職などもまさにそうだと思います。

やりたいことはあるのだけれど一歩が踏み出せない、という人はまだ心のエネルギーが足りていないのだと思います。そのためには心のシミ抜きを続けてみるといいですよ、と言うのが今回の趣旨です。


ま、小難しいことなんて考えなくても心のシミ抜きをしている内に勝手に手が動き、足が動きとなってくるはずです。

心理学では心と身体の関係は人間と騎乗している馬に例えられます。

まずやりたいと思い続ける内に、ぎこちなくでも馬の足が動いてくれればそれが時期となるでしょう。そしていずれケンタウロスのように自由になれる日もいつかきっと来る。


・・・・・・ロバかも知れませんが。


おしまい




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グレーゾーン

今日は休日だ。しかも天気は余り宜しくない。

ここ窪川アグリ体験塾は土日祝はお休み。職員が公務員だからね。

それはいいとして、私が住んでいる研修生の寮は12,3人が共同生活をしている集合住居。だから平日はそれなりに賑やか。

だが金曜の夕方になると多くの寮生達はそれぞれ帰るべく所へと帰って行く。ここで研修を行う人達の多くは出身は他県であれ既に高知県内に居住している人が多いのだ。



ガラガラの駐車場。

ガラガラの駐車場.JPG

Uターン組は勿論のこと、Iターン者も既に就農希望先に居を構えているケースが殆ど。それにIターン組の多くが夫婦や家族と共に移住してきている。

夫婦二人で研修を受けるパターンも稀にあるが、多くの場合は旦那が研修を受け奥さんが就農希望地でバイトやパートをしていたりする。家族持ちだと当然収入が無いのは厳しいのだ。

そのためここから遠方に移住した人達は平日は寮で過ごし週末は奥さんや家族の元へと帰って行くという訳だ。この寮には独身者は殆どいない。

農業は家族労働に向いた仕事であり、増してIターンの新規就農というのは多くの面において、特に心理的な面でのハードルが高いので二人で仲良く力を合わせて、というパターンが多いのは当然かも知れない。


私もよく農業やるなら早く結婚してしまえばいい、なんて言われるがそうは行かない。独身に出戻ってこの方彼女すら作らなかったのはひとえに農業で独立することを真剣に考えていたからだ。

なーんて男前ぶるなよ。本当は、例え好ましき乙女(明治のおっさんかよ)がいたとしても農業を目指していること、そして戸籍のバツ、を心理的に諦める理由にしてしまうオカマ野郎なだけだ。(オカマさんに叱られるな)

むろん奥さんが別の仕事をして現金収入が確保され、農業は自分一人でやるというパターンの方が精神的にも経済的にも有利なことは間違いない。

しかし私の場合、もうこんな環境に身を置いたらそういうパターンはほぼ望むことはできないだろうよ。

もとより私はカーネルの下部程度な人間な訳だから、例えばその手の求愛行動を積極的に起こすだなんてそれこそハードルが高杉晋作だ。(幕末ブームに便乗だ!)


というか本当の所、前回の大きな喪失感を伴う悲惨な失敗例がボディブローを連打されたごとく深く心に染み込んでしまっている。

だから誰かを道連れにするパターン、いいや、そもそも異性と付き合うことすら深いトラウマとなっているのかも知れない。


と、ひとしきり自分に言い訳を考えてみたりしたって誰も居ない寮で独りポッチでギターでも弾いてるしか能が無い。

うん、淋しいかどうかと訊かれても正直言うと全然淋しくはない。かと言って再婚願望がない訳でもない。いや、家族は欲しいのだ。相変わらずめんどくせーヤツだな、俺は。


こーなりゃ宮沢賢治を気取って独身でも貫こうか。それとも本当にカマにでもなろうかね。あはは、と。


ああ、我ながらなんと積極性に欠ける生き方だろうか。それ以外のことなら誰よりもきっと積極的に行動するのだけれど。



さて、買い物にでも行ってくるか。




心の中のグレーゾーン。

誰も居ない廊下.JPG




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運命の法則

関東でも季節はずれの雪が降ったみたいですね。

ここ四万十町も結構冷えたもののさすがに雪は降らなかった。とは言え窪川アグリのある旧窪川(くぼかわ)町は標高が250mほどあるため県西部地区としてはかなり寒い地域で、4月に霜注意報が何度も出ますが。

ともかく東京は今朝窓を開けると雪景色だったとニュースが伝えていました。桜がえらく早く咲いたというのに4月に雪とは。

異常気象とかいうけれど、この宇宙に人間の言う異常なこと、予想外なことなんて一つもないと思う。

あらゆる変化は起こるべくして起こる。全ては必然。その必然を補う仕組みとして因果応報の原理が働いている。


私は運命、この宇宙全体の運命というのは、幾つもの歯車がガチガチに組み合わさり動いているものだと思う。


誰かが一つ歯車を回す。するとそれに連動して何十、何百もの歯車が一斉に回り、更にその一つ一つに接している歯車全てが連動して動きだす・・・・・・・


無数の歯車.jpg



その結果地球と言う大きな歯車を動かし、もっと大きな宇宙全体の歯車がカチリと回る。そしてその大きな動きはどこかの小さな歯車を動かし、別のルートを辿って元の歯車に戻ってくるのだ。


全体を動かす歯車.JPG



人間は自分に接している歯車の動きしか認識できない。だから自分に訪れる運命に一喜一憂している。

だがその運命は、実は自分が回した歯車の動きが回りまわって自分に伝えられた、ということに過ぎないのではないか。

またその歯車の種類は幾つもあり、動かした種類により他を動かす歯車の種類も異なる。そして結果的に自分に戻ってくる運命の種類も異なってくるという訳だ。

だがいずれにせよ、その運命はただの必然に過ぎない。自分が回した歯車が良いか、悪いか、というだけだ。


人にとって好ましい歯車を動かせばは結果として自分に訪れる運命もその種類のものになり、地球全体にとって、宇宙全体にとって好ましいものはそういう運命の連鎖を巻き起こす。

これをブッダはカルマの法則として説いたのだと思う。


だから私は聖人の仮面をかぶった偽善者としてではなく、結果的に全く自分のためにその善とされる歯車だけを回したいと思う。そして人にもこうお薦めする。


善と悪の歯車を選択できるのであれば必ず善の選択を行うべきだ。一寸先からの未来の自分のために。



さて、今日僕はどんな運命の歯車を回すことになるのかね。


そして、あなたは?




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